[携帯モード] [URL送信]

Uターン
手向けにライラック

あれからしばらくは、あたしたちの世界に大きな戦は起こらなかった。両陣営のトップや有力者、血縁関係の者がことごとく死亡、行方不明、寿命わずか、廃人化……。とにかく戦なんてしている状況じゃない。
悪魔側はニルス・ファフリー、そして天使側はグロリア、そしてユリウス……、レッドフィールド卿がどこからか用意した直系の子どもを経て、ユーリスかマナ・ヴォジュノヴィックかの息子リオが後継ぎになったらしい。
しかし若くしてグロリアやグロリアの姉ソフィア、ジャスティンとユーリスの兄弟、ユリウス、マナ……。レッドフィールドの若者がどんどん死にゆくので、近親姦が行われているのではないかという噂で、街はもちきりだった。
近親姦はどこの世界でも、今やタブーだ。うちでもそうだ。悪魔や天使は子どもを作ると、親によく似る。家系図をさかのぼりご先祖さまの写真を見ると、ちょくちょく自分とそっくりな顔を見つけることができる。そのため病気や障害を持って産まれてくることが人間よりもかなり、多い。
近親姦によって産まれたライラは視覚が弱く、死ぬ前はもう全く目が見えていなかっただろうと看取ったレヴィンは言った。グロリアは重い障害は持ち合わせていなかったものの体が極端に弱かったらしく、人に見える場所では我慢してきたようだが城に戻ると喘息の発作で苦しんでいたようだ。城にずっと閉じ込められ、必要な時に旗印になるために生きてきた。
そのためかレッドフィールド家は強く批判され、そんな者たちに支配されるなんてごめんだと言う民衆は反乱軍を作り、着々と戦の準備を進めているようだ。
反乱軍のトップに立ったのはアシュレイ・アシュダウンと言う没落貴族の一人息子だ。マナの政治により城を追い出され、どこにも行く場所がなく幼い弟妹と老いた親、それから残った少ない軍を連れ、スラムへと逃げ込んだ。昔の家を見にきた倫太郎さんと出会い、レッドフィールドの軍隊に入ったがある程度の金を稼ぐとすぐにやめたらしい。その行動は正解だった。レッドフィールド家に居ても批判され、家の立て直しなどできないからだ。戦いの知識をある程度学ぶと、軍から抜け民衆の怒りを煽ってその矛先をレッドフィールド卿に向けるためにひたすら口を動かした。
きっとすぐに、アシュレイ・アシュダウンはレッドフィールド卿を殺し、反乱軍『羽虫の団』は城を乗っ取るだろう。
白い髪と真っ赤な目、呪い使い。……どうやらアシュレイとあたしや親父は遠くない親戚にあたるらしい。ニルスおじさんは十分に警戒しており、新兵の強化に力をいれていた。
スラリと伸びた手足や人形のような目、透けるような髪。そう、誰が文句を言えるだろう、彼は美青年であったし、爽やかな優男風で、人をまとめあげる才能がある。……まるであのセオドアが乗り移ったようだと親父たちは言った。もう戦争はごめんだ。


