小説(オリジナル)
2品目 『来栖仙太郎/イレイジ』
「お前の言う通りだ。確かに壊さないと」
仙太郎は周囲を改めて確認。積み重なった死と破壊の跡に、僅かに顔をしかめる。
それでも冷酷に――冷酷であるよう念じながら左手を体の前にかざす。
「全てを」
イフリートに見せつけた手の甲に、黒い渦巻く文様が生まれる。それに青の文様が続き、二色の螺旋は回転。
同時に仙太郎の体は青に包まれる。光を払うように左腕が左薙に振るわれると、そこには異形の存在が現れた。
それは、まるで突然生まれた台風。青い体が発光し、全身に刻まれた黒い文様は渦を巻き左胸に集中。
瞳は赤く、その体は筋肉質。しかしイフリートのような巨体ではなく、細身で研ぎ澄まされたような印象だった。
その姿にイフリートが動揺し、後ずさる。更に驚く影が二つ……たった今、意識の切れた吉山。
(仙太郎、さん?)
更に逃げろと言われたのに、追いかけてきた彼女だった。彼女は決して、仙太郎の指示を無視したわけではない。
ただ人当たりこそキツいものの、本当は優しい同級生を連れ戻そうとした。逃げるなら一緒にと考えていただけだった。
だが仙太郎はそれに気づかず、自分の本性を晒した。これこそが来栖仙太郎――人を遠ざけ、孤独であっても背負うもの。胸のうちに抱える覚悟を示すもの。
『お前……!』
『これより』
だからこそ仙太郎は左腕を逆風に振るい、自分の同胞を指差す。
『裁きを始めよう』
『……邪魔するなぁ!』
イフリートは咆哮――体から荒ぶる炎が渦を巻き、空間いっぱいに広がろうとする。異形となった仙太郎は駆け出し跳躍。
身を翻しながら、右足を唐竹に振るい回し蹴り。それが迫る炎を切り裂き、全てを霧散する。
驚く魔人と向き合いながら着地し、右手をスナップさせながら前身。一気に懐へと入る。
振るわれる左拳を右手刀で脇へ払い、腹へ右ミドルキック。たたらを踏んだイフリートへ右ストレート三連発。
まるで子どもを叱りつけるかのように拳で頬を殴り飛ばされ、イフリートが激高。右足を上げ、反撃に移ろうとした。
しかし足が上がり切る前に、太もも上へ仙太郎のスタンプキック。蹴りそのものをキャンセルした上で、胴体部にまたミドルキック。
素早く右ストレートで鼻っ面を叩かれ、下がったところでイフリートが右ストレート。
仙太郎は少し下がり、左掌底で腕の外側を叩き、イフリートの拳を、拳を振るう回転エネルギーを脇へ逸らしてしまう。
勢い余って前のめりになったイフリートの顔面へ、仙太郎の右掌底が炸裂。その時、人差し指と中指がイフリートの目を貫く。
『ぐが……!』
光を奪った上で軽く力を込めると、イフリートは巨体を滑らせ頭から地面に激突。仙太郎はそんなイフリートを蹴り飛ばし、吉山から遠ざける。
潰れた目から血……いや、灰がこぼれ落ちる。起き上がり痛みで咆哮するイフリートに、仙太郎は静かに近づく。
右腕を広げながらスナップさせ、放たれた爆炎を右手刀の逆袈裟一閃で斬り払い、再び霧散させる。
そのまま駆け出し、見えない敵に怯えるイフリートへ右ボディブロー。発生しかける炎を、続く乱打で広がる前に全て粉砕する。
荒ぶる炎、巨大な腕の振り回し。それを右の手刀で軽々と捌き、仙太郎はひたすらに前身。
命を、平和な日常を蹂躙した魔人に対し、逆に蹂躙を突きつけていた。股間を蹴り上げ、呻いたところで顔面に右ジャブ三発。
すぐさま打ち込まれる左フックは身を後ろに逸らして避け、その流れを殺さぬよう左ハイキック。
イフリートの顎を蹴り上げ、巨体をあっさりと浮かす。……しかし命中の瞬間、仙太郎の足に火花が走る。
金色の雷撃――自分の足なのに、自分のものではなくなりそうな感覚。一瞬仙太郎は動きを鈍らせるが、それでも時計回りに回転。
再び飛び上がりながら左回し蹴り。魔人の胴体を青い極光が切り裂き、その体から灰が鮮血の如く迸る。
仙太郎が着地すると、イフリートの巨体が焼け焦げた地面に落ちる。その時、コンクリが派手に粉砕。
近くにあった破片の一つ一つが熱によって融解していく。そう、炎は未だ健在だった。
だが仙太郎はそんな敵を相手にしても、軽々とした体術のみでやり過ごしている。いや、圧倒していた。
どちらが格上か、それは誰の目にも明らかだった。だからこそ仙太郎は疾駆。
だがイフリートも馬鹿ではなかった。仙太郎が跳躍しスタンプキックを放つと、その体全てを炎に変える。
青いせん光が炎を切り裂き、地面を更に砕く。瞬間一メートルほどのクレーターができ上がったが……そこにはもう、魔人の姿はなかった。
後に残るのは人々の涙と悲鳴、そして命奪われた者達だけ。仙太郎は舌打ちしながらも周囲を確認。
『……逃したか』
その時、ある事実に気づく。気絶している男(吉山)はいい。戦場となった場から少し離れたところで、一人の少女がこちらを見ていた。
そうしてまた自分の甘さを突きつけられる。彼女は……できる事なら彼女は、巻き込みたくないと願っていたのに。
混沌の異常契約(イレイジ)
2品目 『来栖仙太郎/イレイジ』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
吉山が意識を取り戻したのは、都内にある医療施設内部だった。しかしそれは公共機関ではない。
とある組織が使っている、秘密裏に建造されたもの。そこのベッドに寝かされていた吉山は、周囲を見てがく然とする。
寝起き直後で……しかも体はボロボロ。そのため意識も定かではなかったのに、強制的に覚醒させられたからだ。
自分の周囲にはどういうわけか、防弾チョッキやアサルトライフル、手りゅう弾などで武装した兵隊十数名。
改めて自分の体を確認しようとすると、兵隊達はアサルトライフルで自分の体を押さえつけてくる。
それで傷ついた体が痛み、情けなく声を漏らす。
「なんだ、こりゃ……一体、お前ら」
「無理に動かない方がいい、あなたは死にかけたんだ」
無言の兵隊達の中から、この場に不釣り合いな声がする。ややハスキー気味な女の声だった。
そして左側にいる兵隊達が左右に分かれ、黒いスーツ姿の女に道を譲る。整えられた黒髪を左へ流し、長さは肩くらいまで。
切れ長の瞳に厚めな唇、更にスーツの上からでも分かる、暴力的なまでに大きい乳房。
腕組みした両腕の上に、それがずっしりとのしかかっている。いつもの吉山なら多少は目を引かれるところだろう。
だが状況が異常なため、それもできない。なにより、こんな物騒な奴らが道を譲った、ただ者ではない。
「各所にやけど、腕やあばらも折れてるし、腰の骨にもヒビが入っている。
それでよく生きていられたものだ。……吉山茂三警部、だったな」
「お前さんは」
「単刀直入に言う。今日見た事を全て忘れてもらおうか」
今日見た事……吉山がその言葉で思い出すのは、あの変な化け物。更に同じものとなった来栖仙太郎。 そこで全てが繋がる。
(そうか、あのガキ……化け物になって、主犯を殺しやがったのか。コイツらはその仲間って事か)
「無言という事は、了承していただいた。そう受け取っても」
「無理だな。自己紹介もしない奴にはなんの返事もできねぇよ」
そこで兵隊達が更に圧力をかけようとするが。
「やめろ」
女の一声で動きが止まる。どうやらこの女が元締めらしい。更に女は吉山を笑う。
失笑とも、ただおかしいから笑ったとも取れるあやふやなものを、女は暗闇の中で浮かべた。
「なにがおかしい」
「すまない、一本取られたと思ってな。では……一つずつ説明しよう」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
来栖仙太郎はまず変身を解除し、彼女――ヒナを連れて現場から遠く離れる。
そうしてきっちり一時間後。なんとかヒナの居候先近辺までやってきた。だがそこでヒナは。
「仙太郎さん、待ってください!」
無言のまま、強引に引かれる手を払う。そうして仙太郎に戸惑いと疑問の視線をぶつける。
仙太郎はそれを真正面から見る事もせず、ヒナに背を向け続ける。だから彼は知らない。
彼女の瞳に、自分への恐怖が一片も混じっていない事を。
「あれは……あれは一体なんですか!」
「……違法契約者だよ」
「あり得ません! あんな、怪人みたいになる契約者なんて! そもそも精霊が力を貸すわけが」
「だからイレギュラー・エンゲージ――イレイジだ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
イレイジ――それがあの怪物の総称。痛みにより鈍った思考ではあるが、吉山にもそこは理解できた。
それこそが来栖仙太郎の正体。人ではない、この世にあってはならないものの名前。吉山の正義は燃えていた。
そういったものを排除する事こそ、警察官である自らの使命だと。そして根拠のない自信に満たされていた。
来栖仙太郎と炎の魔人を逮捕すれば、今の生ぬるい同僚や上司の鼻を赤せると。
つい先ほど、イレイジであるイフリートによって殺されかけたのにだ。
吉山の功名心を瞳から見抜いた女は、密かに軽蔑の視線を送っていた。
「十年ほど前からそれはポツポツと出始めた。本来ならあり得ない、まさしくイレギュラーな契約者。
違法契約はあくまでもすり抜けで、あんな真似すれば普通精霊にバレて終わり。だがそうじゃない奴らがいる」
「ふかしこいてんじゃねぇよ! それならどうして俺達警察にまで内緒にしてやがる!
