◆死灰屠り(完/連)
第十五話
※
静まり返った俺の職場には、少年の姿は、あまりにも不自然だった。
当然だ。
こんな場所に子供が入ってきた事など、今の今まで見た事も聞いた事さえもなかった。
なのに、どうしてここに子供がいるんだ?
いや、それよりも、いつの間に?
先程、室内を見渡した時は、子供の存在には、気付かなかったが……最初から、いたのだろうか?
俺は、疑問に思いながらも軽く腰を屈めて少年に声を掛けた。
「おい、ボウズ、こんな所で、どうしたんだ?」
「…………」
依然、少年は、俯いたまま俺の右手を握っている。
少年の表情は俯いているせいか、影っていてよく見えない。
「迷子にでもなったか?」
「……この先で」
少年は、か細く消えそうな声で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……呼んでいる人が……いるよ?」
呼んでいる?
俺は、この奇妙な少年を改めて観察した。
年齢は四、五才だろうか。
細い手足に、小さな身体。
俯いたその顔は、はっきりとは見えないが何の表情も浮かべていないようだ。
能面のように、ピクリとも動かないその様子は、まるで、人形みたいだ。
ふと、何かが脳裏を掠めた気がした。
つい最近も今と同じような事を思わなかっただろうか?
大きく胸の鼓動が鳴り響く。
この先で呼んでいる人……
少年が触れている俺の右手。
強く握られている訳でもないのに、なぜ、右手が動かない?
「……佐々木」
背後から声が掛けられた。
俺は、その声の方へと振り返る。
「……それ以上……思い出すな。ここに居られなくなるぞ」
山岡は、悲しみを含んだ笑顔を俺に向けた。
「……山……岡?」
ここに居られない?
「……そういやぁ、角田が言っていたんだが、もうじき俺の婚約祝いのパーティ開いてくれるんだって? 嫁にその話ししたら凄く喜んでさ、折角だからってブランドもんの洋服買わされたんだぜ? たく、女ってのは……」
思い出すな?
「山岡っ!」
ああ、そうか、思い出した。
思い出してしまった。
山岡は、佐々木に背を向けると、自分の拳を近くのテーブルに振り下ろした。
ドン!という音と共に、テーブルの上に置いてあった缶コーヒーが、ゴトンと床に転がり落ちる。
「山岡、お前は……」
「……なんで、こうなっちまったんだろうな」
俺は山岡に声をかけようとしたが、何を言えばよいのか、分からなかった。
ただ、漠然とそれでいて、強い確信を感じた――山岡は、既にこの世の人ではない。という事を。
「あいつ、悲しむだろうな」
山岡の言う“あいつ”は、きっと、婚約した彼女の事だろう。
学生時代からの長い付き合いを得て、ようやく辿り着く筈だった幸せ。
その先にも、沢山の幸せが続いたかもしれない。
「俺が絶対に、お前を幸福にしてやるって、啖呵きってまで約束したのにっ」
そういった山岡の肩が、わななくように震える。
「……すまない」
俺は拳を握った。
助けてやれなくて……何も出来なくて……すまない。
「俺の気が変わらない内に早くいけ」
山岡は静かな声で続ける。
「佐々木も気付いているだろ? その右手の先で、お前を呼んでいる娘がいる」
「……山岡……」
「俺の背広の内ポケットにアイツへのプレゼントが入っているんだ。……届けてくれないか?」
「……あぁ」
「頼んだぞ」
任せておけ。
そう言いたかったが込み上げてくる感情に阻まれ、どうしても声にはならなかった。
※
[前へ][次へ]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!