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Uターン
気象情報

目が覚めた瞬間、鼻の奥に広がる腐敗臭。腐っていた肉部分を削り落としたとはいえ、においはこびりついている。思わず咳き込み、ごろごろと転がって添い寝してもらっていた死体から離れた。
背中にはじっとりと汗をかいているが、……寒い。あったかい上着を着ているが、真冬の12月に暖房もつけないで小さな部屋で寝ていた、なんて。……風邪、ひかないといいけど。
ゆっくり立ち上がって、窓の外を見た。今日も雪が降っている。こりゃあやんだら親父と雪かきかな。日が落ちるのが早くなったせいでもあるけど、外はもう暗い。7時くらいかなあと携帯を見てみると、予想通り、そろそろ7時になろうかという時間だった。
……今俺は理科室の中にある理科準備室にいる。理科室へのドアは閉じられていて、取り付けられたガラス窓の向こうには、ひとつの人影……。
まずいな、誰だろう。準備室に入れちゃだめだ……。死体を準備室の奥へおいやり、ジッとガラス窓に張り付いた。
ガラス窓は奥がしっかり見えないようにされていて、男か女かくらいしかわからない。……背が高いから、男かな。セオドアが死体を迎えにきたのだろうか。
扉を開けて顔を出すと、そこには知った顔。
「うわっ! チャ、チャコ?」
エドワードだ。顔を赤くしてしきりに入り口のほうを気にしている。
半開きになった扉から見えるのは赤毛の小柄な女の子……、アニーだ。こいつら、またここでしようとしてたのか。
「どうしてここに……」
「ああ、ダニエル先生に準備室の掃除を頼まれてさ。そっちこそ、なんでまた、ここへ?」
「え?え、 えっとな、補習受けててさ。んで、さっきプリント終わって、帰る前にダニエル先生にビーカーとか、洗ってけって」
「俺と一緒って聞いてなかった?」
「あ、ああ。アニー、掃除、やろうか」
アニーはむっとした表情で、少しだけ理科室に足を入れた。
「えー。やだぁ」
「……チャコ、俺たちがやっとくから、もう帰っていいよ」
……うーん、どうしようか。このまま居座るのもいいし、いったん出て戻ってくるのもいい。なんなら、影の中に隠れててもいい。
エドワードが俺を帰らせようとした時、アニーの表情が明らかに変わったから、これは、もう、『当たり』のようだ。
「いや、いいよ。皆でやったほうが早く終わるし、俺もそっち手伝う」
「お前、母さん倒れて大変なんだろっ!? お前自身も事故にあったんだろっ!? 無理すんなよっ、さっさと帰って母さんのそばに居てやれよ!」
「あー……、骨、何本かいってたみたい。腕ね、もうひっついたし。平気。母さんには親父ついてるし」
エドワードとアニーがだんだんとイライラしだした。そりゃそうだよなあ、これからそーいうことやろうって、それで学校きたのに(補習は嘘だ。だから、ダニエル先生に掃除を頼まれたのも嘘。エドワードもアニーも、補習を受けなければいけないほど馬鹿ではない)、邪魔者が居たんだもんな。
「……お前、空気読めよ!!」
エドワードは俺の服を掴み、腕を振りかぶった。人間は、怖くない。握られたエドワードの拳を受け止め、強めに押すとエドワードはよろけて、机にぶつかった。
「喧嘩なら、受けて立つよッ」
右手を思い切り開き、影を集めて銃を作る。エドワードが立ち上がる隙を与えない。足を燃やして加速し、エドワードの額に銃口を当てた。アニーの悲鳴が廊下に響く。
「……ひっ、や、やめて……。やめてくれ……」
人差し指をふらふらさせると、そのたびにエドワードは震えた。……人殺しはだめだから、殺さない。……こんなこと、するのはじめてだ。体が夢中で動いてた。
きちんと殺さないって頭において置かないと、衝動だけで殺してしまいそうだった。
……廊下から、足音が聞こえる。けっこうたくさんだ。アニーの悲鳴で誰かがやってきたんだ。先生に見つかったらやばいぞ……。銃を消し、腕をおろした。
「『凶器は、残らない』んだ」
