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Uターン
エメラルド色した水晶体

何度か話をしたことがあるのだけど、マナ・ヴォジュノヴィックという男は哀れであった。
俺が向こうにいたころはまだ幼い赤ん坊で、誰の子なのかはわからなかった。ただ生まれ、そして誰かが代わりに育てたのだという。不幸な生い立ちでありながらそれを恨むこともなく、むしろ大きな自信を持って生きていた。たまに見かけるその姿、それが逆に恐ろしく不気味だと思ったのを覚えている。
セオドアがいなくなってからは多いに天界は荒れ、何度も指導者が変わり、内戦が起きた。そして育ったマナの血統が明らかになると、人々はマナを支持しはじめる。
セオドアの血を継ぐ俺、またはサミュエルの息子であるライラがなるべきであると自身もよく理解していたが、それと同時に不可能であることも知っていた。
なんせ、俺は、あの場所が嫌いだ。たくさんの暴力、そして辱めを受けた。今更、戻って来いなどど……、笑えてくる。ライラは俺の異母兄弟であるサミュエルとサリアの子どもである。近親姦で生まれた子どもは間違いの、呪いの子である。ただでさえしきたりにこだわる天使たちの群れに連れて行けば、昔の俺のようになってしまうだろう。

マナ・ヴォジュノヴィックは、ガブリエラ・ゴスとジャスティン・レッドフィールドの子どもである。
成長し覚醒すると髪が透き通った氷のような色になったのでパッと見の印象ではわからないが、そのきりりとした上品な顔つきはガブリエラのものだし、しなやかなネコ科の肉食獣のような姿はレッドフィールドの血であった。
きっと、今の指導者はすぐに引きずり降ろされるだろう。しかしマナの血は、セオドアやルシファーの血と比べれば泥水とワインであるし、それを指摘する者も多い。
それに彼は、指導者に向く性格ではなかった。圧倒的強さを持たなければ、悪の性格はマイナスにしかならない。マナはまだ年若く成長段階であり、ヒトを狂わせるようなカリスマもありはしない。
セオドアに長く統治された人々は感覚が肥えている。人々はセオドアを待ち、そしてマナもまた、セオドアを待っていた。セオドアの血を待っていた。

「こんにちは。アルフレッド様。奥でマナ様がお待ちです」
マナの従者である長身の女、ティシュトリヤ。あまり呼ばれることのない本名に体がくすぐったくなる。
今の天界は、いままでの指導者はいるものの、実質マナが権力を握っていた。
ティシュトリヤに連れられ、大きな広間に入る。テーブルがひとつ、置かれていて、ふたつある椅子の一つにまだ幼さを残す天使マナがいた。
「やあ、アルフレッド。かけてくれ」
空いている椅子にかけると、嬉しそうにマナは俺の顔を覗き込んだ。
「今日は何の用だ? まさか、ついに、こちらに移住するわけではないだろうな」
「いいえ」
「金も、権力も、女も一気に手に入るのだ。その素晴らしき血統をたくさん残せば未来も明るくなる」
「わたしのほしいものは、ここにはないのです。今日は、その話をしにきたのではありません」
「オレはおまえに仕えたい。オレはこの場所にいるべきではないと理解しているのだ。全てのヒトには役割がある。その役割から、おまえは逃げているだけだ。自由など、存在しないのだよ。オレたちは天に生かされていると、おまえなら知っているはず。ここがいやなら、何故堕ちないのか」
「わたしの甥が天使でいるかぎり、わたしは天使でいます。あの子が悪魔になれば、わたしは続いて堕ちましょう」
そうだ。マナはただ傲慢なのではない。マナ自身も自分の立ち位置がここではないとわかっている。そうせねば、代わりが逃げて役割を果たそうとしないのだから、誰かがやらねばならないのだから。
「……用件をきこう」
「戦の準備を、していますね」
「している」
「戦う理由など、ないはずです。おやめください」
「ヒトが家畜を食って何が悪いのだ。セオドアが帰ってきた。しかしセオドアはわけあって、再びここに立つ気はないが、それでも食物が必要だろう。おまえも、食われたくなければここに帰りオレの前に立つのだな」
……裏切られたのか? マナたちの勝手な判断なのか? うそをつかないと、騙さないとあれだけ言っていたはずなのに。
「若い悪魔を差し出すのなら戦いは避けられよう」
「……話すだけ、無駄だったようですね。失礼します」
立ち上がると、マナも追うようにして椅子から離れた。軽い足取りで俺の顔を捕まえる。
「オレはおまえに仕えたい」
「何度言っても、揺らぐことはありません」
氷のように冷たい手、白い肌。
「オレは、おまえの過去を知っているぞ」
その言葉に飛び上がった。いたずらに笑うマナ。
「子どもはおろか、恋人さえいないと言うのは、その影響か? うん?」
「……失礼します!」
捕まえられた顔から手を振りほどき、ずんずんとマナを置き、扉の前にいたティシュトリヤを無理矢理どかして外へと歩いた。
せっかく、しばらく思い出さないでいたのに。昔のように泣いたりはしなくなったものの、一気に体が重くなる。まさか、あんな年若い天使にまで。
グレイさんやチャコくん、ライラに知られればどうなってしまうことだろうか。傷は治るが、思い出の傷は時がたってもえぐるとひどく痛むらしい。
「また遊びにきてくれ。次は、ゆっくりと、酒でも飲もう……」
返事はしない。


