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Uターン
黒きしじま

うちに帰って親父が用意したベッドに横たわったあたしは、置いてきたライラックのことを思い出していた。あの世界はどうなるのだろう? あたしが体験したことを考えれば、あの世界は間違いなく存在しつづける。あたしがいなくなって困るような歳ではないし、ニルスおじさんや親父(こちらのではなく)にとっては、まあ、……ベルベットさんらはわけを知っているけど、教えてもらわなければいつのまにか全て投げ出して消えるなり死ぬなりしたと思っているだろう。
実際、そうだけど。現実を受け入れることが未だにできなくて、理想の未来が捨てられなかった。それを家族より大事だと判断したのは間違いなく、あたしだ。後悔してないなんて言えない。親としては最悪の選択、自分勝手に自己満足したいだけ。ただあたしが、そしてあたしとあいつが幸せになれさえいればいいと思っている。ヒトであることを捨てさえしてまで。
この体は休むことを必要としてるんだろうか? あたしはなにがしたかったんだっけ? 脳みそは女から少女に変わっている。

追いかけてきたあの男には覚えがある。影の中の死体の男だ。母さんが殺したに違いない、赤い髪の、……ライラにそっくりな男。ライラの父親。
セオドアの側近で、セオドアの側近ということはベルベットさんの兄貴にとても近い存在。実感なんて全くないけど、ヒトをやめたことで目立つ存在になってるんだろうか? こんなにも早く天使に見つかるなんて。
……とにかく、天使に捕まらないように贄の戦いを終わらせなくちゃならない。そうでなきゃ、あたしはこっちに来た意味がない。あたしが来てやったことで贄の戦いが起きないならなによりだが。

あまりにも部屋が静かすぎて恐ろしく、あたしはテレビに手を伸ばした。金髪の美人と司会者のトーク番組のようだ。この女、ワンピースを買った店にいくつもはりだされていた女だ。……名前はガブリエラ。
天使がこういった場にいるのは珍しい。どちらかというと悪魔が目立ちたがりの言いたがり、人によるけど天使は基本的に性質的には……、表面上はおとなしい。
ガブリエラはカリスマモデルをしているらしくて、いまの時代知らない女性のほうがおかしいくらい。……あたしの聞いたところでは、ガブリエラという天使は贄の戦いで敗走して以来行方不明だったという。
見入っているとノック、開けると親父。当たり前だが。

「ごめんね。起きてるみたいだったから。ちょっといい?」
「ああ」
扉の前をどくと、親父はベッドにこしかけた。となりに座るとふんわりシャンプーの香りがした。
「NDはだめだけど、ある程度は動いていいって」
「本当か?」
「うん。その……、アイヴィーちゃんの知り合いの人と話を取り付けたみたい。その、……目的があるんでしょ? その目的を達成するほうを優先したみたい」
そりゃ、ありがたいや。衣食住が確保されてるというだけで本当にすばらしい! NDから情報が入らないのは痛いがある程度は親父から漏れてくるだろうし、セオドアが関わるのならあたしに伝えざるをえないだろう。
「その、がんばってね」
「ありがとう」
「うん、きっと大丈夫、できるよ。なにをしようとしてるのか、頭の悪いぼくにはわからないけど」
「絶対やってみせる。そのつもりでここに来たんだ……」
……そういえば、この時計は時を止められるが。じっと見つめて針に触れ、少し後ろに動かす。……あの鐘の音。頭に響く強い金属の。
「その、がんばってね」
「? あ、ああ」
「うん、きっと大丈夫、できるよ。なにをしようとしてるのか……」
待て! しぐさも声のトーンも、まるっきり同じだ。もしかしてと思って少し動かしまた鐘の音を聞いた。
「うん、きっと大丈夫、できるよ」
……まるで、ビデオテープのように繰り返す! 何度でも!
「……」
「どうかした?」
「いいや。ありがとう」
「いいんだよー。かわいい子の力になれるのはうれしいよ」
さっと立って、部屋を出た親父を見送った。
……あたしは、この世の時間を支配している! ここまで弄ぶことができるとは……。

