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小説(オリジナル)
1品目 『来栖仙太郎/閉じられた世界』

 西暦二〇〇七年――その昔、少年は父親に聞いた事がある。なぜプラモ作りが趣味なのかと。そう聞いた理由は簡単

 少年の父は自然や環境に携わる仕事をしていた。プラモの素材は基本プラスチックで、ゴミもそれなりに出る。

 環境に優しいものではない。少年の幼い心と小さな頭で、そんな印象を抱いていた。そんな少年に苦笑しつつ、父親は少年と一緒にプラモを作った。


 それは父親がふだん作っている戦闘機や戦車と違い、アニメに出てくるキャラクタープラモ。

 子どもでも簡単に作れるようにと、父親が配慮した。そうしてできたのは、合わせ目消しも行っていないただの素組み。

 自分の手でニッパーを使い、パーツを切る。ゲート跡をヤスリで処理し、組み合わせて作り上げる。世界にたった一つだけの、自分の作品。


 父親は嬉しそうな少年に『これが答えだ』と語った。少年はようやく理解した。父親はただプラモを作りたかっただけじゃない。

 工業製品なはずなのに、手を加える事で自分だけのものになる。そんな模型の世界が大好きなのだと。

 そして少年はまた別の日、母に聞いた。母はなぜ料理が好きなのかと。少年の母はとても料理上手だった。


 父親と同じ仕事をしている関係だろうか、やたらこだわるのだ。ただ無理にではなく、とても楽しげに。

 家庭の食卓に出来合いのものが出る事はほとんどなかった。少年はいつも美味しいご飯に恵まれていた。

 少年は母親の料理が大好きだった。だから少年は、母親と料理をするようになった。彼は学んだのだ。


 分からなければ、まずやってみればいいのだと。そして少年は料理の楽しさを知る。これが少年の日常だった。

 穏やかな両親が作る明るい家庭。それを彩る温かいご飯は、少年の心をすくすくと育てていった。

 少年は自然と夢を見ていた。いつか両親のように、穏やかで優しい人になりたいと。だから少年は両親へ頼み、新しい一歩を踏み出す。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 二〇一四年・九月――東京という街は実に騒がしい。飼育環境の悪い農場に詰め込まれている家畜の如く、人が往来。

