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Uターン
水素人間の奇

「さあ、着いた」
ビルから五分も離れてない、無人浄水場……、らしい。暗いのもあいまってひどく不気味な場所だった。
「おじさんはここで待っててね」
「……」
ニルスおじさんは頭を抱えたまま首を振るのを、エリは無視して俺とライラを連れていった。


ライラの手を引いて歩いてやる、周りが暗いんで何にも見えないようだ。ライラは強がってにおいだけで大丈夫だと言ったけど、心配なんで手を握ると、エリがからかう。
「ライラちゃん、なんさい?」
「いくつだったかな。地上では20で通してるけど」
相手せず、普通に答える。
ウロウロ歩き、さっとライラの後ろに回って脅かすと、ライラが振り向いて蹴りを放った。
「うわ!」
「ライラ!」
「ごめんね、敵だと思って」
あー……。確かに、二人は全く合いそうにない。大人しいライラと、元気なエリは。ライラがこんなのに怒るなんて、意外だなあ。
「……やんのか?」
「……」
エリもスイッチ入ったみたい、また間に入って止めようとするけど、俺だけじゃ無理だ!
「ねえチャコ、いい考えがあるんだけど。こいつが気を失ってる間に例の化け物をやっつけるっていう」
「喧嘩しにきたわけじゃないだろ?」
「僕はあいつが気に入らないよ」
なだめても無駄みたい、完全に喧嘩する気だ。……やらせておいて、勝負がついたとこで間に入るのがいいのかなあ?
「チャコのいて、大丈夫、僕は負けない」
「そういう問題じゃないんだけど……」
もう止められないと判断して離れると、エリが少し腰を低くして構える。ライラはいつもみたいに少し背中を曲げて、手をぶらりとさせた。

くるりと一回転すると、足元からたくさんの黒い影。……影? 影に似た何かで、影ではないようだ。たくさんの鳥の形をした、黒い何かがエリを覆う。
その黒い何かはカアカアと騒がしく鳴いている。カラスか。エリはあのカラスでどうやって戦うんだ……? ライラは表情を変えないし、ポーズも変えない。
「なめんなよッ!」
たくさんのカラスが鳴きながらライラに向かっていく。ライラは軽くかわすが、グラリとよろめいた。
『イ』
『シ』
『ニ』
『ナ』
『レ』
ひゅうっとエリの口笛。カラスだ、カラスの声。カラスの声が『石になれ』って! よろめいたライラの足元を見ると、コンクリートがこびりついて動けないようだ。翼を出して飛ぼうとするけど、持ち上がらない。
「おいおい、お前天使かよ。どーりでムカつくと思った!」
ライラの目つきが変わった、のんきに近づいてくるエリに向かってウロコを投げつけるが、うまく照準があわせられず頬を軽く切るだけだった。
「ん? それがライラちゃんの本気?」
もう一枚ウロコを剥ぎ取り、足のあたりを引っ掻くとコンクリートがドロドロと溶けて空に舞い上がる。
「げ……、気持ちわるッ」
毒のウロコ、万能だなあ。エリのカラスが追うけど、ライラのスピードには追いつかない。素早くエリの後ろに周り、振り返ったエリの腹に強い膝蹴りを食らわせる。その瞬間、カラスが闇の中に消えていった。強くコンクリートに叩きつけられる。ちょうど腕があの溶けたコンクリートに触れ、叫び声を上げた。
勝ち誇ったみたいに笑って、ふわふわと翼を風にまかせている。
エリが獣みたいに叫んでカラスをとばすが、ライラが耳をふさいで目をつむると、カラスはライラを無視してカアカア鳴きながら飛び去っていった。
「……!」
「それでおわり?」
チッと舌打ちして、立ち上がりライラのところに走って溶けた腕を振るう。腹に直撃するけど、毒のせいであまり力は入っていないみたいだった。
