小説(とまとVer2020軸:劇場版リリカルなのは二次創作)
第43.8話 『道化師の涙』
魔法少女リリカルなのはStrikerS・Remix
とある魔導師と古き鉄と機動六課のもしもの日常Ver2020
第43.8話 『道化師の涙』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――西暦二〇二〇年≪新暦七五年≫八月三日
東京都豊島区 蒼凪家近辺――
な、夏は鬼門……同時にこう、なんていうか……あの、自分の業を散々突きつけられて……!
それにあの、ギンガさんも……凄く情熱的で、マズい……どんどん深みにはまりそうです。
ただ……そんな夏なんだけど、だからこそのイベントも起こっているわけで。
「サーカスかぁ……!」
家から少し歩いたところにある大型公園。
僕とアルトがミッドで楽しくドンパチしている間に、そこには大型のテントが設置されていた。
黄色に縞模様……三年前にも見た風景なので、ついにこにこしてしまう。
「子ども達の夢を運んで、町から町へ……夢のある仕事だよねー」
≪声優さんも夢がある仕事なんですけどねぇ≫
≪なのなの。子どもから大人まで、たくさんの人に夢を与えているの≫
「夢というか、最近は萌えの比率が高くなっています……はい」
それは僕と一緒に……縁でテントを見上げる女の子≪真知哉かざね≫も同じだった。
「あたしも見に行けるかなー」
「忙しいのは大丈夫なの?」
「まだまだ新人故に、それなりに暇の確保はできちゃうんだよ……」
「生活、できているよね」
「それは大丈夫。まぁ余暇はその分勉強に回したいし……だから一緒に、見に行こうね」
「……うん」
暑い中ジッとしているのも辛いので、すっと立ち上がり……伸びをしながら帰路に就く。
かざねもそっと手を取ってくれて……それが嬉しいやら、申し訳ないやらという気持ちを感じながら、優しく握り返した。
「でもさ、三年前ってことは……ショウタロス達も」
「そのときは一緒に見たよー。……ヒカリは猛獣使いのシーンで必ず気絶するの」
「あの子恐がりだったからなー。でも、アンタがこういうの好きだったとは」
≪そのとき空中ブランコをやっていたのが、この人好みのオパーイを持っていたお姉さんなんですよ。
というか、大体素敵なオパーイ目当てでショーやらサーカスやらを練り歩き……≫
「あのお姉さん、元気かなー」
「………………へぇ…………」
≪……主様は小さな頃から主様だったの≫
あれ、かざねが怖い! というか手が……手が痛い! 逃がさないと言わんばかりの怒りを感じる!
「その人、当然大きかったんだろうなぁ」
≪ギンガさんくらいありましたね≫
「やっぱりアンタ……!」
「違う! かざね、前にも言ったでしょ?! 大きさじゃない……オパーイは大きさじゃないんだ! 魂が大事なんだ!」
「だ、だったら……あたしのでも本当にいいんだね!? いろいろ見せておいて、今更だけど!」
「当たり前じゃん! かざねはとっても素敵だよ!
その……あれからいろいろ素敵な出会いもたくさんあったのに、独り占めしているのが……申し訳なくなるくらいで」
「それは、あたしが納得しているから! そこは話したでしょ!?
だから、それなら…………」
かざねは住宅街への路地を歩きながら、周囲を気にして……そっと、僕に耳打ちしてくる。
「……ちゃんと、行動で……示してよね?」
「……うん」
そうだね、行動は大事だ。いや、別にエッチなことじゃなくて、こうして一緒にいるときも…………。
「…………あの、すみません」
……すると、そこで後ろから男性の声がかかる。
「あ、はい…………!?」
かざねが一瞬固まるのも仕方ない。……振り返ると、そこにはピエロがいた。
ライトイエローに青の水玉模様が眩しく、顔の化粧は……凄いなぁ。汗で崩れそうなのにビシッと決まっている。
瞳から零れる涙っぽい化粧もちょっとキュートって、そう思った。
でも夏にしては暑そう……見るとところどころ風通しがいい素材だし、実際は肌が日に当たらない分涼しいのかもしれない。
「この辺りに、孤児のための施設があるって聞いたんですが……」
「もしかして、水谷公園のサーカスさんですか」
「あ、はい。そうです」
「……恭文」
「それなら多分、愛育園……かなぁ」
「あ、そうです!」
≪タカちゃんのところですね≫
愛育園というのは、うちの町内にある特別養育施設。
キリスト系教会と隣接する形で作られた施設で、そこのタカちゃん……次山貴樹(つぐやま たかき)って人とも仲良しなんだ。
実は僕がいろいろやらかしていた不良時代も、舞さんに引っ張られて少しお世話になっていて……。
「それなら案内しますよ」
「よろしいんでしょうか。なにかご都合があるなら、道を教えていただくだけでも」
「あ、あたしは大丈夫ですよ。ちょうど帰り道だったので」
そこでかざねを気にするけど、かざねも問題なしと胸を張る。
「ね、恭文」
「うん」
「ありがとうございます……では、お時間があるようでしたら、少し見てもらえれば」
「見る?」
「せめてものお礼ということで」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――愛育園の園長さんやちびっ子達にも挨拶しつつ、ピエロさんをなんとかエスコート完了。
それから十数分後……太陽も照りつける中、子ども達も、職員のみんなも、僕達も笑っていた。
「それそれそれそれー!」
「あははははは!」
「すごーい!」
おぉ……見事なジャグリングだなぁ。ピン五本を軽々と、それも頭や鼻先も使ってひょいひょいと……。
「なるほどねー。子ども達のために、特別講演と」
≪なのなの……みんな楽しそうなのー≫
≪夏の日差しも、この熱気には負けますね≫
「ん……」
みんな、目をキラキラさせているもの。あんな間近でサーカスのパフォーマンスを見られたら……そりゃあ嬉しいだろうなぁ。
「ピエロさんすげー! あ、でもでも……やすにぃも負けてないんだぞ!」
「やすにぃ……あぁ、ボクを案内してくれたお兄さんだね!」
「そうだよー! やすにいさん、凄い事件を何個も解決した忍者さんなんだから!」
「……!」
あれ、ピエロさんが級に硬直して……ピンの回転が乱れるけど、すぐに立て直し、全てを回収する。
「に、忍者……さん? え、それって第二種とか、第一種とか……」
「そうだぞー! 俺達とあんま変わらないちっちゃさだけど、すげーんだぞー!」
「待て! 僕はおのれらよりは大きい!」
「恭文、大丈夫……対して変わらない」
「かざねー!」
「す、凄いですね! いや、ボクもてっきり子どもさんかと……あ、いや失礼!」
「いえいえ……というかみんな、せっかくピエロさんが頑張ってるんだし、邪魔しちゃ駄目だって」
『あ、はーい』
そうして――改めてジャグリングやアクロバティックなダンスを披露して……。
「……はい! じゃあ続きは、サーカスに見に来てね!」
ピエロさんは一礼。脇に置いていたバックを開いて、探り……。
「あ……でも、ぼく達のお小遣いじゃ」
「大丈夫! ……じゃーん!」
ピエロさんは扇状に、カラフルなチケットを展開する。
「このチケットをプレゼントにきたのさ!」
『わー!』
「このチケットは、みんなの先生達に大事に預かってもらうから……安心していいよー」
『ありがとう、ピエロさん!』
「いいんだよー」
そっか……こういうからくりだったのかと、知り合いの根岸先生を見やると、先生はショートカットの髪を揺らしながら、小さく頷く。
「あ、でも見るときは、ルールを守ってお行儀よくね?
見ている人みんなも、サーカスを手伝ってくれる大事なスタッフさんなんだ」
「おれ達も?」
「みんなが知らない人達とも、楽しく仲良く見ていてくれることで、ボク達も嬉しくなって、もっともっと頑張れるんだ!」
≪えぇ。ピエロさんの言う通りですよ≫
≪サーカスの成功は、みんながいい子で見守っていられるかどうかにもかかっているの。みんなでサーカスを成功させるのー≫
『はーい!』
「うん、いいお返事だ!
