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Uターン
Tのブレク・ファスト 2

明日、僕の家から迎えの馬車が来ることになった。

正直な話、ほとんど諦めていた。だって僕はどうしてこうなったのか知っている。母さんと父さんはふつうの人間として僕を産まなかったし、だから僕を執事に頼んで城の外に追い出したのだと知っていた。
そう、だから……、迎えがくるなんて夢のような話だった。もちろん恨んではいるけれど嫌いじゃないんだ。嫌いきれなかった。つらい時に思い出すのは母さんに抱かれて眠ったこと、父さんと本を読んだこと、姉さんとピアノをひいたこと。家族や侍女、執事……、庭にいたネコや小鳥、うちのことばかりだった。おいしいごはん、柔らかいベッド、眠れない時はこっそりワインを盗み飲みした。空を飛び回ると驚いた顔をされたけどほめられたし、悪い事をしたらただ殴って怒鳴るだけじゃなく叱ってくれたもの。

「よかったなあ、坊ちゃん」
おじさんが僕の頭をがしがしと掴んで揺らした。手紙の返事は郵便屋さんではなく僕の家から来た使用人が特別に届けてきたし、しかも返事は一日でよこしてきた。……もしかして間違いだったのかな、あれは……。僕は本当に行方不明になっていたのだろうか?
そのあいだ、おじさんと娘のジェーンは優しく僕を迎えてくれて、ここを離れるのも少し惜しいと感じた。僕は今まで自分と同い年の子と遊んだことがなかったのだ。家に同い年くらいの子はもちろんいなかった……、姉さんとはだいぶ歳も離れていた。サーカスには『客』として来ることも、そして家族でサーカスに居る人たちもいたし、もちろんその中にも子どもはいたけれど……、僕が子どもに近づくことは許されなかった。一緒に遊んで向こう怪我するとまずいし、しかも殺しかねなかった。僕はずっとオーナーの横にいて、うろつかないように首輪に紐を繋げられていた。その……、イヌのほうがまだ自由だったと思う。そんな僕の姿はまるで家畜で……。
おじさんもジェーンも僕を化け物とか家畜とか奴隷なんかじゃなく、ヒトとして扱ってくる。ヒトとしての権利を持ち、こころと言葉を持つ高等な動物だと。
「お城に行くのにその服じゃまずいわよね。……一日で服って仕立ててもらえるかな」
「べつに、いいんじゃないか?」
「だめよ! 私もドレス着てくし、父さんもちゃんとするの」
「それはそうだが……、お前も行くのか」
「当たり前でしょ!」
「中には入れんと思うぞ」
「ええー……。ま、まあ、とりあえず……、テディはなんとかしなきゃ」
ジェーンにぐいぐい引っ張られて、外へ。
「じゃあ父さん、留守番よろしく!」
「へいへい」
ため息まじりにだるそうに手を振る。朝一番で通りには人も少ない。水まきをしているおばさんがぎょっとした目でこちらを見ていた。
「グレースおばさん! おはよっ」
「あ、ああ……、おはよう、ジェーンちゃん」
会釈をすると、またもやびっくりしたようで。それをジェーンも理解したらしく、ジェーンの後ろに隠れた僕を前に押し出した。
「テディっていうの、元はサーカスの団員なんだって。でも明日には帰っちゃうんだけどね」
「そうなの。その腕は……、病気?」
「だからうちで看てたのよ。ずっと部屋の中だったから、今日は散歩ね。明日からおうちで療養することんなって、せっかくこっち来たからちょっといろいろ見て回るの」
