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Uターン
誰が神のようになれようか

「ミカ!」
俺の声にミカはじろりと振り返る、冷たい目。それは子供の面影を残すミカには似合わない目つきで。
俺など気にならないといった様子でセオドアを抱える。俺が踏み込み素早く蹴りを入れるが、さっとしゃがんでよけた。そのまま地面を蹴飛ばし飛び上がるが、それを俺も追いかける。
ミカは空腹で死にそうになっていた俺にお菓子をくれたり、偶然会った時はいつも励ましてくれた。『地獄は入り口だけ』だって。命の恩人だと言っても過言ではないほど、俺はあそこの……、数日ではあるがあそこの生活での安らぎをミカにもらっていたのだ。物理的にも、精神的にも。
すぐに追いつき、ミカと向かいあった。抱えているセオドアは人とも鳥とも竜とも分類できないような異様な姿だった。顔こそ人の面影があるものの、腕は緑の羽毛に埋れているし、足なんか骨格が全く人のものと違っている。
「ミカ……」
ぎりぎりと歯を食いしばり、こちらをにらんでいた。
「ねえ覚えてる? 俺、チャコだ!」
「わかるさ!」
「俺はきみを殺したくない!」
「ああそう! ならとっとと失せてくれ!」
「皆の呪いを解き、セオドアを置いて行くなら見逃そうッ」
「そんなことできるか!」
「きみの身柄は俺たちブロウズ家が預かる! きみを危険から守り、天界に戻れるよう支援する!」
「黙れッ、薄汚い獣め! おまえの助けを借りるなら死んだほうがマシだッ!」
……三年前とはまるで違う。そんな、そこまで罵られるなんて思いもしなかったからついムッとしてしまう。
ミカはこちらを睨んだまま、じりじりと後退していく。背中を見せたくない、隙を見せたくないのだ。セオドアが起きる前になんとかしなくては……。
相手はセオドアを抱えているし、あれを落とすわけにもいかないだろう。
さっと飛び立ったミカを追うのは容易だ。たしかに空中で小回りが聞くのは天使だが、スピードだけなら俺だって負けやしない。相手がグロリアやユーリスならわからないけれど、空中で加速のできない天使相手なら負ける気がしない。
「!?」
か、体がなんだか重い……。さっきよりは軽いけど、なんだか筋肉がだるい。こんな一瞬で疲れってたまるもの?
一歩ミカは小鳥になったようにすいすいと空を泳ぎだした。追えば追うほどその重さは軽くなるが、一度離した距離はなかなか縮まらない。
ちょうどミカの真下あたりを飛んでいると、いきなり強い風の音がした。それから強い痛みと骨が砕ける男、思わずうめき声。地面に叩きつけられる、地面にめり込むほどに。口が空くと、ごぽりと血を吐いた。俺の腹にミカの足が突き刺さっている。石像の下敷きになっている感覚だった。冷たい視線が上から降り注いでくる。
「虫みたいに一度で潰れてれば、楽だったのに」
……腹が破れたな。痛い……。脂汗が顔から滲み出して来る。何がびっくりするって、横を見てもコンクリートしかない。つまりまあ、埋れているのだ。硬いコンクリートに埋れるほどの力で蹴っ飛ばされて踏みつけられている。
手足はビリビリして、電流が流れたみたい。目は見開き、何も言えない。腹が潰れているのだらから。
「まだ生きてるな、どれ……」
ミカが足を上げると、びたびたと血がスニーカーから落ちる。
「あ"!」
もう一度足が腹に入り、一瞬視界が白くなった。はっと息を吐くが、吸うことはできない。ミカは結構小柄なはずなのにこの重み、体の大きな格闘家に蹴られたってここまでならないぞ……。
足を掴み引き剥がそうとするが、腕じゃ足の力にはかなわない。踏み潰しぐりぐりと足裏を擦り付けるのを目を見開いて歯を食いしばる。そこらじゅうで魔法臭がするんでわからないが、これが魔法でなくてなんなのだろう。