「ストップ! ストップストップストップ!」
素早く走って間に入る。エリの手を握って燃やすと、黒焦げにはなったが毒のまわりは止まったようだ。
「! エリ!」
浄水場の大きな水槽が大きく膨れ上がる。俺の声にも間に合わずエリは飲み込まれてしまった。水は蛇みたいにうねっている。ジャンプして腕を大きな斧に変えたが、水は切り裂けない! 水が大量すぎて、蒸発させられない。
早いとこ諦めて、腕を火炎放射器に変えて後ろに下がった。水が飛んできたけど、ライラが俺を受け止めて後ろに下がってくれる。
「化け物か?」
「うん。俺は水が苦手で……」
「イライジャは?」
「飲み込まれた……」
「なら毒はだめだね」
どうしようかと考える。……俺は相性が死ぬほど悪いぞ。ライラに頼るしかないけど、エリがいるから毒は流せない。……どうする……。
ない頭で必死に考えるが、影に潜ってどこか弱い所を一点うちするしかない。弱いところ、根元は太いし、先っちょを攻撃しても意味がなさそう。
これが自然現象とは考えられないし、中に本体がいるか遠くに術者がいるか。どちらかを狙うしか。しかしどうやら、あれにあまり敵意はないらしい。エリを飲み込んだまま、じっとしている。
「残念だけど、俺にはどうしようもないよ。ライラ、策はある?」
「あいつを殺していいならね」
はあーっ。頭を抱える。どうしよ。
ライラはじっと、水の塔のほうを見ていた。きっと見えてないんだろうけど。
「……チャコ、化け物の近くに、行きたいんだけど」
「? どうして」
「知り合いかもしれない」
大丈夫なのか不安だけど、しかしそれにかけるしかないか……。
ライラと手を繋いだ。ジャンプすると翼が開く音がする。地面を蹴って水の塔に近づいた。何度か襲いかかってきたが、あまり素早くないので簡単に避けられた。
「レイン!」
大きくライラが叫ぶと、水の塔が一瞬で消えてしまった。落ちてくるエリをキャッチし、すぐに地上に下りる。
コンクリートの床の上には、水色の何かが落ちている。
「ビンゴだ。レイン?」
ライラが呼びかけると、その何かがぴくぴくと体を動かした。
「……エリ、大丈夫?」
「あ、ああ。びっくりした……」
エリの服は大量に水を吸って、足元に大きな水たまりを作っている。対したことはないみたい、さっき焦がした腕が冷えて、逆によかったんじゃないか。
水色の何かが気になり、そのそばにいるライラに走り寄る。エリも服を絞りながらこっちにやってきた。
「……うわ! な、なんだこれ……!?」
「げ……」
それは、水色の肌をした異様に手足の短い男だった。手足が短いと思ったがそれは切断されたものだろうとすぐ気づく、肘から先、膝から先がない。多分、本当はかなり長身の男だろう……。緑っぽい青の髪は伸びっぱなしで、海藻のようだった。
「趣味悪うッ。これが化け物の正体か?」
エリがわざとらしく吐くまねをした。
た、確かに……。おぞましい。誰がこんなひどいまねを……。
「レイン? まさか、死んだと思ってたけど。どうしてここに?」
「そいつ、しゃべるのか?」
「僕の小さなころ、喋り相手はもっぱらレインだったよ。馬鹿にしちゃいけない」
ライラの姿を見て、レインと呼ばれた化け物は怯えていたが、わかりやすく表情を変えた。
「ライラ! ライラ!」
「うん、どうしたの?」
「ぎゅうしたい」
「いいよ……」
ライラは寝そべったレインを抱き上げ、文字通り『ぎゅう』する。レインは声変わりしていた。声を聞いて、驚いた顔でエリがこっちを見るけど、……俺だってびっくりだよ。
ぎゅうされたレインに近づくと、顔を隠される。
「怖がりなんだ」
ライラが小さいころから一緒のやつが、どうしてこんなところにいるんだろう?
