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Uターン
寄生虫のミルフィーユ

「あ、あ、アイヴィー、どうしよ、俺」
急に放り出されて不安になって、過呼吸になってくる。おかしいと思ったのか、アイヴィーがじりじり近づいてくる。
「どうした?」
「いや……」
言葉にするのは怖かった。なんせそばですべて聞いて見て、いつまた乗っとられるかわからない。
そうだ、あの死体……、傷が治っていたな。あれをなんとかしてしまおう……。
死体に飛びかかろうとすると、寸前で体が止まった。体が硬直して、手足が動かない。
「おい! わけわかんねーことしてねーで、おまえは向こうに応援へ行けよ。その死体とこいつの処理はあたしがやっとくからさ」
アイヴィーに言われしぶしぶここを離れようとすると、ネロが突き刺さった骨を取ろうともがいていた。しかしあれはあくまで自分の骨が変形したものであるらしく、なかなか痛むようで顔をしかめている。
……気のせいだよな、うん。きっと気を失っていて、夢だったんだ。夢から覚めたんだ。びっくりするくらい元気で体は軽いし、きっとそうに違いない。
って、そんな自己暗示でなんとかなるほど嘘っぽい感覚じゃなかった。あそこにアイヴィーを置いていきたくない。
「アイヴィー……、一人じゃ危ない」
「なに言ってんだ。あたしだっておまえと同じAランク悪魔だし。それに、皆あたしよりお前の力を必要としてる」
「でも、きみは俺より丈夫じゃない」
「あたしはお前のほうが心配なんだけど? 昔からぴーぴーぴーぴー泣いてんの、いつまでたっても治んねーし……。心配ならさ、蛾をもってけよ。あたしも心配だし。たぶんもう、あたしが手伝えることって殆どないんじゃないか。だからまあ……、あたしは念のためにこのあたりで待機しているからさ」
アイヴィーの真っ白い髪の毛から一匹、蛾が飛んでくる。俺の指にとまると、大人しく羽を休めだした。ネロのほうを気にすると、アイヴィーはさっさと援護に行けって言うし、……大丈夫かなあ。ていうか、折角体を乗っとったのに、セオドアはなんで隠れたんだろう?
セオドアを抱えたまま皆の所に戻るのは流石に危険だよな、でも俺が自害したって何も変わらない……。事を進めるには行くしかないよな? 混乱していて正しい判断ができないよ。母さん、倫太郎さんがそばに居てくれれば……。
竜の羽音がすぐそばまで近づいてきて、強い風が吹き付ける。
「アイヴィー! ……もしも何かあったら……、母さんと親父を頼むよ」
「もちろん」
「あと……、こうして落ち着いて話せるのは最後かも。だから、……その、……あいしてる」
「そんな、わかりきったこと言わなくていい」
恋人としての軽いキス、家族としての抱擁、友人としての握手、そして共に戦った仲間としての、お互いの左胸に握りこぶしを当てるしぐさ。
にいっと歯を見せて笑う。

「チャコ!」
母さんが呼んでる! 行かなきゃ。
灰色の雲を裂くように飛び回る倫太郎さん……、よく化身が解けないな。もう何時間ああしてるんだろう? さすがの血筋っていうか……、俺は結構化身得意なほうだけど、フルパワーで暴れながらずっと……、っていうのは流石に。
母さんの元に飛んでくと、母さんはどことなく疲れた様子だった。
「母さん?」
「呪いかけてもあの有様だ、……で、そろそろ切り札を使わんと厳しい。確実じゃないが、経験上……、そこそこ信頼できる策だと思う。だいたい7割……、いや、それ以下かもしれん。が、あれをこのまま放っておくわけにもいくまい。いくつもの時間軸の『お前』が追いかけてここまで来たように、移動しやすくなっている。あれはこの空間、時間、全ての宇宙を吹き飛ばす力を蓄えるのも時間の問題だ、始末するには今しかない」
まさかそんな大げさな話、なんて冗談じゃない。あの人は素の状態でタイムスリップだの次元移動だのやる人なんだから……、無理なことのほうが少ないんじゃないか。
「肝心の作戦は……、私とお前、二人がちゃんと落ち着いて、生きていなけりゃならん。何事にも動じるなよ。まず……」

鮮血、黒いもや。
目を見開く。体のコントロールがとれない。気がつけば俺の腕は突剣へと変わり、母さんの胸を貫いていた。
見事に急所を狙い撃っており、母さんの顔がどんどん青白くなっていく。母さんなら見切れただろうし、とっさに俺を蹴飛ばしたり、最低でも急所を避けることはできたはずだった。
わざとだ、わざと……!
「私が……気づいてないとでも?」
地面に倒れた母さんは、黒い煙に変わっていく。あたりが急に暗くなって、見えるはずのない月は異常なほど巨大であり、充血した瞳のように不気味に赤く輝いていた。頭の中に不吉な鐘の音が響く。
大きな大きな、影の獣だ。そこらじゅうから闇が、影が、集まってきている。金色の竜も異変に気づいたのか、こちらに向かってきた。竜とも変わらない……いや、一回りもふた周りも大きな影の獣。それは大きく口を開くと、竜に噛み付いたまま地面にめり込んでゆく。……あのまま、影の中に閉じ込めようってのか!
竜が激しく暴れるが、あれは影そのものだ。影に触れられるものなど、この世にありはしない。
悲痛な声と抵抗のはばたきも虚しく、竜の影の獣は地の中に消えて行ってしまった。