急にミカが横に吹き飛び、腹が楽になる。ミカが居た場所に来たのは、黒髪の男だった。目つきは悪い、血のような赤いひとみ。眉は太く、目元にはほくろがある。肌は白く、不健康な犯罪者みたいないでたち。背は俺より少し高いか。
すぐにこいつは自分と同じ地をもっていると理解できた。まるで鏡までとは言わないけれどそれでも、他人にしてはあり得ないほど、似ている。
どこかでこの顔を見た……、そう、三年前に。河川敷にイヌを取り返しにきて、イヌごと俺をセオドアの元に連れて行った悪魔。と、いうことは敵じゃないか……!?
まずい、今襲われればおしまいだ。腹の再生がすんでおらず、力が出ないためコンクリートにめり込んだ自分の体を動かすことができない。
「起きろ」
手首を掴まれ、シールをはがすみたいに起こされた。腹の再生をはじめていた途中なので焦ってしまう。
「見た目によらず、こいつはやるからな。油断しないほうがいい」
「きみ……」
「ネロ。今はネロと呼べ、チャコ」
「きみはセオドアの所にいた……」
「昔の話」
砂埃を払う。……遠くのみんなは……、ミカの集中が切れたのか、動けてるみたいだ。ミカは起き上がると、倒れたセオドアの前に立ち、庇っている。
「なぜ躊躇する?」
「あの子によくしてもらった」
ふん、と鼻を鳴らした。そうだ、この男も『チャコ』! アイヴィーと同じように、別の世界を生きていた母さんと親父の子。姿は似てはいるけどそれぞれ違う。性格は様々。そりゃ、一人一人違う人生を送ってきた。俺と違ってたくさん友達がいたり、ふつうの恋人がいたり、もしかしたらもう子どもがいたりするかもしれない。
アイヴィーは俺と同じようにセオドアを出したらしいけど、セオドアを出さずに平和に暮らしていた奴、小さい頃から魔界に行って、あそこの住人として親父や母さんと仲良く家族で暮らしている奴もいるだろう。もしかしたら両親を亡くして孤独に生きていた奴もいるかもしれないし、二人が離婚して育児放棄や虐待を受けていた奴もいるかもしれない。
住んでる家だって違うかも、お金持ちかも、貧乏だったり。女の子だけど男になりたい、それの逆だって。女装や男装してるのもいるかな、心の病気持ち、同性愛者、誰も愛せなかったり、すぐ人を好きになったり。
この男はどんな人生を送ってきたのだろう? いちばんの友達は? 初恋の人は?
足元に転がる死体、竜と戦い続ける者、怪我で動けない者。俺はその中の一人にすぎない。

気づけば俺はミカに掴みかかっていた。華奢な体の上にのしかかり、何度も何度も影の炎で切りつけていた。激しく抵抗していたがそのうちだんだんと弱っていき、ついには血だまりの中、土色の手足を震わせながら虚ろなひとみで助けを乞うていた。
はっと我に帰り、すぐに倒れたミカから離れる。腕を指に戻し、血を払う。
「……」
ネロと名乗ったあの男は、地面に転がされたセオドアを愛おしそうに見つめていた。透き通るように白く美しい肌に触れ、浮き上がったウロコをなぞる。緑色の羽毛が宙を待っていた。パーツのひとつひとつは女性のように美しいが、ひとつに纏まると女性らしさは薄れている。男としての美しさ、そして人では無い者の美しさ。腕からは立派な翼、手は鋭く曲がった爪、骨格は人から離れている。
こいつにどれだけ俺は人生を狂わされたろうか。何度思い出し、震え、泣いたろう。今だって、怖い。でも大丈夫、気を失っているんだもの。この瞬間あれの体に刃を入れることができれば、あの頭を砕き、体を粉みじんにすることができれば。なんて、今の俺には自信があった。今ならなんでもできるという根拠の無い大きな自信が俺の頭を貫いている。
殺してやるッ!

足を踏み出そうとすると、足首に冷たい感触、それがなんなのかすぐに理解できたし、だからこそ俺は怯えたのだ。
俺を止めるほどの力強さはないが、意思はしっかりと感じられる。
ズタズタのミカが、俺の足を掴んでいる。セオドアの元へ向かおうとするのを、止めようとしているんだ。そしてそれは実に効果的であった。
「……」
「ミカ……」
「やめて」
「ごめん、俺……」
自分でしたはずなのに、ミカの手を優しく握っていた。
「しあわせだった」
ミカがどんな生活をしていたか、少ししか見ていないけれどそれでも壮絶なものだった。変わった姿をして、丈夫なペット。見世物にされ、ヒトの血を啜り臓物を食らっていた。
「……ありがとう、その……、あの時は助けてくれて。きみが居なければ俺は生きていなかったかも」
「ちがいないや」
体の再生が追いつかない、もともとあまり再生力が強く無いのか(俺は普通の2、3倍はあるらしい)。ゆっくりとまぶたが閉じて行く。
「すぐにあんたもこっちへ来ることになるだろうな。さっさとくたばれ、糞野郎」
完全に目が閉じる。立ち上がっても、腕は動かなかった。