 正直そんな中を歩くのは苦痛に等しい。そう思っている青年がここに一人。

 身長は百六十前後・中肉中背の彼が、人の往来も激しい渋谷に降り立った理由は。


「……んぅ」


 この味に出会いたかったから。彼が頂いているマルゲリータは、四色の色合いが実に奇麗。

 生地の黄色とトマトの赤、バジルの緑にチーズの白――そのコントラストを味わいつつ、もうワンピース頂く。

 彼が幸せそうにしている理由は、味以外だと価格も大きい。一枚三百五十円というのは、日本のピザとしては破格。


 冷凍ピザなどならともかく、店の味でそれが一流ともなれば……ふだんは無愛想な彼も笑顔になるというもの。

 某吉野家もワンコインなピザ店舗展開に挑戦するそうだが、目下のところそこも楽しみなようだ。

 こういうお店がもっともっと増えるといいのに。そう彼が願いながら、またピザを食べていると。


「――あの、やめてください! 私、そういうつもりじゃないんで!」

「いいじゃんいいじゃん。なぁ、俺達と遊ぼうよ」

「この後どこ行く? やっぱカラオケとかかな」


 彼から左に二席離れたところで、時代遅れなナンパが始まっていた。

 女性は黒髪ロングで、いかにも真面目な大学生風。だがスタイルはアイドルとかやれそうなレベル。

 良識的に目を背け、我関せずなサラリーマンやOL、同年代の若者達が犇めく店内で、彼は黙々とピザを食べる。


 彼にとって今重要なのは女性の危機ではない。自分に幸せを与えてくれるピザへ、最大の感謝を持って食べきる事である。


「離してください!」

「だから、いいじゃんって!」


 そこで男その一の右手が、女性の手を掴んで強引に引き上げられる。その際、テーブルに置いてあったアイスティーを倒す。

 それは勢い良く吹き飛び、彼が手を伸ばそうとしていたピザへかかる。

 一瞬でカーテンのように広がった液体達は、焼きたてでまだ熱々なピザとユニゾン。


 熱を奪い、生地をグジュグジュにし、美味しさを奪う。彼はその光景にあ然とする。


「あの、助けてください!」

「だからいいじゃんって! 別に俺達、変な事するわけじゃ」


 その瞬間彼は立ち上がり、男その一の側頭部へ右掌底。背後からの一撃を受け、男は呻きながら倒れる。

 女性も一緒に倒れかけていたので、すぐさまその手を掴む。

 男の手をひねりあげて外してあげてから、女性はパッと脇へ引き寄せておく。


「あ……の」

「下がって」

「は、はい」


 彼がそう断ると、女性はすぐさま退避してくれる。傍から見れば彼はヒーローだ。

 困っている女性へ助けに入り、取り巻き達を軽く懲らしめ終わらせる。……無論、勝てればだが。

 だが実際は違う。彼は女性に対してなんの感慨も抱いてはいなかった。


 こんな騒がしい街によくある、どこにでもある風景。道端に落ちている石ころ程度の価値もない出来事。

 その価値を飛躍的に跳ね上げたのは、皮肉にも元凶である男達だった。

 男その一は立ち上がり、取り巻き二人もいら立ちながら詰め寄ってくる。


「おいお前、なにしてくれてんだ」

「ソイツは俺達が先約だぞ。テメェなめた真似してると」


 その二がすっと首根っこを掴んでくるので、右手でひねり上げる。

 迂闊すぎる威圧に彼は呆れ気味。痛みに呻く男を押し込みながら、広い店内中央へ。


「お店の人、できる限り物は壊さないようにするから、許してね」

「だからなにしてんだ!」


 後ろから襲いかかってきたその三が左拳を振りかぶる。それが放たれる前に、彼はカウンターで左ローキック。

 脛を蹴り、動きを止めてから足を返す。股間を全力で蹴り上げ、こう丸や男性器を押し潰す。

 本来なら一発の蹴りでそんな真似はできない。だが彼は違った、ここでまた皮肉が襲ってくる。


 彼らは自分達を食い潰せる『猛獣』に対し、意識していないところで喧嘩を吹っかけた。

 普通の人間が猛獣と喧嘩して勝てるだろうか。答えは否――あとは慰めものとして肉を引き裂かれ、食いつぶされるのみ。

 そんな蹴りを更に数度打ち込みながら、彼は前進。股間を潰され、蹂躙される圧力に男は泡を吹き始めた。


 そのまま胸元を蹴り飛ばし、近くのテーブルへ叩きつける。男の後頭部は狙い通り、テーブルの角に衝突。

 余りに冷酷な計算だった。店内にいる誰もがその事実には気づかないが、間違いない事がある。

 彼は彼らの命や身の安全、今後の生活などに対して、一切の配慮を払っていない。


 その事実に彼らが気づけていたのなら、今後の人生もまた大きく変わったのだろうが。


「てめ!」


 彼らはまだ気づかない。腕を掴まれたまま、その二が左フック。彼は伏せて避けてから一気に伸び上がり、そのまま腕をへし折る。

 鈍い音が響き、同時に悲鳴も織り交ぜあい不愉快な音楽となる。

 その一が近づくまでに彼は右腕を、その二の股へ通す。頭と肩に身体を載せて、そのまま持ち上げ……床に向かって投げ。


 頭部を全力で叩きつけ、頭蓋を割りつつ意識も奪う。それからすっと立ち上がると、その二の股間も踏み潰す。

 前時代的で分かりやすい去勢手術だ。その一は倒れた二人と彼を交互に見やる。

 軽く舌打ちしながら、懐からバタフライナイフを取り出し威嚇。それで周囲の客が悲鳴をあげ、彼らから離れる。


 彼の行動は正しかった。例え今更だったとしても、目の前の脅威に対して鈍感でなかった事は褒めるべきだろう。

 もし問題があるとすれば……行動を間違えた事。おとなしく負けを認め逃避するべきだった。


「脅しじゃねぇぞ! それ以上やったら、ぶっ殺してやる!」

「じゃあ、お前を殺しても問題ないよね」


 笑顔でそう聞き返すと、ナイフの男がさっと青ざめる。彼は一歩踏み込み、その三の左腕を踏み折った。


「やってみろよ……! その前にぶち殺してやる!」


 男の口元が軽く動いたかと思うと、刃に電撃が走る。彼の目が僅かに閉じられた。

 雷系の魔術――しかしその火力は決して大したものではない。彼はナイフに走るそれから、彼の能力を軽く推察。

 軽い口約束の裏切りレベルと判断するが、その視線には明らかな嘲りが存在していた。


 それに気づいた男は顔を真っ赤にし、目を見開く。脅しで止まらないなら……彼は冷静な判断力をなくしていた。

 だから瞳を赤くし、雷撃を全身に迸らせる。それは金色の肉体となり、体格をより大きなものとする。

 割れた腹筋にたてがみのような装飾、まさしく魔神と言うに相応しい姿だった。客達が現実を理解し、悲鳴を上げる中彼だけが動く。


 迷いなく踏み込み、男の胸元へ右ミドルキック。男が動き出す前に打ち込まれた一撃は、彼の軽い体からは想像できない重さを持つ。

 吹き飛んだ彼は壁にぶつかり……否、壁を融解させながら外へ飛び出す。彼も躊躇いなく飛び出すと、難なく着地。

 三階建てのビルから、なんの道具もなしで裏路地に……彼はそのまますたすたと、無様に落下した魔神に右足で蹴り。


 腹を蹴り飛ばすと、魔神は一気に二十メートルほどを跳ぶ。そのまま塀をぶち破り、近くの空き地へと転がされた。

 そのまま彼も空き地へ突入。数センチはある厚さのガレキを踏み砕き、起き上がりあらぶる雷神に近づく。


『てめぇ……なぜ怖がらない! なぜ恐怖しない! お前はもうすぐ死ぬ……俺の手で引きちぎられるんだぞ!』

「聞き飽きたよ、そんなセリフは」


 そう言いつつ彼は左手を右に振りかぶる。その手の甲に、黒い渦巻く文様が生まれが。それに青の文様が続き、二色の螺旋は回転。

 その螺旋を左薙に振るうと、彼の身体そのものを青が包み込んだ。それが一瞬で弾け飛ぶと、そこから現れたのは異形の存在。

 それは、まるで突然生まれた台風。青い体が夜闇を照らすように発光し、全身に刻まれた黒い文様は渦を巻き左胸に集中。


 瞳は赤く、その体は筋肉質。しかし雷神のような巨体ではなく、細身で研ぎ澄まされたような印象だった。

 その姿に雷神が動揺し、後ずさる。


『まさか、お前もイレイジなのか!』

『お前が知る必要はない。……これより』

『ちぃ!』


 雷神は懐から黒い小石を取り出し、周囲に投てき。合計二十のそれは一瞬で百八十ほどはある、細身の人型へと変化。

 その手に槍を持ち、青い怪人へと殺意を向ける。しかし彼は決して恐れる事なく、一歩を踏み出した。

 そうして左腕を逆風に振るい、自分の同胞を、行く手を阻む【グール】達を指さす。


『裁きを始めよう』




 混沌の異常契約(イレイジ)

1品目 『来栖仙太郎/閉じられた世界』




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 この世界に魔術あり。魔術とは、人が世界の理との対話によって用いる科学。

 世界に満ちる精霊達の息吹――精霊力を用い行使される力である。そして魔術は民衆のためにあり。

 ……まぁ長くなるので後は話の流れで、徐々に説明していこう。ようするに魔術というのは、自然力を行使する技。


 ただこれを見つけた人は相当用心深かった。戦争などに利用される事を恐れ、魔術に幾つかの制限を施す。

 大契約と呼ばれるそれにより、精霊の力を戦争や武力として行使する事は事実上不可能となった。

 一つは自然保護――いわゆるエコが必要な事。精霊は意志を持った存在なので、大事にされないと膨れる。


 二つ目に契約。大契約により設けられた、最も大きい制約。今なお世界に流れる戒め。

 魔術は個々の精霊との個人契約のみで行使され、精霊は使用者の守護霊みたいなものにもなる。

 ただし大契約が前提にあるため、今日のように人を殺傷するための魔術行使はNG。


 精霊達もその事は承知しているので、契約者に関しては吟味する傾向が強い。

 他にもいろいろなルールがあり、それに縛られながらこの世界は存続している。

 ……少なくとも彼はそう考えていた。自然を大事にすると謳いながら、開発を続ける人間。


 精霊達との契約に関する問題――だが彼はそれを憂いたり、なんとかしたいと思う事はない。

 彼にとってはどうでもいい事。火の粉が降りかからなければ、関わる必要もない事だからだ。……ある一点を除いては。

 それは契約から外れた存在。それは人の世にあってはならない力。それは……全て消し去らなければならない、忌まわしき『呪い』。


 彼は槍持ちの刺突を右掌底で脇に弾き、続けて右裏拳。怯んだ所で右ミドルキックを放つ。

 一体目は胸元を蹴り飛ばされ、そのまま雷神の脇をかすめる。そうしながら胸元が破裂し、グールは霧散。

 その間に二体目が回りこみ、手に持った槍で刺突。左に軽く回避し、彼は右後ろ蹴り。


 同時に槍の柄を右手に持ち、引き寄せながら首を蹴りのみで砕いて絶命させる。足を引き、出来損ないの両刃槍を持ったまま一回転。

 周囲から近づいていた三体を薙ぎ払い、停止してから正面の六体目に投てき。槍は顔面を貫き、傀儡の命を終わりへと導く。

 そのまますたすたと雷神へ近づきつつ、二時方向からの切りつけを右掌底で逸らし、返す裏拳で七体目の首をへし折る。


 細身な身体からは想像できない豪腕。更に……彼は急に十一時方向へ加速。

 そのまま跳躍し、錐揉み回転しながら八体目の頭頂部へ右回し蹴り。その時細身の足が風をまとい、鋭さを増した斬撃となる。

 それが八体目を両断してから、彼は振り返り左後ろ回し蹴り。また生まれた旋風は九体目を斬り裂き、そのまま彼は連続回転蹴り。


 十体、十一体と倒したところで、残りのグール全てが跳躍。彼の頭上めがけて、その得物を突き立てる。

 彼はすぐさま身を翻し、ブレイクダンス。それも常人ではあり得ないほどの高速回転。

 生まれた風はまるでミキサーの刃が如く。不用意に飛び込んだ愚者全てを斬り裂き、ただの土塊へと戻した。


 彼はその余波を払いながら着地。そこで雷神は拳に雷撃をまとわせ。


『て……てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』


 兵隊を全て倒された事に動揺したのか、冷静さを完全になくし飛びかかる。そうして左ストレート、右フックと拳の乱打。

 しかし彼はその全てを右手刀で払いのけ、雷神の股間へ蹴り。既に変質した肉体ではあるが、それでも性(さが)はある。

 男が一際大きく怯んだところで、更に踏み込み右ミドルキック。腹を打ち抜きよろめかせた上で、右足を返しスタンプキック。


 重い体躯を支える、極めてふとましい足。その右膝を蹴りぬき、関節部へ甚大なダメージを与える。


『がぁ!』


 男が苦し紛れにテレフォンパンチ。武術のイロハも確立されていない左拳は、冷酷なまでに右掌底で跳ね上げられた。

 続けてくる左ミドルキックも、放たれる前に彼のスタンプキックでキャンセル。その衝撃で視界が下がったところで、彼は右ジャブ五連発。

 雷神は衝撃でよろめきながら、その身体から雷撃を迸らせる。それは地面を斬り裂き、人の命など容易に崩せる刃。


 しかし彼は引いていた右拳を手刀に替え、風をまとわせた上で唐竹一閃。雷撃を斬り払い、そのまま驚く男に向かって右アッパー。

 更に右フック、右裏拳と押し込みながら殴り倒し、更には右人差し指と中指を突き出しサミング。雷神の目を貫き、視界を奪う。


『うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 目が……目がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

『騒ぐなよ』


 視界を奪われた雷神は、更に両膝の激痛でもんどり打つ。……風をまとわせた蹴りで、再び関節を打撃。

 彼はとても冷徹で、憎しみすら感じさせる一撃を放ち、雷神の足を見事に奪っていた。

 そのまま苦し紛れの雷撃を放つ……間もなく、彼は後ろに回って雷神の首を締めあげた。


 いや、それはへし折るための加圧。雷神の心は恐怖し、へし折れてしまっていた。

 ……人ではない肉体、決して人の科学や魔術では届かない高み。 雷神はその力で、自らの傲慢さを育てていた。

しかし、この男の与える恐怖は、その傲慢さを打ち崩していた。殺される……その恐怖に支配され、雷神は情けなく懇願する。


『待って、くれぇ』

『お前に力を与えた奴の名前、素性は』


 そこで男の恐怖が僅かに和らぐ。その情報を言えば、自分は助かるらしい。だが……思い出すのは、あの鎌のイレイジ。

 死に神を思わせる風貌、自分を変革の導と言い、この道へ導いてくれた先導者。情報について触れれば……だがすぐに首を振った。


『知ら、ない。俺は、なにも知らない……! なぁ、それより仲間になれよ! 俺達が組めばなんだってできる!
警察も、軍隊も俺達を止められない! この力は選ばれた者が手にするべき、世界を裏返す導……アンタもそう教わっただろ!?』

