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小説(オリジナル)
3品目 『忍山美和/学園思慕』


 須山幸咲にとって、食事とは何か。そう問われたら、彼女はこう答える。


(腹が減っては戦はできぬ……面倒なものだ)


 食べている時間があるなら、少しでも捜査を。それが今の、彼女の心情だった。CE(カウンターイレイジ)の正体も掴(つか)めてきた。

 実に間抜けだ。今までも何らかの映像で、その存在だけは確認できたが……一体どういう価値がある。


(あの、誤認逮捕をやらかし、人命を守る気概さえなくした負け犬に。
ここまで覆い隠そうとした、その正体をさらけ出してまで守る価値は何だ。
吉山茂三に一体何の価値がある。協力者? いや、そういうふうにも見えない。
それならば我々が尋問した際、CEを見たと気取られることはしないはずだ)


 いろいろと考えながらも、幸咲は来栖仙太郎の自宅近辺で張り込んでいた。……だからこそ彼女は、腹が減ってはと思っている。

 もっと言えば張り込みを交代人員に任せ……もとい、交代人員が力ずくで、彼女を車から追い出した。

 それもそのはず、幸咲はこの三日間、アンパンと牛乳しか口にしていない。そして彼女に自覚はないが、非常に機嫌が悪かった。


 その状態でまともに話せるのは、学生時代からの友人である余弦智代梨(よづる ちより)だけとなる。

 人相も変わり、さながらリアルプレデターかジェイソン。劇中ラストに晒(さら)される顔が、冒頭から晒(さら)される恐怖は筆舌に尽くし難い。

 だが付き合いも長い人間には分かっている。彼女の機嫌が悪い原因、それは……やはり食なのだと。


 何の因果か追う者と逃げる者、そしてその周囲の者――来栖仙太郎という異常契約(イレイジ)を中心に、食にこだわる者達が集まっていた。


「野菜天そば、頼みます」

「はい! 野菜天そば入ります!」


 彼女は無類のそば好きであった。だから近辺の立ち食いそば屋へ、迷わずに直行。適当なカウンターに座ると。


「――はい、おまたせしました! 野菜天そばです!」


 さほど経(た)たずにそばができ上がり、幸咲に手渡される。……このとき、幸咲の表情が動く。

 ふだんは『冷静沈着・鉄面皮』という類が似合う彼女が、今はリアルプレデターな彼女が、満足そうな笑みを浮かべる。

 幸咲はいわゆる飲みも絡んだ専門店にも行き、更にファーストフード的な立ち食いそばも愛好していた。


 実は専門店と立ち食いそば、同じそば屋でも方向性が違う。立ち食いそばは文明開化以後、ファーストフードとして発展した側面があるのだ。

 それゆえに特化した味やメニュー構築、更に富士(ふじ)そばなどでは店舗ごとにメニュー構成も違うという、ちょっとカオスな状況となっている。

 今回頼んだ野菜天そばは、れんこん・春菊・さつまいも・ナスなどが入った具だくさん。


 幸咲は少し汁が染み込んでいる方を好むのだが……ちょうど揚げたてでもあるし、まずはれんこんをかじる。

 ……ここのれんこんは味も良かった。汁が少し染みこんだ衣は、さくさくながらも程よい風味を内包。

 もちろん衣の中には、小気味いいれんこんの歯ごたえ。そのコンボに一気に引きこまれ、麺をズルズルとすする。


 ここはいわゆるゆで立て麺を提供しており、歯ごたえも十分だった。おかげで幸咲の機嫌も急上昇。

 漂っていた殺気におびえていた、関係各所もホッとするだろう。何せ核弾頭か何かを扱うような、そんな繊細さが必要だったのだから。


「は、エリートは違うねぇ」


 ……そして鎮圧寸前な核弾頭に、喧嘩(けんか)をふっかける馬鹿一人……幸咲が思わずせき込みつつも右側を見ると、そこには。


「野菜天そば……五百円か。知ってるか? 牛丼屋やこういう店でそれくらい使う奴は、出世しないんだとよ。馬鹿げてるよなぁ」

「吉山茂三……!」

「奇遇だな」

「療養はどうした」

「だから療養してんだよ、そばの食べ歩きしつつな」


 吉山がいた。その箸で指すのは、食べかけのコロッケそば。いや、それは普通のそばになりかけだった。

 コロッケはホロホロにほぐれ、崩れる寸前。汁を吸い込みすぎたせいだろう。

 コロッケはそもそも崩したじゃがいもやひき肉、刻んだ玉ねぎを混ぜ合わせ、揚げたものだ。


 汁を吸い込み、衣が柔らかくなれば必然と……しかし、それがまた美味そうに見えるから不思議である。


「では私に構わず食べるといい。コロッケがもうすぐ崩壊するぞ」

「いいんだよ、これで。……俺は半分を崩れる前に食べ、サクサクなのを楽しみ」


 吉山はそう言いつつ、コロッケを崩す。あぁ、見るも無残に離れていく具達。しかし吉山は意に介さず、具を汁ごとすする。


「もう半分は崩し、『そういう具』として汁と一緒に楽しむ派なんだよ」

「なるほど……悪くはないな。しかしコロッケとそばか、どうやらお前は天ぷらの良さを知らないようだな」

「は……お前は『そばなら天ぷら派』か。視野が狭いねぇ」


 そして走る火花……警察と公安、一般的に仲がよくないと言われることも多いが、よもやここで大戦突発とは誰も想像できないだろう。 


「どうやら私達は、こういうところでも反(そ)りが合わないようだな」

「同感だ……コロッケとそば、その相性は半世紀以上もの間、先人達の積み重ねによって検証されてんだよ。
てーか……コロッケがベストなんだよ! 天ぷらは油が回って、衣がグズグズな状態で出されると対処に困るだろうが!
こうやって崩せば楽しめるんだよ! そういう具として楽しむことができる……それがコロッケのだいご味ってもんだ!」

「ふ、それは懐古主義的な考えというものだ。今や立ち食いそばは、ゆで立て・揚げ立てを掲げる店も多い。
現に……この店とてそうだ! 私の天ぷらを見ろ、揚げ立てで最初はじゅわ〜っと言っていたぞ!
あなたの理論には頷(うなず)ける部分もあるが、そこは店によって変えてもいいだろう!」

「だからコロッケなんだよ! 揚げ立てコロッケだからこそ、熱量が倍増で楽しめんだぞ!」

「視野が狭いのはあなたの方だな! ここのナス天は美味(おい)しいぞ! 汁が染み込むと抜群……コロッケ以上だ!」

「てめ、ナスはズルいぞ! 揚げ物・煮物・炒(いた)めものと主役を張れる万能番長だろうが!
それ以前にこっちは食べかけなんだよ! 対抗しきれないだろうが!」

「ズルくて何が悪い! 美味(うま)ければ正義なのだよ! ほれほれ、ナスだナスだー! 秋なすは嫁に食わすな!」

「やめろぉ! 食いたくなるだろ!」


 そして誰が予想しただろう、コロッケとナス天の闘争になるとは。二人はにらみ合い、殺気を向け合う。

 まさしく竜虎(りょうこ)が相打つ――食とは命の根源。誰しもこだわりがあり、それゆえに譲れず、原理主義に走るのだろう。何という業の深さか。


「あ、あの……お客様」


 さすがに見かねて、カウンター内の店員が仲裁開始。店を守る人間としては当然の権利、なのだが。


「他のお客様の御迷惑になりますので、お静かに」


 二人の殺気によって威圧され、完全に及び腰。それは当然だ、一般人が竜や虎に近づいたら、殺されるもの。


「「おい!」」

「はいー! 何でしょう!」


 だから店員も視線を向けられると、すぐさまホールドアップ。殺されるのかと誰もがビクビクしていると。


「「コイツにコロッケそば(野菜天そば)を追加で! 支払いは俺(私)がする!」」

「……え?」


 誰もが予想だにしない、唐突な提案が成された。しかし当の本人達は大真面目。

 ……今、下手なクレイマーより恐ろしい二人に、店を占拠されようとしていた。



 混沌の異常契約(イレイジ)

3品目 『忍山美和/学園思慕』



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 シリアスやら、重い過去があるかと思いきや、実は馬鹿だった大人が、馬鹿らしい食べ比べを始めた頃。