……俺には分かってんだよ。お前ら、それでとんでもない犯罪を」
そして女はあるものを取り出し、吉山に見せつける。それは自らの身分を示すIDカード。
その中身を見て、吉山の瞳が驚きで満たされる。
「お……い」
「イレイジ犯罪への対応を任されている。自己紹介が遅れたな。私は須山幸咲(すやま ゆきさ)、見ての通り公安に所属している」
「なんで、公安が」
「テロの可能性もあるからな」
公安は『警視庁公安部』の略称。過去、日本には警視庁特別高等警察部というものが存在していた。
それは戦後処理の流れで問題視され排除されたものだが、公安はその後継組織と言える。
あくまでも警備警察の一部門ではあるが、東京都を管轄する警視庁では警備部――一般警察とは別に存在。
主に国家体制を脅かす事案に対処するのが彼らの仕事だ。例えば暴力団に極端な社会主義団体の調査。
そうして情報収集を行い、テロや反社会的行動に出た場合対処を行うのだ。公安は公共秩序と安全を守るため存在している。
情報収集対象は極めて広く、一般警察では届かない政党や省庁、自衛隊なども含まれるという。
現に須山と名乗る女の階級は警視。二十代前半にも見えるこの女が、自分よりもずっと上の階級ときている。
キャリア揃いの公安内部で、こんな若造が。須山へのそんないら立ち……いや、嫉妬は胸の中で燃え上がっていた。
「彼らは我々に協力してもらっている、自衛隊の特殊部隊だ」
しかも自衛隊までバックにいるのか。だが鵜呑(うの)みにはできないと吉山は感じている。全ては一方的な情報にすぎない。
コイツらがでかい犯罪組織である事は間違いない。吉山は根拠のない直感でそう決めつけていた。
ならば自分のやるべき事は、この場から迅速に脱出する事。腹立たしいが、話を合わせるしかないとも考えていた。
「イレイジは発生原因が不明だ。分かっているのは今言ったように、精霊との違法契約によって発生する事だけ。
単なる事故か、意図的に発生できるよう専用術式があるか……精霊サイドの問題も考えられるが、現時点ではやはりさっぱり」
「だったらそれをなんで警告しねぇ! 市民を見殺しにしてぇのか!」
「もっともな意見だ。だが警告した事で逆に興味を持ち、違法契約に走るケースも考えられる」
「じゃあ、アイツは」
「……ほう、あなたは見たのか。CE(カウンター・イレイジ)を」
カウンター……その言葉で吉山は、痛みと疑問で顔をしかめた。
「実はそんなイレイジだが、発生から六年後――四年前から、これまたポツポツと倒されていった形跡がある。
発生箇所は主に都内。場合によっては地方など様々だが、国内に限定されている。
まぁこれはイレイジ事件そのものもだが……どうやらいるようなんだよ。イレイジを倒すイレイジが」
「それが、その」
「カウンター・イレイジと我々は呼んでいる。イレギュラーの更なる逸脱(イレギュラー)。
まだ遭遇していないが……ならばその正体、姿見などについても把握しているのだな。あなたは」
「……知らねぇなぁ。悪いがこの有様なんでな」
「そうか。しかし我々も遊びでやっているわけではない。それにCEの正体は早急に掴む必要がある。
イレイジには既存の兵器が一切通用しない。現時点でCEだけがイレイジを倒せる」
「そりゃあてめぇらじゃあ無理だろうなぁ! だがこっちとら二十年以上警官やってんだ!
そんな怪物はどつき回して、ろう屋に放り込んでやらぁ!」
そこで吉山の体に、無数のアサルトライフルを力一杯に押し付けられる。
体の骨が、肉が軋み、あちらこちらの傷口が開く。その痛みに耐えかね吉山は絶叫。
「やめろと言っている」
だが幸咲が厳しく止めると、兵隊達は我を取り戻したかのように一歩引いた。
それでも残る痛みに吉山は呻きながら、須山を睨みつける。
「すまないな、だが彼らの前でそういう事は言わない方がいい。……彼らはイレイジに仲間を殺されている。
それも何人も……もう一度頼む、CEの所在を教えてくれ」
「知った事か!」
「知っての通り、現代魔術は精霊との契約絡みで、戦闘などに使う事が一切できない。
現代兵器でも、同種の力でも奴らを止める事ができない。遭遇しても今の我々は無力に等しい……だが、本当に【同じもの】がいるならば」
「だったらもっと殺されて、全滅してろってんだ! この犯罪者どもが!」
「……吉山警部、これは最終警告だ。全てを忘れろ」
須山は組んでいた腕を軽く動かす。その時山に等しき胸も揺れるが、それよりも吉山が気になっていたのは……威圧感だった。
自分という警察官の意見など聞いてはいない。ただ言う通りにすればいい。そんな、相手を舐めきった態度を取っていたからだ。
「今日見た事も全て、永久的なかん口令が生じる。それが守られない場合、我々は君にペナルティを与えなくてはいけない」
「……分かった」
「賢明な判断、感謝する。そうそう、君には別居中の妻と娘がいたな」
更に須山は刃を突き立てる。適当にやり過ごして逃げるのではと疑い、それは無駄だと吉山におまけの警告を行っていた。
「確か別居の理由は、誤認逮捕だったか? それまではそのような粗暴な素振りもなかったというのに……悲しいものだな」
「てめぇ」
「約束を破った場合、彼女達にも面倒をかける事になる。覚えておいてほしい」
「くそが!」
「そう言われるのは心外だな。君は不用意な拳銃使用で、今日だけで十人近く殺しているんだぞ? 無関係な一般市民を」
「あの化け物を逮捕するためだ! 俺ぁ悪くねぇ! そうだ、俺は……俺は悪くねぇ!」
その時、吉山は今話に出た誤認逮捕の事を思い浮かべていた。証拠は掴んでいた、間違いも欠片だってなかった。
なのに、まっとうな手段で掴んだそれは、裁判で意味を成さず、犯罪者は野放しとなった。
信じられなかった……吉山は正義を信じていた。その時から吉山は世界に、周囲に裏切られたと感じるようになった。
今その理不尽を、その怒りをたぎらせ、吉山は幸咲を睨みつける。だが幸咲は気にした様子もなく、吉山を鼻で笑う。
「まぁ明後日までこちらにいるといい。あなたは不満だろうが、今の状態では一人で歩く事もできないはずだ」
さすがの吉山もそれを言われると弱い。……改めて自分の体を見てみる。一応治療らしき事はしてくれたようだ。
だが信用できない。吉山は自分の主観から、既に須山達を逮捕すべき悪と定めていた。
敵地に居残りするのは辛いが、それも悪の情報を引き出すため。そう考え、吉山は屈辱をぐっと飲み込む。
「おい、その前にここがどこか」
「都内にある、我々の前線基地……とだけ言っておこうか。まぁ自衛隊の関連施設だ。……安心してくれていい。
管轄は違えど治安維持に関わる者同士、治療はきっちりとやらせてもらう。ではまた明日」
なんとでも言えばいい。吉山はそう思い、下がっていく須山へ侮辱の視線を送る。
魔術師学校所属の生徒が、化け物だという事実。それはここを出てすぐ報告する、そうすれば上も動くだろう。
元々公安はその特異性から、一般警察内部でも反発を持たれている。縄張り意識と言えば聴こえは悪い。
しかし上から目線で傲慢に仕事を――心血を削り、ようやく確保した被疑者などをあっさり奪っていく。
それを当然だと誇る奴らに、こちらへの感謝や謝罪の意も示さない奴らに、一体どうして敬意が抱けよう。
したがって公安ではなく、一般警察による独自捜査が展開される。というより、吉山はそうしてあの【化け物】を逮捕するつもりだった。
(あの野郎は必ずろう屋へぶち込む。イレイジとやらも同じように捕まえてやるよ。
……刑事魂を舐めてんじゃねぇ! お前ら若造とは年季が違うんだよ!)
