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Uターン
価値のない息子

いつも通り、部屋に入るとグレイさんはチョコレートをかじりながら書類を見つめていた。大好きなコーラとシュークリームを買ってきたから、きっと邪魔をしても機嫌を損ねるどころかご機嫌になるだろう。
「……グレイさん?」
わざとらしく、グレイさんは気づいてないふりをしていた。
「天使め、その袋をすぐ私に渡すんだな」
顔を上げたにやりとした顔を見ると、安心する。少し離れてはいるが、めざとく袋の中のカスタードと生クリーム、砂糖のにおいを嗅ぎ取ったらしい。
椅子から飛び降り、俺から袋をひったくるとご機嫌でグラスを取りに行った。その間にソファに座り、シュークリームの箱を開ける。
「だいぶ、難しい顔をしてましたね?」
「ああ。なんでも、チャコに喧嘩を売った奴らが居たらしくてな。ニルスから報告があった。でもさすが私の息子だ! 一人でぶちのめしたそうだよ。……で、住民データに今回のことを書き加えていたのさ。息子の成長を喜ぶと共に、最近の若者の堕落具合に頭を悩ませていたというわけだ」
意気揚々、嬉しそうにグラスにコーラを注ぐ。
「はああ、甘いものには負けるよ」
「それだけ喜んでもらえるなら、持ってきたかいがありますよ」
「酒よりもコーラがいいな。酒もうまいが」
「たまにはこういうのも、いいですね」
だらりと手足を伸ばし、完全にリラックスしていた。いつもは気の張った表情をしているけど、夫のアッシュさんや俺と居る時はこうだ。
「……で、マナ坊やとのお話の報告をしにきたんだろ?」
いつの間にかシュークリームに手を出していて、唇についたカスタードを真っ赤な舌でなめとる。
「ええ。グレイさん、暇な日はあります?」
「なんだ? デートの誘いか。すまんが、私は忙しい上に夫一筋でな。デートじゃあなく、……そうだ、落ち着いたらうちの家族と、おまえとライラとで旅行にでも行こうか。私はイタリアなんかがいいと思うんだが……」
「いいですね。ぜひ。俺はアフリカのほうなんか、見に行ってみたいんですけど。……その話は、また今度にしましょうか」
「ああ! そうだったな。そうか、そうだな……、地上のNDはやめてきたんで、時間を作ることはそう難しくない。ただやることがたくさんあって、時間が足りないってだけでな。……明後日なら、空くぞ。息子と娘の様子を見に行ってやろうと思っていたんだが」
「そうですか。マナが、グレイさんと話をすると」
「……やっとか!」
「はい。その……、俺、ライラを連れて天界に行こうと思っていて」
目をまるくして、シュークリームを頬張っていた口を止める。それもそのはずだ……、何度か、グレイさんからも言われていたことだから。
「それは私の敵になろうということではあるまいな」
「逆ですよ。天使と悪魔は、手を組むんです。もちろん住む場所は違うし生き方も違いますが……、天使のみんなは、俺がマナの代わりになるのなら全て従うと言いました。もちろん最初はいざこざもあるでしょうが、俺とグレイさんなら、できるでしょう!?」
「ルゥおじさんの願いが叶うのか」
「はい、はい、そうです」
「でかしたぞ! ああ、ああ……。おまえと友達で本当によかった。おまえが私の乗った車に落ちてくれたおかげさ!」
「よく覚えてますねえ!」
グレイさんと抱き合い、子どもみたいに飛び上がってはしゃぐ。
「忘れるものか! 運命だったんだ。悪魔が神などなんだの言うのはおかしいが、こればかりは神に感謝せざるをえない!」
「神は俺が殺しましたけどね!」
若い頃に戻ったみたいで嬉しかった。もういい歳したおじさんとおばさんがこうしているのなんて痛々しいが、それを咎める者などいない。
「仕事なんてしてる場合じゃない。このくだらないクソみたいな戦いは終わるんだな? ははは……! ……まだ皆にはないしょだ。私とマナの会談は録画して放送しよう。今日はこっそり、おまえとアッシュとで飲もうぜ。そうだ、おじさんのに報告もしなくては」
