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Uターン
親と子と

「やあ……、なに見てるの?」
いきなり声をかけられ、びくっとして振り向いた。金色の、ゆるいウェーブがかかった柔らかそうな髪。ふちの太い眼鏡をかけていて、目が少し隠れている。
「倫太郎さん!」
さっきまで我を忘れて暴れまわっていたのなんて忘れちゃうほど落ち着いていて、いつもの倫太郎さんと変わりなかった。
「よかった。気づいたら真っ暗でさ……」
「外の様子見てるんだ……」
倫太郎さんが俺と母さんの間に入って外を見る。崩れたビル、大量の……『俺やアイヴィーとそっくりな』死体、血のこびりついた瓦礫の山……。
「そんな……」
瓦礫の山にうずくまるようにしたライラに触れようとして、宙をつかんだ倫太郎さんの姿はあまりにも情けなく、哀れだった。
「……俺が……、やったのか」
そうだよなんて言えるわけなかった。母さんも黙っている。
「全部さ、思い出した。……ごめん、俺が……、だめなばっかりに。死ぬのは俺だけでよかったのに、二人を道連れにしてしまって……」
崩れ落ちる倫太郎さんを二人で支える。謝ってもらってもどうにもならないし、許すというか怒ってなんてない。そもそも……、事の発端は俺のせいだった。
「私は気にしてはないぞ。父の跡を継いでここに来るのが私の夢だった」
「……そうなんですか。ここが影の……、テディくんがずっと居た……」
そう。ずっと……、ここで。一人じゃなくってよかった。セオドアは真っ暗なこの場所で、ずっと一人でいたんだ……。何十年もこんな所に居たんじゃ、おかしくもなるだろうし出たくて仕方なかっただろう。
「ごめん。チャコくん」
「いいよ、気にしないで。倫太郎さんのほうが関係ないんだし。俺はいつかはここに来ることになるだろうと思うんだ。母さんがおじいちゃんの跡を継ぐみたいに、母さんのあとに俺が来ることになるだろうってね。ちょっとはやくなっただけだし」
……ひとりじゃないんだ。俺はここで一人じゃない。だから大丈夫……、みんなと一緒なら、平気だ。
「……ありがとう。二人とも、許してくれるんですね。……このあと、天界はどうなりますかね。……一番心配なのは、ライラのことで……」
ああ、たしかに。ライラは倫太郎さんにすごくべったりで、それはもう叔父と甥という関係をも超えているように見えた。
もちろん彼は視覚に障害があるし、倫太郎さんにたくさん助けられて生きてきただろう。頼れるのは魔界にいるおばあさん……、年老いたヒルダさんしか親族がいない。精神的にもかなり倫太郎さんに依存してきたんだ……。ライラはこのあと、どうするだろうか。
「あの子はよく生きたな」
「……はい。いつになるかと不安でしたけど。……そばで看取れないことが本当にくやしい……」
『寿命が近い』ってぼやいてたことを思い出す。母さんと倫太郎さんからライラの生まれ、そして呪われた血のこと……。近親、しかも兄と妹(これは知らなかったんだけど、親子間よりかなり危険らしい)の間に産まれたことを知った。そうでなきゃ、俺はアイヴィーととっとと子どもをこさえていたろう。
外の世界を見ながら、複雑な気持ちだった。アイヴィーと親父が魔界に帰るみたい、ライラも誘われている。


『向こうでとりあえずさ……、ゆっくり休もう。師匠……、おっと、おばあさんも心配してるだろうし』
親父がライラを呼んでいる。アイヴィーは魔界への扉を開き、親父とライラが来るのを待っていた。
『……ごめんなさい。僕、もう少しここに居たい。あとで必ず行きますから、先に行っていてください』
『そっか。わかったよ。開けっ放しにしとくから……、扉の近くで休んでるから。何かあったら呼んでね』
『どうも……』
アイヴィーと親父が扉の向こうに行ってしまうと、それを待っていたかのように、空を飛び回っていた金色の小さな竜……、そして大きな竜……、レヴィンがライラの元に降りてくる。
『よう、ルシファーの孫。生き残ったのかい、流石』
親父たちがそうしたように、レヴィンは竜の姿から人に戻るとライラの隣に座った。金色の竜……、アイちゃんは隣には座らず、ライラを眺めるように少し離れた場所に立っている。