 やはり若者達も食を楽しんでいた。やはり何の因果か、食に一言持つ者達が集まり、縁を作りつつあった。


「仙太郎さん!」


 仙太郎はとあるステーキハウス前で、絶望というものをかみ締めていた。沼倉芽衣子……来栖仙太郎が、雷神とその取り巻きから助けた女性。

 大学生ということもあり大人っぽく、派手じゃない薄い化粧も軽やかに着こなす。

 そんな彼女にお礼のお食事をと誘われ、断りきれなかったまでは……よかった。よくはないが、よかった。


 問題は問題は結局引っ張られているところを、ヒナに見られたことだった。数日ぶりに会うヒナは、とても怒った顔をしていて。


「何しているんですか、こんなところで……学校もずっと休んで! 先生達も心配してたのに!」

「……答える義理立てはない。というか嘘(うそ)をつくな」

「あります! それに嘘(うそ)でもありません! ……少なくとも丸山先生、それにわたしと美和さんは心配しました」


 そうして、ヒナが泣きそうな顔をする。それが仙太郎の心を深く抉(えぐ)る……忍山美和、クラス委員。

 去年から仙太郎に話しかけてきていた、スレンダーな少女。頻度こそ下がっていったものの、完全ではない。

 やはり自分は中途半端……いや、御都合主義だった。魔術師の公式資格も必要かもと、ぜい沢になりすぎた。


 イレイジの力を使わなければ、それができたかもしれない。だが……仙太郎は振りきれなかった未練に後悔し、首を振る。


「えっと、もしかしてガールフレンド?」

「違」

「そうです!」


 そう、彼女……とんでもないことを言い出し、さすがの仙太郎もぎょっとする。


「わたしは仙太郎さんのガールフレンドです! あなたも……お友達ですか?」


 ……そこで気づく。ヒナは外国育ち――つまり、『女性の友達』という意味で言っているのだと。

 取りあえず紛らわしいので、仙太郎はヒナの頭頂部にチョップ。飽くまでも軽く……お仕置きとして。

 そう、お仕置きだった。適当な事情を説明し、帰ってもらう。なのに……その結果。


「あの、本当にわたしも……ごちそうになっても」

「いいよいいよー。ガールフレンドさんに誤解もされたくないし」

「いえ、そんな……すみません」


 なんでか三人揃(そろ)って、テーブルについて食事と相成った。仙太郎は鉄板で焼けるロースステーキを器用に切り分け、かぶりつきながら思う。


(何なの、これ……!)


 神などには今更期待していない仙太郎だが、今回ばかりは問いかけたくなっていた。完全に意味が分からない……理解を超えている。


(確かにステーキを食べたいと考えていた。それで、ごちそうになるのはいい……断りきれる雰囲気じゃないし。でも、なぜコイツも一緒?)


 叫びだしたくなるほど、渦巻いていく疑問。必死に押さえ込み、付け合わせのポテトもかぶりつく。


「でも……仙太郎くんで、いいかな」

「は、はい」

「駄目だよ、学校を無断で休んじゃ。体調不良なのは分かったけど」

「連絡できないほど……いろいろ、あったので。もう大丈夫ですけど」

「そっかぁ。でもこれなら、明日からは大丈夫そうだね」


 何という天真らん漫な笑み。ほぼ初対面な仙太郎を心配し、優しく諭してくれる。見る人が見れば天使なのだろう。

 しかし仙太郎は冷や汗をダラダラと流しながら思う。この状況では、天使も悪魔に近いと。

 もちろんこの場であれこれ反論など、一切できない。彼女はイレイジについて知らない……ヒナだけならともかく。


 なのでこの場はうまく収め、ヒナには事情説明。納得してもらうのが得策と判断する。つまり、返答は一つしかないわけで。


「……はい」

「安心しました。学祭のことで美和さんや丸山先生も相談があるそうなので、明日は一緒に登校しましょうね」


……首をギシギシ鳴らし、仙太郎は右側に座るヒナを……ホッとした様子のヒナを見やる。


「い……っしょ?」

「はい。……すみません、仙太郎さんの自宅を丸山先生から教えてもらって、伺う途中だったんです。なので」

「あ……そう」


 個人情報の取り扱いはどうなったのだろう。いや、数日連絡なしだったから、緊急性が感じられたのだろうか。

 だったら先生がまず行くべきだとか、そう思った仙太郎は間違っているのだろうか。悩んでいる間にも、鉄板の上で肉は温められる。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 仙太郎は胃がキリキリとしながらも、美味(おい)しいロースステーキを堪能。ヒナも満足そうにヒレステーキをガッツリ食べきった。

 もちろん芽衣子も……健康的かつ色気もある、グラマラスな体型。その秘密はステーキ三枚をペロリと食べきる、気持ちのいい豪快さにあるらしい。

 三人は一部例外を除き、心地よく店を出る。そして仙太郎とヒナは、しっかりお辞儀。


「「ありがとうございました」」

「ううん、元々はお礼だし、こっちこそありがとう。じゃあ仙太郎くん、あんまりヒナちゃんを困らせちゃ駄目だよ?」

「は……はい」


 仙太郎は笑顔で窘(たしな)められ、もうタジタジである。なぜなら……自分とヒナのアドレスを、芽衣子に教えてしまったから。

 避けようもなかった事故。あそこで揉(も)めるのは得策ではないと……仙太郎は吐きかけながらも、また新しい繋(つな)がりを持ってしまった。

 警察がどう動いているかも分からないこの状況で、巻き込んでしまった。そんな甘さで胸が痛くなる。


 ……同時に明るく笑う、彼女との食事に心揺さぶられたのも事実。だからこそ、ジレンマが生まれていた。


「ヒナちゃんも、何かあったらメールしてほしいな」

「はい、ありがとうございます。芽衣子さんもお気をつけて」

「ん」


 そして芽衣子は二人と反対方向へ歩き出し、雑踏の中で手を振りながら消えていく。


「じゃあねー」

「またお会いしましょう」


 仙太郎は居心地が悪くなりながらも、もう一度お辞儀。そのままヒナを置いてダッシュ。


「逃しません」


 かと思ったら、首根っこを掴(つか)まれた。ヒナはここ数日会わない間に、本当に強くなっていた。

 それもそのはずである。仙太郎ともう一度食事を……そう思っていたのに、当の仙太郎は登校拒否。

 しかも渋谷で爆発事故があったと言う。もしや仙太郎がと、気が気ではなかった。


 丸山先生も最初は、ヒナに住所を教えるつもりなど一切なかった。やはり個人情報の絡みがあるからだ。

 しかしヒナが余りに真剣で、仙太郎に会いたいと何度も、何度も頼み込んだ。その結果がこの現状である。

 仙太郎のことを元々気にしていたせいもあるが、丸山先生は嬉(うれ)しくもあった。ここまで仙太郎を気にした生徒は、現在一人しかいない。


 いや、それすらも超える勢いで……そんな熱意ならば、仙太郎の頑(かたく)なな心を解けるのでは。

 一縷(いちる)の望みに賭けた結果が、現在仙太郎を苦悩に追いやっていた。事情を知らないとはいえ、世の中とはままならない。


「……俺に関わるな」

「嫌です」

「いいから、関わるな。俺は」

「わたしはあなたが好きです」


 そして走る突然の告白。仙太郎は振り払うどころか、顔を赤くしながらフリーズ。

 ヒナはゆっくりと襟首から手を離し、仙太郎は恐る恐る……顔を赤らめ、嬉(うれ)しそうに笑うヒナを見やる。


「好きって……あり得ない、だって僕は」

「あなたが何者とか、そんなのは関係ありません」

「会って、そんなに経(た)ってない」

「時間も関係ありません。……好きになってしまったんです」


 ヒナは瞳を潤ませ、仙太郎に詰め寄る。仙太郎を逃すまいと、今度はその両手を取って。

 ……仙太郎は震えていた。怖い……誰かに思われることが、誰かと繋(つな)がることがひたすらに怖い。だって、自分は。


「あなたの作るご飯が好きになったんです」


 そう、仙太郎はイレイジになったとはいえ、人を殺している。何人も、何人も……裁きなど嘘(うそ)だ。

 自分の心を律するため、必死にすがりついている建前。そうでもしなければ、戦うことができないから。

 そんな弱くて、もろくて、怖がりな自分を、一体誰が……そこで仙太郎の思考がストップする。


 あなたの……作る、ご飯?