そうしてあの赤い化け物も――いや、イレイジ全てを自分が捕まえる。そうして周囲を変化させる。
それだけの手柄を挙げれば、また昔のような捜査を堂々とできる。自分を誤認逮捕の【犯罪者】などと言う奴もいないだろう。
吉山は自分から変わろうともせず、周囲の変化を望んでいた。そうして胸の内でほくそ笑む。
吉山にとって今日亡くなった人間達も、赤い魔人も、自分を助けた来栖も……全ては生けにえにすぎなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人目や気配などに気をつけ、ヒナにはあらかたの事を話す。この支配された世界で、狂った化け物がいるという……真実を。
そしてヒナはそれを否定できなかった。なぜなら今日、その現場を見ていたからだ。とても強く、とても鮮烈に。
「この事、絶対に口外禁止だから。政府や警察も動いているだろうし、バレたら本当にどうなるか分からない。いいね」
「では、あなたは」
居候先の前に立つと、仙太郎はそのまま立ち去ろうとする。
ヒナは慌てて仙太郎に手を伸ばす。でもその手は、ぎりぎりのところで届かない。
「仙太郎さん!」
「俺に関わるな」
それは何度も言っていた言葉。今はその重さが先ほどよりも……いいや、比べる事もおこがましいほどに重くなっていた。
関われば、またあんな光景を目にする。それどころかその事実を隠している、政府や警察とも敵対する。
だから仙太郎は……誰かと関わろうとしない。拒絶し、否定し、ただ一人闇の中を進む。
それでもヒナは、その中に消えていく仙太郎の姿を見送る。こうしてヒナの、交換留学一日目は終了した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仙太郎はヒナと別れ自宅へ。カレーの残りを解凍し、さっと食べる。……予定通り模型を作る心境ではなかった。
仙太郎は心から悔いていた。彼女には見られたくなかった。そんな甘さを押し殺す事もなく、ただ悔いていた。
きっと自分を恐れていただろう。きっと自分を……それでも背負い切るしかないのだと、左拳を強く握り締める。
その間にテレビでは、今日の事件がニュースとして報道されていた。ただしそれは嘘そのもの。
『――夕方に発生した、商店街での爆発事故続報です。現在の死傷者は五十名にも上り、突然起きた惨事に周辺住民は動揺を隠しきれません』
(嘘つき)
事故なわけがない。あれは、れっきとした殺人事件だ。突然人が怪物となり、同じはずの人を傷つけ食らう。
イレイジとはそういうものだった。イレイジになった人間は例外なく、ある種の凶暴性を持っていた。
一昨日裁きを下した、あの野郎もそうだ。人ではない体と力で、誰も止める事ができない。
それは普通なら、だが。だからこそ自分は……改めて決意を確かめていると。
――仙太郎さん――
ヒナの笑顔が、声が浮かんだ。……そして仙太郎は右拳で顔面を殴りつける。そうして必死に、必死に言い聞かせる。
「今日の事は、夢……夢、なんだ」
あの笑顔を、太陽のように優しく、温かい子と……少しだけでも触れ合えた。昔みたいに、戦いを始める前みたいに。
でももう、終わりだ。シンデレラだって十二時になれば魔法は解ける。今回の事だって同じ。
あの子は自分を恐れている。だからきっと……それでいいのだと、仙太郎は笑った。
笑って、笑って……消えない痛みに打ち震え続けていた。あの温かさを冷たい力で押し潰させないために。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
荒ぶる炎の魔人――それは人の姿を取り、路地裏で蹲る。そうして正体不明な怪物を思い出していた。
青く鍛え抜かれた体は、自分の力を軽々と上回る。そんなはずがないと、背にしたビルの壁を右裏拳で叩く。
仙太郎に潰され、光を奪われた瞳、そして斬り裂かれた胴体部は既に傷を癒していた。
再び得られた光。しかしその瞳は、自らの欲望を踏みにじった悪に対して向けられている。
名前も知らない、同族であるはずの存在。この世から逸脱したはずなのに、この世の理を守った。
人の命を、平和を守るというその愚行。魔人はそれが許せなかった。なぜならそれは裏切りだからだ。
「随分荒れてるねぇ」
そこでハッとし立ち上がると、路地の奥から若い男が出てくる。優しそうな物腰の男は、魔人だったものをそっと両手で制する。
「あー、言わなくても分かってる。邪魔が入ったんだろう? でも大丈夫」
更に懐からなにかを投げつけてきた。慌てて魔人だったものはそれをキャッチ。それは黒いUSBメモリだった。
「中身を確認するといい、君のターゲットはここにいる。ただ、今行くのはやめた方がいい。
現れたところを狙い、襲撃するんだ。……さぁ、裏返そうじゃないか。君が踏みつけられた、理不尽な事実を」
魔人だったものは笑って男に背を向ける。恐れる必要などなかった、自分には力がある。
あの男のせいで全てを失った自分、そこにある一つの希望。言われるまでもなく裏返す、自分こそが正しいのだと。
そしてそんな魔人を見送る男は、やや困った笑いを浮かべていた。前々から裏返った契約者がちょくちょく倒されていた。
それではデータも取れないし、こちらは困るというのに。やっているのは恐らく……男は敵である青年の名を呟く。
「来栖くん、君はちょっとやり過ぎてるよ。これ以上は僕達も庇い立てできない……ご両親だって悲しむのに」
魔人の姿が消えてから、男はきた道へ戻る。そうして黒き異形と化し、街と街の間へ――深い闇へ消えていった。
『これで少しは思い直してくれると嬉しいんだけどねぇ。じゃなきゃ、『次』を準備しなきゃいけない』
その口調はとても軽く、しかし哀れみや同情すらも放っていた。裏返ったなら裏返ったで、人生をおう歌すればいい。
暴力による支配・略奪・栄華――その全てが許されるのだから。圧倒的な力は法に等しい。
他者を支配・管理する術となり得るのだ。だから彼はこう思っていた。来栖仙太郎は使い方を間違っていると。
できる事ならその勘違いをすぐに正してほしい。そう思いながら男は、闇と一つになる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌朝――二重の意味で仙太郎は苦しんでいた。それでも朝食の中華粥(がゆ)を作り、気分転換しつつ学校へ。
今日のお昼は弁当を買うと決めていた。ただし学内の購買やコンビニではなく、近所にある個人経営の弁当屋。
そこののり弁が絶品で、実は密かに気に入っていた。揚げたてのちくわとフライ、風味豊かなノリにおかか。
更に付け合わせのたくあんも自家製で、それをかじるのがまた楽しい。そう考えると沈んでいた気持ちも沸き立ってくる。
ただしそれは教室で、ヒナと顔を合わせるまでは……だが。やはりその性格もあり、ヒナは一躍人気者。
「ねぇルイスさん」
「なんでしょう、えっと」
「クラス委員の忍山美和だよ。クラス委員お勧めのお店があるんだけど、お昼にどう?」
「お勧めのお店ですか!? 是非教えてください!」
「美和、アンタまた……もうちょっと流行りの店も覚えなって」
「うっさい! 美味しいんだから問題ないでしょ!? ようは中身よ、中身!」
……育ちの良さというのはこういうところで現れるものだろう。ただヒナ本人は、仙太郎に話しかけようとしていた。
「あの、仙太郎さ」
「ルイスさんも気をつけた方がいいよー。美和の勧めるお店、どう見ても高校生向きじゃなくてねー」
「俺もコーヒーが美味しいって聞いて、スタバとかだと思ってたら……めっちゃ古い喫茶店に連れ込まれたからなぁ。しかも店内が異様に狭くて」
「でも美味しかったでしょ? ていうかアンタも常連でしょ」