じゃあ…………そんなみんなには、ボクからお礼! やっぱりもうちょっとだけ続けちゃおうかな!」
『わー!』
そうして始まるアンコール。すぐに終わる夢のような時間。だけど、胸の中に残るのは、永遠に等しい煌めき。
……これはみんな、きっと楽しみで夜も眠れないだろうなぁ。僕もいろいろ覚えがあるよ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
愛育園のみんなとは笑顔で別れて、ピエロさんと一緒に歩く……自然と、足並みが揃ってしまった。
「でもサーカス団って、いろいろ大変なんですね……。
パフォーマーさん自らチケットを売り歩くなんて」
「まぁ、うちは有名処というわけでもありませんから。みんなそれぞれにできることはーって感じです」
町から町へ練り歩くサーカス団だけど、さすがに根無し草的な旅暮らしだけでやっていけるわけがない。
かなり特殊な部類ではあるけど、ビジネスとして成立させるため、幾つかの役割があるんだ。
たとえばこのピエロさんが参加している影館サーカス団は、大きく分けて六つ。
いわゆる業務の拠点となる本社。
現地の設営などを担当する営業。
それとは別に、次の開催地へ一足早く向かい、準備する先発営業組。
ピエロさんや先輩達のように、ショーに出てパフォーマンスを行うパフォーマー。
音響や証明などの技術スタッフ。
そして接客などを中心とする、アルバイトスタッフ。
ただまぁ、それでもピエロさんが今言ったように、できることはみんなで協力してっていう……こぢんまりとした家族的組織ではあるみたいだけど。
「とはいえ、昔と違って子ども達の娯楽も増えましたからね……。
むしろサーカスを見に来るのは、大人の方が多いかもしれません」
「あたし、それはちょっと分かるかも。
設営していたところを見ただけでも、なにかが起こりそうでついワクワクしちゃうし」
「子どもも楽しめて、でも大人もそういう懐かしさを思い出して、喜んでもらえる……そんなショーを心がけてはいますが、まずは見てもらわないとって感じです」
≪夢を売るのも楽じゃありませんねぇ……。この真夏にその格好で練り歩くんですから≫
「……っと、すみません。いろいろ手伝っていただいたのに、こんな愚痴のような話を」
「あ、それは大丈夫ですよ。あたし達が聞いちゃったんだし……っと、そうだ」
かざねがこっちを見やるので、問題なしと頷く。するとその柔らかい手が、パンと叩かれて……。
「今、チケットって何枚残ってますか?」
「えっと……まだ四十枚近く」
「だったら……恭文」
「それくらいなら、捌けるかもしれません」
「え!?」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――そうと決まれば行動開始。お互いどれだけ売り上げられるかという勝負に発展したので……まずやってきたのは765プロ!
『…………サーカスゥ!?』
「そう! たまには童心に返って楽しむのもいいものだよー。
一枚二千円……お買い得だよー! さぁ買った買ったぁ!」
「いや、恭文君!? 状況を分かっているわよね! というかあなた……いろいろトラブル抱えて、大変な状況じゃない!」
「そんなときだからこそ、楽しいことを忘れちゃいけないんですよ」
「論破しないでー!」
「まぁまぁ律子くん……だが、サーカスかぁ……いいじゃないかー。
私も若い頃は、ちょくちょく黒井や音無くんと見に行ったもいのだよ」
「行きましたよねー。パフォーマンスの基本と極意があると、お二人とも断言していて」
おぉ、社長と小鳥さんは早速乗ってくれるか。それならよかったよー!
……他も巻き込みやすくなるからね! なので唖然としている春香達にも、チケットを並べて迫る……迫る!
「みんなもどう!? それなりに開催期間はあるから、スケジュールには合わせていけるよ!」
「それはよきことです。夢幻のような幻想世界……堪能させていただきます」
「あのあの! 長介達も誘って大丈夫ですかー!?」
「大丈夫だよー! なお四歳以下の子は無料です!」
「やったー! ありがとうございますー!」
「でも夏場だし、熱中症には注意しないといけないわよ? 小さい子は特に体力が怖いんだから」
はしゃぐやよいを窘めながら、伊織がこちらを訝しげに見やる……。
「でもアンタ、どういう風の吹き回しよ。いろいろ準備してたんじゃ」
「夏は堪能するってことだよ。
じゃあみんな、それぞれ都合を付けていくってことで」
『はい!』
「ちょ、アンタ達……もうー!」
「まぁいいじゃないか、律子。社長達が勉強になるって言うならさ」
「まぁ、そうですね……」
よし、律子さん達もOKだ。こっちは問題なし……と思っていたら、携帯に着信。
かざねからの電話なので、すぐに出る。
「もしもし、かざね?」
『恭文、どうしよう……チケットってあと二十枚くらい追加できるかな!』
「どうしたのよいきなり」
『養成所や事務所のみんなに声かけしたら、それを聞きつけた現場の先輩達やスタッフさんも行きたいって言い出してー!』
「なんですとー!?」
え、それで二十枚追加!? 半数を飛び越えてかざね一人で売り上げた感じ!?
『それがさ、あたしも実は……中原さんに聞いて知ったんだけど』
「中原さんに?」
中原さん……〇〇年代前半から活躍している女性声優さん。それも一線級で活動し続けているベテラン枠。
でもそれだけじゃあない。草薙まゆこ……仁村真雪さんの作品に、ヒロイン枠で何度か出演している。
実はその真雪さんは海鳴のさざなみ寮ってところに住んでいて、僕とも知り合いでね。その絡みで何度かお会いしたんだ。
まぁ、キッカケが上京する真雪さんのガードだったから、ファン根性封印だったんだけど……それでも顔を合わせれば多少気心は知れるもので。
しかもヴェートルでの事件後、かざねも出ていたアニメで顔見知りになり、僕と親しいという事実が判明して……揃ってとてもよくしてもらって。
『あの影館サーカス団って、地方巡業を中心にしている小規模なサーカス団……なのは間違いないんだけど、最近注目株なんだよ。
業界でも見た人がこぞって絶賛していてさ。チャンスがあれば行きたいなーって人が多かったみたいで』
「あぁ、そういう……確かにピエロさんのパフォーマンス、堂に入っていたからなぁ」
『でしょ? あれで入団三年目って信じられないもの』
でも中原さんが…………そうだ、あれはなにかの夢だ。
だから…………大丈夫、大丈夫、僕は大丈夫。
――やっくん、落ち着いて聞いて?
ゆかなさんとか、Try Sailさんとか、雨宮天ちゃんのライブ、何度も行っているよね。
それこそリリースイベントとか、テイルズのイベントとかもだけど――
――はい! …………って、なんで中原さんが知っているんですか――
――噂になってるから――
――は……!?――
意味が分からなかった。全く意味が分からなかった。
――え、待ってください。ネットとかでこう、目立つ行為をしたから炎上とか……ですか? こう、家虎的な――
――ううん、それは大丈夫。すっごくマナーよく見ているのは、私達も知っている――
――知っている!? 私達!?――
――……やっくん、目をすっごくキラキラさせて、舞台を見てくれる子って感じで覚えられているの――
そうだ、あれは違う……あれは、何かの……誤解だ……!
――特にゆかなさんには……毎回ライブに来てくれて、ずーっと舞台を見上げて、星みたいな輝きを送ってくれる子だよーって――
――そ、そんな……あの、あの……あのー!――
――あら嫌だ……覚えもめでたいというやつですか? よかったですね――
――そうだねー。まぁ問題があるとすれば、やっくんが幽霊扱いなことかな――
あれは、何かのジョークだ。ジョークなんだ……。
――…………幽霊ですか?――
――いや、私はまゆこ先生絡みで知っていたから盲点だったけど……成長期が来ていないでしょ? この子――
――え……――
――それが六年とか変わらずだから、さすがにみんな不思議がってね。それでもしかしたら幽霊って噂が――
「…………いいやぁぁあぁぁあぁぁあぁああぁぁあぁぁぁぁぁ!」
『ひぃ!?』
「アンタいきなりなによぉ!」
ヤバい、思い出したら寒気が……幽霊だと思われていた誤解がぁ! もう立っていられなくて、床に平服!
「嘘だぁ! あんなの嘘だぁ! ただ見ていただけなのに……ゆかなさんや雨宮天さん達に幽霊だと思われていたなんてぇ!
いや、それはまだいい! 問題はそれで、ライブに……イベントに行くだけで、怖がらせてぇ……怖がらせてぇ…………!」
『中原さんって辺りで、トリガー引いちゃったかぁ……!』
≪え、待つの。主様……そんな業を背負っていたの!?≫
≪……背負っていたんですよ。そして触れたらこれですから、私も手に余っていたんです≫
嫌だ、嫌だ、嫌だ……思い出したくなかったのにぃ! あれでライブとか行きづらくなって……それでも次は行こうって決めていたのに!
