雷(ヤナフ+ウルキ)
「うわ、」
ヤナフは声を上げて空を見た。
西の空の様子から、これから空が荒れ模様になることはわかっていたが、予想よりも早く黒雲が頭上に覆いかぶさってきたのだ。
「荒れるな、これ」
ウルキを振り返ると、ものすごく嫌そうな顔をしている。
天候が荒れて雷でも鳴ろうものなら、聴覚の敏感なウルキはその音に延々悩まされ続ける。
幼い頃はその音に泣きべそをかいていたりもしたのだが、まあ、さすがに今ではそれもない。
毛布に包んで抱きかかえてやった遥か昔を思い返して、懐かしい思いにかられた。
「………何をにやにやしている」
どうも何か勘違いしたらしい。
ウルキが苦しいのを面白がっているとでも思われたか?
先程とは別の原因で不機嫌そうに呟いたウルキは、ぷいと顔を背けた。
あ、拗ねた。
昔を思い出しながらだったせいか、幼いウルキが拗ねる様子が頭に浮かんだ。
ヤナフに口でかなわなくて言い負かされて、うまく言葉で表現できないウルキの最後の抵抗手段はこれだったのだ。
ぽつぽつと降り出したと思ったら、雨足が強さを増すのは一瞬だった。
ばらばらと大粒の雨が天高くから地面を打つように降り注いで、自分達が濡れそぼつのにも時間はかからない。
やべ、急ぐぞ、とウルキを振り返ったその時に、ぴしゃりと空気を弾くような光が走り、一瞬の後に轟音が響き渡る。
ずぶ濡れになりながら、ヤナフの後ろから翼をはためかせて真っすぐに飛ぶ表情が、ほんの僅かだが歪んだ。
眉間に皺を寄せただけの表情からはわかりにくいが、今のは相当、衝撃だったようだ。
あまり大きい音を聞きすぎると耳鳴りがするらしい。
反響がいつまでも耳に残って、大きすぎる余韻がいつまでも消えないというのは随分昔に聞いた話。
眩しすぎる光を見た後に、いつまでも瞼の裏に残像が残るようなものだろうと、それを聞いたときは思った。
焼け付くような激しさに、じんじんと視界を歪まされる痛みは、他人とは違う目をもつヤナフには、誰よりも理解できる。
自分に置き換えてウルキの苦痛を思えば、一刻も早くこの暗雲の下から離脱するしかない。
かといって、呼び掛ける声は更なる刺激にしかならない。
声ではなく仕草で帰城を示して、ウルキがそれに頷いたのを確認すると、ヤナフは翼に一層力を込めた。
フェニキスの城に帰りついた頃には、搾り取れるほどの水が服から滴り落ちていた。
慌てた部下が持ってきたタオルだけ、受け取って部屋に入る。
上着を脱いでそこらに放るとべちゃり、と重たい湿った音がした。
しかしまあ、ただの水だしそのうち乾くだろう。
見れば、ウルキも珍しく雑な様子で服を床に放り投げている。
珍しい。
几帳面なウルキはヤナフが散らかすと、たいていじとりを目で口ほどに物を言うのだが。
「珍しいの。いつもなら俺がちらけると怒るくせに」
むすりとした顔がこちらを向いた。
「……人の不調を、」
面白がるな、と隠しもしない不機嫌さが、ウルキの不調がどれほどのものなのかを知らせている。
城に戻ってなお、まだ言うのだから、よほど我慢が辛いのだろう。
あまり感情を波立たせないウルキが、素直に不機嫌さを出してしまうのが、しかし、少々嬉しかったりもする。
猪突猛進無鉄砲の代名詞の自分とバランスをとるためか、年を長じるにつれてどんどん冷静さの塊になっていくウルキを多少もどかしい思いで見ていたこともある。
元々物静かなウルキはそういう性質だったのだろうし、ヤナフが傍にいなかったとて、無口で落ち着いたウルキはできあがったのだろうが。
それでも、いくばくかは自分が助長したと思えば、多少自省の念が浮かばないこともない。
いや、相棒の成長に自分が影響したとなればむしろ、意味もなく胸を張りたくなるというか。
「………………」
むっつりとこちらを睨み付ける視線に気付いて、笑いながらひらひらと手を振った。
「バァカ、違う」
「………何が、」
近づいて、ウルキの頭に引っ掛かったままのタオルを剥ぎ取った。細い瞳が、訝しげにこちらを見る。
外の嵐はまだ、納まる気配を見せない。
空を揺るがす音が鳴るたび、ウルキは顔を顰めている。
やっと水滴の拭えたその頭を、ぐいと引き寄せた。
手近にあった毛布をつかんで、ばさりと被せる。
「俺がついててやるから」
毛布に包んで、怖いだの頭が痛いだのと泣く小さな少年を抱きかかえた昔のように、そっくりそのままの言い回しを、果たしてウルキは覚えているのだろうか。
引き寄せると、驚きにか身を硬くして、それからゆっくりと肩の力を抜いた。
息を吐いてからの声が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……いつの、話だ」
呆れた声になりながらも抵抗はしない辺り、単に諦めたのかそれともそれだけの気力がないのか。
重心を預けてきた自分よりも大きな体だが、そうして背中を丸めるとヤナフとそう変わらないサイズになった。
ぽんぽんと背中を叩く。
私は、とウルキが苦笑した。
「………子どもではない」
「何言ってんだ、5つも年下のくせに」
「………そうだが」
嵐はまだまだ、当分収まる気配を見せないが、それくらいの間、ついていてやればいい。
ふ、と笑う気配。
緩んだウルキの緊張を感じ取り、ヤナフはもう一度、自分よりも大きくなったそっと背中を撫でた。
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