◆死灰屠り(完/連)
第五話
◆◆◆
中心街から少し離れるだけで、車や人の通りが一気に減少しだす住宅街。
猛暑も手伝ってか、井戸端会議中の主婦達や、散歩をしている人、遊び走り回る子供達の姿などは、一切見当たらない。
タオル片手にポスティングする人や、郵便局員、運送会社の従業員等の仕事中の人間が、ちらほら目につく、ぐらいだ。
そして、真上探偵事務所別館の傍に近付けば近付く程、人も車も全くといってその存在が皆無――の、筈だが、珍しい事に、黒塗りの見るからに高級そうな車が、路肩に停車していた。
「こんな所に……」
春日も俺と同様、車の存在を珍しく思っているらしく、黒曜石のような双方の目が、高級車を捕らえている。
徐々に車に近付き、横を通り過ぎようとした時、高級車の後部座席の窓ガラスが、一瞬にして赤く染まった。
「要、止めて!」
春日が声を上げるのと同時に、ブレーキペダルを踏み、車をその場に急停止させる。
俺達が、車の外に出ようとした時、高級車の運転席と助手席から二人の男性が転がるように飛び出してきた。
運転席側の男性は、三十代ぐらいだろうか、目を大きく見開き、赤黒い液体を体中に浴びたまま、腰が抜けたように地面に座り込む。
助手席側の男性も運転席の男性と同じように、白いワイシャツを赤黒く染め、後部座席のドアを開き「おい! 大丈夫か!?」と、聞くからに悲痛な声を上げていた。
この状況は、明らかに只事ではない。
運転席のドアを閉じる事も忘れ、飛び出すように外に出る。
「どうかなさいましたか!?」
取り乱し、後部座席に半身を突っ込みながら、大声を張り上げている男性の肩に手を掛けた。
そして、男性の肩越しに見える光景に、瞠目した。
赤化したシートカバーに凭れる一人の男性。
顔を天井に向け、真っ赤に濡れた両手で首元を押さえるような形で、沈黙している。
既に生気が全く感じられない事から、どうやらこの男性は、事切れているようだ。
だが、一縷の希に掛けて、肩に手を掛けていた男性を押し退け、後部座席に乗り込む。
「サエ! 救急車をお願いします!」
外にいる春日に告げながら、男性の首元の手を退けた。
切り裂かれたような、見るからに深い傷口からは止め処無く血が溢れ、その傷は顎下から胸元に続いている。
ハンカチを取り出し、傷口の上から軽く押さえる。
「くそっ! 首元の止血なんて」
――素人に出来るわけがない。
頚動脈に手を触れ、生の証拠でもある鼓動を確認するが、反応は無い。
心臓が停止している。
ならば、心臓マッサージを施した方が――
「すいません! 彼を動かすのを手伝って下さい!」
後部座席を覗き込むようにして立っている男性に声を掛ける。
黒髪に混じる白髪や目元や口元の皺からみて、五十代か六十代だろうか。
飛び散るように付いた血が顔を伝うのにも気を止めず、男性は「判った」と、頷いた。
共に協力し、手早く男性を横に寝かせ、ネクタイを引き抜きワイシャツのボタンを引き千切るように開き――言葉を呑む。
首元に見えていた傷は男性の腰元まで続いており、更にその傷の両側を沿うようにして二本の傷が確認できた。
二本とも、首元と同じように深い裂傷だ。
ピクリとも動かない男性を見やり、強く目を瞑る。
この状況下で、まだ助けられる望みは有るとは……思えなかった。
「サエ、警察にも連絡を――」
「……うん」
春日の小さな返事を聞きながら、目の前で横たわる男性を見やった。
何もしてやれない情けなさと、申し訳なさに目頭が熱くなる。
一体、彼の身に何が起きたというのだろうか。
血がこびり付いた睫の下で開かれた虚ろな目に、真っ白に光る太陽が映っていた。
◆◆◆
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