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Uターン
カーボン紙とぼく

「っ……!」
何度めかわからない蹴りに、肩を震わせて耐えた。息をすると肋骨が痛む……。何本か折れているのかも。肺には刺さっていなさそうだから、そこはまあ、よかったんだけど。
つまらなさそうに、セオドアが俺を見下ろす。
抵抗できないようにと手を縛られ、冷たく無慈悲なコンクリートの上に転がされていた。まわりにボロボロの車が置いてある様子、壁に覆われていることから、ここは屋内の(地下だろうか)駐車場なのだとわかる。障害物のほとんどない、影のほとんどない、俺や母さんにはやりにくい場所だ。
セオドアがつまらなさそうにするのは、俺が声を上げないからだ。最初はそりゃあ、こわくって震えてた。その時の顔といったらもう、鏡を見たらげんなりするだろうと自覚するくらいで。その時のセオドアは水を得た魚みたいにいきいきしてたんだけど。
なんだかぼーっとしてきて、体に力が入らなくなってきて。怖がる余裕すら、なかった。忍び寄る死の恐怖に、俺の体は凍りついていた。頭ではすぐには死なない、セオドアには俺が必要だとわかっているが、実際こんな暴行を受けたことはなくて、死ぬのかなあとぼんやり思っていた。

意識が遠のきそうになった時、足のほうに鈍い痛みを感じて叫んだ。俺の声は駐車場にこだまする。
繰り返し骨に響く重い痛みの正体を知ろうと視線をそこへやった。
大きな肉切り包丁で、俺の膝を叩いている。体に何かが弾ける痛みがして、あまりの痛みに涙が出た。声を上げて抵抗するが、それは何の役に立つこともない。
少し痛みが和らいで、チカチカ点滅する目の前がクリアになる。
……そこにあったのは、足だ。血まみれの、膝から上の無い、足。俺の左足は膝から下が、消えている。
「へ……」
「これでもうたてないねえ」
じんじん痛む傷口からは、ゆらゆらと影が漏れ出していた。黒い煙が上に上がって行く。
「かわいそ」
なんかもう、どうでもよかった。俺の予想ははるかに外れていた。俺を母さんや親父への餌にするつもりじゃなかった、俺の死体を餌にするつもりだったんだ。
また涙がコンクリートを濡らす。寒いし、痛いし、このまま放っておかれれば朝日を見ることなく死ぬだろう。……屋内だから、どっちにしろ朝日は見れないなあ、なんて。
「はあ。ここまで虐めて、こんなにつまらなく感じるのは君がはじめてだ。君の母さんは、楽しかったなぁ……」
俺の足を放り投げ、また俺を見るだけ。ダニエル先生の姿をしているはずなのに、目はうっすらと赤く染まっている。
「もしかしたら、セックスしたら、すごくいいのかもね。ただ、今は男とやるなんてそんな気分じゃないけれど」
そうつぶやくと、はっとしてセオドアは入り口のほうを見る。……足音。わざとらしく舌打ちをしたセオドアは、切断した俺の足を拾い上げ、そのまま緑色の鳥に変わって地面ギリギリを飛んで行った。

……え、ど、どうしよう。手はギチギチに縛られていて動かないし、足は持っていかれてしまった。やばい、痛みより深い絶望感。切れかけた蛍光灯がチカチカ点滅する。
……誰か……! ここならきっと、声が響くからこっちへ来てくれるかも。出血が酷くて目の前が何度も暗くなるけど、出血で死にはしないはずだ……。息を吸うと、肺が締め付けられた。
「……っ、はあ……」
大きな声が出ない……。ますます足音は遠ざかっていく。
「……」
「い、いたァーーーーーッ!!」
大声がさらによく響く。声の先には、一人の男だ。……親父? にしちゃ、声が高い。
