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1 神さまのきまぐれ




「こんにちは」


敏樹は挨拶をしながら頭を軽く下げた。眼鏡の男は―結局、名前を聞くタイミングを逃してしまい、そのままになっている―にかりと笑って右手を上げた。
まだ数回しか話をしたことがなかったが、敏樹はこの男と話をするのがすきだと思った。男は頭の回転が速く、言葉遊びも面白いし、知識量も半端ない。ユーモラスな部分は素直に見倣いたいと思える程度には懐いていると、自分でも思う。
未だに男がどうして敏樹に声をかけたのかはわからなかったが、特に深く考えることもなかった。もしかしたら本当に敏樹の表情を見て声をかけただけだったのかもしれないし、変に勘繰ってこの関係を壊してしまうのもつまらなかった。そこまで考えて、敏樹は自分で思うよりもずっと男を気に入っていることに気付く。思わず口元を歪める。悪い気分ではない。
敏樹はそれを誤魔化すように、はい、と男に途中で買ってきた手土産を渡した。クラフトのコップの中身はホットコーヒーで、他にはサンドイッチやスコーンといった軽食が入っている。ちなみに、敏樹は店頭でカフェ・オレにするかカフェ・モカにするかじっくり3分は悩んだ。結局カフェ・オレにした。
今日は昨日の雨が嘘のような快晴で、少し風があるものの、コートを着込むような陽気ではない。敏樹も白に黒のパッチワークが目立つパーカーを羽織っただけで、男は目立つ原色のシャツ一枚である。少々眼に痛い。
男はコーヒーを手にとって、一口啜る。もしかしたらアイスの方が良かったかな、と敏樹は思ったが、口には出さずに自分も温かいカフェ・オレを啜った。まだ冷めてはいないようだ。

「なぁ、神様ってやつはサディストだと思わないか」

男の台詞はいつも突飛だ。そして真意がなかなか掴めない。
敏樹は小首を傾げて先を促す。

「勝手に増えていく人間共が、平和を唱えるために産み出す武器をどう使うのか面白半分に見守ってるんだぜ?その、行く末をさ」

敏樹は残念ながら無宗教で、男の言葉に反感を覚えることはなかった。それどころか妙に納得してしまう。ああ、成る程。
キリスト教も仏教もかじったことはあるが所詮はその程度だ。
各々の境遇によっても価値観というものは大きく左右されるだろう。少なくとも敏樹は、神がいないのだと思ったことはない。――居るとも思ったことはないが。
聖戦の正しさもわからない。戦争に正義はないと敏樹は思っている。聖戦という大義名分を取ってしまえば、そこに在るのは殺戮だけだ。
彼のように戦争を体験したことのある人間は、その悲惨さを目の当たりにして神などいないと叫ぶのかも知れない。でも、彼は生き残ったから、神は酷いと、悲し気に非難するのか。敏樹は瞬く。どちらも違う気がした。男は今、どんな心境で敏樹にこんな話をしているのだろうか。
―――これが、興味か。敏樹は唐突に思った。

「ミスタ、もしかしかたら神様とやらは放任主義なのではないでしょうか」

敏樹の提案に、男はほう、と眼を細める。その瞳の奥は面白そうに輝いていた。直に光が当たっているせいか、金色に見える瞳は、きれいだ。敏樹は眩しさに眼を細めた。
男をMr.と呼ぶのはこの瞳のせいだ。黒髪なのに、黄金色の瞳が日本人とはイメージをかけ離す。ただ、一概に日本人ではないと言い切れないのは、海馬瀬戸という友人がいたからだろう。彼の蒼い瞳を思い出して、男もハーフなのかもしれない、と敏樹は思った。彼の日本語は流暢だ。
しかし彼はMr.という言葉が似合わない男でもあるような気がした。それは只単に、ミスターという単語が敏樹の中でジェントルという単語と類似しているからにすぎない。

「あの真っ赤な、罪の果実を食べてしまった人間の、可能性とやらを確かめてみたくなったんじゃないでしょうかね」

そこまで言って、敏樹は微笑した。面白いのは、二人が神がいることを前提として話をしていることだ。

「楽園を追放して?」
「手の内で庇護することを止めたんですよ。知恵を身に付け、人間は進歩を手に入れた訳ですから」

神はそこに可能性を見出だしたのではないでしょうか。言って、敏樹はへなりと笑った。自分が言っていることが、自分らしくないと思う。
男はぱちり、と瞬いた。そして、敏樹を見詰めて柔らかに微笑む。その瞳はとても優しかった。
その無言の肯定が、敏樹には嬉しかった。そこで、漸く敏樹は男と正面から向き合えるような気がした。
それは、もしかしたら必然だったのかもしれない。敏樹にはわからない。でも、2秒先のことを知るのに、2秒以上の時間をかけるのはナンセンスだ。
敏樹は大きく息を吸った。どうしてか酷く緊張した。


「―――失礼ですが、ミスタ。あなたのお名前は?」











神さまの気まぐれ
彼と出会ったのは神さまの気紛れ。
この関係が続いているのは、俺たちの気紛れ。

2009年4月27日-28日












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あきゅろす。
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