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Uターン
イヴの骨盤

俺は21日に退院したのだが、母さんの退院は今日、つまり25日のクリスマスとなった。
偶然なのか必然なのか……、俺は(記憶にある中では)初めて家族揃ってのクリスマスを迎えることとなる。
母さんは通院が必要なので、しばらくうちで暮らすこととなった。……彼女つくんなくて、この時ばかりはよかったと思った。じゃなきゃ、親父ががみがみとうるさく説教するに違いなかったからだ。
家に帰れば、きっと大きな七面鳥と母さんが居るはずだ。さっきから親父からの『はやく帰ってきなさい』メールがしつこく届いている。四通目くらいから、『予約してあるケーキを取りに行ってきて』がついた。
家から近い、オシャレで小さなケーキ屋。特においしいとは思わないけれど、ケーキの造形、デコレーションがかわいいので女性人気が高い。誕生日用のバースデーケーキは、絵を渡すとその絵そっくりな絵をケーキに描く、というサービスで、子どものバースデーケーキを買いにくるお父さんもよく見かける。
雪の積もった街を、幸せそうなカップルや家族が埋め尽くしていた。それを掻き分けるようにして、俺は雪を踏み殺す。
「あら? ブロウズくん?」
前から歩いてくる人に、見覚えのある人が、二人。
「ルイーズ先生。それに、ダニエル先生も」
「偶然ね!」
腕を組んで歩く長身の男女。世界史のルイーズ先生と、生物のダニエル先生。この二人はつい二ヶ月ほど前に結婚したばかりのアツアツ夫婦だ。これからレストランにでも行って豪華なディナーをいただいたりするのだろう。
「今からどこへ? 彼女のうちにでもお呼ばれしたのかい?」
少し生えた口ひげと、黒くてゆるい天然くせ毛ののんびりとしたダニエル先生は、特別かっこいい顔をしているわけじゃないけど、女子に人気がある。折れちゃいそうな細い足と、枝のような腕、ひょろりと高い背。
「イエ……、今年は家族とです。母が帰ってきたんで、ケーキを買いにいくところで」
「ああ、そうだったね。どう、お母さんの調子は」
「まだいいとは言えないですけど。悪くもないです」
「そうかあ。早く良くなるといいな」
「はい」
先生たちと別れ、歩き出すと。すぐに背後からいくつもの悲鳴が。何者かが俺の横を通り過ぎてゆく。周りの人が驚き戸惑い、わらわらと一つの点に集まっていく。
俺も気になって見てみると。雪は真っ赤に染め上がっていて、その中心に人が倒れていた。ひょろっと長い足は、さっきまで話していた……。
ルイーズ先生はそれに寄り添い、声をかけていたが……。返事は聞こえてこない。俺の視線に気づくと、俺に向かって叫んだ。
「ブロウズくん! お願い、追いかけて!」
……さっき俺の横を走って行った奴が犯人か? 少し遠いが、まだ見える位置にいる。追いつける。
「……わかりました。道を開けて! 轢くぞ!」
ピカピカ明るいネオンや街灯のおかげで、影が目立つ。人が避けた道は、王様か騎士様が通る道のよう。遠くに、ただひとつの人の影。
少ししゃがんで力むと、足が影の炎で燃え上がった。雪が少し溶けて行くのを感じる。そのまま地面を蹴り上げ、噴射した影のおかげでスピードを増していく。
湧き上がる歓声が気持ちいい。相手は人間だろうし、凶器を振り回されても死ぬことはないだろう。クリスマスの英雄、ってわけ。
すぐに追いつき、黒い人の影(全身黒づくめの格好をしているのか? 近づいても黒い)に飛びかかった。
あっけなくそいつは捕まり、顔を見てやろうと首を掴んで、ひねる。
「あ……」
長い髪と冷たい爬虫類のような目と浮き上がるウロコ。夢に出てきた男のシルエット。怖くて、手を離してしまった。逃げなきゃ、逃げないと殺される。食われてしまう。
逃げ腰になった俺の腕を、その男は捕まえた。だめだ、こわい、こわい、食べられたくない。そのまま男は俺の服を掴んで足元に広がる影に俺を押し込んで、男も沈んでいく。
俺はすっかりパニックに陥っていた、影に入れるのは俺と母さんだけなのに、なんでこいつは……!?