窓を開いて飛び出すと吹き付けるビル風にとばされかけれる。手に持ったサンダルを飛ばされないように庇いながら路地裏に降り立ち、サンダルに足を入れた。
うずくまってぶるぶる震えているなにかが目に入る。犬にしてはでかい。はて、さて。酸っぱい胃酸の香ばしいにおい。
「う……」
いつか見た酔っ払いだ。
「ツォハル?」
顔をやっと上げたすらっとした男。髪の毛はくちゃくちゃ、よだれと涙と吐瀉物で顔はぐちゃぐちゃだ。
「あぁ……。いかれたお花のかわいこちゃん」
「こんなところで? どうした?」
「どうしたもこうしたも、この通りだ」
よろよろ立ち上がってカッコつけたみたいにニヒルに笑うけれど。
「そうだ、アッシュ・ブロウズには会えたかい?」
「まぁね」
「よかった、よかった。ちょうどきみに話があってね」
腕で口をぬぐって、一息いれてあたしを見て。
「逆にきみを探してる人が。心当たりは?」
母さんくらいしかあたしを探すような奴はいないな。新聞売りのおじさんが、なんてことはあるわけないし。
「それは黒髪で右目の下にほくろがあって、無愛想な」
「ああ、ああ」
「女」
「……いいや?」
「あれを女に分類するのは難しいだろーが……。女だ。グレイ・キンケードだろ?」
「まさか。キンケードにはよく似ていたが、すらーっと背の高い男だよ」
「間違いはないのか」
「きみが勘違いしているんじゃ。あれを、女と間違えるわけないさ。名前は『ライラック』っていってね」
目を見開いて掴みかかろうとするのをなんとか思いとどまった。
「……会わせてくれるか?」
「ああ、もちろん」
路地裏から飛び出してどきどきする心臓も飛び出しそうだった。……ライラック、ライラックがなぜ? そもそも本物のライラックか?
後ろを黙ってついていくと郊外の古いアパートにたどり着いた。青いペンキで塗りたくられた冷たい階段をのぼると、すぐにツォハルは立ち止まる。
「おれのうち」
「本当にいるのか?」
ニコニコして鍵をあけ、電気をつける。強く輝いて目に悪そうな明かりの奥に見覚えのある影が。息を飲んだ。横になって眠っているようだけど、息遣いや魔法臭で嫌でもわかる。
そおっと近づいて髪を払って顔を見ると、あたしはとんでもないことをしでかしたと実感した。頬に触れると、いやに冷たいのだ。死んでいるみたいに。
骨っぽくて大きな手が伸びてきて、あたしの手を覆った。
「よかった」
「よかねえ……」
「よかった」
起き上がってあたしの顔を見てにいっと笑うのは間違いなくリラで、あたしは自分を頭の中で罵ったし、余計なことを吹き込んだろうベルベットさんを恨んだ。
「どうやってここにきた?」
「……ずっと、探してたんだよ。骨さえ上がらないから、何処かに連れて行かれたんだと思ったんだけど。やっぱり探せるところには限界あるし、……。そしたらベルベットさんがね。わけを聞いたよ。『あなたのお母さんはあなたを犠牲にしてでも全てを正すことを選んだ』って、よくわからないけど、とりあえず何処にいるかわかったから、まぁ……、いろいろしてもらって、来ることができて」
「バカだな。おまえは。母さんはもっと、バカだ」
「びっくりしたけどさ、どうしてか、すごく若いね。ぼくと同じくらいに。でも母さんだ」
つまりはリラもルールから、はずれたのだ。あたしを追いかけるためだけに。
「危険だが、戻れなんて言わねえ。おまえの意思を尊重しよう。もう、大人だからな」
強がりだ。ずっと心細かった。リラはどうあってもずっとあたしのそばにいてくれる。いくつか日が過ぎたからか、少し背も伸びて男らしい顔立ちになった。
「連れてじゃないと、戻らないよ。お父さんがいないんだから、ぼくが守らなきゃ」
頼もしいな。それに優しい。そんな我が子を捨ててまで、巻き込んでまであたしはここに来て、変えたかったものがあったのか? 泣くのは大人気ない。やめておこう。
「そのぉ……、感動の再会中ごめんだけど。これからどーする? 行く先は?」
キッチンから、水を持ってきたツォハル。あたしたちに手渡してくれる。
……親父にリラまで頼むことは流石に……。またひとつひとつ説明するのは面倒だ。前にしたように雨風から身を守れる場所があるなら、そこで構わない。むしろそのほうが自由に動けて都合が良いが、警察からの情報やもしもの時にあのラスボス『ルシファー』からの援護は受けたい。
「……迷惑はかけられないし、二人でなんとかする」
とりあえずこう言ってここから出るしかない。
「どうするつもり?」
ツォハルの言葉は刺さる。
「助けてくれる人はいるから、とりあえずその人のそばに」
親父のうちから近い場所に最初は居た方がいいだろう……。
「べつに、おれは助けてやるのに。女子供のひとりやふたり、わけないって。留守中の番犬にちょうどいいだろ?」
「そこまでしてもらえない」
「おれたち、同じ仲間じゃないか。困ってる奴がいたら助けてやる。仲間ならなおさら」
何か企んでいるようには見えない。胡散臭いが、悪い奴ではないのもわかる。あたしが拒むのは良心のせいだ。
「それとも、おれのことが嫌か」
「そうじゃない……。でも……」