『……分かった』

『だったら、離してくれ! 俺はアンタに従う! アンタの言う通りに』


 その瞬間、今まで使われなかった左手が動く。雷神の頬に添えられ、右腕と一緒にその力を発揮する。

 結果雷神の首は一回転し、首を派手にへし折られる。雷神は激痛で言葉もなく、悲鳴を上げる事もなく、全ての抵抗と力を放棄した。

 そして彼が雷神を離すと、雷神は前のめりに倒れ、人へと戻っていく。更に彼はその頭に、そっと自らの右足を載せた。


「ど……し」

『判決を言い渡す。……死刑だ』

「ま……や、ぁ。しに……たく、な」


 言葉を言い終わる前に、彼は雷神だった男の頭を踏み潰す。鮮血が走り、脳髄と頭蓋が粉微塵になって吹き飛ぶ。

 ……そうして彼は風で自らについた血を払い、跳躍。夜闇へと消え去る。人ではなかった者の死体を、残したまま。

 しかしそれで問題はなかった。それらは、そして血痕はすぐ灰となり、風の中へ消え去ったのだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 あの大騒ぎの後――渋谷警察署は大騒ぎだった。ピザ屋で女性に絡んだ、馬鹿な奴らが返り討ちに遭った。

 それだけならともかく、そのうち一人は行方不明。その上裏手は、爆発でも起きたかのような有り様だった。

 どう見ても事件として、現場の客に事情聴取。それが終わったのは午後十時……海千山千の刑事達は、オフィスで呻いていた。


 現場に残された写真は凄惨で、明らかに異常な犯行だった。それでも、この世の理を超えた事など、悟れるはずもないが。


「行方不明なのは松山瑠美奈(るみな)十六才。いわゆるチーマーって言うんですか? もしくはカラーギャング」


 この中で一番若い刑事が、さっと情報をまとめる。すると黒髪刈り上げで、くわえタバコの男が苛立ち気味に目を細めた。


「おい、そいつは男だぞ。間違えてんじゃねぇ、調べ直せ」

「吉山さん、対象はこういう名前なんですよ。DQNネームってやつで」

「言い訳すんじゃねぇ。俺が調べ直せって言ってんだから、調べ直せ」

「いえ、ですから……あと、署内オフィスでは禁煙ですよ」

「うるせぇよ! グダグダ言ってんじゃねぇ!」


 吉山は軽く椅子を蹴飛ばし、部下を威圧。それから『火をつけかけたタバコ』とライターを、面倒くさそうに仕舞う。

 その行動でとばっちりな部下のみならず、同僚からも冷たい目で見られているが……吉山は気にした様子などなかった。


「……とにかく、松山瑠美奈と仲間は、あのピザ屋で女性客に絡みました」


 そこで部下がわざわざ名前を言い直したので、吉山の苛立ちがより高まる。しかし部下はそれに対し鼻で笑い、すぐ話を続けた。

 どうやら吉山という刑事は、この部下からは全く信頼されていないようである。


「すると客の一人が吉山瑠美奈と仲間達を止め……仲間が全員重傷なのは、そのせいです。
その後……客の証言によると、吉山瑠美奈はこう、筋肉ムキムキな怪物になったって言うんです」


 部下も信じられない様子で報告すると、吉山以外の全員がざわつく。しかし吉山は軽く舌打ちし、またタバコを咥え始めた。


「怪物だぁ? お前、一体何年この仕事をやってやがる。証言くらいちゃんと取れ」

「取りましたよ、信じられなくて何度も確認しました。しかもこれが一人だけならともかく、あの店にいた客全員です。
それで吉山瑠美奈を止めた客は、怪物となった彼を蹴飛ばし……一緒に外へ消えたとか。現場にできた破砕はその時できたようです」

「くだらねぇ」

「まぁ怪人は行き過ぎだとしても、吉山瑠美奈は魔術を使った形跡もあります。
違法契約を身内に自慢していたようですし、その辺りが絡んでいるのでは……というのが鑑識からの報告です」

「つまりあれか。魔術による幻覚なり、ショック症状……専門家に頼んだ方がいいかもしれないな」


 吉山はその場でタバコを吐き捨て、部下に『拾っておけ』と言わんばかりに視線を送る。それから背中を向け、すたすたとオフィスから出ていく。


「吉山さん、どこ行くんですか! まだ会議の途中です!」

「お前じゃ話にならねぇから、俺が裏ぁ取ってくる。あと被害者の名前、調べ直しとけ」

「おい吉山、待て! また勝手な事を」

「うるせぇ! そいつが使えねぇから、尻拭ってやってんだろうが! がたがた抜かすな!」


 そして吉山は無駄な行為に時間を費やす。気に食わない事に対し、異常に攻撃的。ルールや協調などお構いなし。

 それが吉山という刑事だった。だから吉山は、この署の誰からも信用されていなかった。それを知らないのは、やはり吉山のみ。


(くっだらねぇ……なにが魔術だ)


 しかし吉山にも理由があった。例え一方的であったとしても。魔術――この現代社会に魔術。

 そんなものが絡むと、自分の価値が著しく下がる。吉山はそう考え、魔術やその関係者を忌み嫌っていた。

 刑事は正義の執行者。どうせこけおどし程度の事しかできない異能が、そんな執行を阻害しにかかる。


 だから吉山は心から願っていた。


(んなもんが絡まないよう、きっちり証明しねぇとな。あの魔術師ども、本当に気に食わねぇ)


 全てが自分の、思い通りになるように……と。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 翌日――彼はいつものように学校へ。そうしていつものように窓際へ座って、いつものように授業を受ける。

 一般的なコンクリ・鉄筋作りの校舎に、優しい光が差し込んでくる。そんな中、大きな黒板前で、黒い制服姿の教師が一人。

 左手で教本を持ち、彼や他の生徒達の方を見る。なお、先生は男で黒髪短髪、身長が百八十センチほどで体格はかなりいい。


 なんでも自衛隊経験者らしい。その代わり年齢は四十代後半……やっぱ不釣り合いかもと、彼はなんとなしに考える。

 ちなみに制服は、女子は上はロングで、下だけスカート。男子は上下ロング。

 白に黒のラインが入ってるのだが、彼は汚れが目立つから好きじゃないと考えている。


 とにかく授業を受けて、放課後。


「来栖……来栖仙太郎! お前は本当に」


 彼は職員室へ呼び出され、担任の先生に頭を抱えられていた。原因は……彼の生活態度だった。

 彼はこの学校に通う、生徒の一人。しかし決して出来がいいわけではなく、彼――来栖仙太郎は悩みのタネだった。


「一体なんでしょうか」

「分かるだろう! これで一体何度目だ! ……ここがどういう学校か、分かっているだろう」

「将来の魔術師を育成・養成する専門学校。でも高等課程の取得も可能」

「その通り、ここは学校だ。なのに……お前、どうして友達の一人も作ろうとしないんだ」


 実に余計なお世話だと、仙太郎は内心舌打ち。もちろんこの場で言い切るほど短慮ではないが。

 それより気になるのは昨日の事。変身直後に周囲の目から排除・瞬殺したので、『アレ』についての情報は広まっていないようだ。

 でもそれはおかしい話。テレビでも報道されているけど、あの瑠美奈とかいう奴が『逸脱した』事には触れられていない。


 もちろん自分の事も。その答えはたった一つ――権力による情報規制。イレイジの事はやはり、覆い隠されていた。

 混乱を引き起こさないためと言えば聞こえはいいが、それもある程度の支配が成り立っているからこそ。

 これは市民の生活が常に管理・統制されている事を意味する。表にする情報は全て真実ではない。


 真実は覆い隠されるものだ。統制者の都合に合わせ、問題ないニュースばかりを人々は目にする。


(昨日本当はなにがあったかも……でも俺は知っている)


 仙太郎は教師の心情はともかくとして、教師をただ羨んでいた。真実も知らず、薄っぺらい表面上の理屈だけをゴネる。

 それがとても幸せな事だと、それがとても恐ろしい事だと知らないのだから。

 なにも知らず、都合で情報を与えられ、規制され――その姿はまるで家畜のよう。この世界は家畜の群れで構築されている。

 つい、鼻で笑ってしまう。


「……なにがおかしい」

「いえ、最近鼻炎がヒドいので」


 そういけしゃあしゃあと言い切り、教師の不敬を買う。やっぱり自分はよろしくない生徒なのだろうと、仙太郎は自嘲する。

 しかし自分に友達……そんなものは不要だと、仙太郎は既に決めていた。


(一体どこの誰が、怪物で人殺しの友達が欲しいのだろう)

「とにかく、勉強だけしていればいいというものじゃない。お前ときたら学校行事にも理由をつけて不参加。
その上クラスメートともほとんど会話をしない。……来栖、授業でも言っているだろう。
魔術師のみならず、世の中は人の縁でできている。それを大事にしないのは」

「お手数おかけしてすみませんでした」

「そう言うのであれば、まずは自分から話しかけてみろ。今までの態度があるから最初から上手くいかないだろう。
しかしだ、それでもお前が変わる姿勢を示せば、きっと誰かしらが応えてくれるはずだ。そういうところから」

