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Uターン
きちがいピエロ

よく不気味な鳥の影を見る。大きな翼と鉤爪、長い足。見たことのない影に、ただただ純粋な恐怖を感じた。


しんと静まり返った空間に、棺が一つ。まだ子どもっぽさが残る体つきの、茶髪の少女が横たわっている。あまりふくらんでいない胸の上で手を組み、目を閉じて、まるで昔よく読んだ童話の白雪姫のようだと思った。王子のキスを待っているような、そんな穏やかな表情をしていた。白い花に囲まれて、ジッと動かず、眠っている。
これは現実だ。現実は重く苦しく、尖った剣のようにおれの胸に刺さる。童話と違うのはただひとつ―――。彼女は誰がキスをしたって、二度と動かないということ。向日葵に似た目はもう絶対にまばたきをしないし、柔らかい頬はもう絶対に歪まない。肌は真っ白だけど、いい印象を持てる白ではない。『生』を感じられる白とは遠く離れた、嫌な白。
触れると冷たい。コンクリートのようだと思った。見つめていると、腹に溜まった重くて苦い何かが溶けて、胃液と一緒に出てきそうになる。とっさに手で口を押さえたが、指の隙間から粘っこい糸がひいてきたのを感じて、急いでそこから逃げ出した。
壁にもたれて、ずるずる落ちる。眼球が零れそうなほどに目を見開いても、視界が歪んでまともに見えやしない。
食道がとろけるくらいに熱くなった後、足元に垂れ流したドロドロの透明な液体を何かが踏みつける。それは間違いなくヒトだったのだが、他のヒト達と違う感じがした。純粋に何かを気持ち悪いと思ったのは、初めてだった。
暗い緑に染めた髪に、真っ赤でどこまででも見通せそうな眼。背はスラリと伸びて、顔立ちは中性的だが弱々しい印象は持たせない。全てが芸術家の手で作られたような、整って美しい青年。知り合いでもないし、見たことすらない。
「……お葬式なんだね、今日は」
工場でどんどんと殺されるブタや牛を見るような目で遠くを見て、それは言った。
「知ってるよ。彼女は君の大切な人だったんだろ。彼女も、君の事をとても大切に思っていた。彼女は、君が悲しむ事を嫌う思うね。もう昔の、存在しないものなんだよ。これからを、存在するものを君は見ていかなければならない。すぱっと忘れてしまえばいい。ヒトは忘れられるように、作ってあるのさ。感情がどれよりも深くて大きくて、繊細だからね。そうでもしないともたなくなる」
「……」
「生きている限り、ヒトは死ぬ。彼女は少しばかり早かっただけだと、……そう考えると楽にならない?」
俯いていたはずが、顔が持ち上がる。首に冷たい感触、骨っぽい指が髪をなでる。
これは、なんだ? 『だれ』じゃない。『なに』だ。
何から何まで、不気味。不気味でないはずなのに、不気味。これには血が流れているのだろうかと、疑わずにいられない。
いきなり知らない何かが、よく分からない言葉を口にしている。落ち着けばもう少しハッキリ聞き取れるのだろうが、そんな事できるはずがなかった。吐き気、それの正体、冷たく氷のような指。周りが邪魔をして、冷静になれない。まとわりつく汗の気持ち悪さに、ぐらりと倒れそうになる。
「また、会いに来るよ。また……」
じゃあね、と手を振りながらどこかへ消えていった。おれは指の胃液を振り払って、最後を見届ける事にした。


彼女は病死でも事故死でもない。何者かによって、殺されていた。それは酷い酷い状態で、まともに見れたものではなかった。
手足は切断され、体の中は殆ど空っぽ。後はもう、思い出したくない。
何が一番つらかったか、おれが助けられたかもしれなかった事だ。犯人をしっかりこの目で見ていたし、最後の声をたしかに聞いていた。少し早く歩いていれば助けられたかもしれない。
犯人はヒトとは思えぬ姿をしていた。窓から飛んでいった生き物は、この世のものとは思えぬほどに醜い姿をしていた。それだけはハッキリ頭にこびりついて、離れない。
忘れてしまいたくても、きっと忘れる事はできないだろう。ついさっき、あれが『忘れる事ができる』なんてほざいていたが、自分の大事なひとが手足を切断されていて、その後に見たものが気味の悪いばけものだったなら……、眼球は記憶し、忘れる事ができないだろう。おれはそれを背負って生きていかねばならない。
いっその事、死んでしまおうか。彼女のいない世界は酷く退屈で、つまらない。この世界に生きる価値など、ない。
そんな事を考えながら、ギイと棺が閉まる音を記憶した。自分で自分を殺すなんて、そんな勇気は髪の先から足の小指まで探しても見つからないと言うのに。


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あきゅろす。
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