Uターン ネズミのはらわた ……というわけで、『贄の戦い』そして、『平等法』の成立後、悪魔と天使は地上……、いわゆる人間界に下りていった。そこでは異能者(天使や悪魔、魔女などをまとめて人間はそう呼ぶのだ)が食いっぱぐれることがないからだ。 もちろん天界や魔界に残る者も居たのだが、天使と悪魔の総数が減ってしまったため、彼らは増えるために相手を探しに行ったのだ。 そうなると人間界では強姦や暴行事件が多く発生し……、それを捕まえるためにたくさんの異能者が動くという、不思議な流れが作られていた。 しかしそのうちそれも収まってゆき、やってきた天使と悪魔は、人間に溶け込んで暮らすようになる。 俺もそのうちの一人で、……まあ、両親はどちらも悪魔なんだけれど。産まれた時からすでに人間界にいたから、ぶっちゃけた話、悪魔と人間なら人間のほうが近いと思う。 これは、どんな生まれや育ち方をしていても、悪魔なら知っておくべき常識だそうだ。親父がしつこくそう言っていたっけ。 うとうとと歴史の授業を受けながら、悪魔の歴史を思い出す。……次、体育だっけな。体育は好きだ。頭もよくない、絵が描けるわけでも楽器を使えたり歌がうまいわけじゃあない。そんな俺が希望を見出すことができるのは体育だけ。体育だけは、余裕でずっと学年一位を守り続けている。 人間離れした運動能力で、学年一位どころか校内一位、市内一位を狙えるレベルだ。しかしそれは、これからの人生を薔薇色に染めることはない。スポーツの公式大会じゃあ異能者が勝つのが目に見えているから、出場が制限される。これが役に立つ時なんて、不良に絡まれた時とか、あ……、昔の話になるのだけど。小学生の時、足の早い男の子とか、ドッジボールの強い男の子がモテたりしただろ? その時くらいかな。そりゃあ、小学生のころは女の子から熱い告白だって何度か受けたものだけどね……。高校生の今じゃ、ただの運動できる冴えないチビだからな。 そのうちベルが鳴って、終始ぼーっとしたまま、歴史の授業が終わった。ノートがまともにとれてないや……。後で友達に借りるとするか。 いそいそと教科書とノートを片付け、更衣室へと歩き出した。 「……チャコ! おい、聞いてんのか?」 「あ、悪い。ぼーっとしてた」 「いいんだけどさ。で……、お前だけにな、とっておきのここだけの話があって」 耳をかせよ、とジェスチャーをするのは俺の友人のひとり、エドワード。金髪で背が高くて顔もいいし、勉強もそこそこ、と女の子にモテるタイプだ。……性格は、あまりよろしくないが。 言われた通りにすると、耳元で声がする。 「お前の好きな子がおれに気があるみてーでさ。言ったらすっげえ写真と……、動画もあって……」 「……は?」 「おれ、まだ見てないんだ。お前と一緒に見ようと思ってさ。もちろん、他の奴にもまだ見せてないぜ」 足を思わず止めてしまう。 頭の中が真っ白になって、その言葉を聞かなかったふりをしたがっているんだなあと、俺は自身を理解していた。今日のお昼は何にしようかなとか、今日はバイトが無いから、アイスクリーム屋に寄るのもいいな。冬だから空いてるし。とか、別のことをなんとかどうして、考えようとしていたみたいだ。 「悪い、ちょっと気分が……。先言っててくれ」 「……? さぼんなよなー」 「ああ……」 足早に去って行くエドワードの背中を見送り、ひとりとぼとぼとトイレに向かった。一発吐きでもすれば、楽になるかと思ってさ。個室に入って、ジッと便器の奥を見つめていた。 ……ああ、羨ましい。俺がエドワードの立場ならガッツポーズしてぴょんぴょんジャンプして学校中を走り回ったろうに……。なんで、どーしてまた、『すっごい写真と動画』を簡単に友達に見せちゃうような男に女の子って惚れちゃうわけ!? 正直な話、エドワードより性格はいいと思う。顔だって壊滅的なフェイスではない。目つきはまあ……、ヒジョーに悪いんだけどさ。ただ、身長の差ってのはどうにもならないもので。180センチはあろうかというエドワードに、170センチすらも無い……、ギリギリで165という俺は勝ち様が無いんだ。 一部の女の子には裸足でも背を追い抜いてしまっているし……。女の子は底の厚いものや、椅子の足みたいな頼りないヒールのブーツを履くんだ。万年スニーカーの俺は、クラスの半分ほどの女の子に(靴込みの)背で負けている。 ためいきを何度も何度もついていると、突然携帯が震え出した。いそいそとそれをポケットから取り出す。……エドワードからのメールだ。早く来いって急かしてるんだろうか? メールを開くと添付ファイルがあって……、本文も題も、無い。 なんだろ、また馬鹿ないたずらメールかな。エドワードはこういういたずらが好きで、よくほかの友人にも怒られている。俺も何度かエドワードのいたずらメールにびっくりさせられてきた。 たとえば……、スナッフムービー風に撮られたマイナーな映画のスクリーンショットや動画をいきなり送る、とか。パソコンのソフトを使って、セクシーな女性の水着姿の写真を加工して送りつけてきたこともあったのだが……、その女性の顔は、うちの校長にされていたんだ! 紙袋を被せればいけるかなって感じなのがまた、むかつくんだ。あ、もちろん声は女じゃないとだめ。五十もすぎたおっさんの喘ぎ声なんて、ハードなゲイでもなけりゃあ聞きたいわけないしね。 まあ、そんなわけで、今度はどんなだろうって思いながら添付ファイルを開けたわけなんだけど。 画面に写っているのは赤毛を後ろで纏めた女の子……、服を大きく開けて、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、体を上下に揺らしている。ここは……、理科室か。机がそうだ。そして繰り返し『エディ』と呼ぶのだ。肉と肉の当たる音と、粘っこい水の音。なんというか、まるで、これは、セックスしてるみたいじゃないか。 ぽかんと小さな液晶画面に釘付けになっているうちに、動画の再生が終わる。数秒経って、『ああ、全部見ちゃった』って罪悪感。あの赤毛の女の子は、俺が思いを寄せていたアニーに間違いない。そばかすと華奢な体つきが可愛い女の子。 ……だめだ、もうアニー、そしてエドワードとまともに話しできる気がしないよ。 朝ごはんを食べていなかったから、無理矢理吐き出したものは胃液だけだった。それが便器の奥に沈んで流れていくのを見届けるのは、授業始まりのチャイム。 早く着替えて外に出なくっちゃ……。ただでさえ点数を稼げるのは体育だけなんだから。 携帯を素早くポケットに仕舞い、水道で口をゆすいで更衣室に走り出す。 で、一人になると最悪な、ホントーに嫌な現実を思い出すってこと、あるよな。 火曜日の俺のクラスは、朝一番に歴史の授業、その次に体育があるんだ。で、その次はというと……。科学。もちろん理科室に移動して授業を行うわけで。 そう、動画の場所。 これって、考え方の問題かもしれない。彼氏でもない男と簡単にセックスするような女に引っかからなくてよかったって。あの有様じゃあ、どんな病気を持っているかわからないからな。 とりあえず今はそう考えることにしよう。そうじゃなくちゃ、ショックでまた吐いたり泣いたりしかねない。こう見えて、けっこー感情派。すぐ起こったり泣いたりするのは、親父譲りかな。 もやもやを振り払うように、俺は、走る。走る。 ←→ [戻る] |