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Uターン
ランジェリーはクロゼットへ

『クリス』として二度と目を覚ますことがないのだろう、そう思いながら意識を手放したはず。次にくるのかもしれない、俺ではない誰かが俺になる日まで、新しく生を受けて目を再び開くその日まで。
夢と希望に溢れた、輝かしく楽しい、そんな新しい人生なんて俺に用意されているはずなどなくて。
自分自身は何も悪いことはしてないのに、ただすごい人に面倒を見てもらってたってだけなのに、他人に虐げられるだけの毎日。力が無くて反抗の意思を言葉や表情でしか伝えられない。そんな人生のレールを、ボロボロになってしまった俺という列車が走っている。
そりゃ、いろんなことがあったし、いくつか楽しいことだってあったはずだけど、人生のほとんどを暗いトンネルを走ってきたようなものだ。やっと抜け出したトンネルの先は、崖だった、って、そういうわけ……。
……自分が可哀想で、哀れで、涙が出てくるくらい。そろそろ楽にしてくれても、いいんじゃないの、なんて。
絶対に最後まで心だけは折れないぞって思ったのに……、もうダメだ。俺は嫌になるくらい力も、気持ちも、弱い。弱者が虐げられるのは、当たり前の現象じゃあないか……。

「……え!」
謎の違和感を感じて、目を開けた。大出血していたはずの腕は、怪我をしたことさえわからないほどに傷が塞がっていた。起き上がろうとするが、腕にネクタイが巻きつけられていて、それはベッドの足にくくりつけられている。
いや、そんなことどうだっていいんだ。ただ、腕を拘束されているだけ。問題は俺の体にある。
マジックで書かれたであろう黒い線が、何時の間にやら服を捲り上げられていたりずらされて露わになった体にいくつも走り回っていた。
ベッドの側には当然、兄サミュエルの体を乗っ取ったセオドアがおり、その手には大きなマジックが握られている。
「もうおっき? 早いねー?」
「な、なんだよこれ……」
胸も腹も足も腕も、おびただしい量の黒い線が行き交っている。いくつかよくわからないメモ書きまでしてある……。
「なんだよって、……。まあ、おまえのどの辺りをもらって行こうかなって話。サミュエルの体って結構いいんだけど、やっぱ僕の好みとはちょいと離れているのさ」
……一気に現実に戻された感じ。殺すなら、気を失っている間にやって欲しかった……。でも、セオドアは起こしただろうな。俺が叫んで泣いて許しを乞う姿を見たいはずだ。
「カワイソーに、最初から僕の言うとおりにしときゃあ、こんな目に合わなかったのにね……」
折れかけちゃったけど、もう一回踏ん張ってみよう。気を失ってからあんまり時間は経ってない、のか? 時間をなんとか稼げば……、時がなんとかしてくれると思いたい。
「テディくん。言ってなかったことがあって。俺を殺す前に話を聞いて欲しいんだ」
「僕に秘密を?」
「うん」
「仕方ないね、聞いたげるよ」
よかった、と胸を撫で下ろした。頭にのぼっていた血は、俺が気を失っているうちに元に戻ったようだ。
緊張してわざとらしく大きな呼吸になってしまう。それによって上下する胸や腹には、無数の黒い線と傷。
「見たと思うんだけど、俺の体にはたくさんの傷やあざがあったでしょう」
「そうだね。僕が付けた傷はちゃんと覚えている……、それにしては、覚えのない傷が多いね?」
「……うん。よく、殴られたり蹴られたりしたから」
「どうせ、あの悪魔の女だろう。あいつと一緒に居るから危ない目にあったんだ、そうだろう?」
「ちがうよ。ちっちゃいころから、ずっと、いじめっていうのかな、そんな目にあってた。子どもだけじゃなくて、大人やおじさんやおばさんがすることだってあった。全部ね、俺が、テディくんと仲良しなのが気に食わないんだって。テディくんが用事で俺のとこに数日来れない時は、いっつもおじさんのうちへ連れていったでしょう。その時は特別酷くされて、痛くて、辛くて、テディくんがどっかに行くたびに怖くて仕方なかったよ……」