「いいですね。地上へ行って、買い出しをしてきましょうか!」
「ああ、まかせたぞ。私は旦那のところへ行ってくる。ライラとヒルダさんの様子を見にいかなくてもいいのか?」
「……そうですね。買い出しに行く前に顔を見せないと、あの子は心配性だから」
コーラを二人で一気飲みすると、一緒にエレベーターに乗った。
「ライラの様子はどうだ? 私も心配なんだ。……そういえば、小さい頃遊んでやった以来会ってないな。ついでに私もおまえについていくよ」
「……自分で、死期を悟り始めたみたいです。俺の気を引く嘘なだけかもしれないけれど、でもとにかくあの子は長く生きたから、……いつ死んでもおかしくないんです」
あれ以来、ライラに会ってない。あれでライラの気が済むならいいと思ったけれど、……。無理矢理にでも止めたほうがよかったんじゃないかと思っている。ライラだって男である前に悪魔なのだ、地上で居た頃は何人か女の子と付き合っていたし、俺の事が大好きで今の歳になってもいつの間にか俺のベッドに忍び込んでいたりしていたから、不思議なことじゃない……。って、正当化するけど。
「……そうか。ライラも、私とおまえやサミュエルのように私の息子と友達になればと思っていてな、仲がいいらしいじゃないか」
「ああ、チャコに会いたいとも言ってたっけ……。歳が近い男の子の異能者ってのが、一緒に居てずいぶん楽みたい。映画を観に行く約束したんだって、嬉しそうに報告してくれました」
「チャコにとってもそうだろう。……久しぶりに会うのなら、何かプレゼントでも用意しておけばよかったな」
「いえ、そんな……」
会話を遮るようにエレベーターの扉が開く。
ひとつのフロアすべてをヒルダさん専用に渡している。大事な本、家具、そして宝物の水槽に囲まれていないと安心できないのだそうだ。
扉のそばのチャイムを鳴らすと、眠そうなライラの声。
「……はい、どなた?」
「アルフレッドだよ」
「おじさん? 今開けるね!」
俺だと分かった瞬間、元気になった。扉の奥からどたどたと騒がしい足音が聞こえる。
「 遅いよ。ずいぶん待ったんだ」
「ごめんね」
扉が開いた瞬間、ライラが飛んでくる。それを受け止めてやると、幸せそうに耳元で笑った。舌が耳たぶに触れそうになってだめだと言うと、ライラは後ろにいたグレイさんに気づいたようで俺から離れた。
「……? 誰?」
「やあ。小さい頃に会ったんだけど、覚えてないだろうね。私はグレイ・ブロウズ。叔父さんの友達で……、チャコのママさ」
「そうなんですか、どうりでにおいが似てると思いました。おじさんから、お話はたくさん伺ってます。おばあちゃんに御用でしょう? どうぞ」
「……あー、いやー……。きみの様子を見にきたのさ。きみの母親を助けたのはこの私でね、どんな顔つきになったのか、どんな声をしてるのか、ちょうど叔父さんが戻ると言ったんで。きみの父親と友人だったんだが、よおく似てるよ。ずいぶん叔父さんと仲良しなようで、羨ましいよ。私は息子とはああだから……」
「……そうなんですか。それは、どうも。叔父さんの耳はね、甘くて、チョコレートの味がするんですよ。僕は甘いものが好きなので」
「ははは、そうか。私も甘いものが好きだよ。今度なめてもいいか? 倫太郎。……元気そうでよかった、チャコと仲良くしてやってくれな。では私はこれで」
にこやかに笑って手を降り、グレイさんはエレベーターに乗っていった。
ぽかんとした様子でエレベーターのほうを見ているライラ。
「あの人、本当にチャコのお母さん? 似てるけど、似てないね」
部屋に入りながら。ヒルダさんの城にあったような家具は大量の本棚が並んでいる。きっとその一番奥にヒルダさんはいるのだろう。
「……そうだね、確かに姿はそっくりだけど性格は両親に似てないよ。育った環境が極端に違うせいだと思うけど……。でも根っこは同じだと思うよ」
「ふうん……。今日はここで寝る?」
「そうしようと思ってる」
「よかった。ごはんは?」
「グレイさんにお呼ばれしてるんだ」