鷹山さん達も滅茶苦茶気を使ってくるし、サリさん達も乗っかってきたし! それでトラウマ払拭するまではって……そう思っていたのにぃ!
「アンタ、まだそれ気にしてたの!? 聞いてからかれこれ二年くらい経つとか言っていたじゃない!」
「いや、伊織……一生物のトラウマだぞ。特に恭文にとっては」
「面妖な……」
「でも実際、お客さんの顔ってよく見えるんだよねー。
私もアイドルになって、本当だって分かったし……って、そうじゃなくて!」
「そうよ! ほら、しっかりしなさい!」
伊織、春香、そんな……やめて。首根っこを掴まないで。せめて落ち込む時間くらいはちょうだい。
「しっかりしなさいよ! 電話中なんでしょ!? 相手の子も困り果てるじゃない!」
「そうですよ、プロデューサーさん! かざねさんの存在は、千早ちゃんにとっても希望なんですから! 大事にしないと!」
「……春香、ちょっと話し合わない? 屋上で三時間ほど」
『あたしもそれ、どういう意味か是非聞きたいなぁ……!』
「あれー!?」
…………あれ、どうしたんだろう。
心が砕けている間に、千早がなぜか両手で胸を押さえて…………。
「くっ……」
ねぇ、待って。みんな、これは一体。
『………………』
……顔を背けないで!? 千早が、仲間が瘴気を放出しているんだよ!?
それにほら、かざねも……電話越しから呪詛っぽい声が響くし! これは何事!? 何事なのかなー!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――どうにかかざねと千早を宥め、ピエロさんにも追加チケットを発注してもらい……それぞれ頑張った結果。
「えー、僕は三十七枚……」
「あたしは五十八枚!」
「「こちらが売り上げとなります! どうぞご確認の方、よろしくお願いします!」」
工業用テント……そこに設置された臨時事務所内で、売上金を丁寧に……きっちりと封筒に入れて、上納することになった。
「い、いえ! あの……本当にこの暑い中、お手数をおかけしまして! ありがとうございます!」
『ありがとうございます!』
その結果ピエロさんはもちろん、団長さんや他のパフォーマーさんにも平伏される勢いで……どうしよう、ちょっと心苦しい。
僕達、完全に勢いで、勝負のノリでやらかしたからなぁ。まぁ、情けは人のためならずってね!
「本当になんと、お礼を言えばいいのか……」
「あ、そっちは最高のショーを見せてもらえれば……みんなそれを期待していますし!」
「かざねの言う通りです。僕達も楽しみにしていますし」
「はい! では、一座一同全力を尽くすと約束します!
……みんな、また夜の練習は気合いを入れるぞ!」
『はい!』
「とくにやっさんは、綱渡りを頑張らないとな! まだ成功確率二割とかなんだぞ!」
「気合いを入れます!」
これなら大丈夫かなとワクワクしながら…………ん?
「「やっさん……?」」
「あ、コイツのあだ名なんですよ。康茂唯留(やすしげ ただる)でやっさん」
そこで割腹のいい団長さんが、ぱんとピエロさんの肩を叩いて……なんという偶然!
「わぁ、それ偶然だよ!」
「えぇ! 僕も名前が『やすふみ』なので、やっさんとかやっちゃんとか呼ばれることがあって!」
「そうだったのかい! いやー、運命の出会いだよ! ダブルやっさんだ!」
「あはははは、本当ですねー!」
≪でも綱渡りなんてやるんですね……。空中ブランコに次ぐメインイベンターじゃないですか≫
「実は今回初挑戦なんだよ! なのに……惜しいなぁ。三年でかなりよく鍛えられたってのに」
すると団長さんが、少し不思議なことを言いだして……。
「いやね、田舎のお袋さんが病気で……ちょっとヤマが来ているらしいんですよ。
それで今回の公演を終えたら、うちからは退団って形になってしまいまして」
「だ、団長!」
「なのでまぁ、本当に有り難いんですよ。辞めて迷惑をかける分できることをって、率先して走り回ってくれましてね……!
やっさん、この方達のことは絶対忘れるんじゃないぞ!
それで……まぁまた食い扶持に困ったら、いつでも戻ってこい」
「団長……」
「そのときは錆びた分、きっちり鍛え直しだけどな!」
「……はい! ありがとうございます!」
あぁ、なるほど。だからみんな……康茂さん、本当に愛されているんだなぁ。
僕達との縁も、そういう努力が呼んだものだって、疑っていないもの。
つい胸の中がほっこりしていると、団長さんがにんまりとこっちに笑ってくる。
「というわけで……まぁまぁハラハラするだろうけど、どうぞ応援してやってください」
≪≪「「はい!」」≫≫
そんなダブルやっさんの出会いで盛り上がりながらも、テントを出て……あぁ、すっかり夕焼け空になっちゃって。
でも、さすがにこの時間になるとちょっと涼しい。帰るまでいい夕涼みができそうだ。
「蒼凪さん、真知哉さん、本当にありがとうございます。
……このお礼は個人的にも……今度、お食事なり奢らせてもらうってことで」
「あ、それも期待しています!」
「かざねはそれなりに食べますから、お店は選んだ方がいいですよ?」
「アンタもね!」
「では、お二人も満足してくれるお店も見繕いますので」
そうして笑顔で手を振るピエロさんに見送られ、伸びをしながら帰路に就く。
チケットを売り歩く中で、お母さん達や束達も誘ったけど……早めに帰らないと、心配するよね。
ただその前に……。
「かざね、駅まで送るよ」
「あ、家までで大丈夫だよ?」
「……家? あれ、表現がちょっと」
「あたしもこの近辺に引っ越してきたんだよ。
……夢にまでみた上京だよ! 文字通りのね!」
「知らなかったんだけど!」
「ビックリさせようと思って。
……だから、家デートも……できるんだよ?」
そう言ってかざねは、少し頬を赤らめ……そっと手を握ってくる。ピエロさんと会う前のように、優しくだ。
「せっかくだししてみる?」
「そうだね……そうしたいのは、やまやまだけど」
「やっぱお父さん達、心配するかな」
「そっちじゃなくて…………そろそろ出てきてくださいよ」
住宅街の路地……その中で止まり、振り返り一声かける。
「いつまで尾行するつもりですか」
「尾行……!? ちょ、まさか」
「……あー、悪い悪い。邪魔するつもりはなかったんだが」
「ちょっと、タイミングが……な」
かざねが警戒するけど、大丈夫と背中を撫でておく。
……出てきたのは、かざねも知っている……黒スーツにサングラスの二人だから。
「……って、大下さん! それに鷹山さんも!」
そう、いつものあぶない刑事だった……! 気配から分かってたけどね!
