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短編
つまりよき日 1
夏服に変わってしばらく。じっとしていても暑い放課後、机に鏡をセットして髪のお直しをはじめた後ろの席の男。自分じゃ見えないななめ後ろらへんがちょっと盛れてないから指摘してあげる。

「右耳のうしろ後ろへなってるよ。直したげよっか」

「あ、お願い」

ただいま帰宅ラッシュの真っ最中。近くの席の奴が女と手をつないで楽しそうに帰って行くのを眺めながら立ち上がり、鏡を覗き込んで前髪をいじっている矢田の背後にまわる。いいねー実に幸せそうだねー頭ん中ヤることでいっぱいなくせにあんなそっと女の手触っちゃってさー。大事にしてんだねー羨ましー……。

スプレーを手に茶色とクリーム色の中間みたいな人工的な色の頭を見下ろす。センスいいからいつもいい感じの色にしてくるよね、自分に似合うものを知ってるって感じ。
へなってる部分の髪をそっと手にとると、ふわりといい匂いがした。少しパサついた髪の感触と嗅ぎなれた香りに息が詰まる。矢田の匂い。

「……お前背伸びたくない?」

髪をゆるく巻きながら、一年の時よりも大きくなった気がする背中を眺める。背骨出てるのが分かるよ、相変わらず細い体。オレも人のこと言えないけど。

「伸びたくないってどっちの意味よ?梅本語は難解」

低くて柔らかい笑い声に頬がゆるむ。説明しなくても本当はちゃんと分かってるってオレも分かってるよ。

「伸びたよ多分。でも梅本が止まったから余計そう見えるんじゃない?」

ほら、ちゃんと理解してる。

「なに決めつけてんの、まだ止まってない。175の壁はデカイってー!矢田もそれくらいで止まってよ、バランス悪くなんじゃん」

「バランスってなに、オレとお前の?」

うん、それ以外になにがあんの。そう答えたら予想通り笑われた。

「可愛いこと言ってるし。じゃあ足りない分頑張って髪盛りなさい」

オレがなにをしてもどんなことを言っても全然引かないで余裕。かるーくかわして可愛いとか言っちゃうあたりがずるい。
遊び慣れてる男の“可愛い”は中身がほとんど詰まってないただの音声。か、わ、い、いって発音してるだけ。なんで分かるかって、オレもそうだから。女に意見や反応を求められて困った時はとにかく可愛いって言っときゃいいでしょ系。

分かってるのに喜んでる哀れなオレ。鏡に映る笑顔を見つめながら自分のバカさ加減に気付く。オレはなんでこいつの髪直してあげてんの。合コンのために身支度するのを手伝ってどうすんだよ。また女が惚れちゃうじゃん。
こいつを誰よりも理解していて髪を望み通り直してあげられる人間がここに居るのに、オレよりも全然矢田の良さを理解出来てない女が出会ったその日に矢田を好きと言う。それをこいつはオレに向けるのと同じ笑顔で聞く。人生はクソです。

「……悪いけど今日やめとくー」

胸に増え続ける傷を無視して笑うのもそろそろ限界。
この恋が本物かどうかなんてどうでもいい。もし誰かが偽物だ、女に飽きたから逃避として男に興味を持っただけだ、そんなのは一時の気の迷いだって言ったとしても構わない。
自分が一般的なルートから外れていってるのは承知の上。けどあらゆる常識も理屈も、顔も体も性格も完璧に好みの女からの告白ですらこの気持ちの冷却剤にはならない。

誰と話すよりも楽しい。なにもなくていい、ただ矢田がそこに居てくれるだけでオレは何時間でも笑っていられる。男とか女とか関係なくこんなのは初めてで、気が合う以上のなにかがある、とオレだけが勝手に思ってる。

笑顔に心は浮き立ち、誰かにメールを打つ横顔を見て少し焦り、夜突然電話がかかってくると嬉しいのに会いたくてたまらなくなって電話を切りたくなる。

着替える姿を平然と眺め、その体に舌をはわす想像をしながら心にもない冗談を言う。偶然体が触れた日にはその感触が忘れられなくて夜一人、目に焼き付いている体を思い出しながらひたすらオナる。

矢田が女との話をしてくるだけで心臓になにかが突き刺さって激痛、その後瀕死。笑顔で聞きながら息が止まる前に一秒だけでもいいからオレのものにならないかなって祈りたくなる。

矢田が好き。どうしても矢田がいい。他の人間じゃ無理、好き以外の感情に変更することも無理。これが気の迷いだって言うのなら、誰か早くオレを正気に戻して。

「なんで?」

物思いにふけっていても矢田の声だけは耳にすっと入ってくる。教室のざわめきもこいつの声の前じゃ囁き程度にしか聞こえない。
どんどん人が居なくなっていく教室の中、自分の席に戻ってとりあえず椅子に座る。さて、どう言い訳するべきか。
ひとつまばたきをして感情を切り替える準備開始。じっと見つめられているのを感じながらオレはいつも通りそれを無視する。もうちょっとだけオレのこと見てて。

