REST
「しっかりやれ」
「了解」
静まり返った滑走路。月次の返答をした俺は『照準台』と命名された爆撃機に乗り込んだ。今から、恐怖に震えて死を待つしかない人間を刈りに行く。
黙ったまま操縦席に座り、講習通りに無線を繋いだ。
「――司令塔、応答願う」
「……了解。只今から、作戦『炎幕』を開始する。第一発動機解放」
「了解」
「第二解放」
「……了解」
槓杆を指示通りに引いていく。手がその燕脂に一瞬怯んだが、気にする余裕もなくて。そのまま煩悩を断ち切るように最後の槓杆を思い切り引いた。
手元にあった目的地の地図を頭に入れる。
脳裏に浮かべるのは、一刻も早くこの仕事を遂行し愛しい人のもとへ帰るまでの筋書きのみ。
「第七班、一○六。離陸準備開始」
「了解、第七班一○六機、離陸準備開始」
無線の指示に従い、手元にあった一番重い槓杆を引いた。一瞬の浮遊感。急いで車輪を収納する。
「離陸完了。投下時刻五分前に目的地上空に到着予定」
「了解、健闘を祈――」
無線の切れる間際、ほんの少しだけ銃声が聞こえた。敵が司令塔まで乗り込んで来たらしい。
重く暗黒に満ちた何かが身体の芯を締め付ける。
それは期待に応えなければならない重圧か。
はたまた復讐できる喜びか。
定かじゃない。
けれどきっと、思考回路の半分は後者が占めている。決まっている。それは、人間の愚直さを一番知る軍人じゃなくても断言できる事実。
駒を動かすだけの碌でなしだって、きっと一番分かっている。
約三万二千七百呎まで上昇した事を知らせる警鐘が受信装置に流れる。そこで思考回路は、今見えている緑に満ちた島に移った。
月明かりに反射して光る生きた緑。言葉でなんて表現できない景色だと思う。
身体の芯が締め付けられた。
こういうのを繰り返して、いつか芯から果ててしまうんじゃないだろうか。
寧ろ、消えてしまえたら。
けれど、生きなければいけない理由がまだ自分には残っている。
今こうして受信装置を耳から外し、発動機の音で直接鼓膜を揺らす行為によって生きていることを証明している。
歯車を装う。
装うというのはやはり、少なくとも人間を殺す行為に対して何かしらの感情を覚えているからだ。
もしかしたら感情とも呼べないかもしれない。
生きるためには殺さなければならない現状の下。殺し損ねた人間に殺される偽善者には成りたくない。嗚呼、なんて矛盾。
本能か。
爆撃目標の煉瓦で作られた駅らしきものを眼下に弾薬庫の蓋を開けた。決意も其処から流れ出てしまいそうになって、思わず胸を押さえる。
「……大丈夫」
流れて止まらない涙にそう訴えた。
泣きたい理由が理解できなかった。
罪もない人間を思う。
なんて愚かな被害者意識だろうか。
疑問なんだ。
何故、何故この忌々しいものを美しいこの地に投下しなければならないのか。きっと自分と似た同士も沢山この地で生まれ育っただろう。
落としたくない。
咽喉が焼ける。
こんなものを。
消えろ。
この爆撃機ごと何処か遠くへ。
このまま、全てを無に帰そうか。
しかし本能は言う。
いや、本能はどちらだ。
酷い残像に支配された。
殺された教官の顔が浮かんで消えた。
嫌な音が鳴って、葛藤に勝った優越感が心を満たして、一瞬で消えた。
爆弾は音も立てずに下へ落下してゆく。
誤魔化すように右百五十五度に旋回して、闇に紛れながら逃げるように飛んだ。
爆音。
轟いたのが聞こえた。
流れてくる朱、煙、衝撃。しかし、正義という刹那の夢からは逃げられなかった。抜けたくなかった。
機体がぐらりと揺れて、涙が操縦桿を持つ手を濡らす。手が震えているのに、強がってまた旋回をした。
雲が見えた。
今はそれ以外何も見ないし何も聞きたくなかった。
その時振り向いた。矛盾だった。帰りたかった。生きたくなかった。でも、逢いたかった。最期に。夢でも。愛していた。
あの人に。
残ったのは、黒く染められた灰と朽ち果てた爆撃機。帰る場所のない彼は、これで幸せだったに違いない。
照準台=rest=永眠
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