「お手数おかけしてすみませんでした」


 仙太郎は頭を深々と下げ、そのまま職員室の外へ。


「こら来栖! それはあれか、聞く気がないという事か!」


 先生が引き止めるのは一切気にせず、とっとと退散。どうやら彼は思い出作りなどに興味がないらしい。

 いや、基本的な学園生活と言うべきか。少々特殊な学校ではあるが……先生は頭が痛いらしく、眉間にしわを寄せる。


「アイツは……!」

「丸山先生、お疲れ様です」


 そんな先生のデスクへ、すっと湯のみが置かれる。気の利く女教師……ではなく、灰色髪を品よく整えた男性。

 かなり細身で、身長は百七十弱。ノースリーブの黒ベストに、白Yシャツ・チェック柄のネクタイという出で立ちだった。

 先生はお茶を受け取り、自分より半分近く年下な先生へお辞儀。


「智村先生、ありがとう。しかし……来栖はどうしたものか」


 智村と呼ばれた先生は、軽く首を振る。そのまま担任の先生と、仙太郎が出ていった入り口を見た。

 来栖仙太郎という生徒は、人との関わりに対して拒絶的だ。年上などへの敬意も一応払うし、聞かれた事には答える。

 だがただそれだけ……それだけなのだ。あの年なら友達と遊ぶのが、一番楽しい頃だ。


 友人を作り、恋をし、将来に悩み、大人や社会へ反感を覚え、失敗しつつも学び成長していく。

 担任は自身の経験やほろ苦い思い出から、そう言ったものがとても大切だと考えている。

 魔術師養成機関というお題目はあれど、そこの辺りは変わらない。学校とは社会の縮図。


 そして学びやは社会への希望を育てる場所。生徒達は自然にそのシステムを知る。

 だが来栖仙太郎はそんな流れを一蹴し、ただ勉学だけを目的としている。かと言って成績がいいわけでもない。

 いや、もしかしたら本気を出していないのではないだろうか。そういう印象も受けていた。


 担任はとにかく来栖という生徒に対して、強い不安を覚えていた。魔術師はコミュ力が問われる仕事だ。

 精霊との契約に関してもそうだが、単純に勉強して取れるものではない。

 なんとかしたいと思いながら半年――結局あの青年の心へは、全く踏み込めていない。


 自分の若い頃はと言うつもりはない。自分も昔はそうだった。だが来栖はぶっちぎりすぎる。

 あえてもう一度言おう。学校とは社会の縮図。その中ではぐれた生き方をすれば、将来に差し障る。

 社会に出れば、学校で学んでいて当然な事ばかりが要求される。その中で一番重要なのはコミュ力。


 例えばどこかの会社へ入った時、来栖のような存在はすぐに弾かれる。いじめの対象になるかもしれない。

 結果職場にいられなくなるかもしれない。担任は彼を見ていると、堪らなく不安になる。


「研修の方は」

「不安ですよ。成績も特別いいわけではないし……いや、悪いわけでもないんですが。
あの調子で監査機関の担当やら、仕事先やらでトラブルを起こすんじゃないかと」

「まぁ、そうですよね」


 智村は改めて、来栖の背中を思い起こす。学校的には問題がない生徒ではある。学内で手のかかる事はしていない。

 今の話だって結局は、担任の心配にすぎない。だがその心配が的確なのも、その理由も、智村は知っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 仙太郎が通っている学校は魔術――精霊力の専門家、『魔術師』を養成する学校。

 この学校の卒業生のほとんどは、適正を鑑みた上で必要とされる部署や機関へ配属される。

 ようは専門学校。生徒は三年に及ぶ訓練を受け、誰でも使える力の専門家になる。


 これが今の時代の、魔術師のなり方。夢も感動もなにもあったものではないと、仙太郎は改めて思う。


(俺達は空も飛べないし、かぼちゃの馬車も出せないのに)


 空を一度見上げ、仙太郎は魔術などと名づけた提唱者を呪う。魔術などなければ……そう考える自分がそこにいた。

 仙太郎は誰にも話しかける事なく、話しかけられる事もなく、学校を出る。決して優秀ではない彼の、なんて事はない日常。

 緑豊かで白いバルコニーもある中庭を抜け、校門から外へ出た。この時もかなりの速度で歩いている。


 誰にも関わってほしくない。ただ一人で――それは人を拒絶すると同時に、逃走者のよう。

 外に出てすぐ目につくのは、コンクリの道路とひっきりなしに通る車。

 そして都心のビル街――仙太郎は思う。これで魔術があるなんて、誰が信じるのかと。


 いつもの違和感に偏頭痛を覚えながら、仙太郎は静かに家を目指す。これも彼にとって普通の行動。

 特に仲が良い友達がいるわけでもなく、誰かと遊ぶ約束などするわけでもなく、学校へ通って帰るだけの生活。

 だが彼の表情は学内にいる時よりも、ずっと生き生きとしたものになっていた。


 彼にとって孤独は癒やし。そして生きるために必要な呼吸そのもの。

 夕焼けの朱に染まる道を歩きながら、仙太郎は右手で制服のホックを外す。

 左手で持った、黒皮制の指定かばんも軽く持ち上げ伸び。それから人混みの中へ紛れ込むように、その姿を潜ませる。


 しばらく歩き、夕方のアーケード街を抜けていく。仙太郎は懐から巾着財布を取り出し、中身を確認。

 まずはスーパーに立ち寄り、夕方の割引セールへ突入。……そこは彼の嫌いな、人で賑わう場所だった。

 それでも必死に堪え、キャベツやニンジンなどの各種野菜をゲット。この男、一応目利きは得意らしい。


 野菜を手に取る短い間にほとんどの品をチェック。これだと決めたら迷いなく籠へ入れる。

 最近のスーパーマーケットも馬鹿にできないもので、いわゆる無農薬・産地直送的な野菜も多く扱っている。

 地産地食――近くの農家で取れるものが中心だったりはするが。ちなみにこういったところでも、魔術師の仕事はある。


 魔術師は自然に息づく精霊の専門家。農業関係者からすると重宝される存在。

 農作物がよりよく取れるよう精霊に訴えかけたり、問題があるならそれを農家に伝える。

 本来ならば長い時間と経験が必要となる土や作物との対話も、魔術師という仲介者によって楽になる。


 仙太郎は続いて肉コーナーへ。グラム九十円のひき肉四百グラムをゲットした。


(これで三日間は持つ)


 意外と庶民的な仙太郎、ちょっと気分が持ち上がりながら総菜コーナーへ。

 彼は食へこだわり、料理にもこだわりがある。そのため総菜コーナーはふだんお世話にならない。

 しかし馬鹿にもしていない。総菜コーナーには時々、インスピレーションを刺激するものがある。


 彼の経験で言うとエビチリコロッケなどは、目からうろこの美味しさだった。以来得意レシピとなっている。

 だが今日のところは収穫なし。ややつまらなそうにレジへ並ぶ。そこで表情が更に苦くなる。

 もうこの時点で買い物をやめて、すぐ帰りたいとさえ考える。それでも必死に耐え、買い物終了。


 本日仙太郎が作ろうと考えているのは、テレビで見た簡単カレーレシピ。

 なおスパイスから調合するので、もはや簡単ではない。それはプロの仕事だが……仙太郎は楽しげ。

 自分のために、自分が好きなように作る、自分だけの料理――それを得る時、彼は幸せを感じる。


 それは担任が危惧していた、強烈な排他主義。彼の自由には他者が存在しない。

 彼は解放感に満たされながら店を出た。そうして少し歩くと、八百屋で美味しそうなりんごを見つけてしまった。

 仙太郎は人懐っこい笑いを浮かべるおばあちゃんと目が合ってしまい、軽く苦笑い。


 りんごを二つ購入。というか、一個おまけしてくれたようだ。仙太郎は内心驚いていた。

 彼ははっきり言えば、さほどイケメンではない。可愛い系というのも微妙。

 黒髪短髪で、目はややつり目。決して人相がいい方ではない。以前は金城武に間違えられた。


 本人は生粋の日本人だが……まぁここはいいだろう。確かに仙太郎は排他主義者だ。

 とはいえ見知らぬ人の施しや優しさを否定するほど、下衆ではない。そこには感謝を送るべきだ。

 優しく頭を撫でる老婆にはお礼を言う。気持ちに温かいものが込み上げてくるのを、悲しげに受け止めながら。


 もし老婆が自分の『姿』を知ったら、きっと今日の事を後悔するだろう。仙太郎には、その確信があった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 来栖仙太郎にとって、朝はいつも憂鬱なもの。出かける準備をして、またあの家畜小屋へ向かう。

