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Uターン
祈りの魔女

15世紀から18世紀のたくさんの女性が魔女裁判にかけられ、(あるいは男性の魔女とされた人たち)全ヨーロッパで四万人が殺されたとされる。処刑方法については火あぶりが好まれた。
が、しかし、ごく少数ではあるが悪魔とまじわり力を手に入れた人間がいたそうで、魔女狩りにおいて全て殺されたわけではなかった。今もひっそりとどこかで、当時の恐怖に身を震わせながら、生きているとも生きていないとも……。

この世に生を受けた瞬間悪魔に魅入られる者、偶然気まぐれな悪魔に見つかり契約をした者、死んでから魔女として生まれ変わった者、様々である。悪魔が存在する限り魔女は生まれ続けているのだから、いつの時でも、どんな国でも、存在はするはず。なんのために? なにをするために? なにもわからないまま、ただ人ではない化物に喰われるため、どこかで生まれつづけているのだ。


辺りが暗くなりつつある5時すぎ、各駅停車しか止まらない無人駅から歩いて数分すると、一体いつから人が消えたのか、古い廃ビルがある。誰かが入って雨風をしのぐわけでもなく、ただただ手付かずのまま放置されているのだ。
自殺スポットだとか、逃走中の猟奇殺人犯が隠れ家のひとつとして使っているとか、立つのは勿論よくない噂ばかりだった。
そんなことはおそらく、ない。面白がって、誰かが嘘をついたのが流れているだけだろう。でも、もしかしたら? そこに腐って食い散らされた死体があったら? それを見てしまえば、人はこぞって話を聞きにくるだろう。本物の死体ってどんなの? においは、どこまで崩れてたの。どんな人が死んでいたの?
昔見た映画の話。数人の男の子たちが田舎町を出て線路の上を歩き出したのは、その先に死体があるからだった。ないとはわかってはいたものの、そのドキドキを味わいたくって、そろそろとビルに忍び込んだのだった。
剥き出しになったコンクリートには蔦がめぐっている。ローファーをカツカツ高く鳴らすと響いて何度も鼓膜をうった。5階ほどの小さなビルで、事務所として使われているらしかった。崩れた机や、スプリングの出たソファーの残骸が散らばっている。窓ガラスは割れて、間違って転ぶと血塗れになりそう。
何かがいるのか、いないのか、はっきりしなかった。ぼんやりとした気配がある。すっかり夕日も沈んで、携帯電話を取り出してライトを頼りにしながら進もうとすると、目の前に顔が浮かび上がった。
目を見開いて、こちらに驚いているようだった。わたしも踏んづけられたネコのような悲鳴をひり出して飛び上がる。足を滑らせて尻餅をついた。起き上がろうと床に触れると、ちくりと痛む。ガラスの破片が刺さり、指先にぷっくり血が溜まっていた。
さっきの『顔』はおそるおそる近づいてくる。顔つきからして女だ、緑のかかった黒髪、皮膚病なのか、顔のあちこちが硬化している。20代の後半ほどか、びっくりするほど青白い顔は生気がなく、まるで死体が動いているみたいだった。
これはまずいと立ち上がって逃げようとするが、膝にも破片が刺さっていたらしくって、びっくりして筋肉が動かないのもあり、ゆっくりと近づいてくる女がわたしの顔を覗き込むのを止められなかった。
その女の頭からは朱色の角が二本、高く伸びていて、あきらかにそれは作り物ではなく、骨が変形してできたものだとわかった。肩や腕からも同じような骨が伸びており、手に至っては、まるで悪魔のように爪が伸び、一本一本はナイフのように鋭い。そしてこの女が死んでいるという事実を証明する、ひとつの特徴に目を奪われる。
腹に大きな穴があき、骨が丸出しであった。骨の隙間から、向こうの景色が見えるのだ。出血もなく、それどころか、血のにおいすらなかった。臓器のあった面影でさえもありはしない。夢か幻覚か妄想か、なんでもよかった。化け物にであってしまった! こいつは、わたしをどうにかするつもりだ。
じいい、っと、携帯電話のライトで照らされたエメラルドグリーンの瞳で、強い光に怯むこともなく、あたしの前にしゃがんで、真っ赤な舌をヘビのようにチロチロと遊ばせている。
「ねえー、あなた、もしかしてネクロマンサーさん?」
……わたしのわかる言葉だ。とりあえずこの化け物は、わたしのわかる言葉でコミュニケーションをとろうとしてる。ぶんぶん必死で首を横に振ると、太めの眉をひそめて困り顔。
「うそお。魔法のにおいがするのに。どうしようかしら……」
ほぼ裸同然の格好で、上半身は自分の体毛なのか、オオカミのようなごわごわの黒い毛で覆われているが、下半身はローライズの小さな下着を身につけているだけだった。
「でも、私の姿が見えているんなネクロマンサーよね。きっと、今まで悪魔を見たことないんでしょ。それか、小さなころだったから覚えてないとか。なかなかないことだけど……、ま、そんなこともあるわよね」
何を言ってるのかさっぱり……、わからない。魔女とか魔法とか、そんなのファンタジーやメルヘンの世界じゃないんだから。なんて言えるわけなかった、この女がファンタジーやメルヘンの世界の住人であることは、信じ難いことだけれど、そう整理するしかない。
「小さな魔女さん、どうか私を助けてくれないかしら」
わたしの手を拾い上げて、ガラスの刺さった指をなでると、ガラスは粉々になり血が止まった。ぽつり、と瘡蓋だけが残っている。