そう言ってわざとらしく唇を吊り上げてみる。足音が大きくなって、半開きだった扉が完全に開いた。
男の先生が五人ほど、……ダニエル先生(中身はセオドアだけど)もいる。
「ちゃ、チャコールが、エドワードを……、殺そうとしたのッ!」
アニーの声が震えている。俺は少しエドワードから下がり、何もしてないと両手を上げてアピールした。
エドワードも俺を指差し、声にはならないが……、たぶん『すっごい怖い目にあったんだ』って感じ。
先生たちの奇異の目が俺に向けられるが、ダニエル先生はというとぼんやりと蛍光灯に集まる蛾を見つめていた。
「俺はなんにもしてませんよ、ほら」
上げた手をひらひらさせると、先生たちは顔を見合わせた。
「嘘! 私見たもの、あいつが銃を持って、エドワードの頭に当てたの!」
「……俺、銃なんて持ってません。何なら、カバンとか上着、ひっくり返しますか?」
俺は特に悪いこともしなけりゃ、いい事もしてない。至ってフツーの、異能者ってだけの学生だ。エドワードはチャラチャラしてるし、アニーも高校に入ってからはちょっと軽い感じになってきた。クスリをやってるとかいう噂もあったくらいだ。それでも俺は、アニーが好きだった。
そりゃあどっちのほうがイメージいいかって? 俺のほうに決まってる。俺のほうを先生は信じる。
「……ブロウズ。次騒ぎを起こしたら親御さんを呼ぶぞ」
「……すみません」
そういうと先生たちは帰っていった。ダニエル先生だけは、まだ蛾を見つめている。
「先生! ダニエル先生は信じてくれますよね!?」
アニーがぼーっとしていたダニエル先生に抱きついた。……くそ、セオドアめ。羨ましい。……しかしこの件で、完全にアニーに嫌われたろうなあ。……なんか、これですっきりしたような、そーでもないような、変な気分だ。
「え? 僕かい? ……ごめん、ぼーっとしてて。二人とも、もう遅いから帰りなさい」
そう言われ、いそいそとアニーとエドワードは理科室を後にした。……この後、どこへ言って何をするんだろう、なんてことは考えない。考えない。
ダニエル先生の姿をしたセオドアは、蛾から目を離して俺のそばにきた。準備室を気にしている。
「彼、見つかりそうになったの?」
彼って? と考えたけれど、ああ、そうだ。死体のこと。
「いいや、……ただの、個人的な話。関係ない」
「ふうん。なら聞かないよ。だいたい想像はつくし」
そのセオドアの返事にムッとするが、セオドアは無視して準備室へと向かい、死体入りの袋を引きずってきた。
「ここなら大丈夫だと思ったけど、人が来るならやめたほうがいいね。死体が多くなれば臭いもきついし。……隠れ家とか、また作らなきゃな……。いいとこあったかなぁ?」
死体を隠せるような場所、かぁ。人がめったに立ち入らなくて、野犬や猫に食われないような場所。ひとつだけ、心当たりがある。……が、自分の目で確かめたわけじゃないし、確実じゃない。
「……あくまで、噂なんだけど」
「いい場所、あるの?」
「橋の向こうって、工業地帯になってるだろ? 最近、ひとつの工場が廃工場になったんだってさ。もうちょっとしたら買い取られて壊されるなりそのまま使うなりするだろーけど。死体のひとつやふたつ、置いてても人来ないしバレないだろ。食べ物の工場だからそのへんしっかりしてるだろうし、野犬はもちろんゴキブリすら入って来ないさ」
たしかその工場はお菓子の工場だったはず、……チョコで有名なところだったかな? ちょっと遠いけど、死体が見つからないようにするなら安いもんだろう。
「へえーっ。じゃあ、見に行ってみようか。モルグの場所も確か……、そっちのほうだったよね?」
「死体安置所? ……ああ、確か。ちょうどいいや」
話しながらひとつ、俺は悪いことを思いついた。死体を影の中に隠して、人質(?)にするのだ。それなら誰にも見つからないし、遠くもない。死体が劣化することもない。それに俺が管理できる。俺が死体を管理できれば、セオドアは俺の思うとおり動く、なんて日がくるかもしれない!