「なんでって、なんで?」

嘘も誤魔化しも余裕。どれだけきつくても眉ひとつ動かさずに本心とは真逆のことを言える。心の準備が出来たのでゆっくりと顔を動かして、後ろの席からじっと見つめてくる男を正面から見据える。
毎日見れば見るほど愛着が湧いて、最近じゃこんなに完璧な造作の顔はないと見惚れそうになる。これは惚れた弱味だけど。
だって第一印象はほとんど記憶にない。フツーにイケメンじゃん、それくらい。オレ元々ゲイじゃないから、男を見た感想なんてイチイチ覚えてない。

矢田とは一年の時おなじクラスになって知り合った。身長も体格もほとんど一緒で服や髪型の趣味が似てる、自分とおなじジャンルの男。
どっちもバカだしどっちも要領はいい。当然かなり気が合うからすぐに打ち解けた。めでたいことに二年もおなじクラスになって、この学校でオレらは常セットな扱い。

しいて区別するならオレの方が女ウケする顔で矢田の方がヤンチャだし整った二重がきつめだからちょっと怖そう。こんなに派手なのに人見知りだから、一見とっつきにくそうに見えてしまう。

でも実は中身は逆。オレは甘いねって言われる顔とは逆に冷たいし適当、矢田は冷たそうって言われるけど気を許したトモダチにはかなり優しいし頼りになる。
だから女はみんな、最初はオレを狙って近付き最後には矢田に本気になる。まあその後さらなる逆転劇が待ってるんだけど。
とにかく結論、この男がこの世で一番。

「なんでってなんで、ってなんで?」

矢田はわざとオレの言い方を真似をすると得意気に笑う。楽しげな声と挑発的な笑顔に胸がざわつく。笑うと見える尖った八重歯が動物っぽくて好き。その歯、舐めたいんだけど。
いつもならこのふざけたやりとりにもっと乗っかってふざけるんだけど、今日は無理。

「なんでだろーね。なーんか萎えたかも」

嘘をつく時は必死にならないで半分真実を混ぜること。そして断言しないこと。真剣な顔でもっともらしい言い訳をすると大抵バレる。適当に曖昧に、嘘とホントの間で答えるのが一番いい。

「梅本って本当気分屋」

うん、オレ気分屋。でも本当の答えはね、お前が行くって言ったから。お前が目当ての女と消えていくのを横目で見て笑うのも疲れてきたから。その唇でどんなキスしてるんだろうって考えたら我慢出来なくて電話しそうになる自分がそろそろ本気でキモいから。こいつと合コンなんて二度と行くか。

「微妙に腹も痛いから帰るわ、ごめんねー」

これ本当。今はましだけど朝は本当に痛かった。オレって悩むとすぐ腹痛くなんのよ、繊細でしょ。だからさー、

「なごやん達に謝っといて。オレが行かないってことは、今日はお前の一人勝ちだね」

頼むわ矢田、腹痛のオレをちょっとだけ心配してみて。オレ普段はあんまり体調悪いアピしないじゃん?ナヨい男って思われたら嫌だからさ、いつもは我慢してんの。けど今日はちょっと燃料切れだから、優しい言葉でオレを生き返らせて。

うわべだけの言葉と笑顔でトモダチを合コンに送り出し、心の中でみっともない弱音を吐く。毎日きつくて辛くて逃げ出したいのに、矢田を好きでいることを嫌にはなりたくない。無理矢理でも押し倒してキスして触りたいし触って欲しい。オレに欲情して「梅本が欲しい」って言って欲しい。けど、矢田を傷付けるくらいなら死ぬ気で諦める。そんな矛盾だらけのじゅうななさいの初夏。せいしゅんー。

「腹痛いって、いつから?」

すっと手が伸びてきてオレの肩を掴んだ。部活とは縁がない矢田は男同士の不必要なスキンシップがあまり好きではないらしく、いつもはほとんど触ってこない。だからこそこれはちょっとした出来事。
びっくりしてリアクションが遅れた。どういう反応が一番自然か考えながら視線を隣に向けると、矢田がじっとこちらを見ていた。

「大丈夫?帰れんの?」

そんなに心配?ちょっと焦ってんじゃん。会話を軽く流す時と流さない時の態度の差が優しい矢田らしくて愛しい。
帰れませんって言ったら送ってくれんのかよ。今日親帰って来るの遅いから看病してって言ったら泊まってくれんの?お前のせいで悩んで腹痛いんだから責任取ってオレを好きになってって言ったら、一瞬でも好きになろうとしてくれんのか?とかむちゃくちゃなことを喚きそうなくらい苦しいんだけどどうすればいい。

「余裕―。帰って寝るわ」

好きだと自覚してから半年。心の中がどれだけ大荒れでも隠せるようになった。いつもとおなじ調子で返事をして肩に置かれた手からそっと逃げて先に立ち上がる。これ以上触られてたらやばい。
矢田を好きになって初めて知った。相手のために背を向けて口を閉ざすのも「好き」の在り方なんだよね。言葉と態度に出して伝えるだけが「好き」の形じゃない。
拒絶が怖いんじゃない、傷つけて悩ませるのが怖い。矢田が好きな“トモダチの梅本くん”を奪えない。お前オレのこと大好きだもんね。

前髪を触りながら振り向いて早く行かないとみんな待ってんじゃないの?と笑顔を向けると、矢田は真顔のまま人差し指でトントン、と机を叩いた。

「……なにそれ、座れって?」

「なにに悩んでんの?」

いつの間にか校舎からは人が消えていて、矢田の静かな声が教室に響いた。

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