『……大丈夫か? あんまり顔色がよくないな。どこか悪いのか? アイに見せれば、なんでもなおるぞ』
『寿命がね……、とうとう来たみたいで……』
『寿命? お前まだ若いだろ。そんなはず……』
アイちゃんがレヴィンの方を見て、首を横に振る。
『あたしと一緒みたい』
『……そうか。もったいないな……、これじゃルシファーの濃い血は全滅か。孫くんは……、若い頃のルシファーにそっくりだよ。生き写しみてーに』
顔にかかった髪の毛を払い、じっとレヴィンはライラの顔を……、覚えるように……、網膜に焼き付けるように。
『ルシファーは弟つうか子どもみたいなもんでさ、お前の叔父さんとオレはよく似てんだろ。……だから……、なんつーか……。あいつの子孫が死ぬのは悲しい』
目はもう見えていないのか、それとも興味がないのか、ライラはレヴィンのほうを見ようとはしなかった。
『いいんだ、もう。未練なんてない。おじさんも、チャコも居ないんなら……、この世に用なんてないんだ』
『オレはよ、いわゆる神だ。この世の理だって少しくらいなら歪められる。お前、生きる意思はあるか?』
『……僕が生きる意味なんて……』
食い入るようにその様子を見ているおじさんは、つらそうだ。俺も……、ライラはこのまま死んでしまうと思う。
『一人になりたいよ。……いや、僕はもう一人だ。おじさんも、チャコも、……オリヴィア……。オリヴィアもいないし……、みんな、僕を置いてっちゃって……、僕、一人じゃなんにもできないのに。チャコとおじさんの所にはいけないし、オリヴィアの同じ所にもいけないだろうな』
『お前を必要とする奴なんて、ごまんといると思うけどな? 前に……、死にたくないとか言ってたんじゃないのか。それがまあ、どうしてこんなになっちまったかねえ。……まあ、いいさ。無理やりするのは、やめとくよ。でもお前が決めたことなんだからな、化けて出て呪うなんてごめんだぜ。でもよ、看取ることくらいは、許してくれよ。ひとりで逝くより悲しいことなんて、この世にはないんだ』
大きな手、大きな鉤爪と色とりどりのウロコで覆われた手は優しく優しくライラの頬に触れた。大事な宝物を触るみたいに、傷つけぬようにそっと、頭を撫でている。空気に触れた血のような赤黒い髪は乾ききった風に乗せられている。
『お前はよおく頑張ったよ。オレが褒めてやる。オレはお前のことを全部知っている。今までどんなことがあったか……、どんな思いで生きたか……、お前の『彼女』も、みえるよ。なかなか綺麗な子じゃないか、ワンピースがよく似合ってるな。あっちで仲良く暮らせよ……』
ライラの目には涙が浮かんでいる。どんどん肌は白くなっていく。
『僕ら……、やっと一緒になれる』
倫太郎さんは目を見開き、涙をぼろぼろ流しながら声をころしてその様子を見ていた。見ているしかなかった。冷たくなっていく肌にキスすることも、手に触れて握ってやることもできない悔しさに、震えているらしい……、それは倫太郎さんだけでなく、俺や母さんだって一緒だった。
その瞬間は、嫌でもわかった。レヴィンが握った手には、力がない。くたりとして、瓦礫の上に投げ出す。唇は乾き、そのまぶたは二度と開くことはない……。風で舞い上がる髪の毛を抑え、レヴィンはまじまじとその死顔を見た。
『伯父さんに食われるより、ましだったろうか……。それともそのほうが幸せだったろうか?』
『……さあ。知らない、そんなこと』
『おいおい、お前の従兄弟だぞ。ちょっとは悲しんだらどうだ』
『だって、その人の名前だってあたし知らないもの……。血のつながりがあっても、知らない人なんだから、悲しみようがないでしょ』
『ライラって……、いうんだよ。お前の親父の兄貴と姉貴の子ども』
『死んだ人のことなんてキョーミない……』
レヴィンとアイちゃんの会話を聞きながら、俺たちは涙を堪えられずにいた。泣く以外に感情をどうやって表現しろっていうんだろう。なにも話さずなにも喋らず、ただただライラの死を悲しんだ。
『お……、天使どもが死の臭いを嗅ぎつけてきたかね』
レヴィンの言葉どおり、グロリアとユーリス、そして白髪の……、親父によく似た男が降りてくる。
『……甥っ子も死んだの?』
グロリアはもう動かぬライラの顔を覗き込み、ぺたぺたと顔をいじくり回す。