 それだけで自殺したくなる。誰とも関わりたくないのに、関わる場へ赴く。

 そこには確かな矛盾がある。だがこれも生きるためと、仙太郎は腹を括る。


 そんな時でも救いになるのは、やはり食と料理。仙太郎は料理を作りながら、今はなき両親へ話しかける。

 思い出すのは温かで、優しくて、笑顔を浮かべていた二人。自分に形あるものを残せなかった二人。

 だが形のないものは残してくれた。それはとても感謝している。仙太郎にとって両親は、今もそこにあるものだった。


 前日にホームベーカリーで仕込んでいた食パンを、やっぱり早起きして牛乳から作ったバターで頂く。

 汁物にはトマトスープ。さらには遺品代わりのカスピ海ヨーグルトも頂く。……実に充実した朝と仙太郎は思う。

 特別な事なんてなにもない。でも自分のために、自分が幸せになる食事をする。こんなに理想的な事はない。


 そこで気分が持ち直したので、後片付けをした上で家を出た。バスもあるのに、やっぱり歩きで登校。

 粗悪な豚小屋じゃあるまいし、なぜ朝からぎゅうぎゅう詰めにならなきゃいけないのだろうか。

 そんな仙太郎が考えている事は、お昼と夕飯の事。学校でのあれこれは歯牙にもかけない。


 学校へ到着――授業が始まる前に、学校の屋上へ出る。屋上は芝生が敷き詰められ、花まで植えられている。

 ぶっちゃけ無駄に手が込んでるのにへき易しつつ、仙太郎は右側へ移動。

 右へ移動し、出入り口と連なっている壁の門を曲がり、すっと腰を下ろす。


 それからバスケットを取り出し、蓋を開ける。そこには朝に作った、コロッケサンドがぎっしり。

 早朝ランニングから戻った後、急に思い立った。学校を出るギリギリまで作っていたのがこれだ。

 昨日のカレーがぎっしり詰まっているコロッケを、あのほわほわ食パンで挟んだもの。


 もちろんシャキシャキレタスとマスタードも忘れてはいけない。しかし味が気になっている。

 なので一個……それにかぶりついて、やや粘度の増しているカレーに頬を綻ばせる。

 やはりカレーは二日目……これだけは譲れない。なによりスパイスが健康にいいのも捨て難い。


 来栖仙太郎が学校で食事する時、いつもこんな感じである。彼と食事を楽しんだ人間は、この学内には一人もいない。

 青空と静けさをおかずに、人気のない場所を探して自由な時間を楽しむ。

 流れる雲の形を見て、あれはなにに似てるとか考えるのが彼の幸せ。仙太郎の幸せは孤独にあった。


 彼は担任が考えているような、コミュニティの一員である事は求めていなかった。ただ孤独だけを望む。

 ただ授業を受けたという事実を望み、ただ卒業したという事実が欲しいだけ。

 来栖仙太郎にとって学校とは、その程度の価値しかない。だからこその家畜小屋。


 クラスメイト達も家畜同然だと見下してさえいる。いや、自分も含めての家畜なので、意味合いは多少変わるかもしれない。

 彼が求めているのはこの孤独が続く事。彼の心にとって人と接する事は、意味を見いだせないものだった。

 だが矛盾もある。だから更に孤独へ埋没しようとする。仙太郎はそうして、真の孤独へ溺れようとしていた。


 この時までは。……裏手でドアがガチャリと開く。


(誰か来た?)


 仙太郎は思わず奥へ移動し、身を縮める。彼にとって孤独を邪魔される事は、死に等しい苦痛だった。

 気配はドアの付近で立ち止まる。それですたすたと仙太郎の方へ。仙太郎は胸の内で毒づく。

 朝から憂鬱になっていると、気配の主が角から顔を出す。その主は、金髪の女の子だった。


 柔らかなウェーブを描いている髪は、太陽の光できらめいている。

 瞳は青く、ボリュームのある胸は地味めな制服を押し上げている。背は仙太郎と同じくらい。

 見た事のない子なので、仙太郎は逃げる事もせずただただ首を傾げるのみ。というか、見入ってしまっていた。


 彼女の髪が、本当の太陽が如く輝いていたから。そして彼女の瞳。こちらも光を放っていた。

 視線の先にあるもの――サンドイッチを映しながら、彼女は仙太郎へ詰め寄った。

 思わず身を引いても、その子はしゃがみこんで仙太郎とお弁当箱を見る。


「カレーコロッケですね!」

「う、うん」

「しかもパンもいい香り」


 目を閉じ、顔を近づけながらその子は、鼻をくんくんとさせる。仙太郎の鼻には別の匂いが入る。

 優しく甘い、女性の匂い。ついぬか床の匂いを気にしてしまうのは、仙太郎の中に甘さがあるせいだろう。

 仙太郎は口を付けていない残りを、あの子へ一個だけ差し出す。


 それに気づいたあの子は慌てて下がり、両手をブンブンと振る。


「あ、いえ……そんな、お気遣いなく」

「……近づいてくんくんしてる時点で、お気遣いとか吹っ飛んでるから」

「は……! す、すみません!」


 あの子は金髪を揺らしながら必死に頭を下げ、謝ってくる。顔がやや赤いので、恥ずかしがっているようだ。


「私、昔から美味しいものには目がないもので……ではその、頂きます」

「うん」


 少し恥ずかしがりながら彼女は、サンドイッチを受け取る。恐る恐る一口食べると、一気に目を見開いた。

 仙太郎は思う。誰かに自分の料理を食べてもらうの、本当に久々かもしれないと。

 その時浮かんだ光景に胸が苦しくなって、つい目を伏せる。だがすぐに上げた。理由はとても簡単。


 彼女の胸がアップになり、さすがに見ていられなくなった。初対面でジト目はない。

 仙太郎は確かに排他主義だが、一応男なので生理現象くらいはある。本人はそこの辺り嫌悪しまくっているが。

 自分の甘さに仙太郎が悩んでいると、彼女は嬉しそうに二口三口とかじりついていく。


 割りと遠慮ない食べっぷりに、仙太郎は感心してしまった。

 これくらいの年だと、妙にカワイ子ぶったりするのに。本当に食べる事が好きなんだと感じる。


「シンプルだけど、とても素敵な味。パンのふわふわとレタスのしゃきしゃき。
コロッケのザクザクとじゃがいものうまみ――食べていて楽しいサンドです。
お肉はひき肉ですね。量が多めだから、とても肉々しい。でもカレーがスパイシーだから、重くはない。
酸味が加わっているから、これはヨーグルト……カレー粉もご自分で調合されたのですか?」

「分かるの!?」

「はい。なんとなくですけど」


 仙太郎はあ然としてしまった。味覚まで確か……珍しい感じがして、ついドキドキとする。

 しかも彼女は自分を真っすぐに見て、本心を伝えてくれる。嘘やお世辞などはない、真っすぐな気持ち。

 会って二分も経っていない間に、少女の純粋さに仙太郎は魅入られていた。だが必死に堪える。


 自己嫌悪に陥りながらも、水筒のお茶を入れてあげる。それを彼女へ手渡すと、彼女は頬を上品に綻ばせた。


「あ、すみません」


 受け取った彼女はサンドイッチを一旦戻し、カップに口をつける。その時柔らかいピンク色の唇に目がいく。


「はぁ……このお茶も素敵です」

「ありがと」

「……あ、すみません。名乗りもせずに」


 お茶を飲んで落ち着いたらしい彼女は、慌てた様子でお辞儀。でも今更すぎである。


「わたし、ヒナ・ルイスと言います。交換留学でイギリスからこちらへ来まして」

「あぁ、それで」


 仙太郎は内心納得する。彼女を学内で見た覚えもないし、交換留学なら……そういえばそんな話をしていたような。

 そして推測通り、イギリスの子でもあった。ルイスというのは、イギリスでよくある名字らしいのだ。


「えっと……俺は来栖仙太郎」

「センタロウ――仙太郎さん、珍しい名前ですね」

「両親が好きだった漫画があって、それに出てくるうさぎから。そのまま取ったらしくて」


 ちなみに女性誌で、『ぴくぴく仙太郎』という漫画になる。……実は仙太郎、全巻持っていたりする。

 親が持っていたものは没収されたため、改めて買い直したもの。それも両親との絆になる。

 だがそれはどうでもいい話かもしれない。仙太郎はハッとしながら、両手で口を押さえる。


(なに言ってんの俺……初対面なのに)

「ぴくぴく仙太郎ですよね」

「……う、うん」

「やっぱり……! わたしもあの漫画、大好きになりました!」


 正直驚きだった。イギリスであの漫画売ってたのかと、あれこれ考えてしまう。

 だがそれも、彼女の笑顔を前にしては全て吹き飛ぶ。この男、もしかするとただのカッコつけでコミュ症かもしれない。


「……あ、いけない!」


 ヒナは左手で口を押さえ、仙太郎へまた頭を下げる。


「すみません、職員室の場所を教えていただけませんか!」

「職員室? それなら一階……あぁ、道に迷ったんだ」

「そうなんです!」


 太陽のような髪と、キラキラの瞳――仙太郎はとりあえず、食べかけのサンドイッチを渡す。

 彼女は意図をすぐ理解し、やや急ぎ気味に。でも美味しそうにサンドイッチを食べた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 来栖仙太郎という男は、人との関わりを嫌っている。徹底的に日常生活の中から排除して問題なしと判断する。

