◆デコ&ボコ(連載中) 真上探偵事務所 ◆◆ 「なんで、俺の名前を?……初対面ですよね?」 今日から、バイト開始だった訳だが、現地集合だったし、ここに訪れた記憶もない。 よって、桂さんとは、面識は無い筈なのだが…… 「あぁ、ワシは社員やバイトの名前と顔は、全員覚えておるんだよ。因みに臼井は護身術の達人だ。ほれ、最近は物騒だからねぇ」 成る程、このお爺さんズは、受付業務の傍ら、防犯への意識も持っているのだな。 だらだらと、受付業務をしているお嬢さん達より、断然、仕事に対する意識が高い。 「確かにそうですね。突発的な犯罪も増えていると聞きますし……ですが、怪我などなさらぬよう、お身体には十分気をつけて下さいね」 体の組織というモノは、月日が経つにつれ、細胞の活動が鈍くなっていく。 つまり、治癒する力が若い年代の人間より劣るのだ。 若い時にはなんとも無かった事でも、劣化した骨の細胞には大きなダメージになる。 老人が転倒により骨折し、そのまま歩けなくなってしまうなんてケースなんかが、その証拠。 桂さんは「有難う」と、穏やかに微笑み、受付台の下から、ごそごそと小さなビニール袋を取り出した。 袋の中には、白と緑色の織り交じった、せんべいらしき物が入っている。 休憩中にでも食べるつもりだったのだろう。 お爺さん二人が、受付でせんべいを食べる光景が、眼に浮かぶようだ。 なんとも、のどかではないか。 「さ、この、わかめせんべいを斉藤君にあげよう。お近づきの印だ」 「有難うございます。大事に戴きます」 見習うべき人生の先輩に軽くお辞儀して、わかめせんべいを受け取る。 わかめせんべい……わかめ。 そっと毛根が死滅した桂さんの頭部を見やる。 電灯の光を鈍く反射させた見事な頭。 丸っとしていて、何気に形がいい。 やっぱり桂さんは、髪の事を気にしているのだろうか。 とはいえ、自分も将来どうなるか判らない。 そう、明日は、我が身。 今の内に、わかめを多めに摂取しておこう。 桂さんと臼井さんに別れを告げ、ツカサに連れられてきた場所は、ビルの三階。 三階フロアには、五つの扉がある。 手洗い場、給湯室、事務室が三つ。 俺は、エレベーターから降りて真正面に位置する事務室の部屋へと通された。 部屋には事務机が並び、パソコン等の機材の匂いが充満している。 一歩足を踏み出すと「ぐえっ」と、蛙が潰されたような声が聞こえて来た。 ――明らかに何かを踏んでいる。 足から感じる感覚は、柔らかくて、それでいて弾力がある。 そっと、目線を足元に向けると、年若い男性が仰向けに倒れていた。 先程の蛙が潰されたような鳴き声は、どうやらこの男性らしい。 「だ、大丈夫ですか!?」 男性の腹を踏んでいた足を急いでどけ、横たわる男性を抱き起こす。 まさか、こんな入り口に人が倒れているとは。 病気か?怪我か?それとも熊でも出たか? 「あー、斉藤さん、彼なら大丈夫だよ。多分、寝不足なんじゃないかな」 ツカサは、しゃがみ込んだ俺の背後から顔を出し、男性を眺める。 「寝不足?」 視線を男性に戻すと、男性の目の下には見事なクマが出現しており、健やかな寝息を立てていた。 見たところ、病気や怪我もしている様子も無く、どうやら、ツカサの言う通り、彼はただの睡眠不足のようだ。 「しかし、何もこんな所で寝なくても……」 俺の腕の中で眠る男性から周囲に視線を巡らせると、至る所に人が倒れているのが眼に映った。 通路で眠る人。 事務机の下で眠る人。 椅子を並べてその上で眠る人。 その中でも猛者ともいえる、事務机の上で眠る人。 「これは……集団就眠?」 「皆、仕事疲れだよ。調査班の殆どが尾行とか見張りの仕事をしているからね」 「そうか、ここの人達は、日夜全力で頑張って仕事をしている人ばかりなんだな」 ここに居る従業員は、見習うべき社会の先輩達ばかりだ。 「ツカサ、斉藤、遅いぞ!」 ……一人を除いて。 ◆◆ [前へ][次へ] [戻る] |