雪(ヤナフ+リュシオン)
「ダメですって、王子!」
普段の荒っぽいヤナフなら、誰かを引き止めたければ腕でも肩でもつかんで強引に引き止めただろう。
しかし、今止めたい相手は白の王子。
殴れば殴られた相手よりも重傷を追うような、例えば手の甲に罅を入れたりするような、信じられないほどたおやかな存在なのだ。
いくらヤナフとはいえ、手荒なことができようはずもない。
まして相手は王族。
他国の王子に無礼をはたらくなど、さすがのヤナフにもできるわけがない。
「なぜ駄目なのだ。みな、外に出ているではないか」
ちらちらと雪のちらつく外は、昨晩から一気に冷え込んだ空気に包まれて、ひゅるひゅると北風を自由に走らせている。
確かに鷹の民の兵士たちは寒さをものともせずに訓練に精を出してはいる。
いるが、
「ダメです。今日は特別冷えるんですから!」
「大丈夫だ、寒さくらい」
言い掛けたところに、リュシオンがくしゃみをひとつ。
ティバーン相手の時のように、勝ち誇った顔でそれみたことか、とは言わないが、
「だから言ってるじゃないですか」
だから戻りましょう、ね、と諭すように笑顔を乗せると、口元を覆っていた手を外して、屈めた体勢のままリュシオンがじっとヤナフを見つめてくる。
鷺の民というのは、とにかく美しい。
まるで後世まで名を残すほどの芸術家の手による雪の彫刻かと思うほど。
透き通るような白い肌に、色素の薄い瞳はしかし、その肌の白さによく映える。
潤んで輝く瞳に見つめられて平常心でいられる者はそういないのではないかと、本気で思う。
傍近くで生活をするようになって、これでも耐性ができてきた方だ。
「……そんな顔、してもダメですからね」
耐えた末にそう絞りだすと、
「お前たちは、過保護すぎる」
たいそう不満そうに眉根が寄った。
しかしここで負けてはいけない。
「王子が体調崩しでもしたら、俺がティバーンにどやされます」
ティバーンはこの鷺の同族をこよなく愛し大切な友人として扱っている。
ヤナフに負けないほど雑な性質のくせに、リュシオンには過保護なことこの上ない。
風邪でも引かせたら、散々言われるだろう。
リュシオンはリュシオンで、ティバーンのことをこよなく尊敬しているようだ。
いや、憧憬というのか。
勇猛な鷹の代表のような豪放磊落さに、とても憧れているらしい。
尊敬するティバーンを引き合いに出せば引いてくれるだろうというヤナフの目論みは、しかし甘かった。
「………ティバーンが言うから、なのか?」
「へ?」
「ティバーンが言わなければいいんだな? じゃあティバーンの許可をとってくる」
くるりとまるで鷹のごとき身のこなしで踵を返したリュシオンを、慌てて止める。
「ちょっ、待って待って! 待ってください王子!」
扉とリュシオンの間に、両腕を広げて体を滑り込ませると、鷺の王子は歩みを止めた。
「なんだ」
リュシオンにはとことん甘いティバーンだ。
よもや許可を出すようなことはしないだろうが、止めるのに散々手を焼いて、何故お前のところで止めおかなかったかと後からたらたら文句を言われるのは分かり切っている。
「お願いですから……!」
「何故だ? ティバーンがいいと言えば構わないのだろう?」
どうせティバーンだって許可なんてだしませんよ、とは言えない。
しかし、何とかしてリュシオンを止めなければ。
「お、俺が! 嫌なんですよ!」
「………?」
「王子が寝込んだり、辛そうにしてたりするのは、見たくないんです!」
「ヤナフ?」
「自覚してください、あなたは俺たちとは違う鷺の民で、こんなに図太く頑丈にできていないでしょう!?」
リュシオンが少し傷ついたような顔をした。
彼はできることなら鷹の民に生まれたかったと思っているのだ。
違いを突き付けられるのは辛いに違いない。
しかし、ヤナフが言いたいのはそういうことではないのだ。
「でも、いくら種族が違ったって、王子は俺たちの大事な仲間なんですから!」
「……私が、?」
「辛そうなところは、見たくないんです」
「……………」
だからお願いですから、という懇願は、どうやらリュシオンに届いたらしい。
むっと眉を寄せて、しかしそれから力を抜いて、息を吐いた。
「……わかった。お前にそんなに心配をかけるというなら、やめる」
よかった、と胸を撫で下ろす。
目を閉じて息を吐いて、リュシオンから視線が外れた一瞬に、リュシオンの声がした。
「……ありがとう」
「へ?」
顔を上げると、白皙の美貌が鷺らしい柔らかな微笑みを湛えていた。
どきり、とするほど透明な笑みだ。
「仲間だと認められるのは、とても嬉しい」
「………王子の心意気は、誰よりも鷹らしいです、から」
「誰よりも?」
「ええ、それはもう」
「ティバーンと同じくらいに?」
「匹敵します」
「そうか」
上機嫌に変わったリュシオンをなんとか屋内に留め置くことに成功して、ヤナフはまた胸を撫で下ろす。
しかし、目を離すとまた無茶をしかねない。
もうしばらくはこの鷺の王子からは離れられなさそうだ、と当分は降り止まないだろう窓の外の空を眺めて、内心で溜め息を吐いた。
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