「ねずみのはらわた、コウモリの牙、黒猫の眼球」
そう呟いたあと、必要なものよと付け加えた。
「エクソシストに見つからずにこれを集めるのはとても大変なの。見つかったら、殺されてしまうの。ここでずっと隠れていたわ。でも、魔女さんがいるなら、私も心置き無く……」
化け物の女が目の色を変えた。血の色、真っ赤な色。はっと飛びのいて、出口のほうへ歯を剥き出して威嚇している。振り返ると、確かにそこに人影があって、それはゆっくりと近づいてきた。
「助けてっ!」
人だ、! 立ち上がって駆け寄ろうとすると、化け物の女に服の袖を掴まれる。
「だめ、あれは……」
若い男だ、ちょっと背は低い。学ラン姿で、ふつうの日本人。どっちかというとこの女のほうがおかしいし、やばいもの。
「いい隠れ家を見つけたよーだが、それも今日で終わりだ……!」
その手には、バールのようなものが握られている。てらてらと血がしたたっている。
「エクソシストよ!」
なにっ!? それって、この化け物を殺してくれるんじゃないの? でも、あたしもその標的に……!?
「殺せやしないけど、追い払うだけでいいわ。力を貸して。私の目を見て、名前を呼んでくれるだけでいいの。契約をすれば、身を守ることはできるから」
そ。そんなの。じっと見つめてくる化け物、よってくる足跡、散らばる血だまり。風でさらわれる髪。

「氷像の娘、コンスタンティア・ブランクーシ……」
その瞬間化け物の足元に魔法陣が輝き出した。内容はラテン語? ……それすらもわからないし、読めない。化け物はわたしの前に立ちふさがり、バールのようなものを持っていた男は舌打ちをした。
「私はもうフリーの悪魔じゃないわ。それでも殺すかしら、新人エクソシストさん」
「ネクロマンサーめ……」
「しばらく襲ってこないよう、軽い凍傷にでもしておくわ。すぐに病院にかからないとダメよ?」
化け物が投げキッスすると、エクソシストの手足に氷の枷がはめられた。すぐにあたしは化け物に抱きかかえられ、割れたビルの窓から飛び出した。
……落ちる! と思い身をこわばらせると、すぐにその必要はなかったと知る。……浮いていた。化け物はふわりと上がって屋上にわたしを降ろすと、自らも床のギリギリまで落ちてくる。
「びっくりしたわね。ありがとう、名前を呼んでくれて」
「……自分でも、なぜ、わかったのか……」
「あなた、魔女の目を持ってる! 私にはすぐわかったわ、だって渦巻く魔力がただのネクロマンサーとは違うもの。……ああ、魔女の目っていうのはね、悪魔の本当の名前が見えてしまうのよ。名前が知られたら、悪魔はそいつの支配下におかれてしまうの」
「……じゃあわたしは……」
「そうよ。あなた大魔女さまの生まれ変わりかもしれないわ。大魔女さまは魔女の目を持っていて、すべての悪魔を支配下に置く偉大なる魔女なの。大魔女さまの悪魔軍は地球のどこの国の軍よりも強いのよ」
ごくり、と唾を飲んだ。わたしが? そんな、現実とは思えないことを!!
コンスタンティアと呼んだ化け物……、悪魔、か。それはわたしの手をとり、手の甲をわたしの目の前に。……あたしの肌に、身に覚えのない刺青がしてある。
「……mement mori」
メメント・モリ。
「『死を記憶せよ』よ」
コンスタンティアの顔を見上げると、にっと笑ってわたしの頭を撫でた。
「私と契約したしるしなの。それがある限り、私はあなたを守ってあげるわ。魔女さまの犬になるの……。でも、しばらくは、あなたを守ってあげるから、儀式に必要なものを集めてくれないかしら。基本的に、悪魔はネクロマンサー、エクソシストにしか見えないの。なかなか、不便でね」
何を言ってるかサッパリでぽかんと口を開けた。察したらしく、優しくあたまをなでる。
「私と一緒にいてくれる?」
どうして?
橋の上に走る各駅停車はゆっくり動き出した。
「見つかったら、殺されちゃうの。でも二人一緒なら、いまみたいに殺されなくてすむのよ」
あんただれ?
「そうね、ごめんなさい。でも、わからないわ、話しても。死にたくないの、もう、死にたくないの」

二時間くらいはポツポツと会話といえるような会話もせず、ことばを投げかけるだけだった。考えてもよくわからないし、聞いてもわからないだろうので、とにかくわたしも死にたくはなかったから、下から人の気配がなくなったころにビルを出て、二人で電車に乗った。彼女には、切符代は必要なかった。



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あきゅろす。
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