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Uターン
悪意の夜

その日、俺はひどく緊張していた。

俺の腹違いの兄であるサマエルとその妹サリエル、その間には子どもがおり、サリエルの母であるヒルデガードさんはサリエルを保護した後にサリエルの子どもの出産を無事に終わらせた。
ヒルデガードさんから連絡があり、サリエルが亡くなり、ヒルデガードさんも老いが進み、体力もあるし血縁関係にもある俺は、育児を手伝うことになったのだ。
男の子であるらしく、男親も必要だと考えたのだろう。子どもはたしかそろそろ20歳というところか。
悪魔や天使は長く子ども時代を過ごし、およそ75年で成人する。40〜45年ほどまで小さな子どもの姿で、ある日を境に人間のように成長していくのだ。大抵は思春期に入りかけた頃に魔力の覚醒が起こり、魔法をうまく扱えるようになってくる。ま、俺は思春期なんてとっくに終わった人間で言う18歳ごろに起こったから、まちまちなんだけど。
この魔力の覚醒ってのがなかなかどうして一人では難しくて、意識を失い魔力のままに暴れ出してしまうのだ。わかりやすい予兆はあるし、本人にもなんか変な感じがするという自覚はあるものの、力のある保護者が覚醒した子どもを押さえつけなければ子どもは延々と暴れ続けてしまう。男であれば性欲も強くなるし、そのへんのケアも必要だ。
ヒルデガードさんはこのために俺を呼んだのだろう……。


