[携帯モード] [URL送信]

Uターン
遺灰の男

アッシュの目が覚めたのは、あれから三時間ほど経ってからだった。夜もすっかり遅くなったが、街は眠ることを知らない。自動車のクラクションが馬の鳴き声のように響き、色とりどりのネオンやライトは、地上に星空を作っているみたいだ。本物の空に浮かぶ月は、悲しそうに街を見下ろしているように見える。
「ごめん、ちょっとびっくりしたみたいで。すぐに場所を探すよ」
起きて水をコップ一杯一気飲みすると、息を吐いて目をつむったアッシュ。無理するなよと声を掛ける暇さえなかった。
イヴァンはというと、かなり腹が減っていたらしく、アッシュが目を覚まして起き上がると、そそくさとテーブルについてピザを頬張っていた。
三つ数える頃にはアッシュは場所の特定を終えたのか、ゆらゆらとイヴァンの隣へ座った。
「食えよ。シチュー、温めようか」
「あ、頼める? お願い」
キッチンに向かい、鍋に火をかける。……倫太郎の作った、昨日の晩ご飯だ。倫太郎はセオドアのそばにいる、セオドアは体を失ったばかりだから動けず、隠れ家に籠っている。
とりあえず、隠れ家にセオドアが居る、というのはほぼ間違いないはずだ。でなければ、近くにたくさんの天使が潜伏しているはずないからな。
しかし、アッシュが倒れたーー、つまり、蛾が殺されてサミュエルがフリーになってしまったということは、だ。
倫太郎はサミュエルのそばに居る、ってこともあり得る話だ。と、いうか、おそらくサミュエルのそばに居るだろう。敵から守るには、負傷したばかりのセオドアより、多人数に強い上にタフなサミュエルのほうがいいだろうし。
機動力はないから、今からでも場所を特定して追えばオレなら見つけられそうだ。しかし、あいつはそれをもカバーできる力を持っている。死なない上に、あの毒。……共に戦った時は頼もしかったが、敵に回すとこの上ない面倒さだ。
「……わかったか? 蛾は無事なのか?」
温めたシチューを皿に盛り、アッシュの元へ持っていった。アッシュは少し考えると、スプーンを右手でくるくる回しながら話を始める。
「蛾はだめだった……、けど、鱗粉が見事にくっついててね。今は会話とか周りの様子はわからないけど、位置ならわかるよ。セオドアの隠れ家……、橋の柱だよ」
「橋の柱?」
「うん。モール側から数えて三番目の柱。道路の隅にマンホールの蓋があってね、それを開けたら入れるんだ。高速道路だから人に見つかりにくいんだよ。ぼくは行ったことあるから、場所、わかるよ」
サミュエルが隠れ家に居るとすると、セオドアも倫太郎も居るのか。籠城作戦に出るつもりか?
倫太郎は人質には使えるが、微妙な所だ。殺しはできないからな。倫太郎の覚醒を促さない程度ってなると……、あまり影響が無いように思う。できるとすれば、壁にして逃げに徹する、あたりか。
「……いや、アッシュはここにいてくれ」
「えっ!? なんで? ぼくだって戦えるよ!」
「でも、戦いは得意じゃないだろ?」
たぶん、泣きそうな顔をしているんだろうな、だから顔を見なかった。
「そ、そうだけど。でも、囮とかならできるし、足でまといにはならないよ?」
「さっきまでぶっ倒れてたろ」
「もう大丈夫だよ。……だめなの? ぼくじゃだめなの?」
「そうだな。お前じゃなけりゃ、連れていったかもな」
「……なんで。ぼく、一緒にいきたいよ。やだよ……、連れてってよ……」
チラリとこっそり視線をやると、やっぱり、ガラス玉みたいな大きなピンクの瞳に涙を貯めていた。イヴァンが寄り添い、不安そうな顔をしながら背中を撫でている。
「オレはアッシュの前で死にたくないし、アッシュが死ぬのを見たくない」
「死ぬって決めつけないでよ、わかんないじゃん、ぼくが助けるよ、それくらいの力はあるからさ。……ね?」
「守り切る自信が、無いんだ。オレはさ、一人、殺しちまった。無理だってわかったんだ。お前が嫌いだからとか、邪魔だから言ってるわけじゃあないんだ。分かってくれ」
「やだ、やだよ。そしたらさ、グレイちゃんが帰ってこなかったら、ぼく、どうすればいい? 行けばよかったってずっと後悔すると思う。みんないずれ死ぬんだもん。ひとりでいるより、好きな人と一緒に死んだほうがずっといい……」
しゃくりあげるアッシュをなだめるように、優しく、イヴァンが声をかける。
「ボクが代わりにいくよ。グレイ、いいよね?」
「……好きにしろよ」
「ありがとう。……具合、よくないんだから。ゆっくり休んでなよ。ボクの実力、知ってるだろ? だから大丈夫」
「やだ、みんな行くなら、なおさらだ。ぼくも行く。ひとりぼっちはもうやだからね」
死ぬかもしれないのに、わざわざ危険な場所に行こうとするのは、アッシュの過去が関係しているのだろうか? なんて、思った。
お互いの過去のことは、なんとなく聞いたら駄目なんだろうなと思ったから聞いたことがないけれど、親元から離れておじさんの元に来たのにはやっぱり子供にはつらい現実があったからだろうし。
オレだって物心ついた頃にはおじさんと一緒に暮らしていた。親父は死んでたし、母親については姿はおろか、名前すら覚えてない。だから、そこまでショックではなかったとは言え、両親が居ないというのは小さな子供にとっては大きなストレスとなるものだ、というか、それを自分の身をもって味わった。
アッシュはオレよりも年上だし、おじさんの元に来るのが遅かったのだから……、トラウマになるくらい覚えていても、仕方ないかもしれない。
「……おじさんが、来てるんだ。一緒に戦ってくれる。お前が危険になったら、おじさんに頼むよ。オレもがんばる、がんばるけど……、もしもの時はオレを頼らないでくれな。分かってるだろうと思うけど……」
「え! それってさ、つまり、いいってこと?」
「まー……、そーなるかな」
「やったっ! だってさ、ぼくたち、チューもまだなんだよ。そんなんで別れちゃうなんて、悲しすぎるよ。ね?」
さっきまでの泣き顔が嘘のようだ。チューがどうたらの部分は、ま、おいて、だ。
オレが死ぬということは、戦争の敗北を意味する。おじさんが一緒となると、オレが死ぬということは、おじさんの死だ。
おじさんはそんなヘマをしないだろうけど、誰かを庇って死ぬということは大いにありえる。罠が無い、なんてことは絶対にありえないだろうし。
そう考えると、戦争に負ければきっと悪魔は全員捕えられて殺されてしまう。なら、連れて行っても連れていかなくても、そう変わらないじゃないか。

オレとアッシュ、そしてイヴァンではどうにもならなかったかもしれないが、あのおじさんがついてるんだ。
おじさんが戦っている所を見たことがないけれど、魔力の高さはわかる。オレなんて比べ物にならないくらいの、感情で揺すられることのないような、しっかりとした堅い意志。
「どしたの、怖い顔して?」
「怖い顔? してたか?」
口の中をもごもごさせながら、アッシュはこちらを見つめていた。隣に座ったイヴァンの眼差しが、やけに気になる。
「うん。さっきの冗談だから、気にしないでよ。大事な時にわがまま言ったりしてごめんね?」
「わかってるさ、いつものことだろ」
「ならいいんだけどね」
……イヴァン、こいつは一体、何者なんだろう……。
昨日まで人間だったとは、どうしても思えないのだ。


[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!