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Uターン
記憶の断片 3

あれから何度もオリヴィアちゃんはうちに遊びにきた。もう家族って言っていいくらいで、俺とお菓子を作ったり、ライラもオリヴィアちゃんの家に行ったり。
もっぱらオリヴィアちゃん以外の話は聞かなかったが、そんなに仲良しの友達ができたならかまわないだろうと思っていた、のは、今日まの話で。
「おや、ライラ」
どんより曇って激しい雨が降る日だった。部屋の中に居てもうっすら水が地面にぶつかる音が聞こえていた。傘も刺さずぐしょぐしょに濡れて帰ってきたライラに、タオルを被せて拭いてやる。
「今日はひどい雨だね、傘忘れたの? 体に悪いからシャワー浴びてきな」
「おじさん、僕はひどいことしてたみたいだ」
はあ、いきなりなんだろうか。その濡れた体でずっと居られるほうがおじさんにとってはひどいことだけどな。
「何かあったの?」
「オリヴィアが……」
恋の相談かい、俺だって経験豊富なわけじゃないからなあ。なんと言っていいやら。でもその前にやることがある。
「シャワー浴びたら、話聞いてやるよ。ケーキも出そう。な?」
ライラは観念したのか、濡れた鞄をデスクに置いておずおずと事務所の奥に向かっていく。
しばらくして戻ってきたが、汚れは流れてもどんよりした気分は流れていかなかったようだ。
いつもオリヴィアちゃんと話すお客さん用のソファーにケーキを置いて、ライラが座った向かい、いつも俺が座る場所。
「どうしたの?」
「なんだか僕にもよくわからない話で、おじさんにうまく伝えられないかもしれない」
「でも話してみなきゃひとつもわからないよ」
少し考えて、思いついたみたいに口を開く。
「オリヴィアは僕と遊ぶと、クラスの女の子にいじめられるらしい」
「はあ」
「わからないでしょ? べつにオリヴィアは何にもしてない。悪口言ったりいたずらする子でもない、僕と本の話をしてお菓子の交換するだけ。今日知ったんだ。クラスの人は結構知っていたみたい。『おまえの愛しのおデブちゃんと遊ぶのは、もうやめとけ』って、……最近仲良くしてくれるんだけど、あんまり僕が気づかないからって教えてくれた」
つまり嫉妬てやつね。女は怖いなあ……。ハンサムでミステリアスな我が甥っ子と仲良く話のできるオリヴィアが羨ましくて羨ましくて仕方ないんだ。ライラのことだ、あの日以来あの女の子たちを拒絶しているかもしれない。
「最近オリヴィアが休みがちだって言ったじゃない。ちょっと風邪をこじらせてるだけって聞いたけど、……。どうしてそうなんだって、言ってくれなかったのかなあ。そうしたら学校でオリヴィアと話すのはやめるのに」
「オリヴィアちゃんは、ライラがそうするだろうってわかってたんじゃないかな。だから隠してたんだと思うよ、ライラといつも仲良しでいたいから」
「どうしたらいいんだろう、僕。オリヴィアと話がしたいよ、オリヴィアと遊びたいのに、オリヴィアがいじめられるのはいやだ。いつも一緒にいたいけど、どうしても僕は男だから、離れる時があるじゃない。……僕、女に産まれたかった」
俯く顔。最初にオリヴィアちゃんがうちに来てから、ライラはずいぶん大きくなった。細かった体は少し筋肉がついてきたし、背なんて10センチは伸びただろう。本を持つのでいっぱいいっぱいだった小さな手は、本を覆い尽くすほど大きくたくましくなった。きっともう、うまく飛べるようになったんだろうな。
「相手が女の子だものね」
「男なら、僕が喧嘩でもふっかけてやるんだけど。女の子は殴っちゃいけない」
「そう。わかってる、いい子。しかしな、あの子らだろ。強く言ってもきかなそうだし」
「いっそのことあの子らを僕が受け入れてしまえばいいのかな。遊ぶ時間が減ってしまうのは嫌だけど、オリヴィアがあんな目にあわないなら……」
