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Uターン
曖昧な藍と哀

二枚重なった扉を破ると、小さな部屋に出た。一通り暮らせる最低限の備えのある部屋。男物の靴と服、そして女物の靴と服、それからアクセサリーが散らばっている。
オレたちが扉を開けた瞬間、光が横を駆け抜けていった。そこにいるのはセオドアではなく……。
「迎えがきたよ、クリス」
おじさんと同じ、赤い髪。向けられるのは間違いなく敵意だった。かつてオレと戦った姿はどこにも見当たらない。
「サミュエル……」
悪魔に堕とされてもなお、何故サミュエルはセオドアの味方をするのだろう。相手からの信用は望まれぬというのに。
サミュエルの奥にはベッドがあって、そこには倫太郎が横たわっていた。腕は上に上げられ、拘束されている。ずれた眼鏡の奥で涙目になりながら、こちらをぼうっと見ていた。
部屋のどこにも、セオドアは見当たらなかった。
「僕のかわいい子に、触れないでくれるかな」
倫太郎は文字通り、何もしなかった。声を上げることも、喜ぶこともない。力なくだらりと手足を重力に任せるだけ、呼吸のために胸を上下させるだけだった。
サミュエルが倫太郎にどんなことをしたのか、聞かなかった。許されないような事をした、というのがすぐわかったからだ。とっとと奴からセオドアの居場所を聞き出さねば。
ダッシュして剣に変化させた腕を振るう。避けられたが、何度も何度も攻撃を仕掛けた。狭い室内だ、すぐに追い込むことができる。
肩に触れて血が飛ぶと、何故かサミュエルの動きが止まった。
「……く、っそ」
オレも戸惑って動きが止まってしまい、腹を切り裂かれる。その時、サミュエルの腕が鳥のような爬虫類のような腕に変化するのを見た。そう、あれはまるでセオドアの腕だった。
「私の術を知っているだろう? もう勝ち目は無い」
「なら、また術にかかる前に殺せばいいんだ?」
……サミュエルはあんな喋り方をしたろうか? 腹を庇い立ち上がりながら思った。ありゃあ、サミュエルの皮を被った何かだ。本当のサミュエルなら、血が飛んだ時に何か起きているはずなのだから。おじさんがサミュエルの攻撃を受け止め、少し下がってオレの前に立った。
「挨拶も無しに殴りかかるなんて、おたくの娘、教育がなってないね」
風を切る音がしたかと思うと、おじさんがぐらりと揺れた。攻撃が、見えなかった。サミュエルは一歩も動かずにおじさんに攻撃を仕掛けたようにさえ見える。
「今度ばかりは本気出さないと、ほんとーにやられちゃうよ。なんせ、敵の大将が相手だからね」
ふふ、とゆっくり、唇を歪めて、笑う。おじさんはまるでサンドバッグのように、ただただ攻撃を受け止めているだけだった。……早すぎて、反撃すらできないのだ。
「ぐ、グレイ! 彼を連れて……、ここを出るんだ」
息が上がってきている。やっとサミュエルを見切り、避けた所を捕まえた。……今のうちに逃げろってこと。せっかくのチャンスだけど、おじさんの言う通りにしないとな。
倫太郎の元に駆け寄り、腕の拘束をしていたネクタイを焼き切った。何故か裸で、その身体にはマジックで描かれた、おびただしいほどの線が白い肌を走り回っていた。
連れて逃げる隙をもらったはいいが、問題が山積みだ。オレは倫太郎と手を繋いだり抱き上げることはできないし、どうやら倫太郎は歩けそうにない……が、頑張ってもらうしかないか。
「倫太郎! 起きられるか?」
「……あ」
声をかけると、ゆっくりと腰を上げた。一体何があったのだろう……、何か酷い目にあったのなら、抵抗して覚醒が起きてもいいのだが。抵抗する気も失せるくらいのことをされたのだろうか……。
「オレは直接手助けできないが、お前を逃がす助けをする。起きてここから出てくれ。背中はオレが守ろう」
「……グレイさん。……ごめんなさい、来てくれて嬉しいです……」
「ああ、立てるか」
「あ……、だめ、です。足が震えて……、怖くて……」
仕方ない。布団を上から被せ、抱き上げた。
「ちょっと痛むかもしれん。我慢してくれな」
外へと向かおうとするが……、何かが、おかしい。倫太郎と会話している時、静かだった。嫌になるほどに、静かだった。
