小説
天使と悪魔 カークランド兄弟
カツン カツン カツン
暗闇に響く足音。鉄の板を叩くような音の合間に、聞こえる笑い声。子供の笑い声に、アーサーは後ろを振り返った。だが、目の届く範囲に子供の姿はない。
アーサーは小さく舌打ちをする。
「…あいつ、どっから入った…?」
闇の中を見回し、アーサーは小さなステッキを召喚する。ステッキを一振りし、叫んだ。
「我を誘え。我が聖域を汚す者の下に!」
アーサーが叫ぶと、仄かにステッキが発光する。そして、ステッキはアーサーが持つ手から離れようと軽く引っ張った。
その方向へ、アーサーは目を向ける。
「あっちか!」
アーサーは顔をしかめて走り出す。
一方笑い声の持ち主は楽しそうに腕を大きく振りながらトコトコ歩いていた。
「ピー君は最強ですよー♪」
陽気に歌を歌いながら暗闇の中を歩く。帽子を被った少年はくるんと回った。
「アーサーはどこですかー、ピー君は聞きたいことがあるんでーすよー♪」
「…っおい、なんでお前がここにいるんだよ!」
「あ、アーサー!探したですよ!」
走ってきたアーサーの姿を見付けると、少年は嬉しそうにぴょんぴょん跳び跳ねた。
少年の喜びようにアーサーはため息を吐く。
「どっから入った?」
「"普通に"入ったですよ。ただ入口がどこか分からなかったので勝手に開けたですよ」
「…おい、それは壁を壊したってことか」
「ん?これは壁じゃないですよ、これはアーサーが創った部屋の…なんですか、これ」
きょとんと小首をかしげる少年にアーサーは拳を振り降ろす。
ガンッ
「痛いですよ!」
「"住居"不法侵入だ。ったく」
「だから住居?じゃないですよ!」
がうがうとアーサーに噛み付く少年を再び殴って黙らす。
唸りながらアーサーへの恨み言を呟く少年に、しゃがんで目線を合わせて叱る。
「人ん家に勝手に入るのはだめだって言ったろ?なんでやったんだ」
「ピー君はアーサーに聞きたいことがあったんですよ!」
「でもやって良いこととだめなことがあるだろう?」
アーサーの正論に少年はぐっ、と言葉に詰まる。きゅっと唇を引き結び、アーサーを睨み付ける。
しばらく無言でにらみ合っていたが、ぺこりと少年は頭を下げた。
「…ごめんなさいです」
「よろしい」
少年の素直な言葉にアーサーは笑顔で頷いた。よしよしと頭を撫でてやる。
そして少年の言葉を思い出し、再びしゃがんで聞いた。
「で、なんのようだ?」
「そうです!アーサー、"氷漬け"ってなんですか?」
「!」
少年の言葉にアーサーは目を見開く。ずいっと顔を寄せ、半眼で睨む。
「…誰に聞いた?」
「ライヴィスが教えてくれたですよ」
「…ッチ、またあいつは…」
「怒らないで欲しいですよ、ピー君が頼んだからライヴィスは教えてくれただけですよ!」
「…ピーター、オレについてこい」
ぴょこぴょこ跳ねる少年―ピーターは、アーサーに言われた通りついてくる。
真っ暗な中を迷わず歩くアーサーの後ろでピーターはキョロキョロしながらやはり迷わずついてくる。
程なくしてアーサーは足を止めた。
「ピーター、これを見てみろ」
「…お、おおおお?」
アーサーの後ろから前を覗いたピーターは、目の前に整然と並ぶ"氷漬け"になった仲間達の姿に目を丸くする。
「な、なんですか、なんでみんなこんな…」
「ほれ、触ってみ?」
「さっ、触るですか!?」
「大丈夫だから、噛み付いたりしねぇよ」
「は、はい…」
ピーターは恐る恐る手を出す。小さな手は冷たい氷に触れ、その冷たさに驚きながら表面を撫でた。
「……」
しばらく氷を見上げていたピーターは不意に駆け出す。氷の中の人物を確認しながらアーサーに叫ぶ。
「アーサー、これはどういうことですか!?ここにいる人達は最近見かけなくなった人ばっかりです!」
「ピーター、これが"氷漬け"だ。…天使共に殺られたのさ」
「天使?天使は優しい人だと聞きましたけど…」
「優しい?はっ、あいつがか?そんな訳ねぇだろ」
「あいつ?誰ですか?」
ピーターはアーサーの足元にやってきた。下からアーサーの顔を見上げ、小首を傾げる。
アーサーは顔を背け、毒づく。
「腐れ縁の奴に弟を盗られた」
「マシューではないのですか」