「いろいろ試してみないと、わからないね。もしかしたら少し放っておけばおさまるかもしれないし、……。こういうのって、確実な方法がないからなあ」
いじめ、か。オリヴィアちゃんはおとなしい子だし、誰にも言ってないんだろうなあ。俺が困った時いつも助けてくれたのはテディくんだったな……。
「ねえライラ」
「なに」
「おじさんの昔話なんだけど」
「……」
それどころじゃないって顔。まあまあ聞いてよとなだめて話し出す。
「おじさんも昔、オリヴィアちゃんみたいになったことがあってね」
「まさか」
「ほんとほんと。ちょうど、ライラみたいに人気のあるすごい人と仲良しだったからさ。それは自分が逃げ出すまで、その……、いじめは止まらなかったんだけど」
真剣な顔つきにかわり、まっすぐこちらを見ている。
「でもそれまでずっと、その仲良しだった人が気にかけてくれてさ。元気をもらったよ。確かに辛かったときもあったけど、その人と話せば幸せな気分になって、もっと頑張れる気がしたんだ。その人だけはおじさんの味方で、すごく心強かったよ」
「じゃあつまりさ、僕にそのままでいろってこと? それじゃあ、あんまりだよ」
「まあ、そうだね……。ずっとオリヴィアちゃんの味方であげれば、オリヴィアちゃんも頑張れるから。こういうのって大人が手を出しちゃいけないって思うんだけど、ものを取られたり汚されたりってのは、立派な犯罪だからね。オリヴィアちゃんが何をされてるのかきちんと記録して、大人と……、オリヴィアちゃんのお父さんたちと学校に提出するのさ。悪口や無視程度なら、気にしなければいい話だからね」
愛しい甥っ子とそのガールフレンドのために、いいものをやろうじゃないか。チェストの中からひとつ、デジタルカメラを取り出す。こないだ最新のものに新調したから、これはいらない。
「これをお若い探偵くんにプレゼントしよう」
女性や子どもにぴったりってくらいの小さなものなので、ライラが持つにはちょっと不格好かな?
「おじさんのカメラ」
「これで証拠をバッチリ掴むんだ、ムービーも撮れるから、音も入るね。撮れたら俺が見てあげるよ。ここでシャッターを切るのはわかるね、この赤いところ……、見える?」
「な、なんとか」
「これを押すとムービーモードになるから、シャッターではじまって、シャッターでおわり」
手渡してやると、嬉しそうに、エサを見せられた檻の中の動物みたいに目を輝かせた。さあて、うまくやるといいけど。


あれから一週間ほどして、また雨の日。寒い日の雨は困るな、もう少ししたら雪になるだろうか。車を停めて事務所に戻ると、ライラが中にいた。そうか、もうそんな時間だっけな。
「おじさん」
「やあライラ。さっき帰った所? おじさん疲れたから少し寝てもいいかな……。ご飯は確か作り置きのがまだ……」
そこまで言いかけて、はっとライラの顔を見たら、なんだかおかしかった。もうこの年だしライラはしっかりしてるし、何日か家を開けることも多かったのだ。
俺が知らない間に、こりゃ何か起きたな。
「どうした?」
お客さん用ソファーに誰かいる。大人の、男の人。俺に気づいたのか、素早く立ち上がった。小太りの、人のよさそうなおじさんだ。
「ああ、すいません、お忙しい中。私、おたくのライラくんと仲良くしていただいたオリヴィアの父、エメット・デビッドソンです」
「オリヴィアちゃんの? ああ、かけてください。お話を聞きましょう」
きっちりとしたスーツを着て、……やばいな。嫌な予感しかしない。
「アルフレッド・クリスティと申します。ライラが、お世話になっております」
「……いえ、依頼なんかじゃないんですよ。一言、お礼を思いまして」
「お礼?」
デビッドソンさんの大きな鞄から、高級そうな箱が出てくる。ライラのやつ、成功したのか!