『はー、これからわたしたちどうしたらいいんだろう。アルフレッドもグレイも後継ぎのチャコールも死んだんでしょう? アルフレッドの子どものあんただって……、とっとと死ぬって言うじゃない。ま、あたしも……、兄様もだけど』
ため息をつきながら、地面に座り込むグロリア。ユーリスもこの結果には全く納得していないようだった。グロリアの言うあんたっていうのは、アイちゃんのことらしい……。
『僕はな、あのクソッタレ親子がああなったってのも気に食わないし……、このあとあのユリウスとかいう馬鹿がこの僕やグロリアの後にレッドフィールドを継ぐってことになるのが一番気に食わないね』
『そうね。あれは出来損ないよ。あのジャスティンみたいにね。……そうだ、わたしが居なくなったらマナお兄様のお世話は誰がするのかしら。マナお兄様ったら、手も足も切っちゃったから自分でごはんも召し上がれないしね……、下の世話も全部わたしがやっていて、わたしが居ない間はわたし専属のメイドがやっていたのに。わたしが死んだらメイドの子たちは解雇されちゃうだろうし、お兄様も始末されちゃうわね。かわいそうだわ……、そうだ、あのティシュトリヤにでも押し付けたら喜んで世話しそうだけど、あの子ったらあれからずっと魔界に居るんだもの。そりゃこっちに戻りにくいのもわかるけど……』
『あのユリウスがレッドフィールドを継ぎ、そして指導者になるなんてぞっとする。それならこいつがなったほうがずいぶんよかった』
ユリウスもライラの髪をかきわけ、顔を覗き込む。
『嫌になるくらいサマエルとルシファーに似てんな。そりゃあ親で爺さんなんだから、似てるか……。あの家系はろくな死に方しねー』
ふん、とわざとらしく鼻を鳴らした。腕を組み、遠くから眺める……。
『今死ななくともすぐに死ぬ運命なの、あたしたち。これで相当生きたんなら……、あたしはあと五年がいいほうかしらね』
『わたしは七年? いや、もっと短いかしら』
『生き返った僕が一番生きるなんて皮肉な話だね。ま……、あの女に糸とられてんだから、生きるっつっても微妙だけど』
白髪の男は居心地わるそうに、目もあわせず苦笑いしていた。
『あ……、ぼくは生きますよ。申し訳ないんですけど』
小指だけ長く伸ばした爪で、頬をぽりぽりと掻いている。
『あなた……、羽虫の団は?』
『ほぼ全滅ですよ。わずかに残った者は先に帰らせて、城で休養をとっているはずです。あ……、ぼくは一応団長ですからね、雇い主のグロリア様かユーリス様が命令しない限り帰れません。ぼくとしてはさっさと解散命令いただきたいんですけど。死んだ団員の確認と遺体の回収を行いたいんで』
『確認と死体の回収? そんなもの、部下にやらせておけばいいでしょ?』
『……だから、その部下が死んじゃったんじゃないですか。残りはかなり疲弊していて、死体探しなんてしてる場合じゃなかったですからね。だからぼくがやるしかないんですよ』
『じゃあうちの正規兵を呼べばいいわ。あなたもとっとと
帰って休んでおきなさい』
『あなたの兵はうちの団員の顔、わかりますか? 顔写真はありますけど、たぶん瓦礫の下敷きになったり八つ裂きにされたり噛みつかれて顔が無い死体とかたくさんありますよ。体のほくろとかシミとか、背の高さとかどの歯がないとか持ち物とか……、ぼくと団員くらいしか、たぶん見分けつかないです』
『面倒ね。じゃあそんなの、しなくていいわよ。どうせ雑兵の集まりで、ちゃんとした生まれの者なんていないでしょうよ』
『あのですね、僕ら、あなたのとこみたいな薄い人間関係でできあがってないんで……。何十年も一緒にひもじい思いして、盗賊にまで身を落として、スラムで金持ちに媚び売りながらみんなで暮らしてきたんです。仲間なんてちゃっちいもんじゃなく、家族なんですよ。家族の遺骨……、探すのはふつうでしょう? ぼくがいわば大黒柱なんです、生き残った家族に申し訳ないです』
『あのねえわたしはあなたの身を案じているのよ。そんなこと言うけどね、あなたはうちの大事な兵なんだから。今日はとにかく休んで、残りのあなたの兵と正規兵連れて、みんなで死体探しなさい。わたしは間違ったこと言ってるかしら!』