「アルフレッド様、アルフレッド様、お待ちください」
ついに地上へ帰ろうとすると、ずっと追ってきたのかティシュトリヤに腕を掴まれた。ショートカットの、白髪の女。髪のせいで老けて見えるが、じっとよく見れば年相応の顔つき。どちらかというと綺麗系で、背は高く痩せている。
「わたしはもう戻りません」
「どうか、どうか、マナ様の所にお戻りください。私達はずっとあなたを待っているのです」
いつも、帰ろうとすると誰かが止めにくる。相当困っているらしいけど、俺には手を貸す義理などない。
「私もアルフレッド様に仕えたく思います。皆、そう思っています。魔界では、雑用を押し付けられているというではないですか。今回も、そうなのでしょう? ここでは、あなたが神になれるのですよ」
「わたしは神になりたいなどとはこれっぽっちも思っていないのです。普通の暮らしが、したいだけなのですよ。さあ、離してください」
「いいえ、マナ様のご命令です。帰すことは、できません」
あっさり諦めたと思ってほっとしたけど、やっぱりね……。どうしようか、女性に暴力はふるいたくない。
「あなたがマナを慕うように、わたしは、グレイさんを慕っているんです。わたしは、あの人の下にいたいのです」
「……わかりました。どうぞ、お帰りください」
聞き分けのいい子でよかった。翼を広げ、渦巻く雲の中。
その背後でティシュトリヤの悲鳴を聞き逃すことはできなかった。
すぐに戻り、上がると翼を出さずに落ちるティシュトリヤ。なんとかキャッチし、そのまま上がるとそこにはマナがいた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい、ありがとうございます」
ティシュトリヤを降ろすと、マナがずんずん近づいてきた。相当、気に入らないらしい。俺が帰ること、ティシュトリヤが帰したこと。ティシュトリヤに向かって振るわれる腕を止めた。
「戻ってきたな」
「……」
ティシュトリヤを使ってここに戻すつもりだったらしい……。
「おまえは、あの女が好きなのだな」
「くだらないことは、よしてください。では、わたしはこれで」
「だから結婚しないのか?」
「わたしの、個人的な問題です。立ち入るのは、やめてください」
「権力があれば、好きな女を奪えるぞ。おまえほどの力の持ち主なら、同意なしに子を孕ませることくらい容易いだろう。なぜ、なぜ自分のものにしない」
……あの二人の仲に入っていける勇気なんて、ない。
「それとも、あの子どもに入れ込んでいるのは、そういうことか? 友達の子どもをいやらしい目で見るなんて、なんて奴だ。がっかりするだろうな、あの二人は」
何を言われても怒っちゃいけない。ただ、怒りがわずかなからもあるのは、図星であると無意識に理解していたからかも。たしかに、あの二人の子供のチャコやアイヴィーは、甥のライラと比べても負けないほどにかわいらしい。その二人やライラが居るから、子供が欲しいという欲が満たされているんだろう……。
「それとも、もう、やったか」
「では、わたしはこれで。もう、助けませんよ」
今のままで満足だ。向上心のないやつはばかだ、と、そう言う人もいるが……。若い頃だけでいい。まだまだ寿命はあるけれど、ゆっくりと老いてゆっくりと死ぬだけだ。俺はそれでいい。平和で、友達がいて、かわいい甥っ子がいて、これ以上求めるなんて贅沢だ。このまま、何も変わらず時が過ぎればいい。