「……え」

「仙太郎さんの作る、美味(おい)しいご飯が……あなたと一緒にご飯を食べることが」

「ごは、ん?」

「はい」


 ヒナは満面の笑みで、その通りだと頷(うなず)く。それがとても大事なことだと、仙太郎の震える両手を抱き締め、大丈夫だと安心させながら。


「あなたが怖いなんて、思ったことはありません。だってあなたのご飯も、一緒に食べる時間も、とても幸せだから」

「……お前」

「ヒナです、仙太郎さん」


 ヒナは仙太郎を……イレイジという怪物を、ひと欠片(かけら)も怖がっていなかった。

 それは仙太郎にも伝わり、その優しさが、包容力が泣きたくなるほどに嬉(うれ)しくもあった。ただ。


「だからわたしの勝手で、中途半端に関わります。だってわたしは……もっとあなたとご飯を」


 さすがにそれはあり得ないと、仙太郎は右手だけを優しく抜き、ヒナに再びチョップ。


「……どうして殴るんですかー!」

「知るか馬鹿!」


 そのまま左手も優しく外した。そのとき触れた――張りと柔らかさも同居した大きなもの――柔らかさには構わず、背を向け歩き出す。


「いいから、関わるな」

「嫌だと言いました」


 ヒナはスカートを揺らめかせ、平然とついてくる。更に手も優しく繋(つな)いできた。


「触るな、馬鹿」

「逃げられるのは嫌ですから。……せめて、理由を話してください」


 しょうがない……しょうがないと諦め、ヒナを人気のない裏路地へ。周囲の気配に気をつけつつ、仙太郎はヒナの手を優しく解いた。


「……警察に、正体がバレたかもしれない」

「じゃああなたの行動は」

「完全に非合法……立派な犯罪だ。だから学校も……それにお前だってどうなるか」

「……一つ聞かせてください。それならもう、あんなことをしないのは」


 すぐに首を振った。そう、仙太郎はまだ戦うと……その意味を悟って、ヒナはまた仙太郎の手を握る。

 払われようとするその手を、ヒナは絶対に離さない。それが仙太郎には必要だと、自然に感じ取ったから。

 そして仙太郎は黙ってしまう。ただ不安に震え、俯(うつむ)き……触れるヒナの手を、自分から握り締めていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 同じ頃、駄目な大人二人はというと。


「やはり知っていたわけか」

「あぁ。お前が本当に公安かどうかすら、さっぱりだったからな」

「で、なぜ教えてくれた」

「立ち食いそばの味を分かる奴に、悪い奴はいないだろ」

「確かにな」


 店を出て、近くの公園で親しげに話していた。二人揃(そろ)ってブランコに座り、軽く揺れながら……あれから二人は本当に食べ比べ。

 お互いのこだわりは捨てられないものの、それぞれの良さは認め合おう。それが大人……そう結論づけた結果がコレである。

 もしあのとき、吉山を囲んでいた面々が、今の二人を見たら絶句するだろう。そば一つでここまで話せるようになったのだから。


「しかし困ったなぁ、あなたでも事情を知らないとなると」

「……だが、アイツは悪い奴じゃねぇよ」

「お得意の勘か」

「半分半分ってところだな。まず俺は、イレイジなんてお前達から初めて聞いた。来栖仙太郎って名前にも覚えがねぇ。
ここ数日、もしかしたら忘れてるんじゃないかと思って、昔の捜査メモとかも見返したが」

「そちらでもなし。つまり彼が私的な事情で、あなたを助ける理由はない。では、どうしてだ」

「アイツよ、自分が傷つくのも構わず、必死に炎のイレイジを押さえ込んでたんだよ。
俺にも余波が飛ばないように、風だか雷だかも発しながらよ。そんな奴が……本当に怪物なのか?」


 その問いかけは吉山自身にも突き付けていた。もし人の命を、安全を省みない怪物ならば、そんなことをする必要がない。

 もしかするとCEは、本当の意味で『イレギュラー・エンゲージ』なのかもしれない。だからこそ同族を殺す。

 人の社会を、法を、平和を破る者達を……もちろんそれは違法行為。私刑など日本(にほん)の法律では許されない。


 そう、来栖仙太郎のやっていることは私刑。各国ではその経緯こそ違えど、基本的に私刑は禁止されている。日本(にほん)も日本国憲法第三十一条には。


――何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない――


 このように記載されている。これは適正手続きの保障を定めたものだ。その由来はアメリカ合衆国憲法修正第五条、及び第十四条にある。


――何人も、法の適正な手続き(due process of law)によらずに、生命、自由、又は財産を奪われることはない――


 ここには財産も含まれており、政府・国家権力が懇意的に行使されることを防止する、手続き的成約である。

 だからこそ丸山が過去に犯した、誤認逮捕も問題視される。もちろん来栖仙太郎が行っている『裁き』も。

 しかし、ここには絶対的な前提が存在している。それは法的機関が、現状にしっかり対応できていること。


 イレイジの件で言えば、残念ながら野放し状態……警察や自衛隊だろうと、イレイジを力で止めることはできない。

 当然逮捕・勾留もできず、実質的にイレイジ達は法を逸脱できる。人々が過去から学び、今に繋(つな)げ、未来を守るために作り上げた法を。

 それも暴力というとても原始的な力で。だからこそ公安や自衛隊――様々な組織が、様々な方向性から事件を追っている。


 イレイジの存在は単純な人的・物的被害に留(とど)まらない。それは法や秩序という概念そのものを破壊する。


「私にはよく分からんな。……情報提供、感謝する」

「おい」

「来栖仙太郎という人物については、もう少し調べた方がよさそうだ」


 幸咲はブランコから立ち上がり、腕時計を確認。事情を話し、戻るのは遅れると連絡している。

 しかしそろそろ限界だろう。戻りに差し入れを買っておこう、そう考えつつ歩き出した。


「私が約束できるのはそれくらいだが、大丈夫か」

「……あぁ」

「あと、あなたはじっとしていろ」

「警告したとおり、か」

「コロッケそば、美味(おい)しかったからな。その礼をする前に死なれても困る」

「……てめぇこそ、俺がけじめをつけるまでふんぞり返ってろ。しばらくの間、野菜天そばに浮気しちまうだろうが」


 考えておく――そう左手を挙げ、吉山にサイン。そうしながら幸咲は、認識を変えていた。

 どうやら自分は吉山という男の、表面しか見ていなかったと……だがそんな反省はすぐに終えて、幸咲は速度を上げる。

 事件も、状況も、さっきまでの自分達とは違い、止まることを知らないのだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 仙太郎はヒナと別れ、頭を抱えながらも買い物――そしてその日の夜、仙太郎はスロークッカーをのぞき込む。

 中にはじゃがいもと玉ねぎ、ゴロゴロとしたすね肉が入っていた。それをコンソメで煮ている。

 仙太郎はスープをスプーンですくい、一口。……ほくそ笑んだ。どうやらいい出来(しゅったい)らしい。


 そう、今日の夕飯はポトフ。肉をがっつり食べた後なので、優しい味わいで消化がいいものを選んだ。

 そして食べる前に基礎訓練をスタート。腹筋や背筋、腕立てなどが主。仙太郎以外の誰も存在せず、飾り気のない部屋でストイックに体を動かす。

 緩めの服に隠している筋肉が露出し、汗を迸(ほとばし)らせる。全ては力を得るため……そして、ここを出ても強く生きていくため。


 そうこうしている間に時刻は夜の八時――そろそろ良い感じらしく、立ち上がり再びキッチンへ。

 オリーブオイルと酢、塩でドレッシングを簡単に作り、そこに冷蔵庫から取り出したキャベツを和(あ)える。

 キャベツは生でも問題ないくらいに美味(おい)しかったので、飽くまでも薄味。


 漂う風味に仙太郎は、子どものように笑う。それは外では絶対に見せない表情。

 お椀(わん)に炊いていたご飯を盛り、大きめなすじ肉はさっと切り分け、野菜と一緒に皿へ盛る。

 テーブル上にご飯とポトフ、サラダに冷やしておいた水を載せ。


「頂きます」


 仙太郎は手を合わせ、一礼。食への感謝と、両親との繋(つな)がりをかみ締める。

 まずはポトフ。あんなに硬かったすじ肉もかみ締めると、ほろほろと仙太郎の口内でとろけた。

 じゃがいもとたまねぎも絶品。玉ねぎは柔らかくも甘さたっぷりで、じゃがいもは素材の味を吸い込みふくよか。


 煮込み料理のじゃがいもは反則すぎる。サラダも口をさっぱりとさせ……今日の配分は成功のようである。

 仙太郎は癒やされていた。静かな時間、静かな食事、静かな満足感――その全てが癒やしとなっている。

 だからこそというか、余裕ができて日常に戻りつつあるからこそ、仙太郎は悩んでいた。


(明日から、どうしよう)


 結局ヒナは『とにかく明日、学校にきてください』と言ってきた。……食事を終え、仙太郎は手を合わせ立ち上がる。

 カーテンもない窓から見えるネオンの輝きに、軽く目を細める。……美味(おい)しかった、幸せだった。

 そんな、ヒナと食事した時間を、思い出していた。そうして自嘲のため息が深く、深く生まれていく。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 一方、ヒナも仙太郎との時間を思い出していた。同時に仙太郎がこれからどうするかも予測し、改めて腹を決める。