「ライラ、ぎゅう。ぎゅう」
「しゃべるっつったって、『ライラ』と『ぎゅう』しか言わねーじゃん。つかそれ、なに?」
少し考えるライラ。難しい顔をしながら。
「……おばあちゃんの、ペット?」
「お前のばあちゃん、ヒトをこんなにしてペットにしてんの? うげ……」
「死にかけてたヒトを助けたらしい」
「助けたっつっても、こいつ、大人だろ? 大人がこんな子どもみたいにされて手足もなくなって、……死んだほうがいいだろ」
どうなんだろう。そのへんは意見別れそうだけど。レインが言葉にならない声をあげながら、ライラの胸に顔をすりつけている。
「……どうしよ、レイン? ここにいる? 僕らとくる?」
「ぎゅう」
……会話になってませんけど。ついてきたいのは、わかるけどさ。
「お母さんと会う?」
「うん!」
ライラの胸に顔を押し付けているので、曇った声だけど。
「帰ろうか」
は、はあ……。ライラはレインを抱き上げ、俺に先を歩いてくれと言った。ずっと浄水場を歩く間、レインはずっと『ぎゅう』をご所望だった。してやればいいのにと思ったが、ライラはすごい『ぎゅう』してて、……痛くないのかな。


「おかえり、……っておい……、なんだそりゃ」
入口で待っていたおじさんの第一声。そりゃあそうだろう、あの水色の化け物を見て一発で受け入れられる人なんていないよ。
「おばあちゃんのペットです。連れて帰ります」
「は、はあ……。そうか。しかしそりゃ、ひどく目立つな。裏口から入るか……」
「僕が飛びますよ。おばあちゃんの部屋は確かに12階ですから。チャコに先行ってもらうので」
しれっと言うけど、飛ぶの!? 12階まで!? ……うへ……。
「しかしな、オレは一応チャコくんの護衛なんだ。空を飛ぶ悪魔はあんまり居ないとはいえ、仕事なんだよ」
「じゃあチャコか僕があなたを連れて飛べばいいですか?」
「……あー……」
「おばあちゃんの所に時間までいるので、大丈夫ですよ。きっとおじさんが迎えに来てくれるし。さ、チャコ行こう」
ライラが飛び上がって。ライラのやつ、俺がほっとけないっって知っててやってるのか!?
「……ライラが心配なんで、俺ついていきます。歩いて五分なら、飛べば一瞬ですから。ごめんなさい、ありがとうございます」
止められる前に、ライラを追って飛び上がった。う、風が気持ち悪い……。吐き気はするけど、今日は何も食べてないし昨日もあまり食べられてないから吐くものがなかった。
「チャコ! どっち?」
「あっちだよ」
すぐ近くに大きなビル。あれの12階ね、……。ライラのすぐそばについて、飛ぶ。
「もうだいぶ平気じゃない」
「……すげー……、気分悪い」
すぐにビルにつき、下から12個目の窓をライラが叩くと、奥に赤い髪を長く伸ばした小綺麗なおばさんがいた。確かに、ライラによく似てる。窓が開き、中に入れてもらった。
「ま、ライラ。それは……」
「レイン。浄水場に居たんだ」
「不思議なこともあるものね……。そっちの子はグレイとアッシュの息子ね、うん、久しぶりだけど、覚えていないでしょ」
どうも、と軽く挨拶。レインを床に下ろし、ふうっとライラが息を吐いた。
「なんでこんな所に居るんだろう。死んだんじゃなかった?」
「そう、私もそう思ってたんだけどねえ。水槽からレインが居なくなってて……、完全に水になっちゃったと思って、こっちに連れてきて原因を探ってたんだけどわからなくて、水を流しちゃったのよ。……寿命だと思ったんだけど、……なんだか魔法臭いわね。こっちの空気が逆によかったみたい」
「だから浄水場に居たのか。おばあちゃんは外に出ないから、僕が見つけられてよかったよ」
「そうね。今から水槽に水をはるわ、少し待っててねレイン」
大量の本棚に囲まれた部屋の隅に水族館にありそうな大きな水槽がある。……たしかに、あれならヒト一人飼えそう。ライラのおばあちゃんがホースを引っ張ってきて、水が流れていくけどあれが満タンになるのはいつになるやら。
すぐにライラのおばあちゃんは戻ってきて、ゆったりとした社長さんが座るみたいな椅子に座る。サイドテーブルには、古そうな本がどっさり積み上がっていた。
「大きくなったわね」
ライラはレインと遊んでいるし、……お、俺か? びっくりして自分を指差すと、そうよとライラのおばあちゃん。
「私が最後に見たのはこんなに小さくて、乳離れはしたけどお父さんにべったりな時だったかしら。時間がたつのは早いわ……」
「そ、そうなんですか」
「体の調子は……、よさそうね。一応、これを渡しておくわよ」
そばのチェストから取り出したのは、ひとつのビン。白い粒が……、薬みたいだ、それがたくさん入っている。
「幻覚を見たり幻聴が聴こえたり、不安な気持ちになったらそれを飲みなさい。それでだいぶましになるはずよ。ちょうど、できたばかりなの。よかったわ渡せて」
「あ、はい。ありがとうございます」
呪いのことを知ってる? 親父の知り合い?