 だがこの男には甘さがある。お礼を断りきれなかった事もそうだし、今もそう。

 一階を目指して、結局屋上に来てしまった留学生を放置できなかった。その事は仙太郎自身がよく分かっている。


 なので手早く済ませよう。階段を転げないようエスコートした上で一階へ降り、職員室前へ難なく到着。


「ここだよ」

「あ……本当ですね。どうしよう、私……なんだか恥ずかしい」


 ヒナは恥ずかしげに両手で頬を撫でる。だが今更だと思う仙太郎だった。そうして彼女を置いて、そそくさと教室へ向かう。


「じゃあ、俺はこれで。あとは先生に」

「はい。あの……ありがとうございました!」


 丁寧にお辞儀してくる彼女へ、仙太郎は手を振って応える。それでももう、振り向いたりはしなかった。

 それなりに広い学校だ。もう会う事もないだろう。というか、できれば会いたくない。

 短い間に調子を崩されっぱなしなのが辛いらしく、無表情を装う仙太郎は苦い顔だった。


 ただ……短い食事の時間がとても楽しかった事だけは、感謝していた。それはきっと、仙太郎の心を激しく傷つけ続けるのに。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 そして仙太郎はまた家畜小屋で、目立たないように生きていく。もしかしたら必要のない事かもしれないと、胸の中で毒づきながら。

 確かに最近、昨日みたいな事が増えてきていた。数年――数十年かかるかもしれないと、先を読んでここへ入学した。

 その場合に備えは必要だった。だが自分の予測を超える形で、なにかが動き出している。


 そう感じてならなかった。もしかしたらここへ通う意味は本当に……だがそこを気にする余裕はなかった。


「――えー、彼女は交換留学でイギリスからやってきた」

「ヒナ・ルイスと申します。みなさん、よろしくお願いします」


 やけに達者な日本語で、彼女は自己紹介。教壇横で静かにお辞儀してくる。

 まさか同じクラスになるとは……仙太郎は苦虫をかみ潰す。確かになにかが動き出していた。

 それも自分にとってよくないものが。彼女は教室済みの自分に気づいて、笑顔を送ってきたのだから。


 そして一時限目の授業を終え、短い休み時間。当然外国からきた麗しい少女は質問攻めに合う。

 それも、仙太郎のすぐ隣で。本当になんの偶然か、仙太郎の右隣が彼女の席となった。


(最悪だ……!)

「でもルイスさん、ヒナって名前なんだよね。日本人みたい」

「私の母が日本人なんです。その関係で……日本にも何度か」

「あぁ、だから日本語上手なんだね。違和感全然ないもの」

「ありがとうございます」


 うるさくて溜まったもんじゃない。仙太郎でなくてもそう思うほどけん騒に満ちていた。

 彼女に興味があるのは男性だけではない。その柔らかい物腰もあってか、女性とも険なく彼女とのトークを楽しんでいた。

 仙太郎は頭を抱えつつ立ち上がり、気配を消しながら教室の外へ。


「あ、仙太郎さん」


 名前を呼ばれても止まらず、廊下へと出る。深く関わるつもりはない、同じクラスになったのだからこれでよいと判断する。

 それに仙太郎は急いでいた。……もよおしていたのだ。それも大きい方が。なので相手をする余裕がなかった。

 そういう事情がさっぱりなヒナは、黙って去っていく仙太郎に少しの寂しさを覚えていた。


「ルイスさん、気にしなくていいよ。アイツ、いっつもああだから」

「あぁ、とは」

「話しかけても無視するし、行事関係になるといっつも病気になるし……ぶっちゃけみんなから嫌われてるよ」

「あたしもアイツ嫌いー。クールぶってるかなんか知らないけど、感じ悪いしさー。
いてもいなくても同じっていうかー、むしろいない方がいいっていうかー」

「そう、なんですか?」


 どうやらクラスメート達にとって、来栖仙太郎の評価は散々なものらしい。ただヒナは少し違っていた。

 彼は人付き合いが苦手なように見受けられる。実際自分と話していた時もややしどろもどろだった。

 でも……彼に分けてもらったサンドイッチを思い出して、胸が温かくなる。でも同時に切なくもなる。


 母からこんな話を聞いた事がある。よく虫も食わない野菜は駄目と言われているが、それは勘違い。

 虫に食われた野菜は自己防衛のため、農薬以上の劇物を生み出す。いや、元からあるものをより強くする。

 考えてみれば当然の事だった、野菜だってむざむざ食われて死にたくなどないし、実際そういった生物は野菜以外にも多くいる。


 だが人は品種改良や農薬の使用によって、毒があっても人体に影響がないレベルまで落としていった。

 だからこそ我々は野菜を日常的に、安全に食べられる――と、以前読んだ漫画に書いていたそうだ。

 ヒナは思う、それは人も同じではないか。毒素を精神のマイナス面とするなら、来栖仙太郎はどうだろう。


 そうなってしまうだけの傷を負っているのではないだろうか。そう思うと、豊かな胸の奥が締め付けられる。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 一日はなんとか平穏に……訂正。騒がしく終わった。結局右隣はいつも騒がしく、仙太郎そのせいか腹の調子が悪かった。

 もしかしたらカレーだろうか。カレーは一日置くと菌が大量に増えるという。殺菌作用も完璧ではないそうだ。

 熱しても生き残る菌がいるらしく、そのせいで……いや、冷凍はしたはずだ。というか、それならヒナはどうなる。


 やはりストレスからだなと、仙太郎は一人帰路につく。


(本当に、今日は厄日だ)


 腹の具合もあるが、それだけではない。


(なんでいちいち話しかけてくるんだよ、アイツ……!)


 いちいちヒナが話しかけてくるのでかなり困ってしまったのだ。普通の仙太郎なら軽くスルーできる。

 しかし一度食事をした事で、妙に緩んでいる自分がいた。その原因なら分かっている。自分は、欲しているんだ。

 こんな自分を受け入れてくれる、そんな誰かを。そんな事、決して許されない……許してはいけないのに。


 それでは駄目だと、夕方の町を歩きながら首振り。こういう日は早々に帰って、プラモでも作るのが一番。

 最近新しい戦車プラモを買ったので、早速開封しよう。そう考えると仙太郎の胸が高鳴り、視線も前を向く。

 ……だがすぐに足を止め、困り顔で振り返る。 するとそこには、自分をつけてきたらしいヒナの姿があった。


 ヒナは笑顔で近寄り、仙太郎の隣を取る。それがまた、仙太郎を悩ませる。早足で進んでも、ヒナは仙太郎から離れない。


「途中までご一緒させてください。お家はこちらの方なんですか?」

「……俺に関わるな」

「よかった」


 明らかな拒絶だが、ヒナは嬉しいと言わんばかりに笑う。


「やっと話してくれました」

「俺がどういう奴かは聞いたでしょ」

「実に勝手なお話ばかりで、全て流してました」

「……お前、なにを知ってるっていうんだよ」

「知ってます。お名前と性別、姿見――それにあなたのお料理が美味しいというのは。
父と母の教えなんです。美味しい料理を作れる人に、悪い人はいないと」

「一族揃って食いしん坊とは」


 悪態づくものの、予測はしていた。朝の事を考えれば一目瞭然と言っていいだろう。それは恥ずかしいのか、ヒナが軽く身をよじる。


「そこにおせっかいというのも付け加えてください」

「面倒な」

「そう言わないでください。……ある人のおかげなんです。七年前」

「いきなりなモノローグと自分語りに入るなら、今すぐ消えろ」

「うぅ、仙太郎さんはキツいです」


 いきなり馴れ馴れしい。というか、これくらいのツッコミは普通だと思う仙太郎だった。

 とにかく自分には仲良くするつもりなどない。それを示すように速度を上げるものの、ヒナは難なくついていく。

 ――そんな二人を百メートル以上後方から、敵意も混じった視線で見張る影があった。仙太郎の焦りはそこにもあった。


 自分は決して明るくない身。まだ日本にきたばかりの、なにも知らない彼女を巻き込みたくはなかった。

 しかし下手に離れるとその影と視線が彼女に接近するかもしれない。仙太郎がそれを回避する道はただ一つ。

 彼女を連れたまま、影を払うしかない。しかしそれは不可能に近かった。そのため、仲のいい振りをするしかなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 吉山という刑事は一度『ワル』と睨んだものに対して、蛇のようにしつこかった。そして時代錯誤な荒っぽい捜査も辞さない構え。