 そう、腹を……そのために帰り際で材料を買い込み、交換留学の間下宿先となる三守家に帰宅。

 夕飯後キッチンへ駆け込み、冷蔵庫に突っ込んでおいた材料を取り出し、まずは試作から始める。


「さて……ココペリ」


 ヒナは右手を挙げ、意識を集中……すると右手に笛の紋章が浮かび、その上に猫背な虫人が現れる。

 キリギリスに似た姿で、デフォルメされた猫背体型がまた可愛(かあい)らしい。その虫人【ココペリ】は、ヒナが揃(そろ)えた食材を一瞥(いちべつ)。

 それからヒナを見上げ、両手でOKマークを出す。ヒナはそれを受け、満足そうに笑った。


「ありがとう。では始めましょうか」


 ココペリが頷(うなず)き、姿を消す。しかし紋章の輝きは消えず、ヒナに食材の声を――大地の力を受け、育った者達の思いを届ける。

 どうすれば美味(おい)しくなるか、どうすれば美味(おい)しく命を受け止められるか。それだけを考え、ヒナは手を動かし始める。

 ――ココペリはアメリカ・インディアン、ホピ族のカチナ……神や精霊の一柱で、豊穣(ほうじょう)神である。


 笛を吹くことで豊作・子宝・幸運などをもたらすのだが、ヒナは幼少期からそのココペリと契約を結んでいた。

 大契約の影響で、現代魔術の戦闘利用は原則禁止されている。そこは以前も触れた通りである。

 しかし農水産などの生産業においては、多大な貢献を果たしている。それはいわゆる、契約精霊のカーストにも作用していた。


 豊穣(ほうじょう)神、及びそれに属する精霊は、契約精霊の中でも上位となる。ただヒナ自身は、それを自慢の道具にはしていない。

 それもそのはず――幼少期、家族でアメリカ旅行に出た際、ヒナは生来の好奇心から迷子になってしまった。

 そのとき助けてくれたのがホピ族の方々で、ココペリも食いしん坊かつ純粋なヒナを気に入り、そのまま契約したにすぎない。


 家族からも『棚からぼたもちすぎるだろ』と未(いま)だに笑い話とされるので、ある意味自重の下地となっていた。

 そんな幼少期の思い出もかみ締めつつ、まずはトマトを奇麗に輪切り……力加減が難しいので、かなり手つきは危なっかしい。


「おー、ヒナが料理なんて珍しいねー」


 左側から声――一旦包丁を置き、ヒナは居住まいを正す。そこにいたのは、ヒナの叔母『三守鈴白(みもり すずしろ)』。

 なぜか『働いたら負け』というTシャツと、ジーンズというラフな格好。しかしヒナ以上のスタイルで着こなし、カッコ良さすら漂わせていた。

 ややつり上がった瞳で、ヒナの表情と揃(そろ)いに揃(そろ)った材料を交互に見て、いやらしく笑う。


「ははーん。例の来栖仙太郎って子でしょ。いや、アンタは澄華(すみか)姉さんと同じで、積極的だからなー」

「はい。まだ、コロッケサンドのお礼もしていませんでしたから。それにわたし、仙太郎さんのガールフレンドですし」


 今日知り合った、沼倉芽衣子の前でも宣言した。もう他人ではない……何せガールフレンドなのだから。

 そういう流れで頑張ろうと、ヒナはガッツポーズ。しかし、鈴白は困惑気味に首を傾(かし)げた。


「えっと、ガールフレンド? ア、アンタまさか……その子にも」

「はい、言いました。……仙太郎さん、照れてチョップをしてきましたけど」


 平然と……本当に平然と言ってきたヒナに対し、鈴白は恐怖する。そして迷う……迷ってしまう。

 ここで日本(にほん)の常識を告げるのは楽。しかしその場合、この純粋な子が二の足を踏んで、動けなくなるのでは。

 そんなことを考え、迷ってしまう。ただ若い二人のことなので、中年な自分は何も言わないのが花――すぐにそう結論を出す。


「それで、おばさま」

「うん、何かな。あ、作り方が分からないとか」

「それは大丈夫です。……さすがに、交換留学後もお世話になるのは、無理ですよね」

「……はい?」


 若い二人のこと、何も言わないのが花……そう思っていた鈴白は、まだ知らなかった。

 ヒナが来栖仙太郎という青年のことで、重大な決断をしていたこと。それがヒナ自身にとって、決して譲れないことも。

 だがそれに意味はないだろう。全てを知ったとしても、そのときにはもう手遅れ。世のことというのは、常々そういうものである。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 そして翌日――仙太郎は、朝から疲れ果てていた。その原因は。


「おはようございます、仙太郎さん」


 ……本当にヒナが迎えにきていたから。現在、時刻は朝の五時半――来栖家自宅前のことである。

 仙太郎は考えに考えあぐね、結論を出した。素直に言うことを聞くことなど、絶対にできない。

 なので荷物を纏(まと)め、失踪の準備を一晩かけて整えた。……今後は何とかして食いつなぎ、イレイジを倒していく。

 いつか本当に……この世界からイレイジがいなくなるまで。計画性もない、無鉄砲な行動。


 しかしヒナは仙太郎の危うさを見抜いていた。その結果、夜も明けないうちからの強襲に繋(つな)がる。

 ……静かに玄関のドアを閉じようとすると、ヒナは笑顔で足を滑り込ませる。そうなると仙太郎に抵抗の余地はなかった。

 イレイジでもある仙太郎は、変身前から身体能力も人間離れしている。本気になれば、ヒナの足をドアで切断するくらいは楽。


 当然それは、仙太郎の望むところではなかった。そう、仙太郎はひと欠片(かけら)も望んでいない。

 仙太郎は自分の力で、自分のことで、ヒナを傷つけることなど望んでいなかった。

 だから結果的に自分から力を抜き、ヒナを玄関に上げてしまう。


「さぁ、素敵な朝です。朝ご飯を食べて、学校に行きましょう」

「……お前は、馬鹿なのか」

「むぅ、それはひどいです。日本(にほん)だと『幼なじみと一緒に登校』は、男子生徒の憧れだと」

「いつから幼なじみになった……!」

「初めて会ったときからです」


 つまりはここ数日――そんな短い間に、幼なじみになる制度と常識がどこの世界にあるのか。仙太郎はただただ疑問だった。


「というわけで、早く制服に着替えてください。あと……その纏(まと)めた荷物も、置いてください」

「……いいからどいて。俺は」

「駄目です」

「一体何様だ、お前は」

「ヒナ・ルイス様です」


 両手を腰に当て、自慢げに胸を張る。なので仙太郎はすかさずチョップ。その軽いツッコミを受け、ヒナは苦笑。


「……常識的に考えればその方がいいはずです。わたしにだって、それくらいは分かります。仙太郎さんとも関わらない方がいい」

「なら」

「でもわたしが嫌です。言ったはずですよ? 仙太郎さんの作るご飯が好きだと。というわけで」


 何が『というわけ』なのか、仙太郎は全く理解できない。それなのにヒナは笑顔で、バスケットを取り出す。

 そのとき仙太郎は見逃さなかった。ヒナの両手に……ベタなほど、切り傷ややけどの痕があったのを。


「朝ご飯、作ってきました。この間のコロッケサンド、まだお返しをしていません」

「いらない」

「……食べてくれないと、泣きますよ? 大声で……目いっぱい」


 そしてこのお嬢様は強(したた)かだった。押し込んで問答になっても意味がない。ならば力技にて鎮圧する。

 すなわち、女性の権利を徹底利用……取りあえずもう一発チョップを打ち込み、疲れ果てながら玄関から素っ気もない食卓に座る。

 まだ外への、新しい戦いへの第一歩も踏み出していないのに、徹夜の影響もあって疲れ果てていた。


 ただ……ヒナが出してきたサンドイッチ達は、そんな気分を少しだけ晴らしてくれる。

 たまごサンド、BLTサンドが三個ずつと基本的なものだが、そのどれもが丁寧に作られているのが分かる。 

 更に保温ポットを取り出し、紅茶も入れる。フタをコップ代わりにして、仙太郎の前に置く。


「……いただき、ます」

「はい、召し上がれ」


 ぶ然としながらも、両手を合わせいただきます――左手でBLTサンドを取り、一口かじる。

 ……パンはふわふわとし、しっかりと小麦の風味が感じられる。それが中のベーコン・レタス・トマトの味わいを受け止めていた。

 ベーコンはカリカリ、レタスはシャキシャキ、トマトは瑞々(みずみず)しい酸味と甘みでアクセントをつける。


 どれも丁寧に、時間をかけて調理されている。さすがの仙太郎も驚き、目をパチクリ。


「……美味(おい)しい」

「よかったー。お口に合わなかったら、どうしようかと思っていたんです。全部、食べられそうですか?」

「……うん」

「紅茶もどうぞ」


 BLTサンドをもうひとくち食べて、程よく温かい紅茶も一口。さすがに、淹(い)れたての味というわけにはいかない。

 でもそこも踏まえた淹(い)れ方だった。その深い味に仙太郎も目を丸くする。


「一体どうやっているの、これ」

「それはお母様からの直伝なので、仙太郎さんと言えど秘密です」


 ヒナは自慢げに笑い、前のめりでテーブルにもたれかかる。ヒナの豊かな胸が潰れ、年相応の柔らかさを放つ。

 それは見えない振りをして、仙太郎はBLTサンドを食べきる。それからたまごサンドも食べ、それぞれ二個目、三個目を完食。

 店の料理でもない、人の手作りでここまで心を満たされたのはいつ以来か……仙太郎は少し恥ずかしい思いをしながら、両手を合わせる。


「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末さまでした。……わたしのお料理、どうですか。
じ、実はその……契約精霊にアドバイスをもらいつつなので、ちょっとズルを」