ライラも向こうへ連れて行くため、ヒルダさんも一緒に準備をしていた。ヒルダさんが準備をする間、ライラの面倒をみておけと呼び出された。なんでも丸一日はかかるんだとか……、なにを持っていくんだろう?
「ライラ」
ベッドに横になっていたライラの指がピクリと動く。相変わらず肌は嫌に白く不健康的。体をあげて、目を開けた、俺と同じ緑色。
「おじさん」
「どう、調子は。よくなった?」
そう尋ねると、ライラはベッドから降りた。軽やかな動きで、だいぶ体力は戻ってきてるようだ。
「運動不足になるから、早く動きたいよ」
「目は?」
「少し見えるようなった。もしかしたら前よりも見えてるかもしれない」
「よかった」
俺にはわかっていた。俺について行きたいがために、この子は嘘をついている。今度は連れて行くけど、戦いに出すかどうかは、様子を見てからだ。
「眠れる?」
「ずっと寝てる。寝過ぎて、頭おかしくなりそうなくらい」
「それは困るな」
……ライラは、天使と悪魔とどっちで生きるべきなのだろう……。この子はどうしたいんだろう。きっと俺についてくって言うはず。俺はどうしたいんだろう。
「僕、女に産まれたかったなあ」
伸びた前髪をいじりながら、そうぼやく。
「僕が女だったら、おじさんの嫁になったのに。そうしたら、ずっとそばに置いてくれるから」
「あのな、ライラ……」
「わかってるよ。僕だって、それくらい。そーいう意味じゃなくて、ただ単に尊敬してるだけ。でも女だったら、そーいう意味に堂々と昇格できるからさ。おじさんがそーいう意味で僕のことを好いてくれるのなら、僕は喜んでついていくけれど。片親の、子どもの気持ちだって考えてくれればいいよ。親に恋人ができれば、子どもはショックでしょう。僕はもう、子どもなんて歳じゃあないけど」
あーあ、こっちもこっちで頭が痛くなる。そりゃあ小さい頃から可愛がってきたライラはすきだ。でもそれは親視点の好きやかわいいで、そんな抱くとか抱かないとか、みだらな関係の話とは違う。
「僕はおじさんの言いなりになるのが一番の幸せだと思っているけど、離れることは一番の不幸だと思ってるからさ。どうせ、あと少しで僕は死ぬんでしょう。ちょっとくらいわがまま、言いたくて」
「どうしてそれを?」
「嫌でも、自分の死期ってわかるんだ。それにおばあちゃんと話してたしね……」
ライラは近親姦のはてに生まれた子どもだ。体は弱く、寿命が極端に短い。百年も生きられればいいほうで、ライラは贄の戦いの時にサリアの腹の中に居たのだから、十分長生きしたとも言える。いつ死んでもおかしくはない。
「だから、おじさんと子ども作れたらどれくらいいいだろうって。僕が死んでも、僕の子どもがおじさんのそばにいられるなら、僕は死んでもいいかなって。できないってわかってるからこそね、そう思うんだよ」
男同士で子どもを作る方法、か。俺はセオドアのすべてを受け継いでいるわけじゃない。この肉体を捨てて、女の体を手に入れることができたら、ま、事実上は可能なんだけど。無理なものは無理だし、俺もルシファーの血を継いでいるのだから更に血は濃くなり、不幸の子を生み出してしまう。モラルにかけている。
「僕にはおじさんしかいないんだ。おじさんの事がだいすき……」
どうした、もんかな。
悪い気はしないけど、いい気もしない。




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