からくり城奇譚
5 行き止まりのその先に(6)私はもう眠りたい
『もう行ったようだ』
暗闇が支配する機関室の中で、ふとロリアンは呟いた。
『まさか、塔に穴をあけられるとは思わなかった。でも、どうせ壊すのだからかまわないね』
「マスター」
ファウラが不安げにロリアンを呼ぶ。
ロリアンに視力はなかったが、彼女が今どんな表情をしているか、手にとるようにわかった。いや、一度も目にしたことがないはずの彼女の顔立ちまでわかるような気がする。
『ファウラ。今まで本当に世話になった。ありがとう。でも、私はもう眠りたいんだ。――許してくれるかい?』
「ええ、いいわ」
意外なことに、ファウラはあっさり承諾した。
「そのかわり、二度と私に好きなところへ行けなんて言わないで。約束よ」
『ファウラ』
ロリアンは深く嘆息する。
『もう何度も言っているけれど、私はおまえのマスターではないんだよ』
「そんなことないわ」
いつものように、ファウラは何のためらいもなく断言する。
「マスターはマスターよ。ここでマスターの血を吸ってわかったの。マスターは帰ってきたのよ。マスターの国へ。マスターの城へ」
『だから、私は殺されたのか。味方と信じていた人間に』
転生を信じているわけではない。しかし、三百年も昔に臣下に殺されたという王と同じ国の人間に殺された自分とが重なって、ロリアンはその運命の皮肉さに暗い笑いを漏らした。
「安心して、マスター」
無邪気にファウラは言った。
「マスターには黙っていたけど、マスターを殺した人間たちはみんな私が食べた。そうして力をつけて、あの国の王を殺した。あの地は昔私が呪ったから何も育たない。そして、また私が呪ったから、あの国は必ず滅びる」
『……そうか』
本当かどうかはわからなかった。城から出られないロリアンには確かめる術がない。
だが、きっとそうなのだろうと彼は思った。兵士の一団がまるごと消えても、この城の存在は極秘事項だったために、トルドも表沙汰にすることはできなかったのだろう。国民には気の毒だが、これで心置きなく眠りにつける。
『ファウラ』
「何?」
『私がこんなことを言うのも何だが……おまえの主はきっと、おまえを愛していたからこそ、おまえを自由にしてやりたかったんだと思うよ』
しばしの沈黙の後、トゥエルの蛇≠ヘ静かに答えた。
「そうね。マスターは私がこの国に縛りつけられていると思ってた。……そんなことなかったわ。この国に縛りつけられていたのはマスターのほう。私はマスターの国だから、マスターがこの国の王に生まれてくるから、だから護っていただけ。もしあのときマスターが私に国を護れと言っていたら、私、絶対滅ぼしたりはしなかった。そしたら私はきっとまたマスターに会えた。マスターの言う自由≠ヘ、私にとっては絶望≠セったの。マスターが死んだことよりも、私はそれが悲しかった。とってもとっても悲しかった……」
初めて聞いた話だった。
これまで彼女はロリアンに、自分がファウラ≠ニいう名前の魔物であること、ロリアンが自分のマスター≠ナあることくらいしか話していなかったのだ。
今になってこんなことを告白するのも、これがロリアンに伝えられる最後だと予感したからだろう。
そして、ロリアンは遠い昔に死んだ彼女の主の代わりに、こう言ってやらなければならなかった。
『きっと、それを知っていたら、おまえの主はそんなことは言わなかったよ』
「マスターはそう思うのね?」
『ああ。そう思うよ』
「なら、きっとそうね。でも、もういいの。あのときは思いつかなかったけど、すぐにこうすればよかった」
そのとき、ロリアンの頬に冷たい指先が触れた。しかし、そのことよりもロリアンはまだこの体に感覚が残っていたことに驚いた。
人が自分の脳を動かせないように、ロリアンもこの体を動かすことはできない。瞼を動かせたと思えたのは錯覚だった。
だが、ロリアンは|知《ヽ》|っ《ヽ》|て《ヽ》|い《ヽ》|た《ヽ》。
その指の持ち主の下半身が、青くぬらぬらと光る蛇身であることを。
「マスターが眠りたいなら私も眠るわ。マスターが行くところに私も行く。もう一人になるのは嫌なの」
その瞬間。
からくり師ロリアンは、自分が動かせるすべての仕掛けを同時に動かした。
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