「へえ、いいわね、デート? 楽しんでらっしゃい」
「うん? そんなんじゃないわよ。じゃあね、おばさん!」
もう一度会釈して、走り出すジェーンについていった。肌寒いな……、太陽の光もそんなにきつくない。うっすらと霧がかかって、遠くの様子はぼやけている。
「ねえ! まだお店あいてないわ、あと一時間くらいしなきゃ」
急にピタッと止まって、びっくりしてこけかけた。
「鈍臭いわね。本当に飛べるの?」
そうだ、飛ぶところを見たいって言ってた。息を吸って、軽くジャンプすると空中にとどまる。そのまま腕を伸ばして翼を大きく開き、強く地面を蹴り飛ばした。霧を蹴散らし、高く高くのぼっていく。
「うわっ!」
急降下して地面すれすれ、ジェーンの横を通り過ぎ、また上がって戻ってきた。浮いたままジェーンの様子を伺うと、目を輝かせている。
「人間じゃないみたい!」
ふわふわ舞う緑色の羽毛を掴んで目の前に出してきて。
「ねえほんとは……、信じてなかったの。飛べるって。だってその翼、あなたを飛ばすには小さすぎるじゃない? でも、飛んでた!」
くるくる回って、広がる長いスカートは上からみたら花びらにそっくりで。
「いいな、私も飛びたい」
「乗る?」
「うそでしょ」
屈んでジェーンを見上げると、だめだめと首を振る。
「私、重いし、あなた私背負えるくらい大きくないわ」
「平気」
「うーん……」
「振り落としたりしないよ」
「じゃ、じゃあ、失礼するわ」
背中に体重がかかり少しフラつくと、すぐにジェーンは飛びのいた。
「だめじゃない!」
「きみさ……、見た目より重いんだね」
そう言った瞬間、頬を強く引っ叩かれる。ジェーンはひどく怒った様子で、顔をふくらせていた。
「あのねテディ、あなたのこれからのために言っておくけれど、レディーに歳をきいちゃいけないし、体に触った時に重いとかべたべたしてるとかそういうことは言っちゃいけないのよ」
「……わかった」
「じゃないとお嫁さんもらえないわ」
「きみがレディーなのかはわからないけど……」
頬をこんどは強くつねられ、眉を釣り上げている。
「ねえそれって冗談? 本気? 冗談ならつまらないわ」
さっきはそっと乗ってきたのに、こんどは容赦無く体重をかけてきた。首を締めるように捕まってくる。
「顔見ないで、絶対」
「どうして?」
「……見られたくないから」
「だから、どうして見られたくないの?」
「嫌だから」
……ひとりだし、女の子だし、そんなに大きくなくていい。想像すると顔や腕が硬いウロコに覆われていく。骨がまがり、変形していく。腕が伸び、足は縮み、翼はもっと大きく、筋肉は羽ばたくためにすごい勢いで発達する。
強く羽ばたき足を浮かせるとそのまま浮いた。高く、霧の外へ。雲の下。ふたつに挟まれる狭間の場所。
「わ!」
「捕まってね、ちゃんと。落ちても拾いにいくけど、そのあいだ、たぶんすごくこわいから」
「え、ええ!」
大きな通りはまだ人が少ない。あの奥には前まで居た移動サーカスの残骸が散らばっていた。……サーカスの出演者、客、すべて死体か行方不明になっているんで大騒ぎになっているはずだし、ジェーンもおじさんも予想はついているだろう。犯人が僕じゃない可能性も考え、刺激しないように。
僕はサーカスを『燃やした』。証拠を消すために、僕が考えついて実行できたのはそれだけだった。

