[携帯モード] [URL送信]

Uターン
知らないことの罪

「『やった』な! お前、あれを『やった』のか!」
「え……」
「『やった』のかと聞いてるんだ! お前が『やった』のか!?」
「な、なんことだか分からないよ、ちゃんと言ってくれないと……」

久しぶりに魔界に帰ると、ルゥおじさんは嬉しそうだった。最近連絡もあまりしてなかったし、おじさん自ら出て戦わねばならないほどに戦況は悪化していた。
最初は天使たちがやってくるいくつかのポイントに近い地点に陣をつくり、おじさんは仕事場をそのまま司令塔へと変えたらしい。
堕天した数少ない天使がゆっくりと増えた種族である悪魔は、そもそもの絶対数が天使よりも格段に少ない。たくさんを相手にしてうまく立ち回る実力者も少なくはないのだが、その『数』が多すぎると、手数は足りないし、逃げながら戦ったとしても、生き物離れはしているがまだ生き物であるので、疲労する。
追い込まれ、一人一人嬲り殺しにされていったらしい。旗や飾り槍にくくりつけられた味方の首を見るたびに、おじさんは胸が締め付けられたと言った。
現在は、防衛線を『ヒルダの館』まで下げており、おじさんが開いてくれた扉もそこに開いた。まだ戦っている仲間は居るが天使の量はおじさんの参戦により落ち着き、ヒルダの館で皆一旦体を休めているそうだ。

「ヒルデガードさん、って、戦わないって言ってたんだぜ。よくうちを貸してくれたよな。壊れるかもしれないのに」
「ああ、予想外だった。おかげで、しばらくは持ちそうだ」
「どうやってお願いしたのさ?」
「いいや、ヒルダ自ら、戦うと言った」
そう言いながらおじさんは、軽く右へと目線をやった。そちらの奥には大きな水槽が置いてあって、赤い髪の女性ーーおそらくヒルダ、がそばに立っている。
水槽の中に浮かぶのは、勿論水の怪だ。長い髪をクラゲのように漂わせ、まるで胎児のように丸くなっている。
「ああ……」
「寿命が近いらしいが、まだまだ元気でな。声が出るようになってきた。私とヒルダの子どものようでね……、彼女がこの館を守ってくれ、と言ったんだ。ここに私とヒルダが居れば、まず死ぬことはない」
たしかに、おじさんとヒルダなら、あいつも安心して眠れるだろうなぁ。昔は散々だったようだけど(たしか親に殺されかけていたんだっけ)、今はこんな人たちに愛されて幸せじゃないか。残りの人生も、きっといいものになるに違いないよな。
「……楽しいお話はそろそろ終わりにして、本題に入りたいな。結構、急ぐんだ」
「! ……立ったまんまじゃなんだ、座りなさい」
ヒルダの趣味なのか、暗めの色に揃えられたゴシックなインテリア。古そうな、柔らかすぎるクッションの乗ったソファーに腰を下ろした。
「セオドアを、追い詰めたんだ。場所を特定してる。でも、周りにたくさん天使が居るっぽくてさ、手が出せないんだ。今奴は弱ってるはずだから、早く叩いてしまいたい。オレとアッシュと、もう一人居るんだけどさ……、三人じゃ、そいつらを相手して、セオドアも、ってなると厳しくって。そこまで多くないんだ……、向こうは二十人くらいだし、二、三人……、それか、おじさんが来てくれる、とか……無理、かな……」
一応言ってみるけど、こんな状況を見ちゃったら、なあ……。なんて思ったけど、おじさんは嫌そうな顔をしたり悩む素振りは見せなかった。聞いた瞬間に眉をぴくりと動かして。
「……セオドアか。私が行こう。奴の首をあげれば、天使たちも黙るだろうて」
「えっ! 本当にいいの!? こっち、大変だろ!?」
「現場の指揮はヒルダに任せる。……実はな、ヒルダが戦い始めてから、私の出番がめっきり減ってな。私にかかって来たぶんまで、ヒルダが殺してしまうのだよ。一日抜けたくらいで被害が出るような者達ではないさ、心配しなくていい」
おじさんが来てくれるのなら、百人力だ! いくらセオドアと言ったって、おじさんに敵うはずがない!
あいつさえ、あいつさえ居なければ悪魔狩りが行われることはなかっただろうし、チャールズ警部が大怪我を負ったり、ドロシィが右腕を失うこともなかった。モーガンだって死ななかった、オレが余り関わることのなかったNDの仲間達も、大勢があいつの手によって弄ばれ、死んでいった。
そして、この戦争が起きることもなかったのだ。
「おじさんが居れば絶対勝てるよ……。やっと終わるんだ……」
「気が早いな、戦場じゃそれが死の原因となることもある。気をつけなさい」
「わ、分かってるって! ……じゃあさ、ちょっとこっちの空気を吸わせてやりたい奴が居るんだけど。新しい仲間なんだけどさ、魔界には来たことないから、ちょっと中を散歩するくらいでいいんだ。連れてきていいよね?」
「と、言うと、魔女か魔人か? だめだ、危ない。こっちの空気に毒されて気分が悪くなるかもしれん、散歩どころじゃないぞ……」
「違う、違うよ。悪魔だって。あくま」
そう言った瞬間、おじさんの表情が変わった。眉を上げて、驚いた顔。見開いた目と、乗り出した上半身。おじさんらしくない。
「……堕天か、堕天使がいるのか」
「居るっちゃいるけど、そいつじゃないんだ。人間だったんだけどさ、セオドアに襲われて死にかけてて、それをオレが悪魔にした、んだ」
「『やった』のか!?」
……ふりだしへもどる。

