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Uターン
おいでフィンガー・ドッグ

ゆっくりと鉄格子を開ける。腕を背に手錠を付けられ、座ってこちらを見ている。足で蹴飛ばすと頬をコンクリートにこすりつける形で足元に転がった。うめいて起き上がろうともがくが、上から足で踏みつけると大人しくなった。
「……」
黙ってどこか遠くを見ているようだった。もっと騒げばもう少し楽しいのだが、今までのソリエ兵は皆こうだ。何かを悟ったように、何も言わずじっと耐えようとする。左手首に刃を当てても、少し顔をしかめたくらいで特に何もしなかった。
「い……」
肉にめり込んでいく刃。ゆっくりと静かに、高い肉でも切るように入れていく。耐え難い痛み、というレベルではないがかなり痛むはずだ。じわりと滲み、刃を赤く染めてゆく。手が細かく震え、わずかに跳ね上がる。押さえているつもりなのだろうが、恐怖が手に取るように分かる。かわいそうなほど感じられていて、強がった表情を早く叩き潰してやりたくなる。
「まだ間に合うぞ。ほら、言ってみろ。その口は何のためについてるんだ?」
口だけの嘘。刃を持ってしまえばもう止められない。汗で滑って落としてしまいそうな所をぎゅうと握りなおした。
「……お……おれは」
「知ってるんだろ。言ってみろ、うん?」
固いものが刃に当たる。石のような、それ。
「知らないって……、言ってるだろ!」
空気を切る音、痺れるような感覚、耳をつんざく悲鳴。
「いあああ! ぎ、あ、が、っあ! はーっ、あう……ぁ、っは……」
「くは、ははは、は……!」
冷たいコンクリートに舞った赤い血液。その先にはびくびくと痙攣する手首から離れた手。
「っ……う……」
転がったグレンの腕を引っ張りあげた。上半身が持ち上がり、顔がよく見える。大粒の涙をぼたぼたとこぼし、血の上に広がってゆく。じっと切断面を見た。千切れた筋肉、ほどけた血管、崩れた関節、すべてが痛々しい。それが酷く愛おしくて、うまく頭が働かない。顔の筋肉がゆるみ、だらしない表情を作る。骨を舐め、血を啜った。痛みの中で不思議そうな顔で、グレンはただただこちらを見つめていた。鼻の中が鉄の匂いでいっぱいになると同時に自分の頭のてっぺんからつま先まで幸せでいっぱいになった。口の中で唾液と混ぜ合わせる。体が熱くなっていくのがよく分かった。
「うまい」
「……」
唇に付いた血を舐めとると、腕を掴んでいた手を離した。人形のように床に崩れ落ちる。
「あふ……は……」
後を追うようにくたりと倒れた。腰に重りが付いたように上に上がらない。手に力を入れて今度はひじに合わせた。
「っぎ!! あっあぁぅ……」
一回では切り落とす事が出来なくて、何回も何回も叩きつけて関節を砕いた。耳にこびりつく悲鳴と、ぐちゃりという嫌な血と肉の音。息がどうしても荒くなる。手が震える。落とした腕を拾い、またなめた。
「ほら……、早く言わないからこう……なる。今言えば足を落とされずにすむぜ」
「い、いや……だ。もう……」
「痛いのはあんまりだろう? 敵に情報を漏らすなんて、捕まっている時点で恥なんだ。おまえは由緒正しいアルクィンの、恥。そう歴史に残るんだ」
「っ……う……」
涙で貼りついたグレンの髪を払った。よく顔が見えないのはもったいない。太くて少し長い茶色の毛。ソリエ人のあかし。
「言うなら、戦争が終わってからどこか遠くへ逃がしてやろう。そこで畑でも耕して暮らせばいい。言わないのならば……、手も足も全部落とした後に公開で火あぶりにでもしてやる。どうだ、どっちがいいかなんて犬でも分かるな?」
恐怖によどむ目。呼吸で大きく膨らんだり沈んだりする胸。
「……っても、もう無駄」
「もう一回言ってみろ、ちゃんとだ」
「言って……、も、もう、無駄だ。全ては、決まっている。変わる事は絶対に……ない」
顔を歪めて薄ら笑いを浮かべる。気味が悪くて、髪をいじっていた手を離した。
「どういう事だ」
「ソリエ王国に勝利と聖女あり。その名はソリエータ。全ての悪を消し、頂点に君臨す」
人が変わったように顔をしっかりさせ、痛みがあるはずなのに急にそのそぶりを見せなくなった。
「聖女は人を束ね、剣とする。人を愛し、人から愛されるべきもの。選ばれた血のみ、使う事が許される。剣の下には平和と秩序。再生し、決して滅びる事はない」
「……」
「あの方こそが! 私達の! 希望の光! 私達は戦い続ける! そこに王がある限り!」
部屋に声が響いて震えるほどに叫んだ後、グレンは人形のようにくたりと動かなくなった。その瞬間、回りの空気がずんと重くなる。水の中に押し込められたように息苦しい。
床に転がったグレンの胸を触る。血がこびりついて固まったソリエの緑色の軍服。手から心臓の鼓動を感じた。死んだわけではないらしい。外はいやに静かで、鳥の声すら聞こえない。
何かあったのだろう。それにグレンが気を失ってしまったし、ここには用が無くなったのでさっさと出てしまいたかった。階段を素早く駆け降り、第二棟の扉を閉めた。
いつもの雰囲気とは違う。人が一人も居ないのではと思った。それくらい気配がしなかった。
「フランシス!」
「誰だッ!」
ふっと現れた気配にびくつき、銃を向けた。そこにはどこもかしこも真っ白な、雪の妖精のような女。
「……アシュレイ」
「探していたの。やっぱり私、いっしょに行きたくて。邪魔だったらいいから。わがままは言わない」
もじもじと髪を揺らしながら、手をいじる。綺麗に切りそろえてある爪を目で追った。
「それは構わないが……。ロバートはどうした、何かやってるのか? 様子がおかしい」
「くわしくは分からないけど、何かみんなにちょっとした連絡があるからって集めたんですって。ロバートにはちゃんと言っておいたから、大丈夫」
「そうか」
そう吐いて、何もいない第二棟と一棟の間をくぐり抜けた。ポケットに手を入れると、金属がぶつかる高い音がする。収容所の入り口の前には黒い車がずらりときっちり並んでいる。ポケットの金属音の正体はこれのキーだ。
「すごい! 私、車乗るの初めて。近いの?」
「そんなには近くない」
「ふうん」
何事もなく無事に進めば二時間ちょっと、といったところか。かばんを後ろの座席に放りこみ、ハンドルを握る。アクセルを踏むと、泥が跳ねる気持ち悪い音がした。



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あきゅろす。
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