「僕も一緒に行っちゃだめかな? ここで寝るなら、遠くへは行かないんでしょ?」
ゆっくり椅子に座ると、ライラはコーヒーメーカーの前に。
「飲むでしょ?」
「うん」
さっきコーラを飲んだばかりだから、ブラックコーヒーはいつもより苦い。ライラは椅子には座らず、ぴったりと俺のそばについていた。
「だめかなあ」
「どうして行きたいの?」
「おじさんのそばに居たいのもあるけど、僕のお父さんの友達だって言ってたから。ゆっくり話を聞かせてくれたらって思って。でもおじさんがお呼ばれしてるんだから、おじさんのほうが話をしたいよね。ごめん、邪魔して」
……そうだよなあ。自分の親がどんな顔でどんな名前でどんなことをしていたのか、わからないのに知りたがらないわけがないか。俺だって父親のことは知りたくて仕方なかったさ。
「いいよ。ついておいで」
「いいの!? で、でも、あの人に聞かなきゃ」
「どうせグレイさんも子ども連れてくるよ。大丈夫」
「じゃあチャコとも会える。楽しみ」
嬉しそうに鼻歌を歌いながら、部屋のどこかへ。……なんか、何もなかったみたいだ。ほんとにいつも通りで、そうだ、きっと俺の思い違いの夢幻だったのさ。
コーヒーを飲み干し、ヒルダさんが居るだろう隣の部屋を見に行った。ヒルダさんは水の入った水槽のそばで、じっと本を読んでいる。
「あら、あなた。帰ったの、さっぱり気づかなかったわ」
ちらりと俺の顔を見ると、すぐに本に目を落とす。
「はい。ライラに変わった様子は、ありましたか?」
「びっくりするくらい元気なの、何かいい事があったみたいね」
「それはよかったです」
「……そうだ」
ヒルダさんが思いついたようにこちらを見て、こっちに来なさいとジェスチャーした。ヒルダさんが読んでいるのはとても古い魔術書のようだ。
「あなた、呪いは得意になった?」
「……難しいです。俺は治療が一番得意なんで、……逆だからですかね」
「あらそう。解きたい呪いがあるのだけど、私とアッシュ二人掛かりでも駄目なのよ。でもその様子じゃ頼りにはならなさそうね」
「はあ、すみません。でもヒルダさんとアッシュさんがわからないものって、あるんですねえ。その本、かなり昔のもののようですけど」
魔術書を覗いてみるけど、全く何が書いているのかさっぱりだ。これはラテン語? うーん、絵もあるけど何の絵かもわからない。
「久しぶりに少し勉強する? 呪いの解除ってのは薬と病気みたいなものでね、二つ方法があって、ひとつはご存知、術者の死亡により解除されるわ。もう一つはその病気にあうように魔力を送り込むのよ。同じ呪いでも人によって癖が出るのもポイント。もちろん簡単に解ける時もあるし、子どもの魔法でもなかなか難しい時があるの。薬って、作るのすっごく難しくてセンスがいるのよ。で、問題の形態に近い呪いを探してるってわけ」
「俺でも勉強すれば、できますかね?」
「そうねえ、あなたから全く呪いの才能は感じないから、偶然の偶然が起きたら呪いの解除はできるかもしれないわ。あなたの魔法って……、乱暴だから」
「否定できないですよ、あはは」
本の一部分を指差し、読めるか問われる。読めない。
「ほら、ここ……、この、『狼に恋をする呪い』」
「……そんなの誰が使うんですか?」
「言葉のあやよ。狼ってけだものでしょ? 自分の近くにいる、一番乱暴だったり醜いものに恋をするの。一昔前の魔女が好んで使っていた呪い。まず呪いの効用をきちんと知らないと、解けないわ。実践したほうが早いんだけど……」
ヒルダさんがおもむろに立ち上がり、小さなカゴからネズミを取り出してくる。
「ネズミよ」
「はい」
「この部屋には私とネズミ、隣の部屋にはライラがいることをあなたは知っている」
「そうですね」
「この時、私が『狼に恋をする呪い』をあなたにかけたら、あなたは誰に恋をすると思う?」
「ネズミですかね」
ヒルダさんの手の中で忙しなく動き回るネズミを見つめる。普通に、かわいいとは思うけど。じっとヒルダさんは俺を見つめ、よくわからない呪文(たぶんラテン語)をつぶやいた。
「どう?」