舐めるような視線がくすぐったい。じっとライラのおばあちゃんはこっちを見ている。
「……だめね、実物を見てもまだわからない……、もう少しで、解けそうなのだけど。B×……。19、それから……、E……」
「あの。なにしてるんですか?」
「計算よ」
は、はあ。そう言われましても。
「何の計算なんですか?」
「何って、あなたの呪いを解くのにどんな薬をつくればいいのかってこと。どんな力をどれくらい入れればこの部分は解除されるのか、こっちはこれで大丈夫か。……アッシュのヤツ、子どもに呪いの一つも教えてないのか」
「の、呪い? 俺はその、そういうのわからなくて……」
「まあ、あなたは母親似だから呪いは全く向かないでしょうね。やるだけ無駄だわ、諦めたのかしら」
サイドテーブルに積んである本を開き、俺をみながら何かノートにメモしながら。
「こっちをEにすると変な呪いがかかっちゃいそうね。……こんな形態、まるで見たことがないわ。EじゃなくSにして、……そしたらこのBが不安定になるから18に減らして、……うーん。見れば見るほど見事だわ、複雑すぎ……」
動こうとすると、だめと叫ばれる。ライラが苦笑しながら俺に話しかけてきた。
「こうなったらしばらく動けないよ」
「なんか、何してるかよく……」
「きみの体から出てる魔力とかオーラを見て、式を探してるんだよ」
簡単っぽく説明してもらってありがたいけど、ごめん! 全くわからない! 相当わからない顔をしていたらしく、また説明を重ねてくれる。
「そうだね、きみの体の式が4×3だとする。そしたら、6×2の術にかかりやすいんだけど……、そのへん、わかる?」
「いまいち……」
「4×3は12だよね。で、6×2も12。でも式が違うよね、別の性質だけど、同じなんで、体に馴染みやすいわけ」
「な、なるほど……?」
「で、体に組み込みやすい式でないと呪いはかからないわけだ。でも人によって体の式は違うから、そのへんの微調整の必要性なんかを見抜きながら、かかりやすい数式を探して呪いをかける! ……んだけど、それはかける時の話。解ける時は、かけた式、呪いを特定して計算どおりの強さで呪いをもう一回かけるんだ。計算はできても、この強さの調整がなかなかどうして難しい」
レインを撫でながらライラが説明してくれたけど、さっぱりだ。とにかく乱暴に魔法をかける俺はできないってことは、わかったけど。
ライラに触られるのが嬉しいらしく、レインは猫みたいに喉をごろごろ鳴らしていた。……見れば見るほど、不気味な姿だ。不恰好な人形のようで、水色の肌はうっすら透けていて、たくさんの泡がぷくりぷくりと破裂している。顔は水でないらしいけど、体はほぼ水のようだ。骨が確認できるけど、臓器はほとんど見当たらない。
「あのさ……」
少し口を開いたけど、変な詮索するのはよしたほうがいいのかな。
「レインのこと、気になるんだ。ま、なるよね。……おばあちゃんも、本当はこうなるとは思わなかったんだって」
この状態でこうして生きているのが不思議すぎる。生き物とは思えない。
「心中だよ」
「え?」
「レインの家族……、お父さんが仕事をリストラになって、森の奥の小さな集落に逃げるみたいに引っ越したんだって。だいぶ昔の話……、僕らが産まれるよりずっと前。死にかけてたのを、助けたのがおばあちゃん」
そりゃあ、……この惨状からろくな目にあってないってのは簡単に考えつくけどね。
「レインが行方不明になって、みんなが集落から出て行ったころ……、お父さんはお母さんと娘を殺したんだ。レインのせいで騒ぎになったから、ホントはみんな一緒に殺してしまうつもりだったけど、レインが逃げる途中に川に落ちたから。お父さんはみんな殺したあと、自殺するのが怖くなって……、ひっそりと、おじさんになるまで一人で暮らしてた」