「久しぶりだな、かざね」
「また奇麗になっちゃってー。いっつも見ているよー。
いろんなアニメに出て、声優雑誌でもグラビア撮っちゃってさー」
「ありがとうございます! ……でも、どうして」
≪そうですよ。わざわざ横浜から出てとか……≫
「……ちょっと、ついてきてくれ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鷹山さんに引っ張られる形で、僕達がやってきたのは……豊島区立総合病院。
なんとか歩きでも行ける距離にある、大型病院の一つだ。そこで鷹山さん達が木陰から見やるのは、車いすに乗った一人の少年。
夕方の散歩……看護師が車いすを押して、涼やかな風を受けているけど、その表情は決して明るくない。
「あの子は横田正一……七歳。
当時四歳だったあの子は、流れ弾に当たった」
「流れ弾……!?」
「二か月前に三度目の手術を終えて、ようやく歩けるようになっている……はずなんだけどさぁ」
「流れ弾、三年前……あの発砲事件ですね」
その話ならよく覚えている。豊島区……池袋で起きた事件だから、ふーちゃんやおじさん達も不安になってさ。相談を受けたのよ。
「かざね、豊島区のニューチャイナタウンは分かるよね」
「西口とか北口側の方だよね。うん、知ってるけど」
「中華系マフィアと元々池袋にいたヤクザやらカラーギャングやらが絡んで、その時期は要注意地帯だったんだよ」
池袋は都内屈指の繁華街だけど、それゆえに注意が必要な部分もあった。特に夜はね。
ただ……歩いていたらいきなり襲われるなんてレベルはさすがにない。
人通りの少ない場所や、薄暗いところへ近づかない。そういう近道より、明るく人が多い遠回りをする……護身の基本を守っていれば十分歩ける。
管轄の池袋警察も、そういう地点は重点的にパトロールをしているからね。
ただその時期は、ニューチャイナタウン化による影響から、新興の中華系マフィアやらも入り込んでね。情勢的に不安定なときだったんだ。
「それで三年前、そのいざこざが原因で、発砲事件が起きた。
そのとき、親とはぐれて裏通りに迷い込んだ小さな子どもが、その流れ弾に当たったんだ」
「じゃあ、あの子が……!」
「幸か不幸か、それ以外の被害は出なかったし、池袋警察の方で問題の各組織にも手入れが入った。
それで今は沈静化しているってのが定説なんだけど……鷹山さん、大下さん」
「お前とかざねが話していたあのピエロ……発砲の実行犯かもしれない」
…………鷹山さんの結論に、僕は目を細め、かざねは衝撃を受けたように震え始める。
「名前は安田繁(やすだしげる)。その親玉や所属組織、抗争相手だったマフィア連中は蒼凪が言ったようになんとか潰せたが……」
「当の安田繁当人は逃亡中のまま。
旅暮らしでピエロとして暮らすなら、顔も隠せてちょうどいいと」
「でも根拠は!? それだったらほら、他にもいろいろとサーカス団はあるし!」
「実は毎月、あの子の家に金銭が送られてきている。それもひと月に十万とか……多いときだと二十万、三十万って額だ。
その現金書留の消印が、影館サーカス団の興行地と一致している」
「なら、どうしてそれを管轄外の鷹山さん達が?」
「元々安田が所属していた暴力団は、横浜を拠点に置いていた組織だった……これだけ言えば十分だろ」
「……納得しました」
元々はそっちの担当だから、それで行方を追っていたと……。
でもそれだけだとどうも証拠が掴めないから、影館サーカス団がここにいる間になんとかしたいと考えた。
で、そこに僕とかざねが、カモネギを背負って飛び込んできたわけだ。そりゃあ気になって尾行くらいするよ。
「……そっか……だから、あのとき……」
「あのとき?」
「あの、愛育園って……児童養護施設に案内したんです。最初はそこがきっかけで。
そこでパフォーマンスをしている最中、恭文が忍者だって聞いたら、凄くビックリした様子で」
≪それにあのピエロさん、故郷のお母さんが具合悪いらしくて……今回の公演を最後に退団するって言っていたの!≫
愛育園での様子……あれも思えば不自然だった。そこに合わせたように退団話。一方的な情報という点を除くと、確かに怪しく感じる。
だから鷹山さん達も、訝しげに顔を見合わせて。
「……ユージ」
「いや、参考にならないと思うよ? 実際俺達だって……」
「そうだったなぁ……! コイツには騙されたクチだ!」
「あたしも初対面では、完全に勘違いしていました! だって骨格から女の子だし!」
「やかましいわ! 勝手に勘違いしたの、そっちだからね!? 僕は外見から男でハードボイルドだっつーの!」
「「「そんなわけあるかぁ!」」」
全力で否定された!? なにそれ! 僕が一体何をしたと! 一生懸命生きていただけなのに!
というかかざねについては……知っているでしょ、いろいろと! 僕が男の子だって!
「ま、そういうわけだからさ。ここは俺達に任せて、あまり近づかない方向で頼むよ」
「大下さん……」
「やっちゃんはともかく、かざねちゃんはいろいろ大事な時期だしね」
「そういうことだ。……じゃあ蒼凪、ちゃんと送ってやれよ」
「この埋め合わせは必ずするから。また」
そうして二人は、手を振り去っていく。その背中を見送ってから……僕達は自然と、あの俯いていた子を見やって。
「……恭文……」
「かざね、ごめん。家デートはまた後日に」
「一人で行かせないから」
するとかざねは、何かを見ぬいているかのように……まっすぐ、僕を見つめてきて。
「それにね、あたしも……あのピエロさんが、ただ逃げているような人とは、どうしても思えないんだ」
「かざね」
「仲間はずれにしないで」
……そこで振り払えないのが、僕の脆さなのだろう。
それはしっかり反省しつつ……かざねと手を繋ぎ合い、病院をコッソリと出た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――その人は、ピエロ姿で夜の町に立っていた。
木造のやや古い二階建て……その民家を、電柱の影から見つめていて。
PSAのツテで調べたあの子の自宅、きっちり見つけられて正解だった。
というか、もう……これ以上ないくらいに立派な答えだもの。
「……正一君を探しているのかな」
かざねがそう声をかけると、ピエロさんはびくりと震え、こちらに振り返る。
「あ、あなた達は……」
「……安田、繁さんですね」
ただ名前を出しただけでピエロさん……安田さんは観念した様子で項垂れた。
そんなピエロさんを引っ張り、近くの中華料理店に……個室を貸してもらい、その中で注文を待ちながら、状況を説明する。
刑事……というか、僕達の知り合いが目を付けていること。
影館サーカス団の興行先と、毎月送られてくるお金の消印が一致していること。
それだけではなくて、明確に……ピエロさんを安田繁当人だと断定するだけのものも、揃えているかもしれないこと。
ピエロなら他にもいるしね。それでなおこの人をってなれば、そういう話になるよ。
「そう、だったんですか……」
「あの……こういうことを聞くと、凄く駄目なのかもしれないけど……なんで、戻ってきたんですか……!?
普通に逃亡するだけなら、もっと早いタイミングで別のサーカス団に入るとか、そういうのでもよかったわけだし」
「それは、いいんです。捕まるのは覚悟の上……というより、捕まるために戻ってきたわけですから」
≪だから退団ですか。それできっちり影館サーカス団とは縁を切った上で、お縄を頂戴しようと≫
「はい……」
「……安田さん、僕は今回、第二種忍者としてここにはいません」
僕が第二種忍者ということはもう説明しているけど、それだけじゃないと……優しくそう告げる。
すると、驚いた様子で安田さんが声を上げて。
「まぁ本来なら、きっちり捕まえて……というのがポリシーではあるんです。
ただその前に、どうしてもあなたから話を聞きたいと思ってしまって」
「なぜでしょうか……」
「あなたは昼間、子ども達へのパフォーマンスで……心から楽しそうに演技していた。
みんなの笑顔が幸せだと言わんばかりに笑っていた。
……そんなあなたが、罪を後悔していないとは思えなかったので」
「あたしも同じです。でも、それはどうしてだろうって思って」
「…………あれから三年……あの子の悲鳴が、いつも耳の奥底に響いていました」
……安田さんは背筋を伸ばし、その悲鳴を……罪過を、強く両手で握りしめる。
「あのとき……あの叫び声で、初めて自分が馬鹿なことをやっているんだと気づいたんです。
自首も考えました。でもそれじゃあ、歩けなくなったあの子になんの申し訳も立たない……」
「それで、ピエロになって、稼いだお金を正一君に……」
「最初は、顔も隠せて逃げられて、金もそれなりに稼げる都合のいい仕事だと思っていました。
だけど……見てくれる人達が笑って、喜んで……そういうのを見ているうちに、感じ入るものが出てきて」
「……そうですね。それ……分かります」
「真知哉さん……」
「私、一応声優業をやっているんです。
それでステージとかも出させてもらえるようになったから……少しだけ」
「そうだったんですか……!」
だから笑顔に繋がった。仕事ではなく、誰かを喜ばせることに喜びを感じるようになった。
そうしてこの人は、愚かな自分から変わろうとして……抗って……楽なことばかりじゃない三年間を、過ごしてきたのか。
……いや、まだだ。まだ早すぎる……手錠をかけるとしても、それは。
「いや、でしたら……自分のような人間と関わってはいけません。
……蒼凪さん、せめてひと目……あの子に会わせてもらえないでしょうか」
「どうしてでしょうか」
「三年経って……あの子も、今は元気に走り回っているのだとしたら……その姿だけでも見たいんです」
≪なの……!?≫
あぁ……歩けなくなったのは知っていてもと。
だからアルトも、ジガンも……かざねも表情を歪める。
「……やっぱり、正一君のことはご存じなかったんですね」
「え……」
「正一君に会ってみましょう」
「……」
ピエロさんをまたまた引っ張り、やってきたのは本日二度目の……豊島区立総合病院。
「病院……!?」
家には帰宅した様子もなかったので、そのまま正一君のお母さんに面会を申し込む。
すっかり夕飯時も過ぎた中、お母さんはエプロン姿で……怪訝そうに僕達を見やって。
ただ、僕が第二種忍者だと説明したら、驚きながらも警戒を緩めてくれて。
「すみません……夜分も遅い時間にお邪魔してしまって」
「いえ……ですが、どうしてサーカスの方が……それに忍者さんに、声優さん……まで……」
「まず僕自身、お母さん達と同じ豊島区が実家なんです。仕事を抜きに、事件の件を聞いていたというのが一つ。
……それは三年前、巡業で近隣を訪れていた影館サーカス団さんも同じです。
そのため実は団員のみなさんも、気に止めていたそうで……」
「それで恭文とあたしは、今日ちょっとした縁でこちらのピエロさんと仲良くなりまして。
恭文は警察関係者として、あたしは……一応芸能関係者としてですね。
こういうお誘いがお母さん達への失礼になったりしないかと、相談を受けて……それでまぁ、付き添いという感じに」
「そうだったんですか……!