「なんだよなぁ」
それもクラスメイトによってさり気なく止められていたが。当然だ、来栖仙太郎はぱっと見排他主義。
昨日もお通じが絡んだとはいえ、話しかけて無視しているのだ。それにより不快になる事から守ろうとしていた。
そうして排除していたのだ、来栖仙太郎という異物を。だが仙太郎はそれでもよかった。
その方が楽であり、その方が後々に痛みを生み出さないと知っていたから。なのに、今は胸が痛む。
もし、あとほんのちょっとでも昨日のような時間が続いていたら……それは未練だと、仙太郎は胸の内で吐き捨てた。
そうして二人の午前中は微妙な距離を保ったまま、静かに終了する。仙太郎は無言を貫き学外へ出る。
(もう、午後の授業はサボろう)
仙太郎は疲れ果てていた。予定通りのり弁を買い、外で食べ……適当にブラついて帰る。しばらく学校も欠席すると決意。
ヒナの交換留学期間は二週間。その間ずっと欠席するのは辛いが、それよりも今ヒナと顔を合わせる方が辛い。
それが仙太郎の結論だった。それに自分がいても、彼女を怯えさせるだけ。異常光景を思い出させて。
「……嘘だ」
そう考え、学内二階の廊下で仙太郎はため息。そう、それは嘘。怯えているのは仙太郎だった。
昨日、夢だと結論づけたのに……またウジウジと迷っている。この力を持った事、後悔してはいない。
する暇すらなかったとも言うが、それでもやるべき事には必要だった。むしろ感謝すらしている。
それでも怯えを持ってしまうのは、自分の覚悟が中途半端だから。仙太郎はそう戒め、歩く速度を上げる。
先生などに見つかると面倒なので、裏口からこっそり下校。真っすぐ目的の店へとたどり着く。
するとどういう事だろう。その店の前にヒナが……そして同じクラスの女子が二人でいた。
茶色がかったポニテを揺らし、女子は仙太郎に嫌悪感丸出しな顔をする。
「アンタ……あー、でもちょうどよかった。もうすぐ学祭でしょ? 少し相談を」
しかし……仙太郎だって同じ顔をしていた。なので踵を返し、全力疾走。異能を携える体、その身体能力を全開で突き抜ける。
「あ、こら待て! こらー! 来栖仙太郎ー!」
呼び止めても気にせず、仙太郎はそのまま下校……するしかなかった。ただとても強い疑問が渦巻き、混乱もしていた。
一体いつ、二人は自分より速く……あの店にたどり着いたのだろうと。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
……一方、ヒナの胸中も複雑であった。昨日から仙太郎の事が気になって仕方がない。ただそれは好奇心や怯えではなかった。
ヒナは仙太郎を一かけらも恐れてはいなかった。確かに仙太郎は異形の存在かもしれない。
しかし人を守るため、あの暴挙を止めるため、その力を振るっていた。それも躊躇いなく……だからヒナは信じられた。
(仙太郎さんは、決して悪い人ではない。人を遠ざけるのは、恐らく)
だが迷ってもいた。そう言って、一体どうなるのだろう。『関わるな』というのも、あんな事に巻き込みたくないから。
踏み込んで、そうした結果逆に仙太郎を傷つけ苦しめるのではないか。仙太郎は強く望んでいる。
自分を――なにも知らない人を巻き込みたくない。そうして傷つけたくないと。なら自分はどうすればいいのか。
このまま逃げる事は、なかった事にするのはできない。信じられたからこそ、ヒナも苦しんでいた。
信じられるからこそ、勇気を出せなかった。結果近くの公園に立ち寄り、ベンチに座り、同級生の彼女とのり弁を食べていた。
「どう?」
「はい、とっても美味しいです。程よく蒸され、ご飯と一体化したノリ。
間に入ったおかかは味わい深く、揚げたてなフライとちくわ天がとっても幸せで」
「よかったー」
仙太郎の事は気になるが、目の前のご飯は楽しんで食べなくてはいけない。食への感謝もかみ締めつつ、フライをもう一口かじる。
……明るい笑顔が印象的な彼女、忍山美和(しのやま みわ)に連れられ、あの店へ行ったのはなぜか。
それは彼女が行きつけのお店と聞いて、ヒナが興味を持ったためだった。この英国子女、日本文化に馴染みすぎである。
のり弁フォーマットはおかかご飯に敷き詰められたノリ、ちくわ天とフライ……そこに漬物などの付け合わせ。
一九八〇年前後でそれを生み出したのは、大手お持ち帰りお弁当チェーン『ほっかほっか亭』。
あえて言おう、ほっかほっか亭が生み出したのり弁、その完成度は数あるお弁当の中でもトップクラスである。
メニューはシンプルながら満足度も高く、下手なファーストフードよりもコスパは高い。
その最大の特徴は、持ち帰って十五分前後が食べごろになるよう作られているところ。
ご飯の上に載せられたご飯、及びおかかはアツアツご飯の熱によって蒸され、極上の一体感をもたらす。
価格も平均して三百円なのり弁は、庶民の味方として未来永ごう輝き続ける事だろう。
「イギリスではなかなか味わえないので……忍山さん、ありがとうございます」
「美和でいいって。でもルイスさん……ヒナって呼んでいいかな」
「はい」
「日本文化にどっぷりなのはよく分かったけど、のり弁もOKとは……しかもしょう油をかけるのが分かっている」
「ご飯にかかっても気にしなくてすみますから」
「だよねー」
ちなみにヒナ、のり弁のフライやちくわ天には、【しょう油をかける派】である。
この派閥に関しては地方や店によって大きく三種に分かれている。しょう油はその一つだ。
他二つは【ソースをかける派】、【タルタルソースをかける派】であろう。……フライならばソースが適当と思われがち。
しかしご飯や付け合わせにかかった場合、ソースは洋風ゆえに不協和音を起こす可能性がある。
タルタルソースも同じく。そもそも揚げ物はフライのみならず、幸せの象徴ちくわ天もある。ちくわ天とソースは本当に合うのだろうか。。
だからこそヒナはしょう油派。それに揚げ物をしょう油で頂くのは、他の料理などを見ると決しておかしくはなかった。
「ただタルタルソースのまったりとしたコクも」
「悪くはないよねー。ヒナは折衷型と」
「そういう美和さんもですね」
どうやら美和とは気が合いそうで、ヒナは嬉しくなりながらガッツリ食べていく。同じ派閥同士の出会いは、奇跡に等しい。
この手の問題は本能が絡むため、原理主義に走りやすい。ついつい衝突しがちなのだ。
なお他の食べ物で見れば、『ホワイトシチューをご飯にかけるか否か論争』、『目玉焼きにかけるのはなにか論争』などがある。
「でも来栖仙太郎になんで興味があるの? さっきも無視して、帰っちゃったのに」
美和は顔にまた不快感を出しながら、フライをハフハフ言いながら食べきる。そうして美味しさで不快感は吹き飛び、幸せそうな顔をした。
「あたしは去年一年、同じクラスだったんだけど……それはもう。時々さ、見ていて思うんだよ。
アイツ、なにが楽しくて生きてるんだろうなーって。誰かと友達になろうとも、話しかけようともしない。
行事に参加して思い出を作ろうともしない。学園祭とかもね、全部病欠だったの。でも街をうろついていた姿、見た事があって」
「……えぇ」
「しかもやったら張り詰めた顔、してるわけよ。声をかけるのもためらわれるくらい」
その意味をヒナは察する。それは恐らく、イレイジと呼ばれる怪物絡み……来栖仙太郎は、かなりの間怪物退治を行っていたらしい。
一度ではない。何度も、何度も、何度も……あんな現場へ飛び込んでいたのかと、胸の痛みはより激しく、ヒナを傷つけていた。
「だから話そうとした……でも先生達がなにを言っても、のれんに腕押し。なんで在籍できているのか、そこから不思議な奴だよ。
……正直、関わっても不愉快になるだけだと思うよ? 実際あたしはもう」