「……嫌いでは、ない」


 言わなければ分からないだろうに……呆(あき)れながらもヒナを見やると、彼女は後片付けを始めた。

 自分も軽く手伝い、保温ポットのフタを渡す。そのとき、触れ合う手と手……仙太郎はそれでも逃げない。

 触れたのは手……アドバイスをもらった結果、結構な傷だらけになった細い手。

 それを見ればヒナの『ズル』が、ズルと言えるほどのレベルじゃないのは分かる。


「第一歩でそれなら、十分です。仙太郎さん、わたしも仙太郎さんにご飯を作りますね。もっともっと、美味(おい)しいご飯を食べてほしいんです」

「お前、頭がおかしいだろ」

「仙太郎さんがイレイジだからとか、そんなのは関係ない。そう言ったはずです」

「ある! あるに……決まってる」

「……そうですね。それも仙太郎さんなんですから。でもわたしは、仙太郎さんの作るご飯が、仙太郎さんと一緒にご飯を食べることが、好きです」


 そこで仙太郎の表情がこわ張る。つまりそれは……あり得ない、あり得てはいけない。

 だって自分はイレイジという化け物で、ヒナは普通の人間。これからどうなるかも分からない身で、その要求はあり得ない。

 ヒナはこう言うつもりだ。だから自分のご飯も、自分とご飯を食べることも好きになってほしい。そうして自分と。 


「つまりわたしも仙太郎さんに美味(おい)しいご飯を作れば、そのお礼として仙太郎さんにご飯をお願いできる」

「……は?」

「それで仙太郎さんと一緒に、またご飯を食べる。わたしはそんな時間が好きだから、とっても幸せ……つまりそういうことです!」


 ……そう思って恐怖した仙太郎は、まだまだヒナ・ルイスという女を分かっていなかった。

 この女、予想斜め上の方向にぶっ飛んでくる……結果仙太郎はテーブルに突っ伏した。


「どうしました、仙太郎さん」

「この、馬鹿が……!」

「なら、わたしの作るご飯を、ご飯を食べる時間を好きになってほしい――そう言って、受け入れてくれますか」


 少し鋭くなったヒナの声に、仙太郎は慌てて顔を上げる。ヒナは少し悲しげに笑い、『分かっている』と頷(うなず)く。


「無理、ですよね。仙太郎さんは優しい人ですから……ごめんなさい、仙太郎さん。
本当は、分かっているんです。わたしが傷ついたら、危険に巻き込まれたら、仙太郎さんはそれ以上に傷つく。
だから離れなきゃいけないって、分かっています。わたしだって、仙太郎さんを傷つけたくない」

「……だったら、どうして」

「これはわたしの身勝手です。たとえ最後になっても、ちゃんと伝えたくて。……わたしは仙太郎さんがイレイジでも、怖く何てありません。
やっぱり仙太郎さんと一緒に、こうしてご飯を食べることが好きなんです。それだけは嘘(うそ)じゃないから」


 そしてヒナの瞳に浮かぶ涙。ヒナはそれがおかしいと言わんばかりに、笑って拭う。

 その姿に仙太郎の胸が締め付けられる。分かっている……それは自分のセリフだった。

 ヒナは怯(おび)えている、怖がっている。そう思っていた、思い込もうとしていた。でも違っていた。


 昨日も、今日も、ヒナは最初に会ったときと変わらず、自分に手を伸ばし、触れていた。

 いや、昨日だけじゃない。イレイジだとバレた翌日――弁当屋ではち合わせしたときもそうだった。


 ヒナの瞳にはやはり、怯(おび)えなどなかった。気づいていた、でも認められなかった。

 それに甘えてしまえば、ヒナを巻き込む。不幸にする……だから仙太郎は連日、ヒナのことばかり考えていた。

 だから迷う。仙太郎は迷って、迷って……震える左手を必死に、テーブルの下で握り締める。


「迷惑かけて、ごめんなさい。それで有難うございます、ちょっとだけでも……わたしのわがままに付き合ってくれて。それじゃあ」


 ヒナはまとめていた荷物を持ち、静かに立ち上がる。……そのまま見過ごせばいい。

 どう言いつくろっても結局離れる。そう、離れるのだからと……ヒナを軽べつし、嫌えばいい。

 それなのに仙太郎も立ち上がり、左手を伸ばしていた。そのままヒナの右手を優しく掴(つか)み、引き止める。


 ヒナは軽く驚いて振り向くも、やはり怯(おび)えた様子もない。ただどうしたのかと、その丸い瞳で問いかけていた。


「仙太郎さん?」

「……まだ、一緒に食べていない」

「え」

「いいから、座っていて。簡単に何か……作るから」

「……はい!」


 すぐヒナの手を離し、キッチンへ向かい合う。……早々に片付けを済ませたため、作れるものは本当に少ない。

 それでも仙太郎は頭を動かし、ご飯を研ごうと思いつく。おにぎり……そう、おにぎりだと。


「勘違い、するな。これはお礼だ」

「大丈夫です。わたしもまたお礼をしますから」

「……物好き。どうなっても、知らないから」

「それも大丈夫です。わたし、こう見えて運がいいんです」


 信用できないハッタリを聴き逃しつつ、仙太郎は早速準備。……ヒナもそれに並び、二人で初めての共同作業に勤(いそ)しむ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 二人で具もない塩おにぎりを量産し、仲良く平らげてピッタリ一時間後――登校時間がやってきた。

 仙太郎はヒナと一緒に家を出て、やはり困った顔。そう、仙太郎は選択を間違えた。

 先に待つのは破滅……なのに、ヒナを巻き込んだと後悔。それでも、ほんのひと欠片(かけら)でも希望があるのなら。


 仙太郎は自覚することを恐れていたが、ヒナもその確認を避けたが、その気持ちは同じだった。

 ヒナと一緒にご飯を食べることが、ヒナのご飯を食べることが、好きになり始めていた。

 同時に分からないこともあった。なぜヒナは、ここまで仙太郎に手を伸ばすのか……普通は逃げるものだ。


 そしてヒナはマイペースであるものの、決して愚鈍ではない。仙太郎の心情もしっかり見抜いていた。

 なのに踏み込む理由が分からず、やはり困惑もしていた。だからこそ、手を掴(つか)んだのかもしれない。

 その謎が分かるまでは……そんな一筋縄ではいかない、二人の姿を見つめる影。


 立ち食いそばで機嫌を持ち直した、幸咲と捜査員達である。覆面車の中から二人の様子を厳しい表情で見ていた。


「……彼女は、確か来栖仙太郎の同級生だったな」

「はい。ヒナ・ルイス――交換留学生で、ルイス家の御息女。魔術の家ではかなりの有名どころです」

「二人に面識は」

「調べた限りでは……あ、ただ来栖仙太郎と、吉山茂三には一つ共通点が」

「……なんだ、あったんじゃないか。やっぱりあれだ、あの男は野菜不足で衰えている」

「野菜不足?」

「いや、何でもない」


 幸咲はせき払いとともに、不用意な呟(つぶや)きを時の彼方(かなた)へと吹き飛ばす。部下も不用意にはツッコまず、差し出されたタブレットを受け取った。


「まず来栖仙太郎の両親……来栖家も魔術師でした。そこまで歴史も深くなく、大きくもないのですが」


 タブレットには既に情報が表示されていた。来栖仙太郎という人物の経歴調査……その結果は、余り気分のいいものではない。


「仲間内から詐欺に合い、両親は来栖仙太郎を残し自殺……その後残された遺産も、親戚を名乗る者達に奪い去られた。
しかもその詐欺は裁判で無罪判決が下り、来栖仙太郎には一切の保障が成されなかった。なかなか悲惨だな」