この暑い中、お忙しいでしょうに……ありがとうございます」
「い、いえ……」
ピエロさん……安田さんは顔を若干背けていたものの、すぐにハッとして、頭を下げたお母さんに首を振る。
「それで、ですね……僕達に相談したのは、バリアフリーの状況もあったからなんです。
正一君の足が悪いようなら、座席関係への配慮も必要だと……」
「忍者さんや声優さんは、そちらも詳しいんですか!?」
「僕は現場検証やなんかで、それなりに覚えちゃっただけです」
「あたしも……声優業で食べていく前は、舞台の設営や照明スタッフをやっていたことがあって。その絡みで多少詳しくて」
……ここは事実です。そっち絡みではかなり専門的な知識を持っているようで、照明の当て方から配線処理まで凄い詳しいのよ。
で、手が空いたら他のことも手伝う感じだったから、自然とそっちの知識も得て……何気にハイスペックな子です。
「それで正一君、お加減としてはどうでしょうか」
「えぇ……お医者様は、もう治すところはどこにもないと仰るんですけど」
つまり、手術は上手くいって……それにはホッとして、つい胸をなで下ろす。
「……嫌だ!」
そこで、お母さんが背にしていたドアから……リハビリルームから、子どもの叫び声が響く。
軽く見やると、歩行台の脇で崩れる子どもの姿……。
「もう、足が痛くなっちゃったよ……」
「でもね、正ちゃん……少しくらい痛くても、我慢しなくちゃいつまで経っても」
「いい! もう歩けなくていいもん!」
「正ちゃん……」
……補助していたお医者さんも、困り果てて……あの小さな子に寄り添っていた。
それにお母さんも、瞳に涙を浮かべて……。
「……立とうとすれば、立てないわけではないんです。
でもあの子には、その意思が……それができるという自信や気持ちがないんです。
もっと噛み砕くと、歩きたい……歩いてやりたいことが、あの子にはない」
「だから幾ら歩けるはずだって言われても、そういう後押しも空ぶっちゃうと」
「憎いのは、あの子をあんな身体にした犯人です……!
身体だけじゃない。あの子の意思を……その心を、人殺しの道具で壊したんです!」
「…………」
「…………すみません」
安田さんがぼう然とする中、お母さんは涙を払う……こんなのは八つ当たりだと、自分を律しながら。
「せっかく、正一を思って誘っていただいたのに……」
「いえ。こっちこそ辛いお話をさせてしまってすみませんでした」
「……なら、会場には車いすで……ピエロさん、そっちは問題ないかな」
「え……えぇ。最近の基準に乗っ取って作っていますので。
でも、改めてチェックはしていきたいと思います」
「だね。正一君が少しでも……笑って、楽しめるように……」
それがあの子に、勇気を与えることになるなら……そんな希望を込めて、かざねは、あの子を……崩れたままのあの子をジッと見つめた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ピエロさん……安田さんは、病院を出てから……近くの木に拳を叩きつける。
「…………私は…………なんて、浅はかだったんだ……!」
「安田さん……」
「お母さんが言う通りだ。
ただ金を送って、治るのを期待して……それだけで、それだけで……!」
絶望だろう……自己満足だったと。自分がやったことは、身体だけではなく心を砕く悪逆だったと。
三年の償いが否定される思いなのは分かる。だけど……ううん、だからこそ。
「……でも、安田さんは忘れなかったじゃないですか」
「でもそれだけじゃ!」
「僕も安田さんと同じです」
「え……」
「早く訪れた不良時代に、それはもう派手に暴れまして。随分泣かせて、傷付けてきました。
……忘れることが一番駄目なんです。その間違いから学び、変わることができなくなるから」
≪ある人にもそう言われましたね。それが罪を数えることだと≫
本来なら捕まえるべきなんだろう。何度も迷っている……だけど、そのたびに答えが出る。
今は駄目だ。この人が本当の意味で罪を数え、償いを果たすためには……もう一手必要だから。
「安田さんは、誰かを喜ばせたい……そう思えるようになったんですよね。
その答えまで放り出したら、本当に償えなくなりますよ」
「蒼凪さん……」
「……サーカスの……ここでの公演期間が終わるまでは、僕はあなたに対してなにもしませんから」
「うん、そうだよ……忘れちゃ駄目だよ! 無駄だったと言うなら、それも背負わなきゃ……本当に全部無駄になる!」
かざねも安田さんの肩を叩き、励ますように笑う。それでようやく……道化師は、笑顔を取り戻して。
「……そうですね。せめて……サーカスの初日には、あの子に……みんなに喜んでもらえるように、頑張らないと」
「うん!」
そうしてとぼとぼと……帰路につく安田さんを見送り、静かに息を吐く。
「……いろいろ、考えちゃう感じになったね」
「まぁね」
それを気づかわせたのか、かざねがそっと左腕に……ぎゅっと、鼓動を伝えるように抱きついてきて。
でも、かざねの方がちょっと背が高いから、なんか違う……僕が甘えているみたいに……!
「だけど、あたしも……今あの人を捕まえるのは、違うって思う」
「あれで反省もなく、”自己満足”に逃げ込むなら断行したけど……そうじゃなかった」
「うん……」
毎月十万単位のお金を振り込むんだ。あの人は三年間、自分のために使うお金すらなかっただろう。
それは確かに自己満足だったかもしれない。だけど、それを理由に”必死にやってきたんだ”と逃げてもよかった。
……よかったのにそうしなかったんだ。自己満足だったと……何も償えていないと、そう突きつけて、何かできればと前を向いて。
「なんとか、したいね」
≪差し当たっては、正一君……でもでも、どうするの!? さすがに犯人ですーってバラしたら大問題なの!≫
「……手はあるかも」
≪そうですね。というか、ちょうど被っているところがあるじゃないですか≫
「被っている…………あ!」
「そういうこと」
うし、そうと決まれば早速……安田さんには内緒で、団長さん達に話を通すか。
それで、上手くいけば……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――西暦二〇二〇年≪新暦七五年≫八月八日
東京都豊島区 豊島区立総合病院
今日も暑さが厳しい日……僕とかざねはまたまた正一くんと、そのお母さんにお見舞いをしていた。
「先日はどうも……。まさか、またお見舞いにきてくださるなんて」
お母さんがちらりと見やるのは、車いすに乗った正一君と話すかざね……。
「……え、お姉ちゃんってキラメイグリーンとお友達なの!?」
「そうだよー。怪人に捕まって声にされちゃったとき、助けてくれたんだー」
「わぁ、凄い凄いー!」
かざね、それは……いや、子どもの夢を守るためにはアリなんだろうけどさぁ。
え、でもマジなの? キラメイジャーの怪人として出たとき、キラメイグリーンのお姉さんと仲良くなったのって……え、マジなの!?
実は滅茶苦茶チェックしてるんだけど! キラメイグリーン可愛いなって、凄くチェックしてたんだけど! 凄い羨ましい!
「真知哉さん、声優さんとしては若手で人気の方なんですよね。私、恥ずかしながら検索するまで全く知らなくて……!