「でも、美和さんも仙太郎さんには話しかけていますよね。さっきだって」
「いや、一応クラス委員だったからさ。知っての通りこのクラスでもね」
ヒナにはそれだけとも思えなかった。苦笑気味に手を振る美和は……美和の言葉には、悲しさや寂しさがあった。
「でも、なんなんだろうね……これ、みんなには内緒ね」
「えぇ」
「アイツ、無視したり好き勝手っていうか……余裕がないように感じるんだ。
まるで『絶対やらなきゃいけない事』に、ずーっと追い立てられているみたい」
美和には詳しい事情は分からない様子だった。でもヒナは納得がいく、昨日の様子――あの戦いを考えれば、それは必然だった。
仙太郎にはアテがあるのだろうか。いいや、ない。少なくとも仙太郎にも、イレイジの発生原因は分かっていない様子。
それはつまり、自分がイレイジである理由すら……それでも事件を見過ごせず、仙太郎は鉄火場に飛び込んだ。
もしかしたら次の瞬間には、自分が犯罪者として追われるかもしれないのに。そう考えてヒナの胸は、渦巻く痛みはより支配的に変化する。
それは美和もだろう。クラス委員としてだろうと、仙太郎という人間を見てきたからこそ気づけた事。
でも絶望もしていた。ヒナは思う……この明るい少女はきっと、何度も仙太郎に踏み込んだのではないかと。
仙太郎はもちろん、それを全てはねのけた。自分に関わるな――そう言って、何度も何度も。
だから彼女は仙太郎に怒りも感じている。その根源はやはり、傷つけられた痛みと悲しみだった。
なにもできず、自分の手を必要ともされない……でも完全に引く事ができない。美和は袋小路にハマっているようにも見えた。
「なんでなんだろうね。どうしてそれを誰かに話して、分け合ったり……できないんだろうね」
「……怖いんだと、思います」
「怖い?」
「そうまで言ってくれた人に話す事で、傷つけて……苦しめる。
その問題に巻き込み、怖がらせてしまう。そうに違いないと思っているから、きっと」
「だったら、余計に話せばいいのにさ。そういうのって大体が怯えすぎなだけじゃないかな。世界は……人は、そんなに弱くもなければ冷たくもないよ」
それが美和の結論だった。でもヒナは少し違った。……事情を知らない自分が好き勝手な事は言えない。
だから深くも踏み込めない。そう思って悩んでいた。だから逆に考えた。
(だったら、深く踏み込まなければいいだけかもしれない)
それがヒナの結論だった。やっぱり自分は馬鹿なのかもしれない――ヒナは自嘲する。
美和は自身の経験から、自分が傷つかないよう忠告してくれたというのに。それでもヒナの気持ちは固まった。
まずはひとつ……踏み込む意味を見つけたヒナは、勢いよく、しっかり味わいながら弁当を平らげる。
今日の帰り道、もう一度一緒に……ご飯を食べてみよう。そうしたら、一つ確信が持てるはずだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仙太郎はお昼を食べそこねた。もう食欲そのものがなくなり、学校は遠慮なくサボタージュ。
そのまま昨日と同じコースで帰り……あのおばあさんに手招きされた。またりんごを買って、少し悲しく笑いながら歩く。
途中でりんごを一個取り出し、しっかりかじった。りんごは甘みが強いタイプで、酸味とのバランスも絶妙。
仙太郎は改めて、先ほどの老婆に感謝していた。昨日もかなりいいところを分けてもらったから。
でも常連になるのは……躊躇いもあって。やっぱり自分は後ろ暗い存在だと、そう自嘲する。
アップルパイなどに使うなら、もっと酸味の強い方が好みだが……そっちの品種もあったので、今度買ってこよう。
決意しながら仙太郎は自宅へ到着。彼の自宅はワンルームマンション。国からの生活保障を受けて暮らしている。
来栖仙太郎には両親がいない。同時に両親が残した遺産などもほとんどない。だからこそ魔術師を目指した。
魔術師は国家資格であり、場合によっては奨学金も支給される。特に自分のように、天涯孤独の身なら。
一人だけの部屋に入り、しっかり鍵を施錠。基本質素な部屋ではあるが、調理用具と工具だけはしっかりしてる。
来栖仙太郎が料理――食へ拘るのは、両親の影響から。彼にとって食は両親との繋がりそのもの。
そして部屋の片隅に飾られている、戦闘機や戦車模型もそんな繋がりの一つ。
彼は排他主義だが、家族との繋がりはとても大切にしていた。彼は、家族が大好きだからだ。
帰ってきてまずやる事は、数年もののぬか床をかき混ぜる事。キッチン下の戸棚を開け、丁寧に混ぜていく。
前に学校で匂いがどうと言われたが、そんなのは気にしない。これはとても大事な作業だ。
そしてぬか床の状態もしっかりチェック。厳しい表情の多い仙太郎だが、この時はとても柔らかい顔をしていた。
年相応の大人になりかけな顔。この表情をふだんから出せるなら、彼の周囲も多少は変わるのだろうが。
ぬか床の手入れをしっかり行ってから、続いてはスロークッカーへ。
スロークッカーは材料を入れてセットすると、加熱調理を行ってくれる優れもの。
基本煮込み料理などで効果を発揮し、出かけている間も火事などの心配はない。
もちろんしっかりとした使い方を守れば……だが。今回仙太郎が作ったのはおでん。
しょう油ベースのコブだしで品よく炊いたものだ。昆布、大根、ゆでたまご、こんにゃく、厚揚げ、ごぼう天。
変わり種なロールキャベツやウインナー、そして大事なじゃがいも……フタを開けると、具材は程よく煮えていた。
今日はこれでしっかり温まり、力をつけよう。……昨日の事を思い返し、仙太郎は険しい表情を浮かべ、フタを閉じる。
昨日の様子からあの【イフリート】は、あの男――吉山という刑事を狙っていた。
実はヒナを現場から離れさせる前に、身元確認だけはしていた。渋谷署の刑事……渋谷署なら、ピザ屋の件も管轄だ。
もしかしたら正体を掴まれたかもしれない。仙太郎は決断を迫られていた……吉山茂三には、死んでもらうべき。
自分の正体が警察などにバレたら、もうこの生活は送れない。ならばイフリートが殺すのを待ってから、裁きを下せばいい。
場合によっては自分の手で……仙太郎は窓際へと恐る恐る近づき、左拳を壁へと叩きつけた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
重傷を負った翌々日――吉山はアイマスクをさせられた上で、車に載せられた。
彼らの治療はとても適切で、しかも手厚く、吉山も動けるところまで回復した。
「おい、俺はどこに送られるんだ。……あれか、処刑場か」
「静かにしろ、今外す」
ぶ然とした隣の隊員が、自分のアイマスクを外した。……吉山には見覚えのある風景が、ジープの外に流れていた。
ここは品川駅の近辺……以前パトロールで着た事のある、倉庫街だった。
「自宅は代々木だったな。すぐに送る」
「一応礼は言っておくぜ、助かった」
そうは言ってもなにも答えない。愛想のないものだと鼻を慣らし、吉山は決して快適ではないドライブを楽しむ。
……そうして数十分後、代々木駅周辺の住宅街に到着。吉山はそそくさと車から降ろされ、ジープはやはり挨拶もなく去っていく。
それを見送ってから、懐から携帯を取り出す。まずは課長に連絡……その後は。
『待っていたぞ』
だがそこで背後から殺気――吉山が振り返ると、そこにはイフリートがいた。そうして生み出される、憤怒の炎嵐。
炎は治りかけの体を焼き、吹き飛ばしながら地面へと叩きつける。吉山は頭から血を流し、熱に苛まれながら体をはいずらせる。
それでもともう一度懐を探り、拳銃を……だがない。持っていたはずの拳銃は、どこにもなかった。
(あの野郎ども……!)