「……うちのオリヴィアと本当に、本当に……、仲良くしていただいて。ライラくんがやってきてから、あの子は毎日楽しそうで……」
肩を震わせて泣き出す様子に、これは違うなと確信した。
「すみません、私、数日ここを離れていて。一体何があったんです?」
「オリヴィアが……」
ただ首を横に振って無くデビッドソンさん、それを眺めていたライラは、三日前の夕刊を差し出す。その新聞のトップニュースは、信じがたい事件だった。
「……なんですって……」
クラスメイトを撲殺、いじめの延長か。三日前のお昼休み、遅れて登校してきたオリヴィアちゃん。体調不良のため体育を見学し、教室に帰るわずかな時間でこの悲劇は起きてしまった……。
女の子五人がオリヴィアちゃんを囲み、金属バットで殴り続けてついには死んでしまったという。女の子とはいえ、金属バットで思い切り、五人から何度も殴られれば……。オリヴィアちゃんは小柄な子だ。死んでしまうのも不思議じゃない。
「この子が……、オリヴィアのいじめを、……見つけてくれたんですよ。この子にオリヴィアはどれだけ救われたでしょう。学校に行けなかった時はいつもプリントと本とお菓子を持ってきてくれて……」
それなのに、なぜ? なぜオリヴィアちゃんは死なねばならなかったのか。
「いじめを見つけて、……それからどうしました?」
「学校に写真と文書を持っていきました。学校は受け取ってくれましたが……、いじめの主犯格だった子……、知っていますか?」
「いいえ……」
「あの大きな庭の、ロールスロイスのリムジンに乗る……」
ああ確か、女の子たちがうちに来た時、そんな高そうな車に乗ってきたな。車には疎いんで車種とかさっぱりわからないけど。なるほど、つまりはその金持ちの子の親はお金を握らせて帳消しにしたけど、子どもの方はそれをわかってなかったってことね……。
その親だって、子どもにもう騒ぐなと指導したはずだ。……まともな親なら。ちょっと近所に遊びに行くのに高級車、子どもはハデハデ化粧をして娼婦のような格好なんて、きっとまともじゃないぞ。
「それは……、私も……。どう言っていいやら。軽率なことをしました……」
「いいえ、悪いのは……。学校です。学校と、あの子どもたちを野放しにした親なんですよ。あなたは私たちと一緒に、戦ってくれました。オリヴィアもすごく喜んで、明日からはちゃんと学校行けるんだって笑って……」
……どうすればオリヴィアちゃんは助かったのだろう。俺がカメラを渡してライラをけしかけたから……。何もせずオリヴィアちゃんがいじめられぱなしなら、いつか飽きてオリヴィアちゃんは生きられたのか。
「……すみません。あと三日もすれば、葬式ですから、ぜひ二人で……」
「はい、ぜひ。……これから、探偵が必要になったら私を頼ってください。代金はいただきません、いただけません。最高の仕事をしてみせます」
「ありがとうございます、……では……」
ソファーを立ったデビッドソンさんを玄関まで送る。外にはオリヴィアちゃんのお兄さんらしき、背の高いすらりとした男性。綺麗な金髪がオリヴィアちゃんとそっくりだった。
やるせない……。ひどく悲しげなふたつの背中をしばらく見つめていた。
「おじさん」
また、本を持って遊びにきそうな気がする。実感が全くない。
「おじさん」
下唇を噛むと、血が流れ出た。血と、涙。
「おじさん?」
「……ごめん。疲れてるんだ。休むよ」
寝室のある奥の階段を目指すと、ライラとすれ違う。
「おじさん、泣いてる?」
「うん。悲しいから」
「僕は泣かなかった」
気になることを言う。涙を強く拭って、ライラを見た。怖くなるほどまっすぐに、俺を写した目。
「オリヴィアは死んでしまったけれど、……いつでも僕のそばに居てくれるんだって。もう離れないって」