『いいえ間違ったことは仰ってない……、ただしい事だと思います。ぼくの体力も限界近いの、グロリア様はよおくご存知みたいですね。でも……、何十人もの家族を一気になくしたんです。休んでるような……、眠れるような気分じゃないんですよ。はやく見つけて、弔いのことばをかけてやりたいんです。一人一人に……。こんなくだらない戦で殺してしまって申し訳ないと』
カッとなったグロリアが言い返そうとするが、ユーリスがグロリアの口を塞ぎ、じっと白髪の男を睨んだ。
『さっさと行け。明日になったらおまえの兵に団長を手伝うよう伝えておく。一週間の休暇をやる、それだけだ。うちの兵は貸さん』
『……ユーリス様、どうも……』
『わかったらさっさと行け!』
白髪の男はゆっくりと歩きだした。……皆が大事なものを失い、失おうとしている。グロリアの口をふさいでいた手がどくと、グロリアはユーリスをぽかぽかと殴った。
『ひどいわ兄様!』
『ごちゃごちゃうるさいんだ、お前は』
『だって見つかるはずないわよ。八つ裂きどころじゃない……、粉々かもしれない。あの子をこんなくだらないことで疲れさせたくないのに』
『一週間もやらせてやれば気持ちの整理がつく…… 、見つけるのが目的じゃない、それはあいつが一番わかってるし、無理もしない。自分が死んだらどうなるかわからんような馬鹿じゃねえだろう』
『お前、男ってやつわかってるな。気に入ったぜ』
レヴィンがライラの元を離れ、ユーリスの肩を叩くがユーリスは素早くレヴィンを払った。
『馴れ馴れしくするなよ』
『そんなこと言ってもさ、お前の体には弟が入ってるんでね』
『……僕が死んだらこの体はどうなる?』
『サタンのものになる。その約束だったはずだろ? 50年生きるかわり、終わったらサタンに体を明け渡すってね』
『それから? どうするんだ?』
『そうだな。皆揃ったらアスモデウスを迎えにいく予定さ。マンモンはアイと一緒だし、ベルゼブブもこっちに居るみたいだしね。それが終わったら向こうに帰るよ。……アスモデウスの体を探すのにまた時間かかりそうだけど。ま、最終的にはね』
名前を呼ばれたからなのか……、緑色の小さなあのイヌがアイちゃんの元から飛び出してきた。なんだか体が不安定で、消えたり出たり、体が波打ったりしている。
『このへんのイヌはもう死んじまったみたいだな。まあ、こんな状況で生きてるイヌが居るなんて考えらんねーけど』
『……お前らの目的はなんだ?』
『もう済んだよ。セオドアの始末……、そしてセオドアの始末を手伝うこと。それが終わった今の目的は、まあ……、元の世界へ皆で帰ることだな』
『なんのために生まれた? どうやって生まれた?』
『さあ。お前はなんのために生まれたか知ってるわけ?』
『レッドフィールドを継ぐためだ』
『それはべつに、お前じゃなくてもレッドフィールドに産まれたら誰でもできるじゃないか。お前個人として……、お前個人に使命って、あるか?』
『……』
『みーんな、そうさ。そんなの答えられるわけねー。ただ親っていう他人のエゴのせいで生まれ、どこの母親の股から出てくるかなんて選ぶ権利もねえ。生まれた瞬間から自由はなくなり、使命があったとしても満足に果たせやしねえんだ。自由じゃないからな。自分で決めた夢……、かりそめの使命も、果たせないやつがほとんどさ。そんで、死んだときにやっと自由になれるんだよ。こいつみたいに……』
二人の見る先はライラだった。幸せそうな、死という自由の大空に飛び立った鳥のような。
『オレも、そう。皆変わりはしないんだよ。ただそこに生まれて……、生きて、死ぬんだろうな。オレも』
『……生まれは?』
『そうだな。オレやサタン……、ベルベット……、ルシファー……、最初は皆、試験管の中にいた。悪魔に取り憑かれ狂った医者の、好奇心の成れの果てさ……。話を聞いても、面白いことはたぶんないぜ。それでも知りたいんなら、教えてやるよ。長いし、お前らからしたら胸糞悪い話だろうが』
『構わない。聞かせろ』
『あのルシファーの息子に話すつもりだったんだが、もういないしな。誰かに話さなければいけないと思っていたし、ちょうどいい。アイ……、それからそこの嬢ちゃんはべつに帰っていいし、途中で聞くのやめてもいいぜ。じゃあ、そこにでも腰を降ろせよ……』





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