『俺を覚えているか? お前に『誤認逮捕』されたせいで、人生台なしだよ』
イフリートは放つ炎を揺らめかせ、一人の男を形作る。ややがっしりした顔立ちに、細い瞳……しかしその姿はみすぼらしくもあった。
だが吉山には見覚えがなかった。誤認逮捕……それは不名誉な中傷。だからこそ忘れた事はない。
『人情派』などと言われている、沼倉裁判官もの顔も。判決が出た時、勝ち誇ったような悪の顔も……覚えがない。
まさか他にも? そんな信じられない、認められない恐怖で吉山の足は動かなくなっていた。
「誰だ、お前……!」
『誰だぁ……!? お前が痴漢として逮捕してくれたせいで、仕事を失った……婚約者にも逃げられた。親にも縁を切られた』
「痴漢!?」
その罪状で吉山は余計混乱する。自分は殺人などの凶悪事件が専門……それは悲しいかな、刑事を始めた時から同じ。
吉山は自分に一歩ずつ近づき、網膜に焼き付けるが如く見てくる魔人から這いずり逃げる。
そうしながら何度も何度も思い出す。そう言えば一度だけ、通勤途中……窓際の女性にのしかかっていた奴を捕まえた事が。
その時捕まえた奴の顔、炎の幻影、それが写真照合のようにイメージ内で重なり、ピッタリと符号。
「あの時の……!」
『思い出してくれたようだなぁ!』
振るわれる右の豪腕。慌てて左に身を転がし避けると、拳はあっさりと地面を砕き、爆発を起こす。
吉山は爆風にあおられ、細い路地の壁に叩きつけられる。そうして血へどを吐きながら、一昨日と同じようにまた地面へと横たわる。
「ふざけ……る、なぁ。あれは、現行犯……誤認逮捕、じゃねぇ」
『誤認逮捕だよ、そうに決まっている……お前、一度やらかしてるんだってなぁ! 教えてもらったんだよ!
そんな刑事失格の奴に捕まったんだ! 俺は無罪になってなきゃおかしい……あぁ、おかしいんだよ!』
それは屈辱……吉山は悔しさで涙をこぼす。確かに今の自分は、そう思われてもしょうがない人間だろう。
実際それで妻と娘にも逃げられた。しかし……それでも譲れないところはあった。それは僅かに残った刑事の誇りか。
間違いない……この怪人は罪を犯した。それを見間違えてはいない、それだけは強く思い出した。
自分にかけられた汚名、それが慎重さを与えてくれた。今は怯えだと、情けなさだと逃げて、取り外してしまったブレーキ。
それが確かに、犯される罪を見いだしていた。でもその声は届かない、汚名にまみれた自分は、ただ恥辱の中泣くしかない。
「くそぉ……!」
『死ねよ、クズが……!』
そうして悪を止める事もできず、ただ蹂躙される。イフリートは右足を上げ。
『俺の人生を台なしにした、その罪を償え!』
「ちくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
吉山に絶望を叩き込むため、体を少しずつすり潰すため、一気に踏みつけを放つ。
……しかしその瞬間、青い風が吹く。それは燃え盛り、振り下ろされる炎の鉄ついへしがみつき、吉山の体すれすれではあるものの止める。
『な……!』
吉山が見たのは、一昨日見た青い怪人。それは炎に体を焼かれながらも、自分を守るかのように踏み潰しを抱え、止めていた。
「お、おま」
吉山が痛みの中、疑問と混乱を口に出す。いや、出そうとした。しかしおの前に青い怪人――仙太郎は行動。
片足を抱えられ、驚いた様子のイフリート。その体を足から押し込み、バランスを崩して横倒しにする。
『な、なんだお前は!』
『言ったはずだ』
仙太郎は素早く腕を、足を……その巨体を押さえ込みながら、イフリートの首に右腕をかける。
更に左手を使いサミング……先日と同じように、イフリートから光を奪った。だがそれでは留まらない。
『がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
仙太郎はイフリートの瞳を潰し、そのまま頭蓋――イフリートの脳髄へ指を突き立てる。
眼底の奥、人と対して変わらない構造の骨と体。そこを突き破り、脳の下を抉られ、イフリートは想像を絶する痛みに呻く。
更に仙太郎はそのまま左手を引き、首を強引に逸らして圧迫……首絞めと同時にプレッシャーをかけ、イフリートの命を奪い去ろうとする。
『裁きを始めると。……判決を言い渡す』
『ふざけるなぁ!』
そしてイフリートは業火を生み出す。吉山はそれに煽られまた吹き飛び、みっともなく地面を転がった。
しかし吉山は倒れこみながらも驚く事になる。青い怪人は体を燃やされながらも、決して引かない。
もがくイフリートを背中から押さえ込み、首をへし折ろうと必死に抗っていた。それは怪異同士の衝突。
しかしイフリートに対し、青い怪人はまるで……そう、まるで。
(なんで、だよ)
青い怪人の体から、その懸命さを現すように金色の雷光が走る。それは炎を僅かに散らしたかと思うと、爆発的に広がる。
『はばへ、ははへめぇ!』
雷光に焼かれ、炎を更に吐き出しながらもイフリートはもがき、なんとか青い怪人を振り払おうとする。
「死刑だ」
(理由がない、あり得ない)
しかし怪人は離れない。炎を雷光でかき消し、明らかに意思を感じさせる力強さで、完全にイフリートを押さえこんでいた。
イフリートはろれつが回っていなかった。脳の損傷、内部を抉られる痛み……それが言語機能そのものを奪っていた。
『おひゃえもほはひ……ははいふ……ひゃはひゃはああぁぁぁぁぁぁ!』
『決まっている、【俺達】が存在する事に』
(なんでお前は)
なぜそこまで懸命でいられる。なぜ傷つく事を厭わない。その答えは、たったひとつ。
(俺を助ける……!)