「その後は保護施設に放り込まれ、奨学金制度と生活保護などの制度を活用。一人暮らしを始め、あの学校に入りました。
孤児院時代も相当な問題児だったようです。コミュニケーション能力に欠け、いじめてくる相手は基本倍返し。
しかも正当防衛すれすれを狙ってくるものだから、少年院などへ送ることもできず……まぁ、当然かもしれませんが」

「来栖仙太郎が発揮しているという、極度の人間不信はその経験からか。それで」

「吉山茂三の経歴を洗って、判明したんです。次のページを見てください」


 察するに事件捜査で絡んだか……そんな幸咲の予測は、一瞬で覆された。


「……おい」

「御覧の通りです」


 とても小さい、見過ごしても問題ない『裁判』という名の共通点。しかしそれは幸咲の認識を改める必要もある、大きなものだった。


「念のために調べておいてくれ」

「今のところイレイジ事件とは絡んでいないので、多少慎重に進めないといけませんが」

「焦らず急いでくれ」

「了解しました」


 幸咲の指示には、普通意味がないだろう。イレイジ事件に縁がないのであれば……しかし気にはなる。

 イレイジは発生原因から特性に至るまでが謎だらけ。そんな事件に関わった男二人……そこに光明があるのではと、幸咲は手を伸ばす。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 今更ではあるものの、説明しよう。仙太郎達の学校は『国立原水(はらみず)第三魔術高等学校』。

 ここでは一般的な高等課程を取りつつ、魔術の基礎・応用の習得を主目的としている。

 魔術とも縁深い風水術や占術も教えられ、部活や学内のシステムも基本通常高校と同じ。


 その卒業者の進路もまた同じく。あるものは大学へ進み、あるものは就職……またあるものはフリーター。

 飽くまでもその中に、魔術絡みの仕事があるかどうか。ただそれだけのことである。かといってエリートというわけでもない。

 度々触れているが、現代の魔術師はインタープリターとしての側面が強い。魔術は飽くまでも精霊――自然との対話手段。


 魔術師はそんな自然と人を繋(つな)ぐ『仲介者』となり、お互いの発展に尽くすのが意義。そこで大契約が絡む。

 そんな仲介者が、魔術の力を悪用したらどうなるか。単に人間社会の崩壊だけではなく、この星そのものの危機にもなり得る。

 世間一般ではそんな理由で大契約が結ばれ、今なお不可侵状態が守られている……そう信じる輩(やから)も多い。
 

 ……現在の農水・畜産業にも大きく貢献している魔術師を、『農家のアシスタントさん』と言う輩(やから)も同じく。

 結果この学校もそんなアシスタントを育てる、農林高等学校の一種と見られている。しかもそれは間違いではない。

 この学校の部活には、魔術の実践利用を目的としたものも多い。例えば実際に精霊と対話しつつ、作物を育てていく『農水部』。


 先日ヒナがやったように、精霊と対話しつつ食材の美味(おい)しさを引き出す『精霊調理部』。

 はたまたインタープリターとしての経験を養うため、ちょくちょくキャンプをして自然に触れ合う『自然観測部』など様々。

 そんな学校ゆえに魔術師同士のカーストやら、抗争やら、ラノベ的な魔術戦闘などもなく平和なのだが。


 これも大契約の恩恵……しかし、仙太郎はそんな恩恵に苦しめられることとなった。


「おはようございます」


 久々の教室。たどり着いた頃には、仙太郎は疑念と後悔で憔悴(しょうすい)し切っていた。それこそ、見た人間が次々と恐怖を覚えるほどに。


「おはよう、ルイスさ……げ!」

「ちょ、ルイスさん! 離れて! こっち!」

「はぁ、何でしょう」

「何って……そこ! 隣隣!」


 クラスメイト達は、まずヒナが仙太郎と一緒に登校した……その様子にどよめく。

 しかし次に仙太郎の瘴気(しょうき)が恐怖を生む。さながら精神に作用するウィルスが、教室にまき散らされたかのよう。

 ちょっとしたバイオハザード状態で、誰もが二人から離れてしまう。それでも仙太郎は疲れ果ていた。


 そのまま自分の机に突っ伏す。……なお机には誰も触れた様子がない。それも当然だった。

 このクラスで、仙太郎に興味を持つモノ好きはいないからだ。何を考えているかも分からない。

 そして下手にいじめようとすれば、正当防衛すれすれの仕返しが飛ぶ。


 去年同じクラスだった男子、女子の半数は、仙太郎の反撃に遭い絶対的な恐怖を刻み込まれた。

 その噂(うわさ)も広まっていることが、仙太郎への村八分状態を加速させていた。ただ、ここには例外がいる。

 そんな例外の一人である忍山美和は、目をパチクリさせながらも胸を痛めていた。


(……一年半、かけてたんだけどなぁ)


 それは来栖仙太郎と会って、話しかけるようになった時間。しかしその時間を、あの明るく優しい少女は軽々と乗り越える。


(あたし、ガサツだからかなぁ。可愛(かわい)くないし、胸だって……それともヒナは聞けたのかな。アイツが一体、何を怖がっているのか)


 ヒナに対しての感情は、嫉妬に近かった。でもすぐにそれは、持ち前の心配性へと変換される。

 美和は能動的ゆえに、他者ではなく自分を動かしていく。そこで改めて決意する。


(やっぱり、このままは嫌かも。あたしもちゃんと知りたい……だってアイツ、絶対悪い奴じゃない)


 美和は来栖仙太郎のいいところを、幾つか知っていた。本人が意図して隠していることも理解している。

 だからこそ今まで放っておけなかった。半分諦めかけていたが、それは言い訳と断ずる。……こうして、仙太郎はまた荷物を増やしていく。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 そして放課後――なぜかテンションの高い丸山先生、及びヒナに言われるがまま残った仙太郎。

 教室で机を寄せあい、忍山美和も交えて会議開始。本日の議題は。


「というわけで……この三人で、学園祭の出し物を決めたいと思います! 来栖、アンタは調理担当ね」

「何、それ」

「調理担当だって。だってアンタ、料理が得意だよね。調理実習で作った料理、どれもこれも抜群に美味(おい)しかったし」

「断る」


 仙太郎は思う……心から思う。疲れ果てた心で、本気で思う。


(冗談じゃない……! ここの学祭、一体来場者が何人いると!? この状況で、そんなイベントに参加したら)


 間違いなく大惨事……いつ警察やイレイジが乗り込み、襲ってくるかも分からない。……仙太郎も薄々気づいてはいた。

 イレイジは倒しても、倒しても、決して消えない。それはなぜか。現在のところ、イレイジの発生原因は不明。

 しかし発生件数は多くなっている。この場合、『何者かが意図的に発生させている』と考えるのが妥当。


 それはなぜか。イレイジという『同族』を増やすため……だからこそ仙太郎は、雷神にも聞いていた。


――お前に力を与えた奴の名前、素性は――


 ……と。しかし今まで、深いところまで踏み込めなかった。そういう存在がいることだけは、確かだったが。


「……だぁぁぁぁぁぁ! もう、ほんと何! 去年もそうやってズル休みしたじゃん! そういうのも内申点に差し障るんだから!」

「ズル休みじゃない、大事な用事がある。というか……コイツは参加できないだろうに。交換期間は二週間だし、もうすぐイギリスへ」

「帰りませんよ」

「……は?」

「……来栖ぅ、ヒナの交換留学期間は四週間だって。アンタ、勘違いしていたでしょ」


 仙太郎、痛恨のミス。机に突っ伏し、崩れてしまった計算に泣く。つまり……残り、二十日近く。

 それだけあれば……学祭が終わるまではいられるし、居残ってしまう。同時にヒナを守り切る自信もなかった。


「どうしよう……!」

「どうするも何も、せっかく仲良くなったんだし」

「仲良く何て、なっていない」


 ついでにそういう意味でもなかった。来栖仙太郎、ここに進退窮まり……安住の地はいずこへ。

 しかし美和は察することなど当然できず、そしてヒナは頬を軽く膨らませた。


「むぅ、仙太郎さんは冷たいです。自宅で夜明けの紅茶を飲んだ仲なのに……わたし、もう仙太郎さんのガールフレンドですよ?」

「はぁ!? ちょ、それ……マジ!?」

「マジだよ……女友達って意味で」


 もう拒絶する気力すらなかった。仙太郎は疲れ果て補足し、美和は戸惑いながらも一応納得。


「じゃ、じゃあ夜明けの紅茶って」

「……俺が病気で数日寝込んでいたから、回復祝いを持ってきてくれただけ。朝早くに」

「ヒナ、その言い方は……やめようか。あの、誤解される」

「誤解ではありません! わたしは仙太郎さんの」

「はいはいストップ! 後で埋めようか、この認識の溝は! 今は学祭の話ね! はい、決定!」


 美和もどうやら、ヒナの扱いには慣れてきたらしい。深呼吸して、憔悴(しょうすい)し切った仙太郎を見やる。


「でも病気って……何、まだ病み上がりなの? それなら無理は言わないけど」

「今にも死にそうなので、入院してくる」

「OK、元気ってことだね」

「なぜそうなる……!」

「死にそうな人は、そんなことを言わないからだよ。……まぁ来栖なら分かってるかもだけど、本当ならもう決めなきゃいけないんだよ。
でもアイディアがまとまらなくてさー。ていうかみんな好き勝手すぎるんだよ。
やれ四十八種類のアイス、やれバイキング……できるかそんなの!」