それに蒼凪さんも忍者さんとしては、相当優秀な方だとか……」
≪なの……?≫
≪あの、それは誰から聞いたんですか≫
「あぁ……先日お見舞いに来てくれた、横浜港署の刑事さん達から」
「……ダンディー鷹山とセクシー大下とか名乗ってましたか」
「えぇ。最初はびっくりしたんですけど、とても気さくな方々なんですね……」
お母さんはそのときのことを思い出してか、先日より明るく笑う。
「蒼凪さんとはいろんな事件を解決したと、正一に武勇伝を聞かせてくれて」
「えぇ。まぁ年は離れているんですけど、お兄さんみたいな、お父さんみたいな……でも仲間みたいな人達です」
そう明るく答えるけど…………内心、いろいろと締め付けられていた。
”あ、主様……!”
”私達が引っ込んでいないのも、バッチリバレていますね。もう時間の問題ですよ?”
”せめてあと一日はなんとかしたいんだけどなぁ……!”
それも安田さん次第にはなるけど……えぇいもう、こうなればなるようにしかならない! 行動あるのみだ!
「……それでですね、今日は正一君を、前夜祭に招待したいと思いまして」
「前夜祭?」
「サーカス会場です。実際に席も用意したので、大丈夫かどうか確かめてほしくて」
――そうして安全確実に車で移動し、やってきたのはリハーサル中なサーカステント。
客席の入り具合なども確かめた後……僕達は、脇のゲートから舞台上を見やる。
正一君が見上げるのは、細い綱の上にいる安田さん。
『よぉし……今の、最初の調子だ! もう一回!』
「はい!」
安田さんは一歩ずつ……バランスを取るためのボール付き棒を持ち、慎重に一歩一歩踏み出していく。
それを僕も、アルト達も、かざねも、お母さんも……もちろん正一君も、固唾を飲んで見守っていて。
「正一君、あのピエロのおじさんは……今度初めて、綱渡りをやるんだって」
「……」
「それで、毎日一生懸命練習しているんだけど」
……綱を三割まで渡ったところで、踏み出した足が……腰ごと崩れる。
「あ!」
安田さんは腰から崩れて落下……安全のためしっかり敷かれたマットの上に落下。
「もう一回!」
「はい!」
「……初めてだから失敗ばっかり」
多少の衝撃はあっただろうに、安田さんはすぐに立ち上がる。棒が折れていないことも確認した上で、すぐに渡り台へと賭けだしていく。
「それでもああして何度痛い目に遭っても……また綱の上に、一歩を踏み出すんだ」
安田さんは渡る……一歩一歩、必死に……笑顔を、喜びを、誰かに届けるために。
それを壊し、奪った罪を数えるように。忘れてはいけないと刻むように……だから落ちても立って、渡り……また落ちても立って、渡り……。
「落ちても、落ちても、また一歩を……」
≪なのぉ……≫
「…………お兄ちゃん、悪い人を捕まえる人なんだよね」
「うん」
「なら、僕を怪我させた人も……あんなふうに落ちたのかな」
正一君は、僕の言いたいことなんてもう分かっている。その上でこう聞いてきた。
「落ちて、立ち上がれないで、我がまま言って……止まっちゃうから、誰かに迷惑をかけたのかな」
「正一……」
今の自分は……歩けないと駄々をこねる自分は、そのときの悪い人じゃないのかと。
「……まず、正一君が……お母さん達が苦しめられた理不尽は、絶対に許されることじゃない。それは忘れなくていい」
「うん……」
「だけどね、僕が逮捕してきた人の中には……転びたくないのに転んで、頑張っていたことを駄目にした人もたくさんいた。
正一君みたいに身近な人が傷付けられて、その仕返しに犯人を殺して……殺すしかないって思い詰めて、本当にそうした人もいた」
≪……人間が転んで、立ち上がれなくなることなんて……犯罪者になることなんて、特別なことじゃないんですよ。
この人にも、かざねさんにも、あのおじさんにも……誰にでも起こりえることです≫
「…………」
そこでかざねが、そっと頭を……えぇい、子ども扱いするな。その……もふもふされるの、嬉しいけど。
「でも……本当に、立ち上がれるのかな」
「立ち上がりたい……そう思って、間違ったことを忘れない気持ちがあれば、きっと」
そうしてまた……安田さんは足を踏み外し、落ちる……だけど。
「もう一回!」
「はい!」
「……可能性は消えないよ」
安田さんは立ち上がる……立ち上がり続ける。
「……母さん、病院に!」
「え……」
その姿を再確認するように見つめた正一君が、声を張り上げる。
「先生が一日休んだら、一週間歩ける日が遅くなるって! ぼく……リハビリセンターに行かなくちゃ!」
「しょ、正一……!」
お母さんがこちらを見やるので、かざねともども大丈夫だと首肯。
それで……またも落ちて、立ち上がろうとした安田さんに、意を決して正一君が手を振る。
「ピエロのおじさんー!」
「え……」
「綱渡り、頑張ってね! ぼくも頑張るから!」
「しょ、正一く……え、ええあぁあぁ!?」
驚きながらも手を振る安田さん。その様子に笑みが零れながらも……また、厳しい一歩への修練は続く。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お昼休憩を待ってから、テント裏で安田さんと合流。
お疲れ様でしたとドリンクの差し入れも渡し、まだ混乱していた様子なので事情説明……。
「そう、だったんですか。
私の練習を見て、正一君がやる気を……」
「いやぁ……綱渡りの話を、最初のときに聞けてよかったですよ。そうじゃなかったらこうはいかなかった」
≪それについてはかざねさんにも助けられていますよ。
声優としての知名度があったおかげで、一気に警戒心が解けましたし≫
「ね? あたしも連れていって正解だったでしょー」
≪「それはもうもう!」≫
≪なのなのー!≫
「……ありがとう、蒼凪さん……真知哉さん……!」
両手を合わせて、かざねに拝む僕とアルト。感謝を込めてくれる安田さん……できればこのままハッピーエンドでいきたいけど。
”……さて、どうしますか”
”様子見程度に収めてくれるのなら、このまま”
「……近づかない方向でって、俺達言ったんだけどなぁ……」
「しかもかざねまで……蒼凪、後で話を聞かせろよ」
”……いかないかー!”
”まぁ、そうなりますよね”
「この声……!」
気配で気づかれていた……そう察していたせいか、二人は堂々と踏み込んできた。
揃って警察バッジを見せて、ピエロを……安田さんを見やって。
「鷹山さん、大下さん!」
「……そこのピエロ、ちょっと署まで来てもらえるか」
「お茶菓子くらいは出すから。ここは素直に……ね?」
「ちょ、待って! これは」
「真知哉さん」
かざねや僕を制し、安田さんは一歩……二人へと踏み出す。
「鷹山さん、大下さん……ですね。お話は蒼凪さん達からお伺いしています。
……ご推察の通り、私は安田繁……三年前の、拳銃発砲事件の犯人です」
「……蒼凪……!」
「ただ、誤解されないでください! 蒼凪さんは私が逃げないよう、見張っていたにすぎません! 真知哉さんも同じです!
……私からお願いしたんです! せめて、今回の公演が終わるまではと!」
「ちょ、安田さん!?」
「そうくるか……!」
僕達を庇って……それどころか、安田さんは両手を地面に付いて、二人に土下座。
「その上で、勝手なお願いをさせてください!
――せめて、せめて明日の……私の演技が終わるまで、待っちゃいただけませんか!」
「……どういうことだ」
「演技って、なにするの?」
「綱渡りです! あの子に……正一君に、私の綱渡りを見せてあげたい!
いえ……どうあっても見せなきゃならないんです!」
「……鷹山さん、大下さん」
正直こういうのは趣味じゃない。だけど……頭を下げる。
「僕からもお願いします! もし安田さんが逃亡を図ろうとした場合は、僕が始末を付けます!