セオドアのほうへ視線を向けると、ネロがチェーンソーに変えた腕をセオドアの体に振り下ろそうとしていた。……あれは俺がやらなきゃ! 俺の獲物だ!
走って飛びかかろうとするが、間に合わない。骨を削り落とす男、血しぶき。力無く足から崩れた俺には、遠いんで血はかからなかった。ピンク色のずいぶん肥ったミミズのような虫がそこら中でうごめいている。
急に酷い吐き気と下腹部の痛みそれから気持ち悪さを感じた。なんにもないのに腹の中を誰かにかきまぜられているみたいで、冷や汗が額に滲み出す。酷い痛みに目を瞑り、一瞬気を失った。
それがマシになったんで目を開けると、少し赤みのかかった世界が広がる。体の感覚がほとんど、ない。確かに俺は生きているのに……?
立ち上がりたくもないのに立ち上がり、じっと何もない場所を見ていた。ネロは返り血を浴び、セオドアは上半身と下半身が真っ二つ。
勝手に右足左足が前に出る。体が言うことをきかない……。筋肉のひとつもふたつも言うことをきかない。俺が俺でないみたいで、わずかに思考しているのは間違い無く俺なのだけど、誰かが入り込んでいるようだった。自分が運転する車のハンドルを何者かに奪われたって感じで、どうしようも、ない!
パニックにはなっていたけど、表情筋は動かないし手は震えない。汗も流れない。
ネロの前に立ち、口を開いた。
「よおくやってくれたな、この、出来損ない。僕を殺せると本気で思っていたのか? 母親から聞かなかったか? 『僕は死んでる』って!?」
声すら! 俺は自分を操れない。ネロは一瞬はっとした顔をするが、すぐに数歩下がり構える。
「僕の完璧な体! ああ……、美しいな。見てくれ、このウロコの並び……、艶のあるグリーンの翼……、こんなにも美しく完璧な肉体が他にあるか? 血に塗れた姿もまた、美しいだろう」
勝手に手が伸び、傷口をなぞるとみるみるうちにふさがっていった。何事もなかったかのように。倫太郎さんと同じ力……! そうだ、俺を乗っ取ったのはセオドア! 昔虫を腹に入れられたのだ。今になって……!
「お前には良くしてやったはずだ、アイに連れてこられ、何も分からぬまま途方にくれていたお前を拾ってやったのは誰だ? 僕だ! 十分でまともな食事、部屋、衣類……。ミカとは違い、お前はまともだったからな。僕は価値があると思っていた。どうやら僕はキンケードの血に嫌われているらしいな……、ふふふ、仕方ないことだが……」
「オレに術をかけてたろう、それが切れただけの話」
「飼い主に噛み付こうとする犬は首輪と鎖を付けなくてはね」
「おじさんにも術を?」
「いいや。あれが襲いかかってきたんで僕も対抗しただけさ。魔法酔いしたらしいな。まああれは誰かがなんとかするだろう……、僕の知ったことじゃあない」
「おじさんは……、お前のことを愛していた」
「ふうん。だから、何?」
ネロがその言葉にキレたのか、足を燃やして飛びかかってくる。セオドアに乗っとられた俺の体は近くの瓦礫にできた影に飛び込み、ネロの背後から飛び出すと蹴りを食らわせる。ネロが吹き飛ぶのをダッシュして追いかけ、追撃した。
「そのへんでのびてれば、あの竜どもの喧嘩に巻き込まれて死ぬだろうなあ」
足でうつ伏せに倒れたネロを踏みつける。……致命傷ではないが、骨の数本はいったかもしれない。
「お前は僕のお気に入りだからなあ、できることならまだ生きていて欲しいんだけど」
「……」
「僕のいうこときかないんなら、いいや」
「……」
足をどけるが、ネロは黙ったままだった。
「殺せっ」
「いま、なんて?」
「殺せ!」
「じゃ、やめにしよっと。ここにはり付けておいて、……竜に焼き殺されるがいいさ。誰にも知られず」
セオドアがネロの背中をなぞると、背中の中から肥大化し折れた肋骨が突き出てきた。それはコンクリートに噛みつき、しっかりとくわえてタダでは外れない。こんな術、見るのははじめてだ……。
それを見ていたらしいアイヴィーが空中から降りてくる。……そ、そうだ、セオドアに乗っとられたってアイヴィーに伝えなきゃっ!

「おい、どうした? こんな所で」
「きみこそ」
やっぱりダメ。自分の意思で体が動かない。
「あたし? あたしはおまえの様子を見にきたんだよ。呪いが解けたんで、何かあったろうと思ってさ。……それにしても……、これおまえがやったのか?」
ミカとセオドアの遺体、そして肋骨が突き刺さるネロを指す。
「こいつはチャコじゃない!」
ネロがとっさに叫ぶが、俺の中のセオドアは影の銃をつくりだし、地面に伏せったネロに突き付けた。
「ねえ、こいつ、おれを攫っていった奴。セオドアのとこにいた」
「……! チャコじゃない? ……どういうことだ」
「さあ。おれよりこいつを信じるんならさ、聞いてみれば」
「……」
じっと不思議そうにネロを見つめ、恐る恐る骨に触れていた。くそう、こんなのおれができるはずないってわかるだろ?
「……」
やっぱりっ! 冷たい視線、敵意をこっちに向けてきた。アイヴィーなら気づいてくれるって信じてた! その言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けて地面に倒れた。指がぴくりと動かせたので腕を持ち上げる。……う、動ける!
「ぎゃ!」
びっくりして声をあげると、アイヴィーはじりじりと後ろに下がった。
「!?」
手をついて起き上がり、アイヴィーを見つめた。体が妙に軽い。さっきまで気分が悪かったのが嘘みたいに。
「あ、アイヴィー……」
どうしたらいいんだろう!? 俺ん中にで入りできるんなら、俺……、……。
そうだ、以前にアイヴィーに言われたんだ。『死ね』って! 今か、今死ぬのか……。母さんに頼まれたのに、……。俺が死んだらどうなる? 死ななかったらどうなる? 俺たちはもう詰んでいたんだ……。



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