青い怪人は最初から、吉山を助けるように動いていた。そして、裁きを告げる音が――イフリートのふとましい首がへし折れ、命の壊れる音が響く。
――音が響いてすぐ、イフリートは人間へと戻った。吉山は意識もうろうとしながら、事切れ、灰となって消える犯罪者を見送る。
そして青い怪人はところどころ焦げ、フラつきながらも跳躍。サイレンが鳴り響く中、街の中へ姿を消した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
サイレンが鳴り響く街、またも人知れず脅威にさらされた街――そんな街をフラつきながら歩き、仙太郎はやっとの思いで家にたどり着いた。
焦る手でドアを開け、一気に玄関へなだれ込み……そのまま倒れ込む。痛みと熱、服の下に刻まれた大量の火傷(やけど)。
普通なら病院に行かなければ、命に関わる。それでも仙太郎はしっかり戸締まりをして、そのままもう一度玄関に倒れる。
「なに、やってんだか……!」
吉山の自宅、携帯番号などの個人情報もあの時取得していた。だから待ちぶせしていたら、あの有様だ。
見捨てるべきだった。被害は省みず……仲間と思わせるため、この手で殺すのも良手だろう。
でもできなかった。失われる命、怯え竦む魂――全てを見捨てられず、気づいたら踏み込んでいた。
そうした結果がこの有様だ。こんな戦い方をしていたら、命が幾つあっても足りない。
その上変なバリバリまで出て……あの雷光は、仙太郎にとっても予想外なものだった。自らの意思で発したものではない。
それがまた仙太郎を恐怖させる。今まではなかった能力……自分の体には、なんらかの変化が起き始めている。
イフリートを押さえ込むため、無理をした事でそれは加速したかもしれない。
しかも吉山は聞く限り、どうしようもない男だ。助ける価値があったのかどうかも疑問。
……仙太郎はいら立ちながらも、ゆっくり立ち上がる。既に体中の火傷(やけど)は治りかけ、痛みも先ほどよりは楽になった。
こういう時、自分が人間ではないと思い知らされる。
(とりあえず、失踪の準備はするべきだろう)
――仙太郎さん――
「――! ……くそがぁ!」
そこでまたヒナの事を思い出し、右拳で床を殴りつける……しかし寸前で止めた。
今叩いては、きっと床を砕いてしまう。『人間のふり』をする気力すらも、今の自分にはない。
だから仙太郎は日課も、全てをすっ飛ばしただ横になり、眠りにつく。痛みに呻き、苦しみながらも……その異能で傷を消し去っていく。
夢見たのは、誰かと一緒に食べるご飯……そうして満喫する幸せ。両親が亡くなって以来……いや。
この力に目覚めてから忌避していたもの。今仙太郎は夢の中で、ヒナとの時間を思い出していた。
仙太郎にとって誰かとご飯を食べるというのは、それほどに特別なものだった。
そしてそんな自分の甘さを、仙太郎は眠りについていても呪い続ける。決して許されない……そんな幸せを望んでいたから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――あらら、助けちゃったんだぁ。これは失敗だなぁ」
黒衣の異形は遠くからあの様子を……イフリートの最後を見つめていた。そんな奴の後ろに一つの影が生まれる。
それは黒髪の女。腰までの長い髪を揺らし、細身の体をくねらせながら男の隣へやってくる。
『……【ウィッチ】、なんの用さ』
「あなたが彼を庇いたい気持ちは分かるけど、あたし達もそろそろ見過ごせない……まぁ耳タコだろうけどね」
『だが彼は貴重なサンプルだ。【ウィズダム】にも改めて許可は得ている』
「どう貴重かも聞かされていないけどね」
そうしてウィッチは『そんなの知った事か』と言わんばかりに肩を竦める。
黒衣の異形はそれに軽くいら立つも、その殺気を悟ったウィッチはすぐさま距離を取る。
「おぉ怖。ただ警告してあげたのに、ガチに殺そうとするのはやめてほしいよ。
そういう風に考える輩もいるから、大事にするならやり方を考えろってさ」
『どうだか。一番殺したいのは君じゃないのかい』
「そんな事はない……とだけ、言っておこうか。で、考えているのかな」
『もちろん。これだってそのための儀式だった』
「なら信じておくよ。まぁ頑張ってね……あたしはイベントの準備で忙しいから」
そうして彼女はすたすたと立ち去り……かと思うと、突如生まれた黒い歪みにその身を飛び込ませ、消失する。
名前通りの魔女、なにを考えているかも分からない女だった。しかし一応警告には感謝しておく。
……本来ならこれで刑事を見殺しにしてくれればよかった。自らのため、他者を犠牲にする。その素晴らしき精神が裏返るために必要。
イレイジとはなにか。それは人間性の逸脱――裏返る事により、人を超越した生物となった者だ。
だが来栖仙太郎はまだ人であろうとする。人を守り、その人が順守すべき理を守り、真の逸脱(イレギュラー)になろうとしない。
黒衣の異形はそれがあまりに悲しく、哀れな姿に映っていた。だからこそ次の一手を探るため、踵を返す。
来栖仙太郎の周囲で事件を起こしていくしかないだろう。次に狙うは、やはり彼女しかいない。
その時を想像し、黒衣の異形は笑った。あの青が裏返り、どんな欲望を吐き出していくのだろうと……その姿に恋い焦がれ、憎しみもたぎらせながら笑った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから数日後。結局吉山は一般病院に入院……まだ包帯が取れないものの、それでも退院した。
結局自分は、正体不明の爆発事件に運悪く巻き込まれた。そういう話で警察は、そして世間は決着していた。
(間違いなく、奴らの仕業だな。……しかし)
奴らにはないアドバンテージがある。それはあの怪人の正体を知っている事。だが吉山の胸には、今までとは違う思いがあった。
それをどう形にするべきか迷いながらも、なんとか職場復帰。その初日、いきなり課長に呼び出される。
「――吉山、銃を預けろ」
「……は?」
「お前に銃は持たせておけない。警察をクビにならないのは……優しさだと思え」
「できません」
「吉山」
「持ってないんですよ。課長なら誰が持っていったか、分かってるんでしょ」
つき物が落ちた様子の吉山を見て、課長が目を見開く。それでも寂しい頭をなで上げ、大きくため息。
「一応始末書は書いてもらうぞ、今日中に持ってこい。私がいなければデスクの上に置いておけ。終わったら帰っていいぞ」
「いいんですか、それで」
「けが人にいられちゃ、仕事も捗(はかど)らん。じゃあ行って……いや、一つ確認だ。『CE』という言葉に覚えは」
それだけで吉山は理解する……いや、自らの確信が間違っていないと悟る。
イレイジの脅威は自分に伝わっていなかっただけで、上は知っているのだと。同時にCEはお尋ね者。
敵か味方か……場合によっては捕まえて、人体実験にでもかけるつもりだろう。たちの悪いSFだと自嘲する。
もう吉山の答えはとうに決まっていた。自分は警官としても、人間としても最低極まりない。だから。
「知りません」
自分はなにも知らないと……そう、嘘をついた。当初の予定とは大きく変わってだ。
「そうか。……覚えがあるなら、いつでもいい。報告しろ」
「失礼します」
敬礼した上で、自分のデスクへ戻る。……だから、借りは返す。吉山にはもうひとつ確信があった。
あの青い怪人は馬鹿だ。自分を見捨てれば、あんな怪我をする事もなく楽に倒せただろうに。
それは正体の露見を防ぐためにも必要だったはず。なのに……デスクへ座り、そっと警察証を取り出す。
その中に仕込んでいた写真を一べつしてから、懐にしまう。まずは面倒な始末書を仕上げて……その後、また考えよう。
正体をバラすつもりはなくなったが、興味は出てきた。なぜあの若造は、自分の『同類』に裁きを与えるのか。
なんらかの悪意があるかもしれない。しかし吉山の直感は、『それだけはない』と告げていた。
自分を守るために、身を挺した怪人。そいつは首をへし折るその刹那、こう言っていた。
――正義がないからだ――
その前に続く言葉は、『【俺達】が存在する事に』。つまり、こうなるわけだ。
――【俺達】が存在する事に、正義がないからだ――
その言葉と姿には曇り一つない、自分がなくしてしまった……重圧に耐え切れず捨ててしまった、『正義』があった。