 彼はそれを正義と信じていた。若い頃からたたき込まれた実戦捜査であり、いつの世でも通用するものだと。

 そんな彼が目をつけたのは……来栖仙太郎。実は似たような行方不明事件が、都内で頻発していた。


 その目撃者から恫喝に近い聞き込みを行い、ほとんどが空振りに終わった帰り……吉山は彼らを見かけた。

 一方的かつ独善的な『ヤマカン』から、来栖仙太郎が持つ異様な空気を感じ取った。普通に見れば彼女連れだ。

 高校生くらいの彼は、外人の彼女を連れて青春謳歌中。しかし吉山は。


(アレはただのガキじゃねぇ。俺にぁ分かる……ありゃ、正真正銘のワルだ)


 仙太郎の立ち居振る舞い、更に彼女に対しての距離感から、やましいものがあると断定。尾行し、正体を掴む事とした。

 
(事件に関係あるかもしれねぇなぁ。ちょうどあの男女な奴と同年代くらい……あぁ、間違いねぇ。しかも魔術師だ)


 あれから丸一日経ったというのに、未だに主犯の行方は不明。しかも上はそれでも問題なしと片づけようとしていた。

 現にニュースでは、全てが報道されたわけでもない。……納得いくはずがない、人一人がこの世から消えている。

 その原因は間違いなく来栖仙太郎にある。吉山の勘は余りに乱暴だが、その精度は極めて高かった。


 吉山は燻らせていた紫煙を払い、吸い殻を適当な溝に投げ捨てる。


「あー、ちょっとあなた」


 そこで後ろから声をかけられる。振り返るとライトグリーンの服を着た、作業員っぽい二人組の男が近づいてきていた。


「今、ポイ捨てしたでしょ。あのですね、路上での歩きタバコとポイ捨ては区内条例違反です」


 小うるさい。こっちは仕事中だってのに――そう思いながら吉山が去ろうとすると。


「ちょっと待った!」


 見回り員達が自分の行手を阻む。しょうがないので吉山は、警察手帳を取り出し突きつける。


「とりあえず捨てたタバコを拾って。携帯灰皿も差し上げますからそれに入れて……警察の方?」

「そうだ、今は捜査活動中だ。分かったらどけ」

「でしたらすぐ吸い殻を拾ってください。携帯灰皿も差し上げますので」


 作業員は銀色の携帯灰皿をさっと差し出してくる。それが吉山の逆鱗に触れ、人目を憚らず激高。


「いいか、俺は今尾行中なんだよ! てめぇら公務執行妨害でしょっぴかれたいか!」

「あのですね、警察の方だからって特別扱いはできないんです。区内の取り決めで違反金などは頂きませんが」

「空気を読めっつってるんだよ! てーかポイ捨てのなにが悪いってんだ! そんなもん掃除すりゃあいいだろうがよ!」

「それが駄目だから取り決めたんです。それも五年以上前からですよ? とにかく」

「うるせぇ!」


 吉山は作業員を突き飛ばし、道を開き走り出す。更に。


「てめぇらが拾え、馬鹿どもが!」


 人としての情けで、公務執行妨害には問わないでやろう。その代わり罵倒でお灸を据える。

 姿が見えなくなった二人を、吉山は必死に追う。本当に……本当に、生きづらい世の中になっていく。

 やれ荒っぽい取り調べはするな。やれ歩きタバコ・ポイ捨てするな――そうしていろんなものが縛られ、不自由になる。


 犯罪者相手に加減などすればつけ上がるだけだというのに。ポイ捨てなど、適当に掃除しておけば問題ないはずだ。

 一体なんのための税金だと思ってる。歩きタバコが危ないと言う奴もいるが、そんなものは気をつけておけばどうとにでもなる。

 それができない奴は相当な間抜けで、救いようがない。吉山はそうとしか思えなかった。


 そしてそんな間抜けのために、自分に足かせが付けられる。その事に対して、吉山は強い怒りを感じていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 尾行者は本当に馬鹿らしい。少し自分の思い通りにならなければ、すぐにどう喝する。

 流れる時代に対応できない、頭の悪い頑固者。来栖仙太郎にとってはそういう印象しかなかった。

 もちろん吉山が感情のままに吠えて、仙太郎にもきっちり聴こえていたせいだが。


 だがそんな頭の悪い奴だからこそ、チャンスがきたらそれは雪だるま式に大きくなる。

 ヒナが『朝のお礼にお食事でも』と言ったので、手近なラーメン屋に入る。それは喜多方ラーメンを出すお店。

 喜多方ラーメンというのは喜多方市発祥のラーメンで、豚骨としょう油ベースのラーメン。


 スープは博多ラーメンなどに見られる、乳白色ではなくしょう油系。コクもありながらあっさりとまとめられている。

 カウンターの奥まったところへ入り、店内入り口からは姿が見えないようにする。幸いな事に客もそれなりにいる。

 一時しのぎではあるが、不用意に彼女を巻き込まないで済む。仙太郎は内心ホッとしていた。


 ……入った店は喜多方ラーメン専門のチェーンで、都内や関東近辺にも多数出店していた。

 その中で仙太郎が気に入っているのはいわゆるチャーシューメン。ただしこの店、チャーシューが十枚以上も入っている。

 それも肉厚で食べごたえもあり、流行りのとろとろ系ではないしっかりとしたもの。


 通常のラーメンでも五枚は入っているので、ヒナはそちらを注文。見る人が見れば立派なデートだろう。

 ただその場合、間違いなく失敗プランだろうが。いきなりラーメン屋へ連れていかれて、喜ぶ女性もそういない。ただヒナは。


「ラーメン……あぁ、久しぶりです」

「……ラーメン、食べるんだ」

「こちらへきた時だけですけど。好きなのは味噌ラーメンです」


 このイギリス人、日本人の母親持ちとはいえ慣れすぎていた。更に風貌も客の目を引く。

 制服姿でへき眼金髪美人、スタイルもかなりのもの。スカウトマンでもいたら、即声をかけるレベルだ。

 尾行は撒けたようだが、今度は人目を引きつける。仙太郎にとっては散々な結果となった。


 それでも配膳されたラーメンを食べると、笑顔になるが。縮れた平麺にあっさりスープが絡んで、実に心地いい。

 更にチャーシューメンも脂身はとろとろ、しかし赤身は噛みごたえがある素晴らしい味わい。

 チェーン店ではあるものの、仙太郎にとってここのチャーシューは目標にすべきものだった。


「ん……おいひいです」

「ならよかった」

「このチャーシューがまた……ややぱさついているかと思いましたけどそうでもなくて、スープと混ざるとまたしっとりとして」

「厚さもあって、うまみもしっかり。ここのチャーシューが大好きでさ」

「だから山盛りなのですね」


 なおヒナは……外国人とは思えないほど、箸の扱いが上手だった。持ち方も奇麗で、ふだんから使っているのがよく分かる。一瞬仙太郎が。


(イギリスって、箸を使う国だったっけ)


 と思ってしまうほどだった。……仙太郎はそこで胸の痛みを覚える。また、一人じゃない食事をしている。

 それも会って間もない彼女と。それでも感じる心地よさが嬉しいのと同時に、忌むべき悪だとも憎む。

 それは、とても邪魔な感情だからだ。自分が決めたものを通すのに必要のない感情。


 それでも振り払えない甘さにへき易しながらも、二人は笑顔でラーメンを完食。スープまできっちり飲み干す。

 そう、笑顔だった。仙太郎は本当に薄く、不器用にだが……ヒナといる事で笑っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 食事を終え、店から出る。なお仙太郎がおごった……彼女は遠慮していたが、それでもと。

 忌むべき平穏、それに甘えながら、仙太郎もヒナをエスコートしていた。する事を望んでいた。

 そんな自分に少しだけ目を逸らしつつも、仙太郎はずっと気になっていた事を聞いてみた。


「家はどこ? 交換留学なら」

「親戚の家でお世話になっています。このまま歩けば十分ほどで」

「そう。じゃあ送ってくよ」


 自然と口から出た言葉に、ヒナが口元を押さえて優しく笑う。


「なに」

「やっぱり優しいなと」


 その言葉で仙太郎の顔が熱くなる。仙太郎は俯き、早足で歩き出す。ヒナはそれに平然とついていく。

 食事をした直後だからだろうか。二人の足取りは先ほどよりも幾分か早かった。


「きっとクラスの人達は、仙太郎さんのそういうところを知らないのですね」

「……もう話しかけるな」

「それは約束できません」

「なんで」


 そこで前方三百メートルほどの位置から、爆発音のようなものが響く。さらには銃声が連続発生。

 仙太郎の左腕が軋み、それがただの異常でない事を告げる。逆流してくる人の流れと悲鳴、それをかき分けるため仙太郎は走りだした。


「仙太郎さん!?」

「逃げろ!」


 簡潔に行動を指示し、更に速度を上げる。また、普通に町中……誰かに見られるかもしれない、そんな恐怖が生まれる。

 だがそれで止まれない。止まる理由など、とうの昔に捨て去っていた。人でない事など、もう受け入れるしかないのだから。

 しばらく走り――見えたのは赤い巨体。あえて例えるならイフリートだろうか。


 体から炎を迸らせ、壁際に追い詰められている男へ一歩一歩迫っていく。その男は……上げる悲鳴の質は。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 吉山は混乱していた。長い刑事生活の中で、こんな事は一度としてなかった。警察は――自分は絶対的権力者だった。