ごめんなさい。そう言いかけた瞬間、空気の流れが変わった。細い糸がいくつも絡み合って、あたしたちを捕まえようとしているようだった。
「……ねえ、ぼくらを狙ってるみたい」
「いくつかわかるか?」
あたしの五感はいいほうだが、流石に締め切った窓の外を鮮明に嗅ぎとれるわけじゃない。距離は近い……。方向もわかる……。
「10、ほど」
じっと窓を睨む。バルコニーはわざとらしく静まっていて、
敵のにおいはぷんぷんするのに。ツォハルもなんとなく理解したらしく、じりじりと皆で後ろに下がった。玄関から気配はない。奴らと広いところでやりあうのは不利だ。機動力は遥かに向こうのほうが上。
悪魔は群れることがあまりないためか、目立ったのだろう。
「非常口は地下にあるんだ。そこを取られんように……。出て右の奥を背にして下がりながらひとりずつ殺そう」
「……殺す? 全員?」
リラの消えそうな声に、ツォハルはがぴしゃりと言い放った。
「外に出れば死ぬ! 地下で追いかけてきたやつを全部仕留めないと出られないぜ」
部屋をゆっくりと後にする。扉は開けたままだ。窓からは敵の気配がするのに全くかかってこようとしない。
右には緑色の『非常口』看板が上がっている。
「リラ。おまえに、これを少し貸しておく」
懐中時計を手渡すと、リラはなんとなくこれがなんなのか、誰から出たものかはわかったようだった。
ガラスの破片がここまで飛んでくる。きたか……。踏み潰す音は不快だ。
「ツォハルと一緒に高めにジャンプしろ」
「ジャンプ?」
四つん這いになって目を見開く。指はくっつき、鼻と顎が伸びる。白い毛は全身を覆い尽くし、生えてきた鋭い爪はコンクリートの床を削り取った。背にジャンプしたリラとツォハルが乗る。
「掴まれ! 落ちても拾えないぞ!」
下だ、下! 後ろ足にぐぐっと力を入れて踏み出す一歩は大きい。階段は全てジャンプでおりてゆく。緑の輝く非常口のライトの奥にまた階段があって、それも滑るように落ちるように。
翼がこすれ合う音がいくつも聞こえる。振り返ることはできない。リラが銃で牽制しているものの、揺れて安定しないものだからろくに当てることはできない。
「地下通路は少し長いんだ! 奥の階段が見えたら止まれ!」
ああ、確かにまた緑のライトがある。あれを取られずに10人素早く殺す……。
出口まであと数歩というところで二人を下ろし、振り返った。翼をたたんで足を燃やし走ってくる先頭の男。牙を剥き出して吠え、少しひるんだものの構わず向かってくる。
顎を開いて炎を吐くが、まるですずしい風にあたっているようにしてあたしの顎の中に入って……。
リラが飛びかかるとすぐに引いて、追いついた仲間に混じった。
「……ひとり、酸使いがいるのわかるか?」
……確かに言われてみりゃ、すっぱい魔法臭してるやつがいるな。ツォハルは何を企んでいるのか……。
「そいつをできるだけ、触らないようにしてくれるか?」
耳打ちが終わるが、天使どもはじっと構えるだけでかかってこない。
「サマエルが逃がした奴だ。あの白い狼は殺すなよ」
ごうごうと足を燃やした小柄な少年。ありゃあ……、サタンに乗っ取られたレッドフィールドのユーリスだ!
「おとなしくついてくるなら、乱暴はしねー。できるだけ優しく連れてこいって命令だ」
リラがわかりやすく動揺している……。あれを知ってはいるが、あれの過去は知らんのだ。
「……イスカリオテとあのガキは死体でかまわねえ。悪趣味なパッチワークのいい材料になるよ」
後ろで女が叫んだ! 後衛の女だ。いやなにおい。酸使いが自分とまわりに酸を放ったのだ! ユーリスが素早く振り返って女と周りを蹴っ飛ばし、火をつけて灰にかえてしまう。その隙に前衛に噛みつき、リラが影の弾幕をはった。あたしの体をすり抜けて弾は天使どもの体を貫いてゆく。
「脱出してくれ! ツォハルを連れて走れ!」
あたしとリラは逃げることに関してはプロだ。二人ならいいがユーリスが混じって、ツォハルを連れているなら話は別……。
素早くリラはツォハルの腕を取り、足を黒く燃やして非常口を抜けていった。ある程度時間稼ぎができれば。酸使いの自爆とユーリスの手によって死んだのは半分、あたしがひとり負傷させたぶんで動けるのはユーリス除くと3人。なんとかなるか……? あれはあたしを殺すつもりはないらしいし。
ユーリスが合図をして、残りが引き返してゆく。……リラとツォハルを追ったな。ツォハルはこっちに詳しいんで、リラと一緒ならうまく逃げられるだろう……。そう信じないと……。
背なんて到底、見せられない。どうするか……。時計があれば逃げられるが、あたしは化身していないとただのか弱い呪い使いということを忘れてはならない。
「アイヴィー・ブランチフラワー! どうやってここに来た?」
「話す必要はない」
「お前は『異様』だ。生け捕りにせよと命令が出ている。わざわざあのサミュエルが出て、なにも持って帰らなかった。妙な術を使うらしい。……が、その様子を見ると今は使えねーようだな!? 僕の手柄だ!」
目の前に広がるのは赤色、炎の色、錆の色、血の色、肉の色。





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