「もしもしッ! グレイさんですか? 見つけましたよ、息子さん! すぐ保護しますからッ! アッシュさんには、俺が伝えておきましょうか? ……わかりました、じゃあすぐ伝えて下さい。すぐにお宅に連れて帰りますね……、何かあったら、電話ください。ええ、……ええ! 気をつけます。それじゃあ!」
誰だろう……、誰にしてもラッキーだ! 俺はついてる。セオドアは逃げたし、母さんや親父の知り合いが助けにきてくれたんだ。
「わ……、こりゃ、ひどいな……。チャコくん、大丈夫? 今は腕の、取るから」
「……倫太郎さん」
「あ、覚えてくれてた? よかったあ」
癖のついた金髪と、赤いフレームの眼鏡。はーっと息を吐いた。久しぶりに会ったけど、ちっとも変わらない。……歳にしちゃ若づくりファッションしすぎな所も。あんまり、変ではないんだけどね。
腕に巻きついたロープをライターで焼き切ってもらい、腕は解放された。腕を伸ばして、冷たくコンクリートに放り投げた。
「ありがとう……」
「心配したよ。はやく見つけられてよかった」
そう言うと倫太郎さんは周りをキョロキョロと見渡した。
「……足、無いね……。あったら治せたんだけど……。とりあえず、傷だけふさいでおこうか」
倫太郎さんはコンクリートに染みた血を指で拾って舐めた。何度も、何度も。それから俺の傷口に触れた。……不思議と、痛くない。それから一瞬急に痛んだあと、すっと痛みが消えて行く。
「これでばい菌入ったりしないよ。他は?大丈夫? お腹とか、なんにもない?」
「ない……」
「そう。よかったぁ。動かしても、いいかな? いっしょにおうち帰ろっか? アイスかってく? お菓子がいい?」
「あ……、あのお、俺……」
「あ……! ゴメン、なんか、昔みたいにしちゃって。最後に会ったの、いつだっけ?」
「……俺が40か、1の時」
「そっかぁ。じゃあずいぶん前だ。夢中で気づかなかったけど、おっきくなったね。ますますお母さんに似て。お父さんにも似てるけれど……、やっぱりお母さん似だ」
「よく言われる」
「俺にもね、チャコくんと同じくらいの甥っ子がいてさ、気が合うと思うんだ。異能者だし。今度は連れてくるよ」
「うん……」
なんだかだんだん、疲れてきた。倫太郎さんは女みたいにお喋りが大好き……、なんじゃなく、俺を気遣ってくれているのはよくわかる。……アイスとかお菓子、断るのよしたほうがよかったな。安心したらお腹がすいてきちゃった。昼メシも晩メシも食べてないしね。
「ご、ごめんっ! 早く帰りたいよね。痛かったら、言ってね。外に車止めてあるから、それまでのちょっとの間だけど」
倫太郎さんはコンクリートに落ちている俺を抱き上げた。俺は背中に手を回し、コアラみたく倫太郎さんから落ちないように抱きつく。……ちょっとおっさんみたいなにおいがしてる。俺の親父も、すっかり枕が臭くなっちゃったからなぁ。仕方ないことだと分かっているし、じきに自分もそうなってくるんだろうけど。ゆっくりと倫太郎さんは駐車場を歩き出した。
「大丈夫だよ、もう怖くないから」
「……やっぱさ、お菓子、たべる」
「あ、そーお? じゃあ帰りコンビニ行くよ。何がいい?」
「チョコと、マシュマロと、チョコチップクッキーと、あと、あと、プリン。ロールケーキも。スプーンでたべるやつ……。コーラも、飲む」
「よく食べるねえ、男の子ってさ、ふつうそうだよね。うちのライラったらさ、晩御飯、食べないの。めんどうだからって。……あ。ライラってのは甥っ子ね。ほんともー、心配でさ……。お弁当とか結構ボリュームあるの無理やり作ったげるんだけど、それは全部食べてくれるからいいけど……。あ、俺も食べようかなぁ、ロールケーキ」
すぐに赤い軽自動車が見えてきて、助手席に座らせてもらった。倫太郎さんは運転席にまわり、ハンドルを握る。
「ごめんよ、狭くて」
「狭くないよ」
「そう? じゃ、コンビニ。いこっか」
「うん……」