 いきなり黒いフードの人物が立ちふさがったかと思うと、その男は炎を放出。

 辺りにいる人を、物を吹き飛ばしながら化け物へと変身した。即座に銃を取り出し警告するも、敵には通用しない。


 更に躊躇いなく発砲するも、弾丸を眉間や首、心臓のある場所に食らっても弾かれるだけだった。

 悲鳴と炎がまき散らされる中、吉山は右に逃げながら連続射撃。だから吉山は気づいていない。

 弾かれた弾丸の何発かが、逃げようとしていた人々の頭や心臓を撃ち抜いている事を。


 周囲への配慮もなく放たれた弾丸は、幼い少女から母を奪う。老夫婦から健やかな余生を奪い、父親から息子を奪う。

 吉山にとって見えているのは異形の怪物だけ。正義の執行者である自分が、人の命を奪っているなどとは思いもしない。

 仮に思っていたとしても、それは正義を執行するための犠牲。緊急避難という言葉もある。


 吉山はそう結論づけるだろう。吉山の正義は独善的――悪にも等しいものだった。

 そして『イフリート』は吉山の独善性を見ぬいたかのように、左腕を振るう。それだけで熱風が生まれ、吉山の体は大きく吹き飛ぶ。

 スーツの各所が焼けながら、吉山は背にしていた店舗の二階部分へ激突。窓枠に背を叩きつけられ、そのまま地面へ落下した。


 体中の骨が軋み、その中でも右腕やあばらに痛みが走る。起き上がれないほどの苦しみで呻き、吉山が血を吐く。


「なん、だ。てめぇは……!」


 それでも吉山は落とした銃を左手で取ろうとする。そこでイフリートが右手人差し指で銃を指す。

 ただそれだけで光が走り、銃が炎に包まれた。さほど経たず、金属製であるはずの銃は焼失。

 弾丸も暴発するが、それすらも炎に飲まれる。それは吉山にある答えを理解させる。


 この存在は余りに圧倒的。自分は――絶対的強者は意味を成さない。怪物は、確かに存在していた。

 だが吉山はそれを認めない。警察官とは正義の執行者。よって敗北はあり得ない。

 例えなにがあっても……そうして立ち上がろうとする吉山へ、イフリートは咆哮。


「そこを、動くな。お前を逮捕、する。人、殺しがぁ」

『人殺し? ……それはお前だろうがぁ! よく見ろ!』


 イフリートが悲鳴に近い声を上げ、吉山の独善で死んだ人間を指す。それは焼かれたからではない。

 明らかに銃で撃たれ死んだものだった。傷つき倒れた縁者達は、それでもなお理不尽な死を嘆いていた。


『お前が撃った銃弾で何人死んだ! これは俺じゃない、お前が殺したんだ!』

「いいや、てめぇだ! てめぇがこんなとこで暴れなきゃ、撃つ必要もなかったんだからな!」


 吉山は被害者遺族の前だと言うのに、立ち上がり咆哮。それでも笑い、悪を左手で指差す。その姿を見て、イフリートは悲しげに呻く。


『そうか、だったら壊してやるよ……全てをなぁ!』


 イフリートが巨大な体躯で踏み出し、地面を踏み砕き――否。融解させながら吉山へ迫る。

 そうして右拳が吉山へ打ち下ろされようとした時、地獄絵図へ黒い影が飛び込む。

 それはイフリートの右側頭部へ左フック。拳を振りぬくと、自分より二回りも上な巨体を他愛なく吹き飛ばした。


 吉山が意識もうろうでなければ気づいていただろう。体を包んでいたはずの炎が、拳の一撃を受けた途端消え去ったのを。

 イフリートは二十メートルほど転がるも、頭を振りながら起き上がる。そして襲ってきた影と対面。

 吉山も切れかけた意識の中で驚がくする。その影は、自分が獲物と定めたワルだった。



「ほんと多いよね。この街は……こういうのが」


 そこで吉山は腹に衝撃を受け、吹き飛びながらドアに叩きつけられる。来栖仙太郎に蹴られたのだと気づいた時には、また地面に倒れていた。


『邪魔を、するなぁ』

「お前の言う通りだ。確かに壊さないと」


 仙太郎は周囲を改めて確認。積み重なった死と破壊の跡に、僅かに顔をしかめる。

 それでも冷酷に――冷酷であるよう念じながら左手を体の前にかざす。


「全てを」


 イフリートに見せつけた手の甲に、黒い渦巻く文様が生まれる。それに青の文様が続き、二色の螺旋は回転。

 それを振るい、身体は風に包まれ変容。その本質を晒し、仙太郎は風を斬り裂く。

 その姿にイフリートが動揺し、後ずさる。更に驚く影が二つ……たった今、意識の切れた吉山。


(仙太郎、さん?)


 更に逃げろと言われたのに、追いかけてきた彼女だった。彼女は決して、仙太郎の指示を無視したわけではない。

 ただ人当たりこそキツいものの、本当は優しい同級生を連れ戻そうとした。逃げるなら一緒にと考えていただけだった。

 だが仙太郎はそれに気づかず、自分の本性を晒した。そこでヒナは、全てを察する。


 これこそが来栖仙太郎――人を遠ざけ、孤独であっても背負うもの。胸のうちに抱える覚悟を示すもの。


『お前……!』

『これより』


 だからこそ仙太郎は左腕を逆風に振るい、自分の同胞を指差す。


『裁きを始めよう』


(二品目へ続く)






あとがき


恭文「というわけで、オリジナル話枠だけどどうもー。蒼凪恭文と」

古鉄≪どうも、私です。こちらはいろいろ構想を温めていた、作者のオリジナル話……第一話です。
なお第一話という事で、ふだんよりちょっとだけ長くなっております≫


(ドラマでよくある十五分延長みたいだね)


恭文「とりあえず見ていただいた通り、作者がとまとをやる中で培ってきた『食+異能+アクション+井上先生リスペクト』を詰め込んだお話。
まぁ五万Hitごとにやれたらいいなーとか思いつつ……というわけで軽く解説を。当然僕やアルトなどがいない世界ですけど」

古鉄≪構想している間に、ファンタジーやら学園ものやらあったんですけど、結局今までやってきた事の延長線上。
ご覧の通りいろいろ縛られた魔術が存在する現代社会。正体不明の怪物が密かに暴れる中≫

恭文「そんな怪物でありながら、同じ怪物を倒す来栖仙太郎。平和利用『しか許されない』魔術師達、警察はいかに怪物が起こす超常犯罪と立ち向かうのか」


(……適当に書いたものなのに、言い方次第で面白そうに聴こえる罠)


恭文「そういうものだよ、宣伝は。でも異能アクションが絡みながら、中二的破壊攻撃とかがあんまりない罠」

古鉄≪最初の決め手が首折りですからねぇ。サミングとかしましたよ、この主人公。というか左手、首折り以外は使ってないんですよね≫


(来栖仙太郎、戦闘スタイルは映画『ブラックダイヤモンド』の、ジェット・リー扮する『ダンカン・スー』がモチーフです。
映画ないでは本当に強い相手以外、左手はポケットに入れたままアクション……それがかっこよかったので。
もっと言えば『沈まれ、俺の左手……!』状態かもしれない)


恭文「決まってないんかい!」

古鉄≪でも実際書いてみると、左手が使えないからわりとアクションしにくいという……武器があればいいんでしょうけど≫


(『検討中です』)


恭文「このために武内さんを呼ぶなボケがぁ! ……とにかく、わりと不定期ですけど調整しつつ掲載していければと思っております」

古鉄≪まぁご覧の通り仮面ライダーなどを参考にしていますので……当然アレとかソレとかも予定しています。
首折り主人公の来栖さんがどう変わっていくか、ご期待いただければと≫

恭文「あれだよね、中村悠一さんボイスになって、首を置いてけーって言うようになるんだよね」


(そんなわけはない。
本日のED:ONE OK ROCK『アンサイズニア』)


あむ「……でも金髪ヒロイン。アンタ」

恭文「僕に言うな! 今回は僕、一切絡んでないからね!? いや、まじで!」

もやし「……ここがイレイジの世界か」

あむ「アンタより絡みそうな人がこっちにいたー!」

恭文「公式的にもマジで旅人だしなぁ。でも……士さん、登場が速すぎます」

もやし「そうか。なら……ここが牙狼の世界か」

あむ「それアンタの中の人が出てるドラマじゃん!」


(おしまい)







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あきゅろす。
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