なので……あと一日だけ待ってください!」
「あたしからもお願い!」
「かざねはともかく……お前は、そういうことをするタイプじゃないと思ったんだがな」
「……これでも、安田さんに遠慮しているんですよ?」
確かに自分でもらしくないので、頭だけ軽く上げる……するとなぜか鷹山さんが、ギョッとして身を引く。
「でも仕方ない……そういうことなら、いつも通りにいきます」
「え、待って……僕、そういうつもりでは言ってないから。もうちょっと冷静に話を」
「例えば鷹山さん……ロス、出張、企業秘書、ロマンス…………とか」
「おい、待て! なんだそれ! どうして知っている!」
そんなのはもう、なんでもだと……そう笑うと、なぜか鷹山さんは近くの柱に抱きつきガタガタと震えだした……。
「タカ、何やったんだよ……というか秘書って」
「大下さんは……またピッキングで、許可が出ていないのに犯人宅を」
「嘘ぉ!」
大下さんは近くの大玉に……あ、乗り上げちゃった。それでころころと……パンダかなにかだろうか。
「お前もやっているだろ!」
「俺は、いつものことだから!? というか助けて……降りられないー!」
「無理だよ無理! そのままもう、アラスカにでも転がっていけ!」
「そうそう、大下さんには追加プレゼントです。……小鳥さんが知ったら、どう思うだろうなぁ」
「それプレゼントじゃなくて呪(のろ)いか何かだろ! というか……タカァ!」
「俺のせいじゃないだろ! いやでもほんと、なんで知っている! 情報源は誰だ! トオルか、カオルか!」
「教えませんよ。切り札は無限に取っておき、必要なときに切っていくものですから」
「アンタ……!」
じゃあ話も纏まったので、背をうーんと伸ばし……なぜか半笑いなかざねは気にせず、二人に笑いかける。
「逮捕するなとは言いません。土壇場になって逃げる可能性も考えて、しっかり脇を固めてもいいです。
でも……あと一日、待ってもらえますね?」
「お前、その笑顔はやめろ! というか、かざねの前でよくできるな!」
「え、えっと……あの、もしかしなくても蒼凪さんは…………」
「言っちゃあなんだがお前より悪党だよ! それも大悪党の類い!」
「毎回この調子だからな……! 俺とタカも散々泣かされてきたし!」
「失礼な。そもそも僕に恥ずかしいところなんて、あるわけないでしょ」
『――!?』
あれ、なんでみんなどん引きするの? おかしいなぁ……僕は真実しか口にしないのに。
「アンタ、やり方があくどいって自覚もないわけですか……!」
「…………みんなで幸せになろうよ」
「「「どこまで本気なんだそれぇ!」」」
「あ、蒼凪さん……さすがに、それは! いや、クズなチンピラである俺が言うのもどうかとは思うんだけど! 思うんだけどぉ!」
≪や、安田さんまで混乱に落とし入れているの……。さすがは主様なの≫
≪まぁ話は纏まったみたいでよかったじゃないですか。ね、鷹山(戦犯)さん≫
「変なルビを振るな! ……全く……分かった、一日……あと一日だけだからな!?」
ほらー、みんなで幸せになれた。やっぱり僕って最高だよねー。
「どこが最高だ!」
「心を読まないでくださいよ……」
「顔に書いているの! ……それにまぁ……ここ二〜三日の様子を見れば、今更逃げるとは思えないしな」
「え……見ていたの!?」
「それが刑事のお仕事ってこと」
大下さんが”気づいていただろ”って見てくるので、その通りと肩を竦める。
それを笑っていた大下さんだけど……一瞬、鋭く安田を睨み付ける。
「……ただ安田、ここまでしたやっちゃんやかざねちゃんの顔に泥を塗ったら……俺達が許さないからな」
「はい……それは、絶対に!」
「うん、よろしい。じゃ、俺達も明日は楽しみにさせてもらうから」
「たまには童心に返ってサーカスか。お前と二人ってのが泣けてくるぜ」
「それはこっちのセリフだっつーの。それなら小鳥ちゃんと……」
「あ、小鳥さんには春香達ともどもチケットを売りつけたので、明日は来ますよ」
「まじ!? よっしゃデートだ!」
「仕事をしようね……!」
そう言い合いながら去っていく二人には、改めてお辞儀……そうして、一息吐く。
≪しかし……これで失敗できなくなりましたねぇ≫
≪なのなの。安田さん、大丈夫なの? さっきも転けまくっていたし……それに成功率二割って≫
「だから、絶対に完成させます! じゃあ……すみませんが、私はもう練習に!」
「頑張ってくださいね」
「応援していますから!」
「はい! 本当に……ありがとうございます!」
そうして安田さんは、勢いよくテントの中へ駆け出す。
最高の笑顔を、喜びを……自分にできる可能性の光を、形作るために。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――西暦二〇二〇年≪新暦七五年≫八月九日
東京都豊島区 影館サーカス団・テント
――そして、いよいよ運命のサーカス公演初日。
僕とかざねも舞台脇からチェック……おぉ、満員御礼。愛育園の子達も、春香達も、中原さん達もいるよー。
なお、楓さんとギンガさん、お父さんお母さん、束も誘っています。ふーちゃんと歌織、卯月も同じく。
我ながら風呂敷を広げすぎたかと不安になったけど、その不安はなかった。……なにせ初手から凄いパフォーマンスが連発だもの!
「恭文……い、一輪車で綱渡りしているよ! それも肩車しながら!」
「阿吽の呼吸過ぎる……!」
≪SAWシステム、積んでいませんよね≫
いやぁ、さすがにあれは驚くよ。難易度が半端ないのは当然だし、落ちたらやり直しもできないし……この緊張感が、ライブ感が溜まらないんだよなー!
それにジャグリングや、チンパンジー、像の曲芸も可愛いー♪ それにライオンや虎も……ヒカリがここにいたら、また気絶するかな。
「…………!」
それでかざねは目を見開いて、ショーに食い入っていた。自分も表現者だから、刺激を受けまくっているみたい。
その邪魔はしないよう、僕もショーに集中して……いよいよ、安田さんの出番がくる。
『――』
ドラムロールが響く中、固唾を飲んで……ついかざねとも手を取り合う。
これで失敗したら、本当に……目も当てられないからなぁ……!
だけど……気持ちがあれば、きっと。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あのピエロさんが出てきた。ドラムがだらららららーって鳴り響く中、先にボールが突いた棒を持って、一歩一歩踏み出す。
ゆっくり、ゆっくり……歩いて行く。細い縄の上を……縄の下は何もないのに。
ただ真っ直ぐ歩いているだけなのに、落ちたらどうしようって、そんなことばかり考えてドキドキする。
それで手にも汗が一杯溜まっていたら……ピエロさんが、軽く傾いて……。
「あ……!」
だけどピエロさんは笑う。笑って次の足をすぐに出して、でもまたよろめくから、別の足も出して。
駆け足気味で、大丈夫なのかなって……どんどんドキドキハラハラが強くなって……それで。
「…………あ……!」
縄がジャンプするみたいに跳ねる中、ピエロさんは渡りきって……向こう側の台に、足を付けた!