影の世界に叩き落とされ、死にかけのカエルのような声が出た。よろよろと立ち上がる。相変わらずここには何もない。たまに俺のおじいちゃんがいて、会ったら昔話を聞かせてくれるのだけど、今日はいないみたいだった。
すぐに背後に気配を感じて、振り返ろうとしたが遅かった。硬くて冷たい指は、俺の首を締め付けている。
「僕のこと忘れちゃったの? あれだけお願いしたのに」
影の世界で色が見えるのは初めてだった。血のような赤。錆のような赤。
「いっそのこと忘れないようにしちゃおうか。僕とっても……、飢えてる」
「お、お前、誰だよ」
やっとのことでひねり出した声がこれ、だ。爪が首に食い込んでいく。じわじわと、血が皮の上を広がっていく。
「その質問に的確に答えるのは難しいね。見た目なら僕は『サミュエル』だし、中身なら僕は『セオドア』だ」
……こいつは、俺に影の世界から引き上げろと言っていたな。外に出て、一体何をしようっていうんだ……? さっきのように、人を殺すつもりか?
「ま、『セオドア』って呼んでよ。できるならニックネームで……、『テディ』がいいな。僕をそう呼んでくれる人、もういないからさ」
名前を呼ぶつもりはない。こいつを外に出しちゃだめだ。ただそう、単純にそう思った。必要以上に口を聞くこともない。
「さあさ、僕を連れてってよ。だめなら、僕はきみを殺したっていい。きみがだめなら、もっとメンドーな君の母さんに頼まなきゃいけないんでね……。そーなると、僕はここから出られないし」
どうしたらいい? 俺はここで死に、こいつを閉じ込めておくのか? 誰にも知られず、ここで一人で死ぬなんて……絶対やだ。
「お前は、どうしてここに?」
とりあえず、時間稼ぎだ。殺さない宣言をしているのだから、そこまで恐れなくてもいい。……ここを出るまでは。ただ、影の中に居られる時間には制限がある。ざっと『12時間』といったところだが、これは寝ている時のものだ。体が極度の緊張状態にあった場合(つまり今の場合だ!)は、どうなるかわからない……。長くなることは、ありえないだろうけど。
セオドア、と名乗った赤髪の男は、わざとらしく考えるように唸った。
「話すと長くなるんだけど。きみ、アッシュとグレイの子どもなのに知らないの?」
……親父と母さんの名前を知っている。姿も知っていたようだし……、や、あれは多分夢だから、ちゃんとしたことはわからないけれど。昔の知り合いか。そんな奴が、なんだってこんな所にいるのだろう。
「セオドア……。聞いたことがある。確か『贄の戦い』で行方不明になった、天使側の指導者」
「そー、そー。それだよ」
「でも……、聞いた話じゃあ、『セオドア』は赤毛じゃなかった。緑色に染めた髪で、眉のあたりから顎まで、量頬に大きな縫い傷があるはずなんだ。そう、それが本当の……」
「うん、合ってる。僕の体って、借り物なんだよね。『サミュエル』って……、言ってもわかんないか。ケッコー有名なんだけど。『サマエル』ね」
『サマエル』なら聞いたことがある……! 有名な堕天使だ。天使でありながら悪魔と繋がりを持っており、強制堕天を食らった二人目の天使だ。
思わず唾を飲み込むと、嬉しそうにセオドアは唇をゆがませた。
「お! 興味ある感じ? そう、サマエルの体を僕は借りてるんだ。僕はさっき言ってた『緑色の髪で頬に大きな縫い傷のある体』に戻りたいんだよ。そしてこのサマエルの体を本人に返してあげたいワケ。本人はまだこの体にいて、ずーっと眠ってる。僕がでてけば、サマエルは目を覚ますんだよ。それにさ……、サマエルが繋がりを持ってた悪魔って、どいつか、知ってる?」
「い、いや……」