「リラ」
「母さん」
ビルのてっぺん、ガラス張りのデスクルーム。どこから天使の襲撃があってもすぐにわかる仕様だ。昔は母さんの、今はニルスおじさんのもの。その机にぴったりついて、おじさんに寄り添うようにして何かを見ていた愛しい我が息子が声をあげた。黒のごわごわ髮、赤い目、なきぼくろ。
「探したんだぞ。またおじさんに迷惑かけて」
そう叱ると、しょんぼりと肩の力を落とし机から離れた。ニルスおじさんは微笑んだ。
「かまわないよ。オレが誘ったんだ」
何を見ているのだろうとのぞけば、うちの家のアルバムだった。あいつばかり写り、時折親父、ごくまれに母さんの写真。もちろんあたしの姿はない。あの家族のアルバム。
「この人がお父さんでしょ? ひどいひとだね、お母さん置いて死んじゃうなんて」
「死んでなんかねえよ……」
「いい加減さ、そんなこと言うのやめようよ。お父さんは生きてるって言ったって、ぼくが産まれてから戻ってきたことなかったのに」
「あたしはまだ諦めてないんだよ。諦めたくないんだ」
「ぼくはお母さんの辛そうな顔を見るのがつらいよ。もうどれほどになる? 忘れるのも悪くないって思う」
「おまえに何が分かる!?」
思わず叫んだのを、ニルスおじさんが止めた。髪の毛から毒の鱗粉が飛び出している。少し子どもから離れ、息を飲む。
「……ごめん。部屋に戻ってなさい」
そう言うと逃げるように部屋を飛び出していってしまった。ニルスおじさんは苦笑いしている。
「いい子じゃないか、親思いの」
「あたしにはできすぎた子供だよ」
「……何度も聞こうと思っていたんだが。あの子、自分で産まなくてよかったのかい?」
「そりゃあ、あたしだって産みたかった。けど、そんな親の独りよがりなわがままで子どもが長生きできないなんて可哀想だと思って。昔みたいに、戦だ喧嘩だ殴り合いだなんて時代でもないし」
あいつの子ども、ライラック・グレイ・ブロウズ……、あたしはリラと呼ぶのだけど……、はあたしが産んだ子どもではない。保存していたあいつの子種を別の女性に預け、子どもを作ってもらったのだ。ライラックは(一応血縁関係上で考えると)兄の子ども、つまりあたしは叔母にあたることになる。
しかしあたしは子どもを引き取り育てたので、あの子はあたしが叔母だとは知っているものの、小さい頃のくせが抜けずお母さんと呼ぶ。そのせいかあたしも、自分で腹を痛めたわけではないがとても愛しく感じ、溺愛していた。あの倫太郎さんとライラの関係のように。
名前はあたしが名付けた。ライラック、は花の名前だ。別名リラといい、過ごしやすい季節に咲く紫色の美しい花。もちろん由来はあのライラからつけている。こちらの世界のライラはすっかりおとなしく弱気で、心の病を患っているのではと思うくらいの酷い有様だった。実際、そうだとも話は聞いている。
しかしあたしが生まれたあの世界では、こちらのライラよりはいくらか元気で賢く正義感があり、倫太郎さんとそっくりな男だった。倫太郎さんに強く依存することもなく、弱視だってなるべく人に頼らず様々なことをこなしていた。親同士が仲がいいし、周りに殆どいない異能者の子ども同士ということであたしとライラは意気投合し、ついには恋人になったのだ。こちらに来てからはあたしはあいつに強く惹かれ、ライラとは友達という関係に収まったが、あたしは過ごした大切な時間を忘れてはいない。
大切な友人の名前を自分の子どもにつけることは珍しくともなんともない。それから、あたしたちの名前の由来を教えてもらい、あたしも自分に子どもができたらそんな名前をつけたいと思ったからでもある。
チャコール・グレイ・ブロウズ、それからあたしの自称する……、これは全く偶然の話なんだけど、アイヴィー・グレイ・ブロウズ。チャコールグレイも、アイヴィーグレイも、灰色の名前の種類だ。あたしの母さんの名前はグレイ、親父の名前はアッシュ。どちらも灰色、灰を表す言葉だ。
黒にも白にも染まり切らぬ、個性をもった人間に。母さんと親父に名前をつけたルシファーさんがそんな思いをこめて名付けた名前。母さんと親父もその思いを受け継ぎ、あたしたちにもそんな名前をつけた。そしてあたしも……。

しばらく考えたニルスおじさんは、それもそうだと納得した。ずいぶん老け込んで、引退の話をよくちらつかせている。悪魔のトップになったことで、おじさんはリリィさんと暮らせなくなったのだ。彼女はかつてヒルダさんがそうしたように、地上に小さな小屋を建て、ふたりきりでのんびり暮らせる時を待っているらしい。
引退しようにも後継者がいないのも問題だ。ニルスおじさんには子どもがおらず、あたしと同じ年頃のイライジャという甥っ子がひとりいる。しかしイライジャは戦いが得意ではない上に、自身の変わった能力を使って世界中を渡り歩くジャーナリストとして活躍しており、連絡をとることはほぼ不可能であった。
地上は今大きな戦乱の中にある。……詳しくはあたしに知る必要もないので知らないが、世界を巻き込む大戦争の真っ只中なんだそうだ。母さんが居た時までは規制していた技術開発が解禁になり、国々はこぞって強く禁止されていた宇宙、そして武器開発へと力を注いだ。そのためこれまでそんなに大事にはならなかったことでも簡単に武器を使うようになり、それが連鎖しだしたらしい。
異能者も多数参加しているらしく、役所に異能登録している者のところには優先的に出兵命令が送られているという。そんな命令を無視し、荒れ狂う世界を飛び回りながらジャーナリストをしているイライジャはとても有名な人物なのだとか。
そうなると後継者候補は、グレイの子であるあたし、またはその子どもの子ども、ライラック。それから遠縁ではあるがルシファーやサタンの血を継ぐ家の息子……、となるが、おそらくはライラックになるだろう。そのためかニルスおじさんはこの部屋にたびたびライラックを呼び、ライラックはいろんなことを教えてもらっているようだ。親父やヒルダさんからは呪いを学び、ベルベットさんやレヴィンたちにも様々な話を聞かせてもらっているらしい。
どれもぜんぶ、あいつの作り上げたコミュニティのおかげだ。基本的に温厚で攻撃性はなく、すこし弱気なくらいのあいつは人から嫌われることがあまりなく、人によく好かれていた。挙げた五人のほかにも様々な人からライラックは面倒を見てもらっている。皆、ライラックにあいつの姿を重ねている。もちろん、あたしも。
「アイヴィー、おまえ、自分では産まないのかい?」
「あたし、彼氏がいるから。もう若い若い、年下のね」
「そりゃあ、あの子も喜ぶな。……そうだ、ライラックの母親から手紙が来てる。おまえの住所あてに来てたらしくって、オレが預かってたんだ」
かわいらしい、ピンクの封筒。ライラックの母親とは、おじさんがあたしと会わせなかった。あいつの子を孕むんで、あたしが絶対嫉妬して、膨らんだ腹を見れば八つ裂きにしかねないと言ったからだ。自分でもそう思う……。あの子は落ち込んだあたしの元にいきなりやってきた。どうして? なぜ? そんなこと考える暇など子育てにはなく、気づいたころにはライラックがあたしの元にいるのが当たり前になっていた。
……アイヴィー・グレイ・ブロウズ、あたしの名前と、アンナ・アルクィン……。相手の、ライラックの母親の名前。
ある程度いい血を持つ女性を選んだとは聞いたけど、アルクィン……? どこかで聞いたような気がするが、いまいちどこでだったか思い出せない。封を切り、中身を取り出す。