「やったぁ!」
ピエロさんは振り返って、ぼく達にお辞儀……そのとき、頭にボールが当たってしまう。
『あははははははははは!』
ぼくも笑う……他のお客さんも笑う。ピエロさんも笑う。
とっても楽しくて、嬉しい時間。あんな風に歩けたらって……そう笑って。
「さぁ、今度はみんなと遊ぶ時間だよー!」
だけど……その気持ちが、いっきに小さくなっちゃう。
「会場の子ども達、みんな出ておいでー!」
……ぼくは動けない。
歩けないから……歩きたいと思うことがなかったから。
「……しょ、正一……」
ママが戸惑うけど、仕方ないことだ。誰も悪くない……ピエロのおじさんも、サーカスの人も悪くない。
もちろんわーって喜んで、ステージに出ていくみんなも、誰も悪くない。
転けて、いじけて、苦しいことから逃げて……ぼくが悪いことをしたから、ここで歩けない。
昨日お兄ちゃんが言っていたことを思い出した。
誰でもこういうことがある……正義の味方なお兄ちゃんも同じだって。
だったら、ぼくは……今もやもやとしているぼくは、罰を与えられているんだ。
歩きたいって気持ちに嘘を吐いたから。
歩けるかもしれないって……自分の可能性っていうのを、ちゃんと大事にしてあげなかったから。
だから、それじゃあ駄目だよって……罰を与えられたんだ。
だったら、それは……。
「……」
「え……」
俯いていると……手が見えた。顔を上げるとそこには……あの、ピエロのおじさんがいて。
「あ、あの……でも、この子は……」
ピエロのおじさんは、フェンス越しに手を伸ばしてくれる。
だけど取れない……取っても、歩けない……立ち上がれない。だから、だから……怖い……。
怖いのは、どうして? 恥ずかしいから? 違う……ううん、違わないのかも。
ピエロのおじさんは頑張ったのに、ぼくは立てない。頑張らなかったから……おじさんみたいにはって……だから……。
「あ、あ……ぼ、ぼく……」
「…………」
そのとき、ピエロのおじさんは……笑った。
笑ったんだ。大丈夫……大丈夫だよって……もっと手を伸ばしてくれて。
「……!」
だから、その手を伸ばした……優しく、触れて……掴んで……そうしたら……。
「しょ、正一……!」
世界が…………動いた……。自分で、動かせたんだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
……安田さんに手を引かれ、正一君は立った……一歩を踏み出した。
≪なの……!≫
「恭文……!」
それはこの脇からも見て取れた。
正一君を抱え上げ、安田さんは中央のトランポリンへ。笑顔で……二人で歩いて。そうして世界はまた動く。
飛んで、跳ねて……正一君が危なくないよう、安田さんが守りながら、その乱れる風景を楽しんで。
そうして一通り遊び尽くした後……ゆっくり、確実に動きを止めた正一君に、安田さんが抱擁。
その人身には……描かれたものとは違う雫が、確かに零れていて。
正一君はその意味が分からない。だけど……それでもなにかを感じ取ったのか、優しく抱き返した。
≪なのなのなのなのなのー!≫
≪……やりましたね≫
「……安田の一念が、あの子を立たせた……か」
「結果オーライなんて言うのも駄目なんだろうけどさ。でも……うん、いいんじゃないの?」
「そうですね」
……僕達のあとからやってきた鷹山さんと大下さんも、その様子を見て……表情を緩める。
「やっぱり理不尽が生み出した痛みは、正一君やお母さん達が失った時間は消えません」
だから……今度は僕の番だと覚悟を決める。
安田さんは僕やかざねのことまで庇ってくれた。僕達の勝手で関わっただけなのに……だったら。
「おいおい、やっちゃんはまた……」
大下さんが手を乗せ、軽く頭を撫でてくる。
「これでやっこさんを逮捕したら、正一君がショックを受けるだろうが。サーカス団だって大ダメージ。
それでまた歩けなくなったらどうするわけ?」
「そこはPSAの劉さん達に相談して、調整していますよ。ご心配なく」
「……やっちゃん」
「……今のままじゃ、お母さん達の中で事件を終わらせられないんです」
それは考えた。何度も考えた。かざねともそういう話はした。
「ここのサーカス団の人達だって、安田さんというリスクを背負い続ける」
≪今回みたいに運良く、見過ごしてくれるとは限りませんしね≫
……だけど、安田さんの償いを……その意思と信頼をへし折ることは、僕にはできない。
安田さんはもう、道を決めている。お母さん達への償いを続けていくと……決めているから。
「だから、公演が終わったら……僕も付き添って、自首させます」
「……そっか。まぁ……そういうことなら仕方ないね」
「お前と違って甘くないってことだ」
「タカに似すぎたんだよ」
そう言いながらも、大下さん……鷹山さんは、笑って頭を撫でて……というかもみくしゃにしてー!
「ちょ、やめて! 髪が乱れるー!」
「気にするタマか。……帰るぞ、ユージ」
「いや、俺は小鳥ちゃんとデートを」
「帰るぞ……!」
「ちょ、タカー!」
大下さんの首根っこを掴み、鷹山さんはずるずると僕達から離れ、外に向かっていく。
「お前、童心を忘れた大人だなぁ! せっかくだから最後まで見ていこうよ!」
「俺達がいても面倒なだけだろ!
……あー、かざねも今回は見逃すが……あまりこういう無茶はしないようにな」
「まぁ、専門外だしそこは自重するけど……でも、いいの?」
「……罪を償い続ける人間に、用はないってことだ」
鷹山さんも肩を竦め……なんの問題もないと、そう答えてくれた。
「だから安田にも言っておいてくれ。
あの子に負けないように……恥ずかしくないように、新しい一歩を踏み出せとな」
「鷹山さん、大下さん……」
「……はい!」
そんな二人を見送ってから、僕達はまた笑って……ライトアップされた二人に魅入る。
「……恭文、本当に”それ”でいいんだよね」
「きっと大丈夫だよ、あの人なら」
≪時間はかかるでしょうけど……それでも、自分なりの花を咲かせていきますよ≫
「……そうだね」
こうして夏に起きた一つの事件は……いろんな課題を残した事件は、幕を閉じた。
少年は失ったものを掴み直し、新しい人生を自分の足で歩いていく。
道化師は三年間の逃亡生活にピリオドを打ち、法の裁きを持って、傷付けた少年と家族への償いを示す。
その逃亡生活の全容については、少年への心理的影響……更に隠れみのにされただけの民間企業への影響を鑑みて、情報統制が行われることとなった。
真実を知るのは、僕とかざね、アルト、ジガン……鷹山さん達だけ。だけど、だからこそ忘れてはいけない。
一方は法の裁きを粛々と受け、決して楽ではない道を進み続ける。
一方もようやく得られた決着があるとはいえ、失った痛みと過去は変わらない。
だけど、それでも……二人は歩いていく。その先でまた転んで、立ち上がれないと思うことも、あるかもしれない。
だけど笑って、進んでいく。痛みを抱えながらも、笑顔を浮かべて……きっと、どこまでも。
(――本編へ続く)
あとがき
恭文「というわけで、今回の隙間話は例のラーメン今昔の翌日から始まり、機動六課がまた騒がしくなるまでの間に起こった、ちょっとした事件。
元ネタは名門多古西応援団の十巻でやった……かなり古い漫画だけど、みんなは知っているかなー?」
(現代風に言うなら『男らしくなりたくて入った応援団の先輩達が、軟派で女好きだったけど超最強な喧嘩集団だった件について』……という感じのお話です)
恭文「でもさぁ、全体的に感動的な人情話だったのに…………作者ぁ! 何を考えているんだぁ!
なんでここでゆかなさんに幽霊だって思われた話を混ぜ込んだ! 言え! 言えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
あむ「しかもTry Sailさんと雨宮天さんにまで被害拡大しているし……!」
恭文「被害って言うな!」
(こうして本編より早めに、蒼い古き鉄(Ver2020)は『蒼い幽霊』の称号を得るのだった)
恭文「嬉しくないわ!」
あむ「というか、そこと絡むの!? ガンプラバトルで取りなよ!
……でもさ、恭文……今年の夏、FGOのイベントが突然中止って残念だったよね」
恭文「…………は?」
あむ「やっぱりさ、コロナは注意しないと駄目じゃん。自粛自粛で締め付けすぎもアレだけど、まだまだ長く頑張っていく必要はあるわけだし」
ヒカリ(しゅごキャラ)「そうだな。だがまぁ、夏は夏で……楽しく宝物庫でも周回するか。あれならお化け的なのいないしな」
あむ「だね!」
恭文「え、待って。やってるよ? 現在進行系でイベント……ピックアップもあったし」
あむ・ヒカリ(しゅごキャラ)「「ないよ?」」
(…………蒼い古き鉄、そこで全てを察する)
シオン「…………お兄様」
恭文「コイツら、今年がホラーイベントだからって……根っこから記憶消去しやがったな……」
ミキ「あむちゃんェ……」
スゥ「恐がりにブーストがかかっていますぅ」
ダイヤ「でも、今回のイベントはがちじゃない……」
ラン「そうだよー! ホラーの定番目白押しで、心を壊しに来ているし! 私もちょっと怖いしー!」
ショウタロス「しかもどんどんおかしいことが増えているしな……! ほら、バグだと思っていたマスターの性別変更が仕様とかよ」
恭文「でも僕はコイツらの方が怖いよ。疑いもなく記憶を弄っているんだから」
(こうして恐がりコンビの夏は、普通に過ぎていきます……普通に……普通に。
本日のED:BURNOUT SYNDROMES『PHOENIX』)
星梨花「……そういえば真知哉かざねさんって、同人版に出ているんですか? そういう拍手もきていましたけど」
恭文「いや、Ver2020で初めて出てきたよ。一話限りのネタだったはずが、こんなことに……」
かざね「……あたし、本編でもいるから。居座ってるから」
恭文「凄い圧をかけている!?」
星梨花「当たり前です! うん、わたしも恭文さんがしっかりできるように、ツッコめる女の子になりますね!」
恭文「そして星梨花もフルスロットルだと……!」
(おしまい)
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