「……はは。これで僕を止められる者はいない。あいつとて母親、実の息子の姿をした僕を傷つけることなんて、できはしない……」
……母さんはどうなってしまった? 死体も、なにも、ない。影の世界にそのまま倫太郎さんを連れていったんだ、すぐに帰ってくる……。と、とにかく大丈夫だ! やった! 俺はこのセオドアをなんとかしなきゃ、そうじゃないと母さんみたいに殺そうとしかねない。母さんに会ったら謝らなくっちゃ。
たとえ……、あの傷が原因で死んでしまっても、アイちゃんの魔法があれば……。
「誰が『月蝕』をあたしが使えねーって!?」
はっと振り向くとアイヴィー……、その後ろに先ほどよりは小さい……、ずいぶん小さい、黒豹の頭がある。危険を感じとったのか、セオドアは僕の体で素早く……、そう、他のものが止まって見えるくらいに瞬間移動したが、移動先の自分の足元の影から豹のキバが見えていた。
足を噛みつかれ、尋常じゃない力で引っ張られる。アイヴィーは……、俺を影の中に閉じ込めてしまう気だ! 自分から飛び込むことはたくさんあったが、そうじゃないとなると、母さんがセオドアを閉じ込めたように……、いや、俺は影の悪魔なんだ! 出れないはずが……!!
「アイヴィーっ!」
自分の声だった。やめてくれ、まで言えなかった。影を覗き込むアイヴィーの顔は誇らしく、そしてとても頼もしかった。手を伸ばしても助けてくれるはずない……、何も見えなくなる……。

「はは。この手で……、ついに! ついにやったんだ……! 倫太郎さん……! あたし……! 約束守ったからね……!」


影の中、何も見えない。飛び上がると頭に何かぶつかり、それ以上は……、行けない。いつもならいくつか光があって、そこに向かっていけば外に出られる、地上の影と繋がっているのに。そんな……、このまま俺は、ここで死ぬのかな……。
セオドアは、どこかにいったらしい。体の中に気配はない。どうしたらいいかわからないし、床に腰をおろす。……どうしよう。ため息をつくと、人の気配。はっとしてあたりを見回すが、何も見えるわけもなく。

「……チャコ。おい、チャコ!」
母さんの声! 母さんならどうしたらいいかわかるだろう!
「母さん!」
青白い明かりがつく……、何もない空間に、母さんのシルエット。近づくと、顔がよく見えた。
「よかった……」
「すまん。こんなことになって……」
「いいんだ、早く戻ろう?」
母さんの表情が曇る。
「……おまえを、出すことはできない」
「えっ!?」
「すまん」
「どうして!」
パニックだった。だって……、俺の中にセオドアはもういないのに!
「この世界には、もう誰も入ってこんし誰も出さん。おまえを帰したいのはもちろん私だってそうだ……、しかしおまえを返すために通行を許可するとセオドアが出て行く可能性がある。そこをずさんにしたからこそ、おまえがセオドアを出してこの騒動が起きた」
「……なら、俺はずっとここに? 影と一体化しちゃうよ……」
「それは……、私がコントロールすれば一体化は防げるが……。老いも死にもせず、ただ何千年も何億年もここで過ごすことになる、さっさと一体化しておいたほうが精神的に楽だと……」
「母さんはそれでも俺の母親かい……。俺たちやっと、親子でいられるのに……」
きっと最初からこんな運命にちがいなかった。
「……おまえが許すなら、私はおまえのそばにいよう」
「許さないはず、ないだろ」
……そっか、もう地上には出られないんだ。アイヴィーに会うことも、親父に会うことも、ない。ずうっとこのまま……。俺はいままで何をしてきただろう? 最後までなにもできなかったな……。
母さんは、泣いてるらしかった。涙を見せないよう、背中を向けていた。母親とは思えないほど立派な背中は今は少し近づきやすくて、寄り添って少し俺も泣いた。
これできっと地上は平和になるんだ。
「あのさ、最後の切り札って……」
「私の父親がセオドアに殺された時、死体はもやとなり影そのものと変わったらしい」
「そんなのを信じて……」
「父から直接聞いた、もちろん父は信頼していたが信頼できる策じゃなかった……、しかしセオドアも閉じ込められたのは、アイヴィーの機転のおかげだった」
「……べつに作戦とかなかったってこと?」
「あの子が勝手にやったことだ」
「これからさ、どうなるのかな。あんなに暴れたんだ、シェルターだってきっと潰れてる。それに魔力酔いの被害だって……、大きいだろうし。全部終わったとしてもさ、問題は山積みだよ」
「アッシュに全部まかせておいた。この日が……、私がこうなる日がいつか来るだろうと思ってな。地上の魔力がある程度消えれば、悪魔や天使たちをつかってシェルターを掘り返し、アイの手で人々は生きかえり……、魔法と人間の技術でどんどん復興が進んでいくだろう。この災害に耐えられるよう、強いシェルターや武器もできるだろうな。素晴らしい通信設備や効率のいいエネルギーの使い方、高機能のコンピュータが揃えば……、禁止していた宇宙開発もきっとどんどん行うだろう。私たちが居なくなることによって世界はいいものになるか悪いものになるかはまだわからないが、きっと別世界になるのだろうな。私たちは影だ、いつでもそれを覗くことができる。どうせ死ねんのだ、せいぜいそれを楽しみにしていようじゃないか」
「そっか。じゃあ、心配することなんてないんだ」
「ああ。しかし死んだ者たちを生き返らせてそれで終わりなんて無責任だろう。彼らが再び息をするのに数ヶ月はかかるはずだ。毎日祈ろう」
「……わかったよ。……あのさ俺……さ、何か出来たかなあ。本当、情けなくて嫌になるよ、思い出すと」
「何を。おまえのおかげでどれだけの人間が元気でいられたか。皆を結びつけていたのはおまえだったし、おまえがいなければこの結果に繋がらなかった。あのセオドアでさえ……、おまえが繋ぎ止めていなければこうはならなかったのだから」
「ちょっとは気休めになるよ。ねえ、どうやって外を見るのさ」
「私が許可せんといかんのだ」
母さんが指で四角を描くと、窓が空いたように光が漏れる。ここからは出られんとありがたい注意をいただいた。
「何が見たい」
「あ、じゃ、アイヴィー」
そう答えると、窓にアイヴィーの背中がうつる。瓦礫に腰掛けているようだ。そばには親父がいて、何か話をしてるみたい……。