「ああ…。可愛い弟だったんだ、なのにあいつは…」
ギリッと歯が鳴った。アーサーの殺気だった空気にピーターは鳥肌が立つ。どんなに幼くても相手の空気ぐらい分かる。
特に大切な相手ならなおさらだ。
「…アーサー、怒ったら嫌です…」
「!」
ピーターの弱々しい声にアーサーは少年の頭を見る。それから目を細めて彼の頭をなでる。
「…ごめんな」
ピーターは首を振る。
「自分の大切な人を連れていかれたらピー君だって怒るのです。…アーサーは昔のことを覚えているですか?」
「…?昔?」
はい、とピーターは頷く。昔、とアーサーは繰り返して首を捻る。
「…生まれてから百年くらい経ってるからなぁ」
「違います、その前です」
「その前?そのま…ああ」
アーサーはピーターの言いたいことを理解する。少し困った顔をしたピーターの頭を再度なでる。
「ここ、出るか?」
「はい」
しっかり頷いたピーターに笑いかけ、アーサーは手を差し出す。ピーターは一瞬怯んで、おずおずと指を絡める。
「行くぞ」
アーサーはピーターの手を引き、少年の足に合わせてゆっくりと歩き出す。
しばらく無言で歩いて、アーサーはゆっくりと話し出した。
「…オレが人間だった時はな、それなりに裕福な家に生まれたんだよ。それで、オレには腹違いの弟が二人いた」
「腹違いってなんですか」
「母親が違うことだ。あいつら顔そっくりなんだけどな、マシューの方が年上なんだよ。年子なんだ」
「マシューにそっくりなんですか?」
「見た目はな。中身は全然違う。マシューはおとなしいがアルフレッドは活発だった」
「アルフレッドって言うんですね」
「ああ」
ピーターは歩きながらアーサーを見る。アーサーは懐かしいものを見る顔をしていた。ピーターは再び前を見る。
「あと覚えているのは…きれいな女」
「女の人ですか?」
「おう。…恋人だ」
「好きな人ですか」
「そうだ、オレはそいつに惚れちまってよ、毎日好きだの愛してるだの、恥ずかしくなることばっか言ってたな」
でも。
アーサーは小さく首を振る。
「…それ以外なーんにも覚えてねぇ。アルやマシューのことも、好きだった奴のことも。断片的な記憶しか持ってねぇんだ」
「…ピー君はアーサーを知ってるですよ。ピー君はアーサーに引き取られた子供でした」
「…オレに?」
「はい。その時のアーサーはおじいさんでした。少し頑固な、でも優しい人でした。
お仕事は多分、お医者様だと思います。毎日、町のお年寄りが来ていましたから」
「…医者、なあ」
「ピー君が覚えているのはこれだけです。…なんで人によって覚えていることが違うんでしょう?」
「…さあな。オレ達を生んだ神に言え」
カツン。
アーサーは足を止めてピーターの手を放す。それからピーターの背を軽く押した。
「ピーター、ベールヴァルト達が帰ってるはずだ、行ってやれ」
「え、でもピー君は」
「行け。…オレには仕事がある」
「…」
「…またあとでな」
アーサーはピーターの前にしゃがみ、な?と促す。ピーターは何度か悩んだが、不服そうに頷いた。
「…またあとでです」
「ああ」
アーサーのぎこちない笑顔に不安そうな顔をしたが、ピーターは振り返って走り出す。小さな背中が見えなくなるまで見送り、アーサーは踵を返した。
「…記憶…な。ピーターのこと、覚えてねぇなあ。ピーターからしたらオレは父親かぁ」
スタスタとアーサーは歩く。
「何にも、覚えてりゃしねぇ。神はなんのためにオレの記憶を封じた?」
アーサーの独り言は止まらない。
「記憶、齟齬、記憶、齟齬…」
カツン。
「…記憶に間違いはねぇか…?」
アーサーは首を振る。
「いや、オレとアル・マシューは兄弟、ピーターは義理の息子、フランシスは腐れ縁。他には、他には…」
アーサーは己の記憶を探る。他には何にも覚えていない。
覚えていないはずだ。
「記憶…あぁ、わっかんねぇ。こりゃロヴィーノに聞くしかねぇな」
アーサーは方向を変え、迷いなく進む。
「…機嫌悪くなきゃいいが」
カツン、カツン、カツン。
暗闇の中を歩くアーサーの姿は、すぐに溶けて見えなくなった。
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