からくり城奇譚
4 トゥエルの蛇(6)ただ一つの願い
機関室の壁に開いた出口から出て、狭い通路を少し歩くと、ロリアンが言っていたとおり右回りの螺旋階段があった。
例によってガイが炎を作り出して闇に放り投げる。しかし、先頭に立って歩いていたのはノウトのほうだった。
「何も訊かないんですね」
前を向いたまま、ぽつりとノウトは言った。
「おや、こっちこそいつ訊かれるかと思って冷や冷やしてたよ」
ガイがおどけた声を出す。
「何をですか?」
とぼけたわけではなく、本当にわからなくてノウトはガイを振り返った。ガイは意味ありげににやにや笑っている。
「ダーリンこそ、いったい何を?」
「いや、その……」
いざそう切り返されると、やはり言い出しにくくなる。ノウトは困って自分の頬を掻いた。
「訊かないよ」
「え?」
いつのまにかガイは静かに笑っていた。銀髪が炎の光を受けて赤く輝いている。
そうやって穏やかな表情をしていると、彼の顔が非人間的なほど整っているのがよくわかる。どんな美人でも一箇所くらいは崩れたところがあるものだが、彼にはそれがないのだ。
だが、豊かすぎる表情が人にそのことを気づけなくさせている。これほどの美貌を持ちながら、冷たさよりも親しみのほうを感じさせるのはそのせいかもしれない。
「誰にでも言いたくないことの一つや二つはあらあな。ダーリンが言いたくなければ言わなければいいし、言いたければ言えばいい。言わぬが花、知らぬが花ってこともある」
ノウトは苦く笑った。おそらく気を遣ってくれたのだろうが、何も訊かずにいてくれるのは正直ありがたかった。
旅の時計職人という肩書を、ノウトはとても気に入っていた。……はずだった。
「薬をね」
「え?」
「薬をもらったんです。昔、ある魔法使いから仕事を請けて、その代金として薬をもらいました」
怪訝な顔をしていたガイはあることに思い至ったようだったが、素知らぬふりで先を促した。
「薬? 何の?」
「万病の薬ですよ。あらゆる病気を治すという。その頃、僕は胸を病んでいたので非常に助かりました。おまけにそれ以来、病気らしい病気一つしませんしね」
もしも、老いも病というのならば。
だが、それはガイには言わない。そこまでは話せない。まだ。
ガイに訊けば、もしかしたらあの魔法使いの正体もわかるかもしれないが。
「その薬はもうないの?」
いったいどこまでわかっているのか、ガイは特別驚いた様子も興味を持った様子も見せない。
「ええ。一人分しかくれませんでしたから」
いったんそう言葉を切ってから、ノウトはガイを見つめた。
「でも、もしまだ一人分あったとしたら……ガイさん、それが欲しいですか?」
「いや。今んとこ、俺、元気だから」
軽く受け流してガイは笑った。
「その薬は自分のためにとっておきなよ。もしかしたら、また必要になるときが来るかもしれないから」
一回飲めば大丈夫だとは言っていましたがね。
心の中でノウトは呟く。
別に、長生きしたかったわけではなかった。
すでに地位も名誉も財産もあきらめていて、ただただ死を待っていた。
――本当に?
あの晩、あの魔法使いの老人にそう訊ねられた。
――本当にこのまま死んでもいいのかね? おまえさんが真に欲しいものを手に入れないままで?
「たとえばの話ですよ。本当に持っていません」
嘘をつくのは本当のことを言うより得意だ。
「でも、この薬のことは誰にも言わないでくださいね。そういう約束でしたから」
「わかってるよ。で、そのかわりと言っちゃ何だけど」
ガイは悪戯っぽく笑って長い人差指を立てた。
「さっき、俺があのお姉さんに訊いたことは、誰にも言わないでもらえる? 特に城の連中には」
「それはかまいませんが……」
なぜなのかと訊きかけて、自分が話していないのに人のを訊くのはフェアではないなとノウトは思いとどまった。
二十五年前――といえば、ガイは生まれていたかどうか。
そういえば、自分が訊かれたくないからあえてガイの年齢も訊かずにいたが、見た目はまだ二十歳を一つか二つ過ぎたくらいに見える。
「約束だよ」
あくまで口調は軽いがガイの目は真剣だ。よほど口外してはまずいことらしい。
「交換条件というわけですね。わかりました。誰にも話したりしません。約束します」
「なら、この話はもう終わり」
いつもの調子に戻ってガイはにっこり笑った。
「急ごう。姫様が待ってる」
***
「マスター、ごめんなさい……」
悄然とファウラが謝罪する。
真昼のように明るかった機関室もノウトたちが去った今は元の暗闇に戻っていた。
しかし、ロリアンやファウラには、明るさなどどうでもいいことだ。
「どうしても……本当のことは言えなかったの……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
『そのことならもういいんだよ』
苦笑まじりにロリアンはファウラを宥めすかす。
ガイに結局どうしたいのかと訊かれたとき、彼はこのままこの城に残ると答えていた。
――サンアールに自分の存在を知らせるのはかまわないが、いっさい手出しはしないでほしい。
それがロリアンがガイたちに望んだただ一つの願いだった。
『おまえが助けてくれなかったら、私はとっくの昔に死んでいるはずだったんだから……』
口ではそう言いながら、そのほうが幸せだったかもしれないという思いが胸をかすめる。
ファウラには決して言えない言葉。
そのかいあって、ファウラは露骨に安堵の溜め息を吐き出した。
「そういえばマスター、あの時計職人のことをずいぶん気にしてたわね。何かまだ訊きたいことがあったんでしょう? あのまま行かせてしまってよかったの?」
忠実な彼の僕は、常に彼の意向を叶えようとする。
『ああ、それももういいんだ。誰かはわかっている。なぜかはわからないが』
意味がわからなかったのか、ファウラは何も言わなかった。だが、ロリアンはこの城の主となってから初めて声を立てて笑った。
『できることなら、この目で見たかったよ……イオージュの魔術師=A伝説のグランド・マスター……ノウト・ユングヴァルトをね』
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