……いつものようにサーカスは開く。僕の出番はクライマックスだ。どこのサーカスにも空中ブランコやジャグリング、火を吹く男はいるだろう。観客はそれを見にきたわけではない。
動物と同じように頑丈な鉄格子に入れられる。下には車輪がついていて、小さな子供がそれを運んで鍵を開け、そそくさとステージから逃げていく。それを見届け、ゆっくりと檻から出た。音楽が鳴り響き、司会が僕の名前と肩書きを叫ぶ……。『竜王子セオドール』と。
……王子、なんて、ほんとに見た目だけにすぎない。キラキラの宝石が散りばめられたシワひとつない白い衣装に、真っ赤なマント。頭には王冠を乗せて。この時は衣装を傷つけると怒られるんで、腕の翼は引っ込めて人間と変わらない姿をとっている。……けど、この状態でいられるのはせいぜい一時間だし、気を抜くと元に戻ってしまう。
たくさんの目、目、奇異の目。しゃんと背筋を伸ばし、白い衣装を脱ぎ捨てた。下はそこまで高価ではないシャツで、これはいつも使い捨てにしている。ステージの脇にいた子供が僕の衣装をキャッチした。翼を出し、鉤爪をぎらつかせる。頭の王冠を勢いよく真上に投げ、それを加速して飛び上がり取りにいくと歓声がわいた。王冠をかぶり、客の近くすれすれを飛ぶ。また真上に上がって王冠を落とすと、綺麗なドレスを着た女性が拾い上げた。金色の髪を後ろでまとめた、20代の女性。
そばまで飛んで、手を伸ばす。『さあ、お手を』そっと手に触れた女性を背に乗せ、やさしくゆっくりと会場をぐるりと一周するように飛ぶ。ステージに女性をおろし、王冠を返してもらう代わりに手伝いの子供が持ってきた赤いバラを一輪渡す……。
その時、僕は女性の顔を見て固まってしまった。そう、女性も。唇がふるえて、足から力が抜ける。
「テディ……? テディなの?」
「……」
「そんな……、どうしてこんな……、死んだんじゃ……、確かに私は墓に……、そっくりな人? でも、生きていればちょうどあなたと同じくらいの……。だってこんな子あなた以外にいるわけないわ、テディ……」
紛れもない、その、女性は、僕の姉だった。姉がお嫁にいったのを見計らって僕の両親は僕を死んだことにしたのだ。
ステージの周りがざわつき出す。予定通りに大きな虎が僕の前に運ばれてきた。いつもなら僕はこの虎の首を掻き切って、血と肉を口に含む。それから飛びながら血にまみれた体を晒し、さっき口に入れた血や肉を吐き出すのだ。吠えながら同じように観客席ギリギリを飛び回り、一周すればずっと上にのぼって竜になったあとステージにおりて強くほえ、虎にとどめをさす。……これで僕のショーは終わりなのだが。
「……ね、姉さん……」
涙が出てくる。そんな、姉さんに会えるなんて。姉さんにこんな姿を見せてしまうなんて。
「見ないで……」
「テディ? ほんとにテディなのね?」
ステージで体を震わせながらうずくまる僕を、姉さんはやさしく抱きしめてくれた。とたんに涙が一気にあふれてきて、僕は大声をあげて泣いた。
「こんなところで……、なにしてるの。姉さんと一緒に帰りましょ?」
……銃声。僕の体に姉さんの体がもたれかかっていく。
「……」
僕の爪が、姉さんの体に強く食い込んでいる。生暖かい血が、肉が。僕のではなく。
影が大きくなっていく。息を吐くと人々は苦しみ、地に倒れてもがいた。サーカスを覆うほどの影の下でもう一度息を吐くと、真っ赤な炎が蛇のようにうねっていく。姉さんの亡骸を抱きながら。
強く羽ばたくと炎は消え、黒い灰と煙だけが残った。ステージに降りると酷いにおい、生焼けの肉のにおい。姉さんをおろし、じろりと周りを見る。観客席はほとんど燃えかすだ、おもしろいものなどありはしない。
ステージや裏方は酷く燃えてはいなかった……、煙を吸って動けなくなったらしかった。オーナーはまだ生きていて、裏で震えていた。子供や女の多くは死んでいた……、ステージに近いほどその数が増えるが、オーナーは自分のスペースでいたのだろう。お気に入りの椅子の上で。
「……セ……、ア」
恨めしい、この太った体。じっと見ている。苦しむその姿を。じっと見ている。埋れた首に僕が触れる。ぱりぱりに乾いたくちびるから、黒い煙を吸い込んだ。灰は白く、白く。肺は黒く、黒く。





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あきゅろす。
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