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Uターン
番犬が死んだ

ユーリス・レッドフィールドが死んだとこちらに伝わってきたその二日後、彼はあたしの目の前に立っていた。その体は抜け殻で、あたしのご先祖であるサタンという悪魔が乗っ取っていて、魔界でそれを待っていたベルベットさんと一緒に元居た世界に帰るために、そこに立っていた。
「まあ、ずいぶん遅かったわね。向こうの時間の流れもこちらと一緒になったんだったかしら?」
黒いドレスに長く白い足。ゆるくウェーブのかかったセクシーな黒髪は光に当てられて緑色に輝いている。すべてを見透かす目からはたくさんの睫毛が伸びていて、自慢げにカールしてみせていた。
「アスモデウスが死んだからさ。あの天使が殺したからさ」
ユーリスの姿をしたサタンは口を尖らせた。
「仕方ねーよ、過ぎたことだ。よおく我慢した。さ、向こうでベルゼブブとマンモンが待ってる」
金色の癖っ毛を分けるように角を生やした少し小柄な男の子。肌は虹色の鱗に包まれていて、手からは黒く鋭い爪が伸びている。目の奥には渦が巻いていて、吸い込まれそうな海の明るい緑をしていた。レヴィンといって、海の奥底で眠っている悪魔だ。人間に近い姿をとることもできるが、普段は巨大な竜の姿をしている。彼のいびきは雷を落とし、くしゃみは竜巻を発生させる。寝返りは地震で、あくびは雲をあつめて大雨を降らせるのだ。彼もベルベットさんやサタンと同じ存在で、向こうの世界への扉をこじ開け、弟であるサタンを迎えにきたのだった。
ベルベットさんの世話係をしていたあたしは、やっと解放されると胸をなでおろした。なんだかいまいち馬が合わなくて、ストレスの原因にもなっていたと思う。
「もう、会わないことを祈ってるよ」
あたしがそうこの悪魔たちに吐き捨てると、皆揃ってにこやかな表情。
「ええそうね。私たちは会わないほうが幸せなんだもの」
「セオドアを閉じ込めてくれてありがとう、僕の子孫さん。どうか、幸せに」
「さびしいな、その言いぐさは。まあ、しかたないか」
開いた扉の向こうは、かつてレヴィンが眠っていた海のほこらだった。龍の石像のそばにはいつも食べ物と飲み物が置いてある。そこに佇む白髪のひょろりとした青年、あたしに似ていることから、同じ血が流れていることがよくわかる。蝿の悪魔、ベルゼブブ。そして小型犬の姿をとっているマンモン。
「ねえ、あなた。後悔してない?」
ベルベットさんが振り向いて。
「なにを……?」
「彼のことよ」
「……してないって言ったら、うそになる。でも、正しいことをしたとも、……思う」
「そうねあなたは、皆にとって素晴らしい選択をしたわよ。でも、もっといい選択肢を探したくはなくって?」
不敵な笑み、レヴィンはわかったような顔をして、やれやれ仕方のないやつだなあと腕を組んだ。
「……どういう……」
「私もね、あの子のことが気にいっていたから、寂しくて。だからね、少し頑張ってみない?」
「あそこから出す方法があると?」
「いーえ、ないわよ。あの娘……、グレイは私たちと同じような存在になってしまったわ。ひとつ上の次元にいってしまったのよ。ヒトでもなく、ましてや神でもないけれど、誰よりも神に近い。この世の理をねじ曲げることだってできるんだから」
あたしの手に古い懐中時計を握らせる。金色の蓋にはピンク色の涙型をした宝石が埋め込まれていた。
「でもそれって私たちも一緒なのよ。理をねじ曲げることはおろか、これだけ集まれば世界を作り変えることだって不可能じゃない。そんなことをしたらよそから怒られちゃうけれど。だからね、必要最低限のゆがみをあなたに渡していくわ」
蓋をあける、ただの時計。ただの時計の針は沈黙している。
「あの子……、倫太郎といったかしら。あの子の力で可能な時間移動は、限られていたでしょう。過去をやり直すことはできない。この世のルールに乗っ取った上での時間移動だから。でもそれの時計は、ルールから外れた存在よ。過去をやり直すことも、あったかもしれない未来も見ることができるわ」
「……これは時間移動をする道具……?」
「ええ。螺子をまいて、どの時間へ行きたいか考えて。動き出した時計の針を指で止めれば、時間は止まるわよ。指で押してやれば動き出すわ」
針に触れようとすると、その手を止められる。
「使うと、この世のルールからはずれた存在になっちゃうわ。それでもかまわない?」
「この世のルール?」
「『めぐり』よ。繰り返し。雨は海になってそれは雲になって雨に戻るでしょう。太陽はのぼって沈むのを繰り返すわ。あなたの体は繰り返しによって成り立っている。その繰り返しから外れるということは、繰り返さなくなっちゃうのね、あなただけは。だから、体はいずれ死ぬけれど、リンカーネーション……、これも繰り返しでしょう? これが起きないから、そうね、死ねなくなるってのがメリットでデメリット」
レヴィンが首を伸ばし、あたしの手の中の時計を見る。
「いいのか? こんなもの渡して」
「長く私のお世話焼いてくれたから。お礼よ」
金色の小さな鎖。じっとそれを見つめる。こんなただの時計、とんでもないものには見えないけれど。
「使うか使わないかは、あなたの好きになさい。いらないからといって、質に流したりしないでね。使わないと決めたら、壊してちょうだい」
これを使えば、この今を変えられる? 今よりずっといい結果を探し出して叶えることができる? 大事な人が誰も死なない世界なんてひどいエゴの押し付けだ。でもあたしはそうしたい。その答えを明確に、この女は差し出したではないか。
「……あたし、これを使う」
「ふふ、あなたならそうすぐに言うと思ったわ」
レヴィンはサタンと顔をあわせ、複雑な表情。
「あなたたちにはこの気持ち、わからないでしょうよ。男の子と、化け物にはね」
あれに会いたいというそれだけの気持ちですべてを投げ捨て、ヒトでも悪魔でもないものに成り果てたとしても。
あたしの顔に触れたベルベットさん、体は白く、若く、過去のあたしへと変わってゆく。
「また会えた時、おばさんの格好じゃ気づいてもらえないかもしれないから、私からのふたつめのお礼よ」
ゆっくりと頷いて、手の中の時計を握る。さあ、あたしはどこに行きたい? どこからはじめようか?

「アイヴィー・グレイ・ブロウズ。あなたは今からヒトじゃなくなるわ。平等な世界にいるただひとりの不平等な異物よ。その覚悟の上であなたはあの子を助けたいのね。あなたただひとりの幸せのために、他のすべてを、愛する我が子をも犠牲にするっていうのね」



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あきゅろす。
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