「オリヴィアちゃん、いるの?」
「いるよ。だからさ、寂しいけど寂しくない」
霊、か。強い意思……、強い怨念や誰かのそばに居たいという気持ちから、人が死ねば悪霊や守護霊になる。(ちなみに悪魔や天使は霊にならず、どこかに飛んでいくのだそうだ)。俺はそういうのに強くないんでうっすらと感じる程度だけど、きっとライラには鮮明にオリヴィアちゃんの姿が目に見えている。
霊は成仏したほうが幸せなのだ、リンカーネーション、この世の動物の魂は何度も何度もリサイクルされているんだそうだ。テディくんが話してくれた。次の『生』に向かうために天界にいったほうが、きっと。でも、これがオリヴィアちゃんの選択ならば誰にも曲げられない。彼女の意思はどんな人間よりも強く、頑なに地から離れようとしないだろう。
見慣れないダンボール箱がライラのデスクにある。それが何なのか尋ねると、ライラは箱を開けて本を取り出した。
「……『ハリー・ポッター』?」
「そう。オリヴィアのお兄さんが、僕にって。オリヴィアの本と、お兄さんの本。きっと本もそのほうが喜ぶって。くれたんだよ」
「それって確かオリヴィアちゃんの宝物の本じゃなかった。お兄さんにもらったっていう」
もうライラは『ハリー・ポッター』なんて読む歳じゃないのはお兄さんもわかっていたはずだし、その本が宝物だっていうことも。
「この本は今日から僕の宝物。オリヴィアからもらった。いいか聞いたら、あげたかったって」
「そっか。本棚に入るかな?」
「量が多いから、無理かも」
「じゃあ今度の休みに家具屋さんに行こう。おじさんも新しく本棚が欲しかったし」
「そうだね……」


オリヴィアの葬式が終わった後も、ライラは変わらず学校に言って、毎日本を読んだ。どんなに忙しくて疲れた日も、10ページは読み進めた。
ライラはよくデビッドソンさんのうちに行って、オリヴィアちゃんの弟たちと遊んで帰ってきた。勉強に集中できるからお兄さんは助かるし、イケメン好きのお姉さんはライラが来る日を楽しみにしているらしい。
あの女の子たちは、よその学校に転校したらしい。隣町のどことか、南のほうとか、いろんな噂を聞く。調べることはできるけど、とてもそんな気分にならなかった。
ライラは葬式の日以来、オリヴィアちゃんの墓には行かなかった。確かにそこにはオリヴィアちゃんの体はあるけれど、『オリヴィアはずっとここに居るから、あんなところに行くのはよしてって悲しむ』んだそうだ。子供の霊だし、自分の死をまだ受け入れられないんだろう。
もうオリヴィアちゃんのことを口にすることはほとんどないけれど、絶対にライラは忘れないはずだ。ライラの初めての友達、そして、初恋の人は。
後でオリヴィアちゃんのお姉さんから聞いたのだけど、やっぱりオリヴィアちゃんはライラのことが好きだったらしい。そしてライラの気持ちにも少なからず気づいていたようだ。
でもあの女の子たちの目が怖いし、付き合ったとなれば何をされるかわからないって。でもそんなことしなくたって一緒に居て一緒にお話するだけで幸せだってよくこぼしていたようだ。
もしかしたら、……もう大丈夫だからって、どちらからかはわからないけれど、告白したのかもわからないな。
そんな話をライラにすると、いつもちょっと顔を赤くしてにやあっと悪魔みたいに笑って、『秘密』という。
俺の予想は、ライラから。ライラもオリヴィアちゃんも積極的なほうじゃないけど、ライラのほうが気持ちを抑えきれなかったのではないかな。それがどちらからなのか、そして一目瞭然の結果は、ライラとオリヴィアちゃんだけが知っている。





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