……まさか、な。さっと後ろを振り返ると、誰も居なかった。いや、居なかったわけじゃあない。おじさんは、居たんだ。赤い髪を真っ白にしたおじさんは、床に倒れていた。
「おじさん!?」
なんで、そんな、まさか。おじさんの身に何があったというのだろう……? 倫太郎を逃がして、それから戻ろう。だからおじさん、待ってて。
ドアへと一歩踏み出すと、いきなり体が部屋の奥へと吹き飛び、倫太郎を手放して共に床に転がってしまった。
「っ、うぁ……」
「倫太郎! 大丈夫か」
「だ、大丈夫です。だから、ごめんなさい、こっちを見ないで……」
裸が恥ずかしいのか、しかしそんな事を言っている場合ではあるまい。死ぬか生きるか、今はその時だ。
倫太郎にはい寄ろうとした時、その前に立ちふさがるのは。
「サミュエル……。お前は、一体……」
オレを見下すその視線は、感情を感じさせない。爬虫類のような殺気はオレを震え上がらせる。
倫太郎へと伸ばしていた腕を踏みつけられ、ぎりりと歯を食いしばった。
「……ルシファーは、死んだようだ」
「え!?」
そんな、馬鹿な。おじさんがサミュエルに殺される、なんて? わからない。何もかも、何が起こっているのかわからない。
「お、おじさん……」
「さあ、諦めがついたろう。あの老いぼれの体は使い物にならないが、きみたち二人は是非是非、使いたいのさ。抵抗したいならしてもいいが、僕の手を狂わせることがない程度にしてくれるかな」
……オレの右腕は、サミュエルの影に触れている。影に沈み、おじさんの影から戻ってきた。
……確かに、おじさんの体はびっくりするほどに冷たく、しわだらけでカラカラに乾ききっていた。髪なんか本当に真っ白で潤いがない。そう、まるで老人にでもなってしまったかのような有様だった。
「なんだ……? これは。これが、おじさん?」
信じたくはなかったが、その遺体はおじさんの顔つきをしていた。老いてはいるが、骨格はもちろん雰囲気は変わらない。オレの知ってる、優しくて強いおじさんだ。
「寿命が近かったらしいね。死に場所を探していたんだろう」
さっと血の気が引いていく。ど、どうしたらいいか全くわからない。全て放って、ここから逃げ出すか? 一か八かの可能性にかけて向かっていけばいい?
「ま、まさか。寿命で死んだと? そんなはず……、そんなはずない」
「そーだね。死因は寿命での内臓の劣化だと思うけど。どっか頭の血管でも詰まったんじゃあない? ただそれはひとつの結果であって……。直接的な死因ってのはこの僕だ」
奴の足が消えたかと思うと、背後に気配を感じる。腕が首に回ってきて、絞殺さんとする。その時触れた腕は電気が走るように痛んで、オレの首の皮をジリジリ焼いていった。
「今、君は『僕の動きが早い』と思ったろ? そうじゃなかったとしたら? ルシファーが『寿命で死んだ』のは何故か、わかるかもね。知ってから死にたいだろ?」
「……お前、サミュエルじゃあないな」
「そんなことどうでもいいじゃあないか」
足をズラすと影に触れられるが、首を掴まれているのでは潜った時につっかえてしまう。このまま首の皮を焼ききられるのか、奴の手の皮を蕩けさせるのが先だろうか。
サミュエルではない、のは確定らしい。血が飛んでも何も起きなかったのはおかしいし、何より本物なら悪魔だから、オレに触れたとしても痛みは感じないはずなのだ。
誰かがサミュエルを殺し、その皮をかぶってオレを騙そうとしているような。そんな違和感があった。
「……ただ単に早いんじゃなく、『時間を移動している』としたら。僕と一緒に動く者は、時間を何度も飛び越える。その肉体にはそのぶんだけの時間が加算されていき、それが限界に近づいて……、体のどこかに異常をきたしても時間を飛び越え続けた。結果としてすぐにではないとはいえ寿命が近づいていたルシファーは、僕に掴みかかり時間移動を繰り返して……、死んだ」

「グレイさん……。あれはサミュエルさまではなく、あれは、あれは……」




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