ぼーっと当たり障りのない話をしながら、夜の街を走った。セオドアの話をしないのは、倫太郎さんの気遣いか。
すぐに見つけたコンビニで倫太郎さんはお菓子や菓子パン、アイスにデザート、ジュースをどっさり買ってきた。……きっとグレイさんも欲しがるだろうから、って。
……思えば、倫太郎さんのほうが、俺より母さんの事を知ってるのか。親父に聞くのは照れ臭かったし、倫太郎さんに色々聞いてみようかな。
「倫太郎さん。……昔の母さんって、どんな感じだった?」
「……え? ……うーん、そうだなぁ。きれる人だった、今もだけど。あ、怒ってるってことじゃないよ。なんていうかさ、特別強かったり、頭がよかったわけじゃなかった。ふつーには強かったろうけど、俺の父親……、ルシファーとか、兄のサマエルよりは、弱かったと思う。何度ももうだめだって思ったけど、力を合わせたらなんとかなるんだって、そういうのを実感したなぁ……。言葉で表現するなら、センスだね。戦いの、センス。本人の力は特別強くなくて、頭がよくなくても戦いの時は、ひらめくんだよ。突破口を見つけるのがうまいんだ。よーく色んなものを観察してるっていうか。あとね、すごく、優しいよ。無愛想だし、いっつも怒ってるみたいだけどさ、ほんとはすごく、優しい」
「……強くない?」
母さんは女性でありながら、筋肉質の大きな男の悪魔でさえも軽くひねってしまうと聞いた。それなのに?
「……そうだねえ、難しいんだけど。強いっていう括りには入っていたんじゃないかな。Aランクだったけど……、Sってのもあるし。そこに入れるのなんて数人だけどさ。……それに、あの人は一人ではだめだったと思う。いろんな人の助けがあって、今のグレイさんはあるんだよ。決して、一人ではなかった……」
「へえ……」
「……どうしたの? 急に」
「俺、母さんのこと、ほとんど知らないんだよ。誕生日も知らない。好きな食べ物も知らなかった。……親子って、なんだろうね。お互いきちんと生きてるのに、電話もしなかった。クリスマスだって、一緒に過ごしたの昨日がはじめてだったんだ」
うつむくと、膝から下の無い自分の左足。……寂しかったのを思い出して、もう立つことすらできなくなった自分の現実を見た。視界が歪む。認めたくなかった。
「チャコくんが生まれたの、忙しくなる前だったからなぁ。……いい機会だし、これからゆっくり考えればいいんじゃない? 俺は……、わからないから。でもね、言いたいことはなんとなくわかるよ。血が繋がってるだけ、っていうふわふわした感じ。……うちの甥っ子もね、事情があって小さい頃から俺のとこで暮らしてるんだ。同じこと、思ってるのかなぁ……」
ちょっと倫太郎さんの甥っ子(ライラとか言ったか)が気になってきた。俺と似てるんだ。……どんな奴なんだろう? 名前が女の子みたいだし、ふわふわの金髪の小さい子かな。……あ、でも年上って言ってたっけ。
「……ついたよ。待ってね、荷物入れてからにするから」
ほんとだ、気づいたら慣れた住宅街。倫太郎さんは買い込んだお菓子たちを玄関に入れていく。……親父だ。何か喋ってる。奥に母さんも居るや。……足、どうしよう。ごまかせないし、心配するだろうなぁ。
すっかり皮膚が覆って、最初から左足が無かったみたいだ。……そうだ、そう思っておこう。そしたら大丈夫だ、何にもなかったんだもんな。
なんて、できるはずなかった。だめだ……、もう芋虫みたいにして這うしかできない。まだ、涙を拭うことができるだけマシかもしれないけれど。




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あきゅろす。
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