(いつものことだろうに、何でこんなに元気なのか)


 仙太郎は突っ伏しながら思う。模擬店……それで夢を見がちな人間は、毎年出てくる。

 しかし模擬と言えど、店であることは変わらない。接客し、注文に素早く応え、気持ちよく送り出す。

 その単純なことがどれほど難しいか。しかもこの学校は都心中心部でもある新宿(しんじゅく)に存在し、さらには外からの来場者も招く。


 ここはふだんの教育成果を示すためでもあるのだが。結論から言おう……来場客の総数は、仙太郎も触れた通り半端ない。

 魔術師の仕事内容が『食』に大きく関わるため、各クラス・部活が全力を尽くした出店目当てでくる人達もいる。

 もはや学祭なのか、食のイベントなのかも分からない状況だが、美和が言うように成績にも関わる大事な行事。


 美和が仙太郎を調理担当という責任重大な位置に立たせたのも、そこが絡んでいた。


(……学祭で来栖が相応の成果を出せば、みんなの印象も大きく変わるかもだし……もちろん成績だって上がる。
丸山先生に確認したら、わりとギリギリらしいしなぁ。それにみんなと一緒に頑張れば、もしかしたら)


 そう、もしかしたら。


(もう少しだけでも、学校に居場所を作るかもしれない。来栖……やっぱり、見てて辛(つら)いんだよ、こういうのは)


 ……押しつけなのは分かっていた。仙太郎には負担も相応にかかる。しかしそれでも……美和は気持ちを改め、軽くせき払い。


「まぁ、気持ちは分かるけどさぁ。さっきも言ったけど、内申点にだって絡むとこだもの。
各部活なら成果で部費も増えるらしいし? というわけで来栖、調理担当としてここはビシっと」

「……受けたつもりはない。あと当日も出るつもりはない、俺一人で調理しろだとか……以上おしまい」

「おしまいじゃない。あと調理もアンタが主導ってだけで、他の人もつけるよ。まずはアイディアを」

「ない。それに用事がある」


 そうして立ち上がろうとする仙太郎……美和は慌ててその手を掴(つか)んで止める。


「待った! その用事って何。どうしても外せないことなら無理は言わないから」

「一身上の都合だ。離せ」

「……教えて」

「一身上の都合だ」

「いいから! アンタ、本当にこのままだとマズいんだよ!? そこもちゃんと説明するから、まずは」

「……仙太郎さん、お腹(なか)が空(す)いていますよね」


 そこで様子を見ていたヒナが、可愛(かわい)らしく小首を傾(かし)げる。思考はともかく、容姿は整っているせいかとても絵になる。


「「……はい?」」

「今、何が食べたいですか」

「え、あの……ヒナ? 何の話を」

「今……何が食べたいですか」


 疑問そうな美和をさておき、ヒナは笑顔で念押し。……仙太郎はそう問われて、少し考える。


(……何が食べたいか……朝・昼とおにぎりだった。もっとガッツリしたものを食べたい。
でも昨日ステーキを食べたばかりだし、量は多くてもするすると……そう、するすると食べるものだ。つまり)

「うどん……とか」

「わたしもおうどん、大好きです! でもうどんと言ってもいろいろです」

「讃岐(さぬき)うどんかな。ぶっかけでちくわ天、かしわ天……それにいなり寿司もセットで」

「うんうん、いいと思います! ……そういえばまだ、いなり寿司は食べていませんでした。では明日、帰りに食べるとしましょう」

「は、はぁ……えっとヒナ、それに対しあたしはどうすれば。え、うどんを奢れってこと?」

「いえいえ。学祭の品はうどんにしましょう」


 その提案に美和も、仙太郎も驚き目をパチクリ。しかしヒナは笑顔で、両手をパンと合わせる。


「うどんなら小麦主体ですから、様々な理由から肉・魚が駄目な方でも食べられます。
それに讃岐(さぬき)うどんは茹(ゆ)で置きして水で締め、注文後にお湯で温めます。だからお店でも基本はセルフで、すぐ出てきますから」

「あ……そうかそうか! その分お客さんも多く捌(さば)けるし、開店後の手間も省ける!」

「もちろん覚える作業工程も最小限ですみます。揚げ物は練習も必要ですけど。
……美和さんのお話だと、他のクラスも相当に力を入れます。でもわたし……はっきり言っていいですか」

「うん、何」

「こういう場ですぐご飯を食べられないの……すっごくイライラするんです!」


 本気の叫びに美和がおののき、仙太郎が実に嫌そうな顔をする。それでもヒナはヒートアップ&ガッツポーズ。


「だって模擬店って屋台的だと思うんです! 屋台の良さって何ですか! インスタント性じゃないでしょうか!
腰を落ち着けて食べるレストランや食堂、ラーメン屋さんなどと違い、『安い・早い・美味(うま)い』を実践するテイスト!」

「え、えっと……ヒナー?」

「例えば注文した焼きそば! お店だったら作りたてが基本かもしれません!
でも出店はどんどんお客さんを捌(さば)くので、普通はパックに詰めておきます!
……それがいいんです! 即座に手渡され、作りたてだったらラッキーだなーって思うくらいがいいんです!」

「ちょっと落ち着こうか! ていうか……本当にイギリス出身!? 屋台で焼きそばって日本的でしょ!」

「わたしは好きです……ちょっと時間の経った焼きそばも、作りたての焼きそばも! どちらにも良さがあります!
でもそれって、やっぱりそれって、『早い』って要素が大きいと思うんです! つまりスピードは命ということです!
だからわたしはこういう場だと、手の込んだ時間がかかるものより、あっさり手早く食べられるものを推します!
それ以前に製作オペレーションを考えれば、わたし達でできることは限られます! だからこそうどんです! うどんなら」

「……ふん」


 そして仙太郎のチョップが、ヒナの頭頂部へと閃(ひらめ)く。――こうしてヒナの固有結界は停止した。

 しかし美和はその様子を見て、軽く嫉妬を抱きながらも思った。


(……チョップで、止まるの!? いや、むしろこれは……止められるくらいの、関係性なんだ)


 置いてけぼりにされている、そう感じながらも美和は深呼吸。むしろこんなヒナだからこそ、なのかもしれない。

 自慢ではないが美和は、友人からも『単細胞・直情的・常時トップギア』と言われるほどの前のめり。

 実際先ほどもそうだった。北風と太陽という童話にもあるように、押せ押せだけではどうにもならない。


 もっと……人間関係にも、ある程度の計算を入れるべきかもしれない。そう自重し、美和は苦笑する。


「ま、まぁそうだよねー。みんなが手をかけてくるから、逆にインスタント性を大事にと」

「そうですそうです! やっぱりうどんは」


 再び閃(ひらめ)くチョップを見て、美和はまた苦笑。


(こうして見ると、バランスが取れたいいコンビなのかも。……ん、そうだよね。これはいいことだ。
だってコイツとこんなふうにコミュニケーションできる奴なんて、一人もいなかったし)

「うぅ、痛いです」

「やかましい」

「よし、じゃあ今日はここまでにしようか」

「え、いいんですか! まだ何をやるか決めただけなのに!」

「決めるだけでも一苦労って思ってたしね。あたしも寮に戻って、いろいろ試算したいし。
というわけで二人とも、携帯の番号とアドレスを教えて。あればLINEも……じゃないと不便だから」

「あ、はい」


 ヒナはすぐにピンクのスマートフォンを取り出す。お嬢様だから高いもの……と思ったが、実に庶民的だった。

 そう、庶民的だった。スマートフォンのストラップは、どういうわけか親子丼だったのだから。


(……この子、本当に食べるのが好きなんだ)


