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竜光ヶ淵
1
 娘がいた。黒い眼の愛くるしい子だった。六つになる。
 竜光の芋川が大きくくねって削り取った崖の上の家の末娘だ。名をりんといった。
 崖の下で川は深い淵を作って、何時も轟々と渦を巻いていた。「この渦の底には竜神さまがいるんだよ」と、りんの母は子供を背負いながらよく言った。「だから、近づいてはだめよ」
 子供といえど六つにもなれば田圃を手伝える年だ。この子も村の子であれば当然のように田に入った。
 しかしこの子は奇妙であった。仕事ぶりは他と変わらないのだが、妙なことに、蛇を見ると喜ぶのだった。愛くるしい子供が、蛇をその手に這わせて恍惚としている。一度などはマムシにかまいそれを手にとろうとしていたのを咎められたこともある。普段、闊達というわけでもないその娘が、蛇にはしゃぐ様は村の左右に聞こえるようになり、その両親は頭を痛くした。

「さて、おごった。このままでは嫁の貰い手ないやもしれん」
「でもおまえさま。あの子は別になにをしたってわけでも」
「それはそうでも、おまえ、見ているだろう。あの子のあれはきっとただ事ではない。見るだびに不吉な感じがする。どうしたものか」

 りんの家はさして裕福でもなかった。嫁にいけないような娘をいつまでも食わせては置けないのだ。さりとて、りんはかわいい末娘だ。
 父母は頭の痛いまま時を過ごした。

 りんが八つの年の暮れ、各地を行脚しているという山伏が村に立ち寄った。これから霊峰八海に上がるというその僧に、りんの父親は顔を黒くしながら娘の奇行を話した。すると山伏はその娘を連れてくるようにいった。
 やがてりんを連れた父親が、再び僧の元を尋ねた。一目見るなり「これはいかん」と僧はいい、りんの手をつかんだ。

「蛇が取り憑いている」

 僧は念仏を唱え、この子の右手首に札をまいた。

 帰り道、父に手を引かれながらりんは大きな眼で札のついた自分の手を見つめた。あまりそればかり見つめるので、三歩行くごとに躓くような有様だった。
「りん。ちゃんと前を見て歩きなさい」
 父親がそう声を掛けると、りんはハッとして父を見上げた。見開いた瞳からすっと泪が流れた。

「どうした。なにをなく」

 狼狽した父親がそのつむりをしきりとなでたが、りんは唇をかむばかりで答えなかった。ただその両目からすい、すい、と泪をこぼした。


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あきゅろす。
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