「……?」
雷が落ちたみたいだった、ただのネズミだとはわかってはいるが、この手で触れて愛の言葉を囁いてやりたい。心臓がどきどき高鳴って、手を伸ばすとヒルダさんは俺の手を避けた。
「ああっ!」
「あなたこのネズミのこと好き?」
「……」
「このネズミ、オスよ」
「そんなの、性別なんて関係ないじゃないですか。もっと問題にすべき事があるでしょう、でも俺はそれを乗り越える自身があります。だから……」
「……効き目十分みたいね」
さっきと同じ言葉をつぶやくと、熱かった体は覚めて心臓は落ち着いていく。なんか不思議な気分だ。あんなにヒルダさんの手の中にいるネズミが愛おしかったはずなのに、今じゃ何にも思わない。かわいいとは思うけど。
「あなたこのネズミのこと好き?」
「……さっきまでは」
「そうね。弱めにしたはずなんだけど……」
「強めにしたらどうなるんですか?」
「たぶん、ここで服を脱いでネズミとセックスしようとするわ」
「……だいぶきついですね、それ」
「だから呪いなのよ」
冗談なのか本当なのかわからない! ヒルダさんはネズミを戻すと、また本を抱える。
「呪いを解いた時、私の言った事聞いていた?」
「呪いをかけた時と同じ事を言ってましたね」
「そうよ。かかってる呪いと同じ呪いをかけるの。そしたら呪い同士が喧嘩するんだけど、同じ呪いだから同士討ちするのね。呪いの具合がかけたものより弱かったら負けちゃうし、強かったら更にきっついのがかかっちゃうから難しいのよ。だから自分でかけた呪いは解きやすくて、他人のはなかなか。血縁関係にある場合は、解きやすくなる時もあるわ」
到底自分にはできそうにないや。そもそも呪いをかけるってのが得意じゃないしね……。
「あなたはもう一回最初の最初からやったほうがいいわね。『5歳からはじめる呪い』『チャレンジ・カース』『バカでもわかるシリーズ』……。私は5歳からがオススメだけど」
「あはは、どうも。時間がある時に復習しますよ」
「それがいいわ」
またもくもくと本を読み出すヒルダさん。水の入っていない巨大な水槽、水族館にでも置くようなもの。ヒルダさんはなぜかこれをとても大事にしていて、中に何も飼ってないのにずっとそばに置きたがるのはなぜか気になっていた。
「あの」
「どうしたの? 『5歳からはじめる呪い』なら隣の部屋の、一番大きな本棚にあるはずよ」
「違うんです。この水槽って、昔、何かいたんですか? ずっと空っぽで置いてあるから」
はっとした表情。じっと空の水槽を見つめて。
「……ああ、アロワナでも飼おうと思って用意したのだけど、私って外が嫌いでしょ。だからアロワナを買えなかったのよ」
慌てすぎててしっちゃかめっちゃかだ。それなら水槽も用意できないじゃないか。
「あの、あまり触れられたくないことなら、無理に聞きません。すみませんでした」
「……いいのよ。もうずいぶん昔のことだから。薬と酒で狂った父親に虐待されて死にかけていた男の子を助けた使ったものなのよ。命は助かったかわりに、人間じゃなくなっちゃったけど……」
「人間じゃなくなる?」
「悪魔にしたわけじゃないのよ。キメラと同じようなものだと思って。人間の七割以上は水でできてるのは、知ってるわね」
「はい」
「そのほとんどを魔力をこめた水にしちゃうの。様は人間を意思を持った水にするってことよ。知能は下がるし、運動能力は皆無になってしまうけれどね。だから水槽に入れていたのよ」
やっぱりあまり思い出したくないことのようだった。悲しそうに空っぽの水槽を見つめる。その子はきっと、ヒルダさんにとって大切な人だったのだろう……。
「……『5歳からはじめる呪い』が見つからなかったら、言ってちょうだい。探してあげるから」
「わかりました。すみません、ありがとうございます」
「いいのよ」
部屋を出るまでずっと、水槽を見ていた。空っぽのガラスの箱は、ただ静かに新しい住人を待ち続けているのだろう。





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