吉山は存在ではなく、その意思に、戦う姿に『正義』を見いだした。そうして知りたいと思っていた……それが本当に、正しいのかどうかを。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
イフリートを処断した翌日――仙太郎は一応、買い物に出られる程度には回復。吉山が始末書を書いているのと同時期に全快した。
学校には予定通り行っていない。傷の回復を優先したせいもあるが、一番の理由はやはりヒナだった。
正体を知られている以上、近くにいるのはやはり辛い。それ以上にヒナの安全を守るためにも、今関わりたくはなかった。
ヒナと一緒のところを、あの吉山に見られている。だが悩んでもいた……それなら余計に、一緒にいるべきかと。
ヒナが不利益を被る事だって考えられる。しかし一緒にいれば、余計目につけられるだろう。
そういう意味でも吉山には死んでもらうべきだった……いや、それもまた早計。報告していれば、吉山の死は余計な拍車をかける。
仙太郎はそうして日がな一日、ヒナの事ばかりを考えていた。本人は気づいていないが、考える時間だけを見れば恋する青少年である。
それがあまりにも辛く、仙太郎は気分転換を決意。ステーキでも作ろうかと考え、近くの肉屋に向かっていたところ。
「――ちょっとごめん!」
後ろからとたとたと近づく気配……ヒナかと一瞬身構えてしまうが、チラ見すると違った。
しかし仙太郎は強烈な寒気を覚えた。それも、ヒナと違う意味で。完全に予想外の黒髪女性が、長い髪をなびかせ自分にお辞儀。
「あの……あなた、この間渋谷のピザ屋さんにいましたよね」
「人……違いだ」
「やっぱり……あの、ずっとあなたを探してたの」
そう、あの時イレイジが率いていたDQNどもに絡まれ、困っていた女性……仙太郎が助けた彼女だった。
よりにもよって、吉山やらの問題でゴタゴタしている状況で……焦る仙太郎には構わず、彼女は仙太郎の右手を取って力強くお辞儀。
「あの時はありがとうございました! 違法契約者から守ってくれて……お礼が言いたくて」
しかし彼女が余りに純粋な仕草と言葉で、気持ちを届けてくれるので、仙太郎は動揺も吹き飛びぼう然とする。
彼女は顔を上げて、あの時かけていなかった丸眼鏡の奥で、瞳を揺らしながら笑いかけてくる。
「警察の方にも聞いたんだけど、あなたの事がどうしても分からなくて……でもよかったぁ。あの、お名前は」
「来栖……仙太郎」
「来栖、仙太郎……ん、覚えました。私は沼倉芽衣子(ぬまくら めいこ)と言います。近くの大学で民俗学を専攻していて」
「……沼倉?」
「はい。私は沼倉芽衣子です、来栖仙太郎さん」
沼倉……その名字には、とても嫌な思い出があった。正直聞くもおぞましい四文字だろう。
しかし彼女には関係ない。湧き上がった怒り、あの日受けた屈辱……その全てをぐっと飲み込み、仙太郎はただただ彼女の笑顔に圧倒された。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
まさか、いきなりCEが飛び出してくるとは――吉山襲撃とイレイジ消失を、幸咲はそんな驚きでまとめた。
吉山が狙われている事は分かっていた。なので予め、自宅周辺に監視体制を整えていたのだ。
その結果、手出しする事もできず見ている事しかできなかったが。だがそれで十分であった。
確かに見て取った、青いイレイジ……その正体。彼が通っているという魔術高校前に停車した、黒の軽自動車内部で幸咲は腕組み。
それでまた圧迫される胸は、まるでないかのように気にせず……繋ぎっぱなしの電話に意識を向ける。
「余弦……余弦智代梨(よづる ちより)、聞いているか」
『聞いてるわよー。というかユッキー、同級生相手に硬いなー』
「今は仕事中だ。……あと、ユッキーはやめろ」
電話相手は信頼できる研究者……なのだが、高校・大学と振り回された経験があるため、幸咲は常に頭を痛めていた。
それでもイレイジの件ではいろいろと助けてもらっているし、実力があるのは確かだが。
彼女ならば『サンプル』さえきっちりあれば、イレイジの全容を解明できるかもしれない。そう期待するほどには優秀だ。
「CEはどうも、吉山襲撃の前日から無断欠席を続けているようだ。これから自宅近辺へ行ってみる」
『それで捕縛? 殺されちゃうわよ、幸咲ちゃん』
軽い口調だが、その中に鋭さを含ませる……アンバランスなところも、智代梨の持ち味でもあった。
少なくとも幸咲はそう思っていた。メリハリはあるし、付き合っていると身も引き締まるようには感じる。
「さすがにソロではやらないさ。部隊にも協力してもらう……しばらく観察した上でな」
『それでも危険って事よ。一応聞くけど、普通にお話して解決ーってのは?
ほらほらー、イレイジを倒すイレイジなら、お友達になれるかもー』
「相手の事情も分からないのに、不用意には近づけんだろ。……それに相手は怪物だ、交渉の余地など期待するだけ無駄だ」
そうぶった斬り、幸咲はダッシュボードからオートマチック式拳銃を取り出す。気休めになるが、素早く安全装置などをチェック。
『警察のやる事じゃないでしょ、それは』
「言うな。奴らが逸脱さえしていなければ……済む話なんだ」
この仕事に関わってから、一体幾つの死体を見てきただろう。イレイジ事件は表面化していないだけで、犠牲者はそれなりだ。
そうして培ったのは、過剰なまでの使命感。引きずられていると分かっていても、幸咲は抑える事ができなかった。
せめて一人でいる今だけは、戦う前だけは義憤に駆られてもいいだろう。親友の前だからと言われると弱いが。
幸咲はそんな甘さを見せつつ、改めて狙いを定める。来栖仙太郎(イレイジ)という名に……存在を許されない怪物に。
(3品目へ続く)
あとがき
恭文「というわけでほぼひと月ぶりにおこんばんわー。混沌の異常契約、二話目です。五万Hit毎にとか言ってたくせに」
(ごめんなさい)
恭文「お相手は蒼凪恭文と」
あむ「日奈森あむです……恭文、また首が」
恭文「キック? パンチ? そんなの確実じゃないって。確実なのは首だよ首」
あむ「一体どこの層向け!?」
(ボス層です。だってほら、言峰綺礼だって首折りしてたし、木場さんだって)
恭文「そうか、首折りは普通なんだ。修羅の門でもいたしね、どんな体勢からも首折りに持っていける悪魔が」
あむ「異能バトルっぽさはどこに……!」
恭文「大丈夫だって、そこは考えてるから。とにかく第二話……まぁメインキャストの顔見せみたいなもんで、事件なんてほぼおまけですが」
あむ「言い切ったし!」
恭文「事件らしい要素もないしねー。そこは次回からだよ、次回」
(事件らしい要素……それは地道な捜査(ダイジェスト)と、犯人や状況への考察描写だと思う今日この頃)
あむ「こらこら、地道なのにダイジェストっておかしいじゃん!」
恭文「えー、じゃああむはどうすればいいと思うの?」
あむ「……まず首折りじゃなくて、必殺技を使う?」
恭文「いや、だから首折り」
あむ「もっとヒロイックなのがあるじゃん! キックとか、パンチとか!
だから『このサイトに出てくる主人公の必殺技が、必殺すぎる』って言われるんだよ!」
(逆を言えば来栖仙太郎、必殺技も作れない程度の能力しかありません)
あむ「いや、普通は必殺技が必要な状況とかないから」
恭文「え、あるよね。子どもの頃は誰しも、自分だけの必殺技を持つものだよね。そのうち黒歴史になるけど」
あむ「それただの妄想じゃん!」
恭文「でも僕の必殺技、そんなに必殺すぎるかなー。割りと普通だけど」
(仙太郎の必殺技も必殺すぎるかなー)
あむ「オーバーキル基本のくせに、なに言っちゃってるわけ!?」
恭文「でも超重力の煉獄に閉じ込めたり、どっかの次元に飛んで串刺しにしたり、なんかよく分からない厨二能力で存在ごと消したりできないし」
あむ「……逆にそういうのがなくて半端に生々しいから、必殺すぎるのかもしれない」
(現・魔法少女、こうして一つ一つ大人になっていきます。
本日のCV:BACK-ON『リザレクション』)
ヒナ「……仙太郎さんに近づくため、まずは……うぅ」
恭文「餌付けだね。美味しいご飯で釣るんだ」
ヒナ「は、はい! やはりそうですね!」
あむ「野良猫か!」
幾斗「呼んだか、あむ。……なんだよ、そんなに俺が愛おしかったのか?」
あむ「アンタは帰れ!」(げし!)
(おしまい)
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