アイヴィーさんへ。
こんにちは、いつか手紙を出したいと思っていたのですが、私の勇気が足りず遅くなってしまいました。いろんなことを考え、以前よりはまとまりを持ったのでペンを取った次第です。
私はチャコール君の上司で、あなたとチャコールくんの関係を知りながらも彼を誘惑し、その上で彼の子どもを産むことを希望しました。そのことをずっと謝りたかったのです。
目的は魔女になるため、私の先祖の血を目覚めさせるためでした。私の祖父の弟はあなたたち二人のお父さんの、命を救った男で、あなたたちのお父さんお母さん、そして悪魔の世界の様子などが日記に事細かく記されており、何も知らない私にも手に取るようにわかりました。
私の祖父は生まれながらの異能者で、祖父の弟は生まれた時は異能者ではなかったものの、あなたのお母さんの手によって異能者になったといいます。私の家系はそういった者が多いらしく、家系図などを調べて見れば、私の血筋の異能者発生率はほかよりもおよそ70倍は高かったのです。その印に私も魔法は使えませんでしたが老けるのが異様に遅く、チャコール君と一緒に仕事していた当時は、実年齢は50代でした。
チャコール君は最後まで私の誘いを拒んでおり、そこに愛など微塵も存在しませんでした。私が妹との関係を知り、その弱みにつけこんだのです。そして、あなたが私が見た通りのことしか彼にしていないのなら、最後まで彼は女を知らずにいました。仕事中の様子や言葉の断片から察するに、チャコール君はとても控えめで、複数の女性と関係を持ったり自分から持ちたがるような子には見えませんでしたから。それだけは伝えたかったのです。
私がチャコール君、そして母親のグレイ長官の死を知ってすぐ、ニルス長官が就任した時に、彼の子どもをつくる協力をしてくれと長官直々に相談をいただきました。私は彼に対して後ろめたい気持ちもありましたし、できることならなんだってやろうという思いですぐにその話を受けました。
私を選んだ理由は、先ほど書いたように私の血が優れたものであること、先祖が有名な異能者であったこと、それから彼のためになんでもするような女性、でした。腹を痛めて産んだ子をあなたに渡すことも、罪滅ぼしのためにやったことです。そのおかげで私の気持ちはいくらか落ち着き、勝手にあなたに許してもらった気がしていました。
あの子がどんな名前をつけられ、どんな性格に育ったか、どんなものが好きでどんなものが嫌いなのか、私にはわかりません。あの子の生年月日、産まれた時の体重と身長、髪と目の色くらいしかわかりません。でも、時々あの子のへその緒と、古ぼけた母子手帳とエコーの写真は眺めます。あなたに比べれば彼への、そしてあの子への愛は劣るでしょう。しかし何十年もたった今でも、二人で仕事をした日、はじめて腹の中から私を蹴飛ばした日、十時間にも及ぶお産を一人で耐えた日を思い出すのです。
あの子と会って、お茶したり食事したいなんてわがままは言いません。あの子の写真、あの子の名前、あの子の好きなものを教えてくれませんか。いくら老いるのが遅いとはいえ、私は人間に近い存在です。そろそろ先も危うく、いつ死んでもおかしくないのです。せめてあの子の今の姿を一目でいいから見たい、せめてあの子の名前を口に出したくて。
そして、あの子へ贈り物をしたいのです。私はあの子に何もしてあげられていないのが、とても苦しい。
それでは、あなたたち親子が健康に、幸せになれるよう、祈りをこめて。お返事お待ちしております。
アンナ・アルクィン