……俺には大きな野望とかそーいうのはないけどね。飽きたら母さんや倫太郎おじさんに引き渡せばいい。
「あのさ、死体を安全でゼッタイ見つからなくって、腐ったりしない隠し場所があるんだけど」
「……どこ?」
セオドアは疑ったような表情で、眉を吊り上げた。……たくらみごと、バレたかな。
「俺の影の中」
「そりゃあー、だめだね」
「なんでさ?」
「絶対見つからないなんて、ありえない。君の母さんに見つけられるのを一番僕は恐れているんだ。またあの中に叩き込まれちゃ、たまらないからね。……もう、見つかりそうだけど。工場に行くのは、無理かもね」
そう言うと、セオドアはポケットからボールペンを取り出し、窓に向かって投げつけた。その先を見ると、ボールペンはガラスを貫通している。……ボールペンは一匹の蛾を仕留めていた。白くて美しい蛾だ。ひらひらと羽の破片と鱗粉が落ちて行った。
「アッシュめ、さっきの蛾はフェイクか。うっかり騙されるところだった」
アッシュ……? 親父!? 全然気づかなかった。あの蛾、親父だったのか。……親父、大丈夫かな? たぶん俺の力と同じようなものだし、死にはしないとは思うが……。
親父に場所がばれたなら、母さんが追ってくるはずだ。再びセオドアを影の中に落とすために。それまでにセオドアができることといったら、なるべく遠くへ移動すること。
……『俺を人質にして!』
気づいた時には遅かった。長くて大きな手は俺の首をひっ掴む。ここから飛び出そうと親父の突き刺さった窓を開けたが、ボールペンが引っかかって人が飛び出せるほど開かなかった。人が飛び込める大きさの影も無い。首を掴まれた時点で、それらの行為は無駄になるのだが。
「ちょっと気づくのが遅かったね。早く僕と行こう」
「……!」
怖くて何も言えなかった。セオドアはきっと、俺を餌にして逃げるか、……人質にして母さんや親父を殺しにかかるかもしれない。俺が死ぬことはまずないと思うが、酷い目にあうのは間違いないだろう。……俺のせいだ。非日常への憧れとか、戦争で敗れたとんでもない化け物だとか、そんな事で遊んでる場合じゃない。
俺は遊びだとしても、母さんは本気だった。セオドアも、本気だった。大人たちは本気だった。子どもの俺は、それをスリリングでぎりぎりな遊びだと勘違いしていて、それに大人を巻き込んでしまった。
セオドアは別の窓を開け、俺を投げ入れた。
……ここは5階。態勢を直せば、余裕で着地できる高さだ。体を捻り、足と手を下に。四本の手足で衝撃を吸収できる。
逃げられるか。……あいつは骨でも折る気だったのか?
足を燃やして、衝撃を弱めようとした。……が。
広げていた腕を何者かに掴まれる。はっとして上を見上げると、緑色の翼があった。大きな、鳥のものだ。
そのまま鳥は羽ばたき、急上昇。真っ暗な雲に突っ込むみたいに、ずっとずっと上に。
……とりあえずこの状況のことは置いとかねばならない。なぜなら俺は重度の高所恐怖症だ。窓から見下ろしたりするぶんにはあまりしんどくならないが、自身が不安定な高い場所なんかに居ると、胃酸がぐいと込み上がってくる。階段はすぐに駆け上ったりすればいいけど、脚立とかハシゴ、机の上なんかに立つのはゼッタイに、無理! 足の間をすーすー空気が通り抜けると、冷や汗がしてくるんだ。
あぁ、でも、空気が通り抜けなければいいってわけじゃないんだけど。滑り台、高めのブランコ、ジャングルジムなんかの遊具がだめで小さい頃は走り回るくらいしかやることがなかった。砂遊びはちゃっちくて、男のする遊びじゃないって嫌いだったんだ。
ジェットコースターはもちろんだめ。観覧車なんて見るだけで寒気がするし、ふつーのブランコでだめなんだ、空中ブランコなんかに乗ったら失神してしまう。
……そんなやつが鳥に捕まって空を飛んでるんだ。我慢しても我慢しても、喉を焼く酸は止まらない。
鳥は飛びながら糞をするけれど、ゲロを撒き散らしながら飛ぶ鳥はいるのだろうか? なんてのんきなことを考えながら冷や汗で背中をぐしょ濡れにした。




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