「なんとなんとね、君の母さんなんだよ。再会できたら、きっと喜ぶだろーなあ」
「じゃ、じゃあ、ダニエル先生を殺した理由は……!?」
「単純。サマエルの体から出て行ったら、僕はどこ行けばいい? 気を失ってないとはいれないんだよね。だから瀕死ってだけで、まだ死んでないよ。僕の体を見つけるまでの辛抱だよ。ちょっとばかし、二週間ほど、借りるだけさ」
それらしい理由を並べてはいるが、本当にこいつを信じていいものか? セオドアという天使は戦争の原因になった天使で、地上ではいくつもの猟奇殺人を犯した『天使』なんていうのも腹立たしくなるくらいのゲス野郎。
……っていうか、どうしてここにいるのか、ちゃんと聞けてないぞ。
「……ここには、俺と母さんと、あとおじいちゃんしか来れないはずなんだけど」
「あー、そだそだ、その話。忘れてた。ごめんねえ?」
そう言うとセオドアは俺の首を解放した。少ししゃがみ、何かを拾い上げる。だらんと垂れた……、何か。足元はいまいちよく見えないが、徐々に持ち上がってくるとそれが何なのか鮮明に見えてきた。
「ひ、ひと……!? 死んで……」
「うん。死んでる。これの名前はユーリスと言ってね、きみの母さんに負けちゃったカワイソーな天使だよ。死ぬ直前に、ここに放り込まれたんだ。大怪我をしててね……、食べ物も飲み物も無いのに、頑張って何日もここで生きてた。誰か助けにくるだろうって。でも、僕がきた頃にはもうダメだった。……孤独に死んだわけじゃないから、まだ僕が居たから、マシだったね。ま、僕も彼とだいたいおんなじってこと。察して」
ぐいとセオドアは死んでいる天使の顔をこちらに向けた。……安らかな顔をして、眠っているだけのようにも見える。
「ふう、ここは肉体の老化が起きないのかね、僕の体もさっぱりだし、この死体のユーリスだっていつまで経っても腐らないし。いつまでたっても死にたてホヤホヤって感じ。ありがたいんだけどね、そのほーが。締まるし」
「……は?」
ゆっくりと死体を下ろしたセオドアは、また意味ありげに笑う。『締まる』って……、何が!?
「あは、チャコくんはお子ちゃまだから、わかんないかあ。ごめんごめん。僕も男だからさあ、溜まっちゃうんだよね。仕方ないよね」
……俺の名前を知っている。一層警戒したのを見て、セオドアは深くため息をついた。
「ちょっと、ちょっと。僕はさあ、きみが生まれる前からずーっとここに居たんだよ。ま、ここからだとよく姿は見えないんだけど。足が映るからね、ウン。だからきみの父さんよりもきみのこと知ってるんじゃないかなあ? 学校行ってる時も部屋に篭ってる時も、寝てる時も風呂の時も見てたもんね」
一息置いて。
「きのう、自慰をしたろう。何でしたか知ってるよ。友達から送られてきた、好きな子の動画」
「う、うるさい……!」
「その後、罪悪感で寝れなかったんだ。おとといもそうだったのに、懲りないね。僕がその女、忘れされてあげよーか? なんてね……、ウフフ……。じょーだん」

とりあえずわかったこと……、影の中に住んでいた天使セオドアは死体を犯したりヒトの自慰を覗くヘンタイってこと。『贄の戦い』で俺の母親に敗れ、ここに放り込まれたってこと。自分の本当の体を取り戻すため、地上にどうにか出たがっていること。
……うーん。まあ、一回俺の母さんにとっちめられてるんなら、悪さをすることもないかなぁ?
理由を聞いてるだけじゃ、出してやってもいいかなと思うけど……。わざわざ母さんがこいつをここに閉じ込めるなんて、よっぽどな理由かあったに違いないのに。……わからない。どうすれば……。




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