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灰にうずめた白百合2
小康状態なんてものは、あくまで一時的なものであるから "小康" と言うのであって。
その晩、俺は酷く気分が悪くなった。
外に出るために暗い回廊を通り過ぎる。
ほんの少し動くだけで簡単に呼吸器が悲鳴をあげるので、胸を押さえながら自分の体調を騙しだまし、壁伝いにゆっくりと。
夜中にコツコツという足音は良く響く。そのためなるべく足音をたてないようにと注意していたのが間違いだった。
気付いた時にはもう手遅れ。
『……公等も次の戦ではこちら側につくつもりか?』
突然耳に届いた人の話し声に足が竦んだ。
『ああ。いい加減あの小娘にはうんざりだ』
『私も陛下にはついていけないと思っていたところでな』
潜めているようで潜まっていない不穏な会話は、どんどんこっちに近付いてくる。
まずい、胸が苦しい。
弾む息が、耳に引っ掛かる呼吸音がうるさい。
『ちょうどいい。内通者に伝えてやれ。この際イギリス側につくのも悪くない』
『ああ。国王も存分に恥をかくといいさ』
コツッと足音がすぐ側で留まった。
窓から仄かに入る光は、運の悪いことに満月。相手の顔を確認するのには十分だ。
加えて俺は、動けない。
ずるずると蹲った姿は、この下賤な者たちの目にはどう映ったんだろう。
『ボンソワール。……良い晩だな』
『………聞いていたのか、フランシス』
精一杯笑顔を作って見せると、彼らの顔が失態に歪んだ。
些細な妬みやプライドで、人の心は簡単に乖離する。
胸の痛みの原因に気が付いて、ヒュウと喉が鳴った。
間もなく俺は高熱で意識を失った。
そして、再び正体を取り戻した頃には、すでにカレンダーの日付は無情にもかなりの日数が過ぎたことを示していた。
『状況を、教えてくれ』
『それは無理な話だ』
『彼女に何をした!』
いつの間にか俺の部屋は別の場所に移されており、あの夜会った奴ら以外、誰も立ち入れないようになっていた。
『状況なら私たちが言わなくても、体調でわかるだろう?』
呆れたように太った貴族が肩を竦める。
俺は何も言えずに、唇を噛み締めた。
国の体調は、主に経済の状態だったり国力に左右される。
『あの女を捕まえたら、お前の熱は下がった。つまり、あれは聖女でもなんでもない。国に害を為す悪しき魔女だったんだよ』
彼らの間に起こった嘲笑に、身体中の血管が逆流したように錯覚した。
『………国王は、』
掠れた声で縋るように呟いた人の名前に、貴族は首を横に振る。
『あれはただの腰抜けだよ。期待するだけ無駄だ』
『あの方も小娘の名声を内心恐れていたようだからね、恩知らずもここまでくると呆れたものさ』
ぶるぶると全身が震えた。
違う、彼女は魔女なんかじゃない。
純粋に国を想う気持ちから進んで戦場に身を馳せていた彼女の姿を見て、お前たちは何も感じなかったのか。
地位にしろ名声にしろ、何一つ彼女自身が望んで手に入れたものじゃなかったのに。
それなのに意地汚く彼女の神聖な願いを踏み躙るように、汚く引き摺り降ろして。
本当に、
なんて醜い。
ガタンと椅子を蹴り飛ばした。
驚いた諸侯たちに詰め寄り、一人の胸倉を掴んだ。
しかし、病み上がりの身に締め上げる力など残ってはいなくて、ただただ握った襟に力を籠めた。
『……言えよ、彼女は何処にいる』
俺に何も出来ないことを見越しているのだろう。誰も止めに入らない。
『フランシス、あの女の肩を持つのはやめておけ。自分の身を墜とすことになる』
襟を掴まれた若者は抵抗もせず、哀れむように俺を諭した。
何を根拠に、そんなことが言える。
お前たちの身勝手に振り回され続けている俺に向かって、何が。
『言えといっているのが聞こえないのか!』
腹の底から恫喝すると、部屋にいる全員が身を竦ませた。
怒りに任せて一人の男を睨み付けると、ひっと小さく息を飲む音がした。
『……ル、ルーアンだ! ルーアンにいる』
『お前!』
隣にいた貴族が、慌てて口を滑らした男の言葉を遮ろうとしたが、俺は構わずドアの外へ転げ出た。
『待て、フランシス!』
言われて待つ義理なんてない。
『聞け、行っても無駄だ! あいつは明朝にも処刑されることが決まってる!』
――処刑だって? 思わず耳を疑う。
いったいどんな仕打ちをするつもりだ。何の罪もない彼女に。
『戻ってこい!』
『うるさい! 俺がお前たちに従う謂れはない!』
胸の内をどす黒い感情で埋め尽くされるのを感じながら、厩に駆け込んだ。
適当な馬に手早く鞍を付け、飛び乗る。
頼む、間に合ってくれ。
何をしたっていい。
国にその身を捧げてくれた、優しい彼女を、誰でもいい。助けて。
暮れなずむ街道を、ただ祈りながら必死で駆け抜けた。
**
だ、
誰だこいつ別人すぎる…!!
気にしたら負けだばかあ!!!
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