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Uターン
錯乱ジョニィとダンス

よろよろと歩き、服を脱いでシャワーを浴びる。口の中をすすぎ、血と胃液を洗い落とした。手早く下の方の処理をして(アイヴィーにバレていないだろうか。さすがに女の子のそばでこんな状態でいるのは気がひける)、髪と体を洗う。
使っているシャンプーももちろん変わらない。ちょっと高くていい匂いがするものだけど、汗の臭いに掻き消されてすぐ消えていた。
ムダ毛も剃って、さあでて行こうとすると、さっきまで気にならなかったおびただしいほどの、ピンク色の小さな虫が壁に張り付いていた。嫌なくらいはっきりとした映像だった。ぎっしりと隙間がないくらいで、壁が動いているのかと思うほど。
ぎゃっと叫び、シャワーを当てたが虫は流れない。濡れた体はいったん乾かさなければ炎を噴射することはできない。ろくに体も拭かないまま脱衣所を飛び出した。
「……」
ぞわりと体を何かが這う感覚に恐怖した。ああ、まさか! 俺の体にもたくさんの虫がいる。振り落とそうとしても直接ひっかいてもダメだ、とれない。……そうは思えないほどリアルで現実に見えているものにしか見えないんだけど、もしかするとこれは幻覚だ。
触れなかったり、アイヴィーの反応が変だったりしたのはそのせいだ。何かに夢中の時は現れなかったけど、ふと素にもどった瞬間に視界のどこかに虫は現れている。
床にも、壁にも。一面ピンク色の虫が見える。幻だとわかっていても見える者にとっては現実だし、見えるものは恐ろしい。走ろうとしたがじたじたと床を泳ぐように転けてしまう。這い上がり、毛穴に入り込もうとするのを必死で払おうとするが全く落ちない。
もたもたしているうちに、体の中に虫が入っていくように見えた。皮膚の下をズルズル這い回る虫。ついに耐えきれなくなって大声で叫びながら狂ったようにそこを掻きむしった。
皮膚の下に埋まっている脂肪を食いちぎりどんどん中へ中へと突き進んでいく。
汗が止まらない。全身に虫がはびこり動けない。息を荒くして床にうずくまった。目を瞑っても感覚はおさまらず、徐々に蟻に食われていく死体のような気分だった。全身がまた痙攣しだして心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。助けてくれと叫ぼうとしたが、声は出せない。
腹の奥がきゅうと締まって意識を失いかけた。電撃のようなその衝撃が何度も続き、思考が停止していく。腹の中の大事な場所を虫に食われているのか、……そうか。
意識を手放そうとした時、上から激しい足音が聞こえてくる。それはすぐに近づいて俺に飛びかかってきた。
「おい。……おいっ! こんな所で寝たら風邪ひくぞ。起きてなんか着ろ」
指先でさえ動かせない。亀みたいに体をひっくりかえされた。目は開けることができる。アイヴィーだ。
「聞いてんのか。片付け終わったからさ」
「……」
「チャコ……?」
主張できるのは目だけだ。
「ヤバいな。薬か呪いか……。どっちにしろあたしにはどうすることもできねえ」
そう言うと毛布を持ってきて俺にかける。
「倫太郎さんらが戻ってくるまで、頑張れよ」
外だ。外に何かいる……。そう伝えたくとも伝える術が無い。指をぴくりと動かすことでしか意思表示ができないし、それはもはや意思表示にすらならない。
「! なんか……」
アイヴィーも気づきだした。魔法臭が強くなる。ちょっとずつ近づいてきている。
「ファッキン・ビッチ! クソ悪魔ども、このマナ・ヴォジュノヴィックが正義の名のもとにお前らを裁くぜ」
大きな叫び声と共に天井を突き破る。その瞬間衝撃で術が溶けたのか、頭を上げた。若い男が天井を、家具を破壊して立ちふさがっている。アイヴィーが素早く俺の腕をひっつかみ起き上がらせた。