 さっきの勢いを思い出し、美和の頭に浮かぶ図。……ヒナ・ルイス、世界を食らう。

 地球をまるごと食べる、巨大なヒナ……あんまりに似合いすぎていて、自分も携帯を取り出しながら吹き出してしまう。


「美和さん?」

「あー、ごめんごめん。ほら、来栖も」


 ……すると来栖はおかしかった。なぜかメモ帳を取り出し、ページを一枚破る。それからさらさらと番号を書いて、とても嫌そうに渡してくる。

 首を傾(かし)げながらも受け取ると、美和はぎょっとする。それは……自宅の番号だった。

 なぜ分かるか。東京(とうきょう)の市外局番『03』が、しっかり入れられていたせいである。


 しかも書いているのはこれだけ。ヒナも不思議そうにのぞき込んで、ぎょっとする。


「……来栖」

「何」

「いや、何って……自宅の番号、だよね。携帯は? ほら、自宅だと外に出ていたら繋(つな)がらないし」

「持っていないけど」

「「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」


 ……ここで、文部科学省の全国学力・学習状況調査の一部を見てみよう。なおデータは二〇一五年のものである。

 今回説明するのは、小学生の携帯電話所有率。それを全国図で見た場合……第一位は東京都(とうきょうと)。

 九割近い数値をたたき出し、地方は逆に低い傾向が見られた。ここは昨今進んでいるという、核家族化も要因となっている。


 次に少々古いデータだが、ベネッセが公表している『子どものICT利用実態調査 [二〇〇八年]』も見てみよう。

 これは簡単に言えば、パソコンや携帯電話などの利用実体と意識を調査したものである。

 結論から言おう……『携帯電話利用の実体』という項目では、高校生の携帯電話所有率は九二.三パーセント。


 先ほども言った通り、核家族化などの社会要因、そしてこの頃から市井に広がり、発展したスマートフォンの存在が大きい。

 もちろん各携帯会社は学割などのサービスを充実させていったため、その影響も見られる。

 アプリ等のコンテンツでも、LINEやTwitterなども大きく関係しているだろう。……あえて言おう。


 高校生以上であれば、社会人であるなら、携帯所有はもはやデフォ。ガラゲー、スマホの違いはあれど、それは間違いないだろう。

 しかし来栖仙太郎、携帯を所有していない。現代のマイノリティがヒナと美和の前にいた。


「なんで……どうして!」

「なくても問題ない」

「大ありじゃん! どうやってアンタに連絡を取るの!?」

「だから電話」

「気軽にメールも送れないっておかしいでしょ! ……いや、気づくべきだった! 丸山先生もアンタの自宅番号しか知らなかったし!」

「そ、そうです! わたしも携帯などを聞いたのに! ちなみに仙太郎さん、どうして……その」

「契約料金とか、無駄だし」


 そのあっさりとした言い方に、美和とヒナはあ然。しかし仙太郎にとってはデフォだった。

 誰かしらと連絡し合うわけでもなく、一応の連絡先として自宅に電話だけはある。それで十分だった。

 何より仙太郎には理解できなかった。数万もする端末を買い、月に一万近くも維持費を払う。


 そんなお金があるなら、どこかのレストランでのんびり食事でもした方が……そんな枯れた思考を見抜き、美和は仙太郎の肩を叩(たた)く。


「来栖、携帯を買いに行こう」

「断る」

「そんな権利はない! アンタ、携帯もないって……大丈夫大丈夫! ちゃんと安いプランがあるから! 学割はちゃんと利くから!」

「無駄なお金はかけたくない」

「やかましい! 現代の高校生アーンド社会人にとって、携帯の維持費は必要経費なの!」


 ヒナも『その通り』と頷(うなず)くものの、仙太郎は全く納得していない。

 ……こうして三人は学園祭のことなど捨て置き、来栖仙太郎の携帯確保に向かった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 来栖仙太郎の自宅近く――黒衣(こくい)の異形はそこにいた。ここ最近、仙太郎の周囲をうろちょろするネズミ達。

 そう、既に『彼ら』も幸咲達の動きを察知していた。しかし今、仙太郎が警察に拘束されると、彼も困る。

 彼は仙太郎に思い入れがあった。できることなら殺すことも……いや、敵対することもないようにと、願っていた。


 それが仙太郎の両親にとっても、望むところだから。そのためにも……彼は密(ひそ)かに呼び寄せていた、緑色の銃兵を見やる。

 フードにも見える外殻を揺らし、一つ目を鈍く輝かせた。その手には生物的フォルムのライフル。


『やぁ……悪いねぇ、面倒なことを頼んじゃって』

『……なぜお前がやらない』

『今僕の仕業だって察知されると、いろいろ面倒でね。……来栖仙太郎はもうすぐ、ターゲットとおまけを連れて戻ってくる。【視(み)える】んだよ』


 不思議なことを言いながら、彼は仙太郎の自宅を指差す。


『そこからは好きにしてくれていい。ただしターゲット優先なのは忘れないでね。それで来栖仙太郎も殺さないように、加減してよ』

『加減が必要なのか、そいつは』

『僕はもちろん、君には絶対勝てない。だって彼は』


 そして彼は笑う……安心させるように、しかし仙太郎をあざ笑うように。


『まだ【レベル1】なんだから』

『……そうか』


 イレイジ――異常契約という名を司(つかさど)る異形の存在。その発生原因、及び行動理由は今のところ不明。

 だからこそ、イレイジには未(いま)だ見えぬ底があった。来栖仙太郎が自らの未熟を突きつけられるのは、この二時間後のことである。


(4品目へ続く)








あとがき


恭文「というわけでかなり久々になりましたけど、混沌の異常契約第三話です。
一話・二話で大体の流れが説明できたので、ここからはわりと自由に。お相手は蒼凪恭文と」

あむ「日奈森あむです。……大人って、ほんと馬鹿」

恭文「まぁ吉山のおっちゃんは今後、大変そうな感じになるけど」


(最初にやらかしたので、その分ボロボロになる予定です、肉体的に)


あむ「何するの!?」

恭文「それととある魔導師と彼女達の崩壊、第四巻が発売……ご購入されたみなさん、ありがとうございました」


(ありがとうございました)


恭文「で……Fate/FOでハロウィンイベントが始まったけど、昨日は大変でしたね」

あむ「お話に触れようよ! 毎度毎度あとがきになってないし、これ!」

恭文「何? 忍山美和が斎藤千和さんボイスだとか、そういうことに触れればいいの?」

あむ「もうそれでいいよ! ていうかあるんだ、イメージボイス!」

恭文「以前拍手で質問されてから、考えた結果がこれです」

あむ「それしか思いついてないんだ!」


(それで一か月が吹き飛んだ)


あむ「長すぎじゃん! ……でも恭文、なんかやばそうな奴が」

恭文「大丈夫、最近ラノベ展開について、改めて勉強したから。ここからはテンプレでいけるよ」

あむ「というと」

恭文「開始三分待たずに、ヒロインの着替えシーンに突入」

あむ「既に手遅れじゃん!」

恭文「それでヒロインが王女様で、炎熱系能力の使い手。一話目で対決……ほら、満たしているじゃん」

あむ「ヒナは王女様じゃないじゃん! あと炎熱系能力っだったけど、モブじゃん! モブ同然じゃん、あれ!」

恭文「何を言っているの! イフリートは仙太郎の血肉となっているんだよ! これから危ないときには助けてくれるよ! もちろん雷神も!」

あむ「そんなカプセル怪獣みたいに言われても! どっちにしてもヒロインじゃないし!」


(そうすれば斬新なのかもしれない)


恭文「あ、それと大事なことがあった。主人公が一撃必殺な特技を持っている」

あむ「首折りのことなら勘違いじゃん! ていうか初っぱなの戦闘で首折りやらサミングかますラノベ主人公なんていないし!
普通は剣とかじゃん! 首折りはないじゃん! 剣とか持たせればいいじゃん!」

恭文「じゃあ剣で首切り? ほら、そういうサーヴァントもいるし」

あむ「そういう一撃必殺から離れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


(……というわけで手遅れなお話ですが、これからもよろしくお願いします。
そして初っぱなの戦闘で首折りやらサミングをかますラノベ主人公について心当たりがありましたら、ご一報を。
本日のED:西沢幸奏『Brand-new World』)


ヒナ「……ちょっとだけでも、仙太郎さんと仲良くなれました。携帯もゲットしましたし」

あむ「……携帯番号とかじゃなくて、携帯そのものをゲットさせるってアリ?」

恭文「これが肉食系女子だね、分かります」

あむ「絶対違うじゃん!」

ヒナ「あとは仙太郎さんが作る、おうどんを食べればとっても幸せです! ……あ、わたしもまたお料理を作りましょう」

美和「料理……そうか、そういう手もあったか。でもどうしよう、食べるの専門だしなー」

恭文「これが肉食系女子だね、分かります」

あむ「だから違うじゃん! 肉食っていうか、食べることそのものが好きなだけじゃん! それ以前に、やっていることが完全に通い妻……!」

恭文「ここから来栖仙太郎のポンコツ具合が次々披露予定です、どうぞご期待ください」

あむ「まだあるの!?」


(おしまい)






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あきゅろす。
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