「おじゃまします」
「こっちよ」
玄関には赤い髪の初老の女性。だらだらと垂らした赤い髪は兄であるサマエルの面影がある。
ヒルデガードさんについていくと、ゴシックな家具で埋め尽くされた部屋の隅に、小さな男の子がいた。
「ライラ」
男の子はそう呼ばれると顔を上げた。足元には絵本やおもちゃが転がっている。
「グレイやアッシュがおもちゃや絵本をくれたの。あの子らにも子どもが生まれたでしょ、二人、仲良くなれればいいわね」
両親と同じ赤い髪、俺と同じ緑色の目。幼いながらも、素質を感じることができる。
「あなた、久しぶりに会ったけど、覚醒が済んだのね。大変だったでしょ」
「ええ、そりゃあもう。数日前から檻に入れてもらって、グレイさんやその他の悪魔の方10人ほどに押さえられて、なんとか。自然に覚醒ができてよかったです」
あの戦いから数ヶ月後、なんとか覚醒がすんだ。気がついてみれば檻は壊れてるし悪魔のみなさんはボロボロだしでびっくりした記憶がある。自然に起きてこれなのだから、強制的に起きたりひどいストレスで起こらなくて本当によかった。
ライラと呼ばれた男の子は、こっちをぼんやりと見ている。
「こっちへいらっしゃい」
ヒルデガードさんの呼びかけに頷き、立ち上がってゆっくりと近づいてくる。両手を伸ばして空中を引っ掻きながら、まるで暗闇の中を歩くようにして。
「この子……」
「……目があまり見えていないようなのよ。体も弱くて、しょっちゅう熱を出してる」
俺にだけ聞こえるように、小さな声で。
血のような赤錆のような髪はまさに兄のものと同じだった。頭に顔をうずめてみれば、鉄のにおいがしてきそうなほどに。
「ライラくん? 俺、倫太郎っていうんだ。よろしくね」
その場にしゃがみ、ライラと目線をあわせた。俺の頬にそっと触れて、じっと見た後、小さく頷く。
「おとなしい子ですね」
「おとなしすぎて不安になるくらいよ……」
「いつもこうなんですか、おとなしくて無口で」
「ええ。喋れないわけじゃないけど、喋るのはあまり好きじゃないみたいね」
兄さんの子ども時代もこうだったのだろうか。ヒルデガードさんの反応を見れば、そうでもないらしい。
「なんでも食べるし……、わがまま言わないし、泣かないし、ほんと、手がかからなくて逆に心配なの」
子どもらしくなく、何か傍観するような目つき。疲れた大人のような、ってのは少し言い過ぎだが、子どもにして社会の厳しさを知って打ちひしがれたような、そんな目だった。
「ライラくん、俺、プレゼント持ってきたんだ」
行きしなにおもちゃ屋で選んだ電車のおもちゃだ。レールを繋げて、好きにコースを作って電車を走らせる。電車の作りは大人も唸らせるほど細かく再現されており、お値段もなかなかはったのだ。
綺麗にラッピングされた箱を渡すと、ライラくんは戸惑いながらも、小さくありがとうと感謝の言葉を述べる。
そしてヒルデガードさんを探して、黙ってしばらく待つ……。
子どもとは思えない行動に、目を疑った。ライラくんほどの小さな子どもならプレゼントをもらったらすぐにラッピングを引きちぎり中身を確認するだろう。
この間、グレイさんとアッシュさんの子どものチャコールくんにも同じような電車のおもちゃをプレゼントしたのだが、あげた瞬間ノータイムで箱を開け、たいそう気に入ったらしく少なくとも俺が帰るまでずっと夢中だったのだ。
「いいわよ」
ヒルデガードさんがそう言うと、ライラくんは箱を持ち上げ少し離れ、箱に顔を近づけてラッピングをきれいにゆっくり剥がしていく。
「……ああいうしつけを?」
「まさか。贈り物のラッピングをきれいに剥がすのは、あの紙が好きだからなのよ。私への贈り物のラッピングも、欲しがっていたから。でも、私の許可をもらわないとあけないってのは、なんにもしてないわ」
……なぜだ。ヒルデガードさんは子どもを縛り付けるようなことはしていなさそうだし。
どうしてこの子は自ら檻に入るような、そんな生き方をしているのだろうか。
「倫太郎くん、あなたに、この子を連れて行ってほしくて。同年代の子どもとの交流って、やっぱり大切なものだと思うし。学校にも通わせて、人間と同じような暮らしをさせてほしいの。やっぱり、こんなおばさん一人じゃ、娘の世話はできても孫の世話はしきれないわ」
「……わかりました。喜んで。兄と姉の子どもの面倒を見ることができるなんて、……こちらから、そう、お願いしたいとさえ思っていましたから」
どうして人間のように育てたいのか、ルシファーさんが居なくなって天使除けの呪いが無くなった魔界や、天界で暮らさないのか。その理由は十分承知していた。
「よかった。しばらくは私も一緒に居ていいかしら、勝手がわからないでしょう」
「ええ、ぜひ」
何度も言うが、ライラくんは俺の兄サマエルと姉のサリエルの子ども。つまり、近親姦の末に生まれた子どもなのだ。ふたりはお互い愛し合っており、その結果がライラくん。
悪魔や天使の近親姦は、人間より危険が多い。血が濃くなるので体に欠陥が起きやすく、結果障害があったり、極端に体が弱くなったりする。
次に、血が濃くなることによって魔力が強くなる。同じ血を掛け合わせているのだから、ひとつの力に魔力が集中して、非常に強力な異能者となる。しかし体がただでさえ弱いのに魔力が体に及ぼすマイナスの力は強く、寿命は魔力に食われ、平均500年は生きるはずが、100年も生きることができない。
それに合わせ、ライラくんを人間として育てようとヒルデガードさんは思ったのだろう。覚醒の時の事故死も避けねばならず、セオドア以外では唯一傷の治療が瞬時に行える俺に頼もうと思ったのだろうな、一応、甥っ子にあたるわけだし。