白く大きな翼がギラギラ輝いていて、照明がなくともまぶしい。
「もう一度名乗ってやろう。マナ・ヴォジュノヴィック! 地獄までこの名を持っていけ!」
……天使!? どうして天使が襲ってくるんだ? 今天使と悪魔は平和協定を結んでいるはずだ。いきなり、いや、……宣戦布告が絶対になかったとは言い切れないか。
アイヴィーは何も言わず影の銃を手にした。マナと名乗った若い天使は染めたような不自然な水色の髪で、それは青というより透明に近いものだった。お世辞にも賢そうな顔はしていない。
……どうしたらいいんだ。戦うのか……!? 慌てていると、俺に向かって走り、蹴りとばされた。壁に強くぶつかり、鈍い痛みが遅れてやってくる。
「オレこそが、正義だッ!!」
そのまま起き上がる隙も無く、首を絞められる。苦しい思いをするのはごめんなので首が手に触れた瞬間、呼吸を止めた。十分程度なら無呼吸でもなんとかなる。腕をナイフに変えて切り裂こうとする、が。
「……?!」
アイヴィーもマナという天使の背に何度も発砲しているが、マナは痛がる様子すら、かゆがる様子もない。
アイヴィーが蛾を飛ばしてきたのを悟ったのか、素早くマナは俺を手放して大きく息を吐いた。……蛾が、凍っている。獣のようなうめき声をあげてアイヴィーは転げて震え出した。
……こいつ、何なんだ!? 勝てない!
「正義はオレが決める」
ど、どうしよう。ここからどう抜け出せばいい。照明がないし天使の翼もないのではいれそうな目立った影は近くには無い。アイヴィーは頼れない。外から助けがくることも……、ない。
ああっ、ダメだ。人を頼ってばかりじゃ……。一人でやらなくちゃ。アイヴィーを助けないと……。でも俺たちふたりの攻撃はどうしてだか通らない。通る攻撃はないのか……。
「マナ・ヴォジュノヴィック?」
「ああ、そうだ。マナ・ヴォジュノヴィック! このオレが決める正義こそ正き義だ!」
壁に背をつけ、ふうっと息を吐いた。氷を吐いていたんだ、きっと……、氷には炎。俺も腕や足を火炎放射器に変えて一気にぶっ放せば流石に無事ではいられまい。じりじりと下がりながら魔力を集中させる。
「この俺がグレイ・キンケードの息子と知っての襲撃か?」
「だがお前ら二人は偽の子どもらしいなァ? あの影の悪魔がこんなにもあっけないわけがない」
……あと一歩。近づいたら攻撃開始……、そのラインをマナは超えてこない。
「ためすかい?」
「試すまでもない」
息が乱れてきた。汗がだらだら流れて、温まった腕に触れた汗は乾いて消えていく。緊張して手足が震えていた。これで殺すか退かせることができるか正直不安だが、これしかできることがない。
だめだ、これ以上溜めたら爆発して俺もアイヴィーも吹き飛んでしまう。少々距離が足りないが。軽くジャンプして真っ黒な炎を強く噴射した。炎は肉食獣のように吠えて天使に絡みつき、噛み付いたように離さない。
影の炎は厳密に言うと炎ではない。確かに高温でものを燃やしたり温めたりすることはできるものの、最高温度は数百度にしかならない。たとえばタバコの火の先端は650度ほどだ。影の炎はそれに満たない。

反動で後ろに吹き飛ぶ。……さあ、どうなるか。
真っ黒い炎が消えていくが、ゆらめく影の奥にはしっかりと直立した人の形が浮かんでいた。
げ……。どうしよう。特に大きなダメージになっていない。それどころか余裕の表情で笑みを浮かべている。きついつり目で見るからに気が強そう。
どうにかしなきゃ、俺しかどうにかすることができない。死にたくない……。不安に足がふらつき、またあの虫の幻覚が見える。ぞわぞわと皮膚の下を這いずり回り脂肪を貪る感覚に震えて床にうずくまった。
「見えてるだろ、お前の正義が」