「よく知ってるね」
「おばあちゃんの話と、僕の予想のでっちあげの組み合わせだけど。まあ、おばあちゃんの話が本当ならなかなか信用できる説だと思うね」
レインは話をよくわかっていないみたい。……わかってるけど、わからないふりをしてるのかもしれない。
「おかあさん」
「どうしたのレイン?」
「んー……」
レインがおかあさん……、ライラのおばあちゃんに話しかける。レインの肘が指すのは水が少し溜まった水槽だ。
「まだよ、もう少し待ちなさい」
「ちがうよ」
「あ、ああ。ライラ頼める? 服、まだ少し置いてあるわ」
何するんだろう。ライラはレインを抱いて、奥から梯子をとってきた。梯子を使って少ししか溜まっていない水槽の中にレインを入れる。その間ライラは水槽のそばのカゴから服を取り出して梯子の横に置いた。何か手伝えと言われるかと思って構えてたけど。
「ここに置いておくからね」
「うん」
そろそろと俺のそばに戻ってきたライラ。
「目、よくなったの?」
「流石に、おばあちゃんのうちと同じ配置だからね。最初は少し戸惑ったけど、すぐに慣れたよ。においとか、声の響き方とか……。チャコは鼻もきくし耳もいいから、目を潰されても平気そうだね」
「かもね」
視覚聴覚嗅覚の中で、俺が一番鈍いのは視覚だ。それでも視覚から得られる情報はかなり多いし素早いからなあ。別にライラのように目が悪いなんてこともない。普通に見えてる、と、思う。
水槽にいたレインが上がってきた……、のだが、レインは四肢がないのにどうやって上がってきたかって、それがびっくりいつの間にか手と足が生えている。
ライラが出した、だるだるのトレーナーとスウェットを着て、ライラのおばあちゃんのそばに駆け寄る。
やっぱり俺の予想は正しくて、背の高いほうのライラよりも一回りはレインのほうが大きい。俺なんて頭ふたつぶんくらい小さいかもしれない。
「ライラ!」
……これに『ぎゅう』されたらとんでもないぞ、という心配も間に合わない。体だってけして細くないし、むしろ少し体格のいいほうだ。
「ぎゃ!」
思い切り倒れこむライラとレイン。子どもみたいに無邪気に笑う様子はアンバランスだ。……でも、こんな楽しそうにしてるライラはじめて見たかも。元気そうでよかった。
「いたいおもいいたい! どいて!」
「ヤダ」
「やだじゃない死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬったら!」
しかたないなあと言いながら、いそいそとライラが離れたレイン。太ももは太くて腕はゴツゴツしている、……ほんとの腕と足だ。骨は見えないが、紫色の何か光るものが骨のかわりをしていた。
俺の視線に気がついたらしく、レインがグルルと威嚇する。
「……レイン? こんにちは……」
声をかけてみるけど、応答はない。ただこっちを睨んで歯をむき出しにしているだけだ。
「……」
少し足を動かすと、その表情はもっと攻撃的になった。いまにも飛びかからんとしていて、その体の大きさからひるんでしまう。
「レイン。その人は大丈夫だから」
「……」
起き上がったレインをライラがなだめても、状況がよくなることはなかった。
「……おかしいな。チャコ、なんにもしてないのに」
「その子の母親がね、昔レインとちょっとあったのよ。母親似だから、思い出したんじゃない」
「そうなんだ。レイン? レイン? 向こうへ行こう、ね」
ライラがレインを引っ張り違う部屋へと行ってしまった。
「……え、えと、母さんが?」
会話しなきゃなと思いつつ、ライラのおばあちゃんに声をなける。
「そうよ、確かあなたと同じくらいの歳の時だったかしらね。それに比べたら、ずいぶんおぼこいわ。どっちにも似てるけど……、どっちかというと、父親似かしら」