『なあ。あたし、間違ったことしていないよな。自分でやったことなのに、後悔してんだ』
『正しいことしたと思うよ。あの三人に会えないのは……、寂しいけどね』
『あいつはあたしを恨んでるだろうな』
『そう? チャコはそんな子じゃないよ。きっとよくやってくれたって思ってるよ。倫太郎くんだってね……』
『あたし、ライラに殺されるかもしれない。あいつがどれだけ倫太郎さんに依存して生きてきたか、友だちのチャコだってそうだ。あたしはあいつから親と兄貴と友達、それから生活を奪ったようなもんだ……』
『ライラくんだって、もう大人じゃないか。わかってくれるよ。だからアイヴィー……、ライラくんが困っていたら助けてあげなくちゃね。倫太郎くんやチャコがしてたみたいに』
噂をすればか、赤い髪の天使が紫色の空を舞っている。さっきまで夜のように暗かったが、今は朝を迎えたのか太陽がのぼり、まぶしくオレンジ色に輝いていた。
『ライラくーん。迷ってるの? おりておいで』
その言葉が聞こえたらしく、ライラはゆっくりと地におりてくる。
『……よかった。ずっと知り合いを探し回ったんだけど……、死んでるのかそもそもこのあたりには居ないのかよく確認できなくて。ただでさえそっくりが多いし……』
親父がアイヴィーの隣からおりて、ライラを連れてくる。アイヴィーの隣に座らせると、ライラをはさむようにそのまま座った。
『……そっか。皆無事かな……。アイちゃんは無事みたいだせど、ユーリスやグロリアがいないね』
『あのひとたちはピンピンしてると思いますけど』
『死にそうにないね』
遠くの空には小さな金色の竜がいる……。
『チャコは?』
ライラが尋ねるが、親父は首を横に振り、アイヴィーはうつむいた。
『死にましたか。……すみません、あなたたち二人の方が辛いでしょうに』
『きみだって、倫太郎くんを亡くしたじゃないか。チャコは家族だし、倫太郎くんは友達……。きみにとっては倫太郎くんが家族でチャコが友達でしょ? だからぼくらみんな一緒だよ。倫太郎くんがいなくなって困ることも多くなるだろうし、ぼくらを頼ってくれて構わないからさ』
『なんか、あっさりしてるよな。嫁も息子も友達もいなくなった親父が一番きついだろ』
アイヴィーの言葉を親父はちがうと言った。ライラもアイヴィーと同じ意見だったのか、びくりと眉の間にしわが寄る。
『悲しいよ。だってもう、会えないんだから。二人とも、もうちょっと生きればわかると思うんだけど……、この年になると、人の死に付き合いすぎて慣れちゃうっていうかね。ぼくは長くこっちで暮らしてたからさ、何度もお葬式に出席したもの。向こうでいたって戦いで死んだ人たくさん見たしね……。もうちょっと落ち着いたらみんなで泣こうよ。とりあえずさ、休んだらこれ片付けなきゃ……』




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