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Uターン
目の中に地獄を飼う男

……特に変わった所はない。いたって普通の部屋だ。テーブルがあって、椅子があって、生活に必要な家具はこの部屋にひととおり揃っている。黒を基調にしたもので揃えられていて、なんだかとっても落ち着いた。
母さんはアイヴィーをベッドに寝かせると、水を一杯飲んで俺を外へ連れ出した。

家の外は、気持ちがよかった。冷たい風がふく。空気が自分にあっていて、ここは自分がいるべき場所だと思った。
思ったよりも普通の場所だ。住宅街かな、家がたくさん建っていて、奥には大きなビルも見える。ただ空は赤黒く、星はギラギラ輝いて月は異常なほど大きい。
「いきなりどうしたんですか」
「もしもの時のため、……さっきみたいな事がまたあった時のために、稽古をつける」
……きっと何かあったんだろう。自衛だけでもってこと? 何にも教えてくれない。
「お前は強くなるが、すぐにでは無理だ。まず生き残ることを考えろ。逃げる。相手を殺そうなんて絶対に考えるな。相手を出し抜こうとも考えるな」
「……母さん」
「で、今から教えるのはすぐに逃げられない状況での逃げ方。戦う方法じゃない」
しばらく間を置いて。
「なんだ?」
「どうして、こんないきなり……、こんな所に連れてくるなんて」
「……お前は、私の実子だ。命を狙われる危険がこれからいくらでもあるだろう。今までのように、誰かが駆けつけてくることも、難しくなるからだ」
……それは、その通りだ。でもそれなら、ボディーガードでもつければいい話。何かきっと、裏があるはず。母さんは俺に何かをさせようとしている。
「すごく納得できる話ですけど。誰が命を狙うんですか、天使でしょ。また戦争がはじまるんですか?」
「おそらく、そうなる」
「どうして!」
「それはお前が知るところではない!」
ピシャリと怒鳴られ、肩を小さくした。セオドアに裏切られた? ……そんな、まさかね。どうなっちゃうんだろう、これから。
「まあまあ、そのへんにしておきなよ」
背後にドアが出現し、そこから出てきたのは倫太郎さんだ。そういや倫太郎さん、天使なのに魔界にいるのか……。ライラもこちらにきているのかな。
「倫太郎。アッシュは?」
「アッシュさんは、実家に一度戻りましたよ」
「そうか」
怒鳴られてびくびくしていた俺の頭をこねくりまわしながら。母さんはすぐに俺と倫太郎さんを離し、審判をするように二人の間に立った。
「チャコ。倫太郎が相手になってくれる。よく見ておけ」
その言葉を合図に、倫太郎さんは母さんに飛びかかった。まず殴ろうとするがよけられ、母さんも反撃に剣へと変えた腕を振るうが空気を切り裂くだけに終わる。倫太郎さんの足払いも小さくジャンプして避け、そのスキに腹に一発入った。倫太郎さんはよろけ、尻もちをつく。
「わかるか、腹はどんな生き物であれ急所だ。内臓が入っているから。その一点に集中して攻撃をしかければ、多少なりとスキが生まれる」
俺に近づき、胸の下のほうをつついて、もうひとつ。
「腹より上……、このへんだな。このあたりに強い衝撃がかかると、呼吸ができなくなる。つまり声が出ないんで、助けを呼ばれたりしない。基本的に狙うのはへそから上だ」
黙って唇を噛んで聞いていた。なんだかこわかった。
「相手の攻撃を避けることについては、慣れだな。慣れるしかない。ま、単純に走ったり飛んだりってのは得意だろ。……で、逃げるにしろ殺すにしろ、相手と周りをよく観察して。仲間が居るならそいつの力も考える。気温、太陽の具合、風向き、雲行き、周りのもの……。身体能力より、思考力が大事だ。どれだけ追い詰められても、諦めず考えることをやめるな」
「は、はい」
つ、つまりボクシングとかプロレスよりは、チェスに近いってことかな。走りながらチェスをする、って話なら……。それってたぶん、だいぶむずかしい。
「じゃあ私は少し用事があるので一旦戻る。頼んだ」
そう言うと母さんは影の中へ消えてしまった。倫太郎さんは立ち上がり落ちた眼鏡を拾う。
「……ふう。じゃ、ちょっとやってみる?」
「いきなり?」
「習うより慣れろ、さ! じゃあ俺から影の中に入らず、逃げてごらん。だーいじょーぶ、手加減はしないけど、怪我したらすぐ治してあげられるし、きみの母親からの許可もあるし。じゃ、10数えたら始めるからね」
慌てて構え、数える10秒。終わった瞬間、物凄い速さで突進してくる倫太郎さん。考える暇なく、右腕が腹に直撃して大きく吹き飛んだ。
さっき母さんが言った腹の上を殴られ、呼吸が止まって目を見開く。地面に汚く崩れ、起き上がろうとしたが踏みつけられ、阻止され、思わず声を漏らす。
「はい、一回死んだ」
声とも呼べない声を出しながらもがくが、全く動けない。……やっぱ、こないだは手加減してたんだ。
「……」
足をどけてもらって、ゆっくり立ち上がった。痛かったけど、どうやらどこも折れてない。
「もう一度いこうか」
考えろって言ったって、考える時間がないじゃないか。単純に逃げるって話なら、足を燃やしておこう。地上なら小回りもきくし。
また倫太郎さんが走ってくる。真後ろに逃げるのはまだよしておく。目視しておかないと。少し右にずれ、なんとかギリギリよけた。そのまま地面を蹴り飛ばし、倫太郎さんの様子を見ながらなんとか離れていく。
……が、離せてない。ええいそろそろ真後ろに逃げてやるかと目で追うのをやめた瞬間、ぐいとパーカーのフードを引っ張られてそのまま尻餅をついた。
「二回目ー」
「無理だよ!」
「一回や二回でできっこないって。みんな何回も繰り返してるんだ」
冷たい床にばったり倒れた。 もっとこう、男らしく戦いたいのに逃げる練習なんて。
「さ、もっかい……」

何度やってもダメだった。たまに時間を稼ぐことができるが、大抵はすぐに捕まってしまう。疲れ切って過呼吸になってしまう。全身が痛む。もう動けない。
「大丈夫?」
「……死ぬほどじゃあないかな……」
「これで200回目だけど、覚えてた?」
「数える余裕なんてないよ」
「そうだね。でも、こんなに根性あるなんて思わなかったなぁ」
「事実、逃げられなかったし……」
「最後はなかなか動きよかったよ?」
ぐったり倒れた俺を起こして、じっと全身を見ている。
「どこか折れた?」
……わかんない、全身痛いし。
「自分でやったのに言うのってアレだけど、なかなかひどいよ」
汗がだらだら流れ、脱水しまくってる。……何か飲みたいな……。痛む体に鞭打ち、よろよろ立ち上がると倫太郎さんは驚いたように声を出した。
「あれっ、立てるの?」
「え? うん」
「はあーっ、何というか、生命力は親超えてるなぁ……」
言われてみれば、確かに……。思い返せば一回死んで手足切られて200回ボコボコにされて……。ゴキブリ並みってか。複雑な気分だ。




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あきゅろす。
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