「はあ、そうなんですか。よく『両親の悪いところのハイブリッド』って言われます」
「かなり的を得ているわね、その表現。……もう動いていいわ、でも何処かには行かないで、もう少し付き合ってくれる?」
「はい」
くるくるとペン回しをし、読んでいた本を閉じた。
「幻覚だったり幻聴だったり、フラッシュバックほかにもあるみたいだけど。それらはどんな時に起こるの?」
「幻聴はたぶん、ないです。思い出した時なんですけど。……こう、こう話するぶんに思い出すのは気持ち悪くなるけどまだ平気で、一人になった時とか怖い時とかに思い出すと、出ます」
「常時じゃなく不安な時ね。幻覚はあるのね、それはどんなもの?」
「虫が……、視界に虫が出るんです」
「どんな虫?」
「ピンク色の、ツルツルした短いミミズみたいなものです。放っておくと体がぞわぞわして、吐き気がして、ひどいときには体が食われる感覚に襲われます」
「……予想どおりなんだけどね、ここは。とりあえずその薬は大丈夫だと思うわ。あわない体質ってこともあり得るから、効かない時はお父さんに言いなさい。…….原因は、アバウトにお父さんから聞いたけど……、ほんと、アバウトに。フラッシュバックやパニック発作は薬でなんともならないわけじゃないけど、やっぱり根っこから退治してよくするべきだと思うのよ」
「そうですね」
「何があったか知りたいのだけど、話せるかしら?」
「……」
無理だよ、絶対。詳しく洗いざらい話したらそれから『そんな目』で俺を見るんだろう。それが嫌だ。
「お父さんにもお母さんにも、他の信頼できる人もだめ?」
「……はい」
母さんには話せないし親父にも詳しくは……。一番詳しく知ってるのはアイヴィーだけど、アイヴィーにも話をする気にはならないな。きっと男のくせにってバカにしまくるに決まってる。……倫太郎さんは……。話せるかな。
「たとえば私はライラと繋がりがあるけど、そういう繋がりのない、あなたのことを全く知らない人に話せるということはないのかしら」
「……」
「だめなのね。困ったわ、原因がわからないと対処のしようがないもの。治す気がさらさらないわけでもないんでしょ?」
「治したいんですけど。……どうしても」
「ふうん。ずいぶん怖い目にあったようね。今じゃただ怖いだけかもしれないけど放っておいたら摂食障害やひどいうつなんかに発展するかもしれないわ。こんなとこで強がってもなんにもならないし、あなたの親や倫太郎は理解のある人だから、ちょっとやそっとじゃあなたのことを捨てやしないわよ」
「ちょっとやそっとじゃ、なくって。……その……」
「わかってるわよ。ちょっとやそっとじゃ悩まないものね。大ごとでもあなたは周りの大人に恵まれているから大丈夫。一人になるとだめなら、誰かお母さんにお願いしてつけてもらいなさい。……でも、あなたくらいの年ごろの子は、一人になりたい時も多いのかしら」
話を聞いてるとなんだか悔しくて悲しくて、だらだらと涙を垂れ流して唇を噛んでいた。わかってる、わかってるんだ。わかってることを言われたり詮索されるのは辛い。
「あらあら。ま、無理にとは言わないけど、さっさと治したいのなら信頼できる大人に話して、その人と私のところか医者のところへ行きなさい。人間の医者でもいいわよ。もらった薬を私に見せてくれれば、あなたに効くようにしてあげるから」
「はい、はい、すみませんっ。すみませんっ……」
「いいのよ謝らなくて。時間の経過がよく働くか悪く働くはわからないけれど、よく働くことを願っているわ。もう、行っていいわよ」





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