「目に見えてイライラしてるな、おまえらしい」
「おじさん、アンタ、このあばずれ女のやったことを知ってこの女にライラックを産ませたのか?」
「偶然さ。全くの。この女性の先祖はヨハネといって……、おまえならわかるだろうが、おまえよりも血はいいぞ」
舌打ちすると、ニルスおじさんは楽しそうだった。
「おまえももう、いい年したおばさんなんだから、少しは落ち着いたらどうだ」
「落ち着けるような手紙をよこしてから言ってほしいよ、全く……」
封筒に手紙をしまっておじさんに返した。胸くそわるい……。なら死ぬすこし前、あいつはこの女にレイプされたってことか? べつに女のひとりやふたりどうってことないのに、あいつはお人好しで優しいから、弱みを握られて仕方なくか。……あたしはこのころ嫉妬して、喧嘩した記憶がある。他の女と話すのが嫌で。そのころからあたしは変わってないのか……。
「返事は?」
「すぐに出す。写真はコピーを適当に送ってりゃ文句ないだろ。好きなもの……。キャドバリーのチョコか? ライラックが今欲しいものを書いておいたほうがいいか。多少高くとも、この様子じゃすぐにでも送ってきそうだ」
「文面はどうする」
「なにも。あたしからこの女に言うことなんて何にもねえ。しいて言うなら、『さっさとくたばれ、腐れ○○○のあばずれ雌豚』ってとこ」
あきれた顔をして、ペン回しをしてる。いつも通りのあたし。にっと笑うと、おじさんも笑った。今日も元気だ。気分はそこそこいい。少し前までは最高だった。
「これから、本来の予定は?」
「今日は月蝕の日だ」
「それもそうだ。それじゃあ、パーティーが落ち着いたら後でまたここに来てくれるか? アッシュを連れて」
「了解、総統閣下」
皮肉も交えて、部屋の外に出てエレベーターに乗り込む。ひとりになると、ふとあいつの声が聞こえてくる。あたしはとうとういかれたのか、おかしくなったのか……、定かではない。母さんたちの気配は少し前から消えていた。とうとう影に飲まれたか、あの中で殺し合いでもしたか、ただ眠っているだけなのか。確かめる勇気はあたしにはない。
あの戦いが終わった後、影の中を探したが誰も見つからなかった。気配はその時あったので、どこかに居たのだろうとは思う。
あたしを乗せた小さな箱が落ちてゆく。地を目指して。

ガラス張りのエレベーターから外を見た。ちょうど今日は月に一度の月蝕の日だ。……もちろんこの世界はずっと夜だし、太陽はそもそも存在しなければ月の満ち欠けもしない。周りをいくらか照らすためのもので、月に一度あれを点検するのだ。その日は基本的に皆仕事や勉強を休み、家でごちそうを食べてのんびりする。月がほとんど見えなくなるんで月蝕と呼んでいるだけで、実際に月蝕が起きているわけではない。

あいつが死んでるならまだよかった。あいつは生きてる。今でも心の臓を動かして、どこにいるかもわかっているのに。


そっちはどうだい。おれはひとりでさびしいよ。
みんなどこかにいっちゃったみたいなんだ。もうどこにもいないかもしれないけど。

しゃがんで自分の影の中に手を突っ込んだ。誰かに握られる。柔らかくて、女にしては大きく男にしては小さな手。
引き上げると懐かしい顔が見えてくる。美しいとは言えない濁ったような白い肌、ごわごわの痛みきった黒い髪、顔つきは決して善人のものとは言えない。目つきは悪く、血の色が透ける眼球、眉は太く、泣きぼくろが主張する。歯はギザキザでノコギリのようだ。
「ずいぶん老けたね」
「おまえが若返ったことにしておけよ」
「そうしようか」
「……あたしのこと、こんなおばさんになってもしわしわのおばあちゃんになっても、骨になっても好きだろう?」
「当たり前じゃないか。きみよりかわいくて乱暴で言葉遣いが汚くって男みたいな女の子いないんだからさ」





[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!