あの小さな体と大人のような目を見るたびに胸が押しつぶされそうだった。天使と悪魔の中では近親姦はタブー中のタブーである。バレれば非常に大きな弾圧を受けることになる。
それを知っているとしか思えなかった……、自分は表舞台には出られず、ひっそりと誰に知られないまま生きて死ぬのだと。
見計らって幼稚園に通わせてみたが、友達も作らず一人でぼーっとしてることが多いと先生に言われた。おゆうぎも目が不自由なので先生がついて教えてくれているようだが、非常に消極的。
ほかの子ども達に遊びに誘われるとやっと遊ぶようだが、楽しそうに遊ばないらしい。しかし異常なほどに聞き分けはよく、幼稚園に行きたくないとぐずることもなかったが、やはりまだ他の人間とコミュニケーションをとるのは難しいと判断し、半年でをやめさせた。
小学校に通わせるかは非常に悩んだ。低学年のうちは難しいと判断し、一旦ヒルデガードさんの城に戻って勉強を始めると、みるみるうちになんでも覚えていき、本人も勉強が楽しいらしく、小学校の高学年になる頃には中学生が頭を悩ませるような問題もするする解いていくようになった。
きりがいいと判断し中学校に通わせてみると、うまくいったのかはわからないが、それなりに周りに溶け込んでそれなりに学校生活を楽しんでいるようだった。
相変わらず無口で無愛想だが、ずっと家に閉じ込めて育ったよりはずいぶんよかったと思っている。
高校に入る頃に覚醒が起き、ライラはこれまでよりはずっといきいきし始めた。一般的にはそうではないのだろうが、これまでのライラとは何かが違っていた。
そこで俺は、やっぱり天使は天使として育てるべきなのだろうか、と悩むようになる。
卒業する一年前に、天使として生きるか人間として生きるか選びなさいと言った。どっちを選んでも俺やヒルデガードさんに会えなくなるわけではないし、どっちを選んでも俺は最大限の支援をするつもりだと言った。
頭がいいのだから、大学に行って恋をして、子どもをつくってもいい。天使として俺と一緒に生きてもいい。嫌になったら途中で変えればいいんだから、自由にしなさいと。
帰ってきた答えが『天使として生きたい』で、少しほっとした記憶がかる。本当の親子ではないにせよ、血縁関係にはあるわけだし、幼い頃からそばで成長を見てきたのだから。自分の手から離れていく、人間として生きることを選んだのなら、自分とは生きる世界は別になるのだから。俺が邪魔することは許されないことだ。

「僕は異能者として生まれたのだから、自分を騙して人間として生きるのは絶対にいやだ」
「わかったよ。ライラ、きみの生まれはいずれ話そう。そっちを選ぶのなら、話さなくちゃいけないと思っていたから。きみが一人で生きられるようになった時に、話すから」
「親が居ない時点でろくな生まれをしていないことは、簡単に予想できるから。……おじさん。僕は一人で生きたくはない。一人で生きる代わりにそれを知るなら、僕は知らなくったっていい」
「大人になるって、そういうことなんだ。だからといって、俺はきみの前から消えるわけではないよ」
「僕のそばからは消えるんでしょう。それなら僕は、ずっと子どもでいいよ。死ぬまで。おじさんがどこかに行くなら、僕は追いかけるから、僕はおじさんがいなくちゃ、ここまで生きてこれなかったし、これからも……」
「ライラ、世界を知った方がいい。俺だけが世界じゃないよ。たとえ見えづらくとも、俺以外の世界は絶対に見えているはず……。見ないふりしちゃだめだ。すべてを見る勢いで見なさい」
「僕を、僕を拒絶しないで……」
「まさか。俺は大人になってほしいんだ。きみの親もきっとそれを望んでいるさ。でないと、俺はきみの親の墓にどんな顔をして行けばいい?」
「僕はおじさんのそばで世界を見たい。おじさんのうつる世界を見たい。こんな些細なことさえ許されないのが、大人になるっていうこと? 決してヘンな意味とかじゃなく、僕は、育ての親として、そして天使としておじさんを尊敬してるから。だから、尊敬する人のそばに居たいのは、当然のことだと思うから」
「落ち着くんだ、今日はもう寝なさい。頭に血がのぼって、冷静さを失ってる。明日明後日にでもおばあさんを呼ぶから、話をしてみるか?」
「僕は至って冷静だよ。おばあちゃんに相談しても寝ても、この気持ちは変わらないから。僕はもう寝ますね、それじゃ……」

小さい頃はなんて大人っぽい子どもなんだと思っていたものだが。





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あきゅろす。
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