「……」
「つい最近まで、グレイさんと出会ってこっちで暮らし始めるまでそうだった。大きくなっても、俺、なかなか強くならなかったから。いろんなことされたけど、頑張って我慢したよ。でも、もうダメだって思って、自由になりたくて逃げてきたってだけで、テディくんが嫌いで、テディくんから逃げたくてこっちに来たわけじゃないんだ。それをね、わかって欲しくって」
マジックを落とし、じっとこちらを見た。俺と同じの、緑色の瞳は、多分俺を映しているのだと思う。
「……自由は勝ち取るものだ……、おまえのような弱者のものじゃない。強者のこの僕に守られて生きることをしなかった、だからおまえは本当の弱者なんだ!」
「……わかってもらえなくて悲しいよ……」
大事な所はそこじゃない、俺はテディくんを裏切ったわけではないって所なのに。
「その感じだと、殴る蹴るだけじゃ済まなかったんだろ。暴力振るうだけってのが何年も続くってのは考えにくい」
「え……」
テディくんだ。これは、やっぱり、俺の知ってるテディくんだ! ちょっと変わった所があるけど、強くて優しい、あのテディくん。俺のことを心配してくれるテディくん。
「図星か。……正直な所、おまえがいじめを受けているというのは知っていたんだ。子どもの人間関係に大人が首を突っ込むのはよくないと思ってね。……でも、大人がおまえに手を上げているのは知らなかったな……。どうして言わなかったのさ……」
「……言ったら心配させると思って。テディくん忙しいし、頑張ったら、我慢、できたし」
「我慢できてないだろ……」
確かに、逃げて来た時点で我慢できてない。……でも、十分我慢できたつもりだ。日常になって、それが当たり前だと思う前に逃げられて、本当によかったと思う。
「で、何されたんだ。ガキはいい。大人に、何をされたか言ってみなさい。僕が同じ目にあわせてやる」
「え、あ……」
目を逸らす。とてもじゃないけど、口には出せないこと。つい最近のことは、声に出そうとすると指が震えてくる。
「た、たばこ、押し付けられたりとか。暗い部屋に閉じ込められたりとか、爪はがされたりとか」
「そんなもんで済んだの? ほんとに? 僕、嫌な予感がしてるんだけど……。おかしいなって思ったんだ……」
「え?」
言ったものは事実だけど……。言ってないものもあるわけで。少し近づいてきて、ベッドに体を投げ出すしかない俺を見下ろした兄の顔。血の色をした髪を垂らして、まるでそこから血が滴り落ちてくるんではないかと思うくらい赤かった。ほのかに鉄の香りがしたかもしれない。
「男なのに、女の子みたいに犯されちゃったんだ?」
「……」
「フーン……」
わざとらしく、唇を釣り上げるテディくん。新しいおもちゃを見つけた小さな子どもみたいに、嫌になるほど無邪気な表情をしていた。
「カワイソーに、僕が知らない間にそんなことがあったなんて……。ふふ」
……ちがうんだ。こいつは、俺の不幸を笑いたかったんだ。テディくんなら分かってくれるんだって、そう信じてたのに。
「惜しいことしたな。『はじめて』はいつだい? おまえは別に女の子に見える見た目してないのに、面白いこともあるもんだねえ?」
悔しかった。今までで一番ってくらい、悔しかった。手が震えて、唇を噛むと鉄の味がする。知らなかったな、怒りが溜まると、逆に悲しくなって、涙が出てくるんだ。どうにもならない現実と、それをどうにもできない自分に悲しくなってくる。
「ぅ……。っう、う、っぅ……」
「あーあ、また泣いたの。ほーんと、泣き虫だけは治らないんだから。それがまたかわいいんだけどね。どんだけ大っきくなっでも、自分の子どもはかわいいもんだね」





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あきゅろす。
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