アイヴィーも俺と同じようにぶるぶる震えている。だ、だめだ。立たなきゃ……、立ってアイヴィーと逃げよう。攻撃が通用しないなら逃げるしかない。
立ち上がろうと腕を突っ張らせるが、思い切り蹴飛ばされまた転がった。頭を掴まれ、床に打ち付けられる。
「……っ!!」
「セオドアの目を探してる。出しな」
血、血だ。セオドアの目? って、そんなの知らないっ! 頭から血が流れてる。簡単に殺すつもりはないらしい。
「赤い宝石みてーなモンらしい。あんだろ? さっさと出さねーと、あの女も殺しちまうぜ」
知らないと言うことさえできない。
「ま、出さなくても出しても殺すんだけどな。サタンの血族はすべて殺す。セオドアがああなったのはサタンの血のせいだもんなああ? 知らないわけないよなああああ?」
頭痛い。こんなにもできないことへの悔しさと、ただ単純に直接的な痛みに涙が出そう。
「……死んだか?」
死んだふりをすれば見逃してもらえるかな。呼吸を止めて様子を見てみる。
ジリジリ近づいてつむっていた目蓋をこじ開けられる。明かりの代わりに自分の翼から羽をもぎとり目に近づけた。整理的現象が止められるはずもなく。瞳孔がちいさくなる。
ひゅうと息を吹くと空気が固まって鋭い氷になった。こいつで俺のことを刺す気だ。押さえつけられてて動けない。こじ開けられた眼球に、冷たい氷のナイフがちょんと当たる。息が荒れていた。ゼリーみたいにやわらかくて、少しずつ少しずつ刃先が差し込まれて痛みよりも恐怖に悶えた。
「……糞が」
ふいに手が止まり、ナイフを抜いて立ち上がるとマナは飛び去って行った。……誰か来たのか。よかった……。
「大丈夫か、二人とも?」
同じ血のにおいがふえた。安心でぴりり張り詰めていた神経がくたりとしょげる。
「母さん」
「怪我は?」
「特に……」
「そりゃ、よかった。しっかし……我が家に大穴を開けてくれやがって。あの天使め……」
母さんは少し疲れているようだった。俺に手を貸して立たせると、倒れたアイヴィーを抱き上げた。それから俺を見て、荷物をまとめろと言う。
「……どうして?」
「魔界へ行く。地上は危険だ。ここは捨てる。すぐに大事なものと少しの着替えを詰めるんだ。もう戻らないつもりでいろ」
冷たい声に慌てて自室に戻った。とりあえず今は全裸なので適当にジーンズとパーカーを着てスニーカーをはく。大きめのカバンにお気に入りのヘッドホン、CDとプレイヤーを突っ込んだ。替えの下着類、ジーンズとシャツ数枚と二着目のパーカー。……あ、あと何がいるかな。いきなりもう戻らないかもって……。
机やクロゼットを開け放し、悩んだ。だって魔界がどんなところか知らない。キャンディ、机の中に隠していた300ドル、腕時計に剃刀……こんなものかな。いちおー魔界と言ったって、向こうに多少なりと人は住んでることだし。
あと、机の上に飾っていたジッポのライターも持っていくことにした。ライターのカッコをしてるけれど、オイルを入れても火がつかない。
親父の使い古しで、中に何かが入っているらしい。それがなんなのか、うまく開けられないので知らないけれど、親父はもしもの時に壊して中をみてねって。
『もしも』がどんな時かうっすら予想はしてたけど、はっきりと思い浮かべることはなかった。今ではないのは確かだ。……おまもりってことで。ポケットに入れると、カバンを閉じて下に降りた。
今には大きく赤い扉が立っている。……扉っていうか、ガーデニングに使うような派手で大きなアーチだ。赤黒く、どくどくと動いている。まるで血管で、その音は血を送り出す心臓の音だ。
「はやくしろ」
急かされて、詳しく様子を見る暇もないまま、魔界へと続くであろうアーチをくぐった。




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