おじさんに言われるままに、イヴァンをこちらに連れてきた。動揺するイヴァンを、容赦無く睨みつける。さっきまで陽気にアッシュとお喋りしていたイヴァンは、借りてきた猫みたいに縮こまり、哀れにすら思えた。
「え、えっとお……、あのお、イヴァン・アルクィンです……」
勇気を出して前に突き出したであろう手は、握手をなかなかできないでいた。……おじさんには、夢中になるとひとつのことに集中して周りが見えなくなるなんてことがよくある。軽くこづけば気づくのだけど……。
「おじさん! ……おじさん?」
「……あ、ああ。私はルシファーだ。よろしく、イヴァン君」
声をかけてもなかなか気がつかないなんて、相当だぞ……。なんだか怖くなって、ここから逃げ出したい衝動に駆られた。それが間違いで無かったことに気づくのは、もうすぐのことなのだけど。
おじさんが手を握ると、イヴァンは一瞬ぴくりと飛び上がった。おじさんクラスの魔法使いに合うのは始めてだもんな。セオドアの時はおそらく正気ではなかったから、覚えていないようだし。
「……なんてことだ。間違いない……」
「なんなのさ、不気味だな、さっきから……」
声が震えてくる。空気でなんとなく、おじさんが怒っているらしい、ってのはわかった。
「あれだけ止めたのに、お前は、……やってしまったのか」
「な、なんでダメなのかわかんないよ、仲間を増やしたんだぜ、悪くはないだろ……?」
目を見て話すことができない。どうしようもないくらいの、ぞっとする、視線を感じている。
「……そうだ。『なぜ』ダメなのか、わけを話していなかった。私の責任だ……」
いつもの大きなため息をして、張り詰める冷たい空気は元に戻った。オレも続けて安心のため息をすると、イヴァンも力が抜けたらしく、へなへなと床に腰を投げ出した。
「人間を悪魔にするってのはな、つまり、悪魔や天使の魂を呼び出して、植え付けるということなんだ。昔死んで、まだ消えずに残っている魂を、人間の体に押し込んでしまうということだ。……運の悪いことに、彼の体の中には、私の知り合いがいるようだ」
「……ボクは、あなたのことを、知らない。けど、ヨハネは知っていると言ってる……」
イヴァンの目は、昨日の戦いの時のような真剣な目をしていた。ヨハネが外に興味を持ったりして情報を欲しがると、あんなふうになるんだろうか?
「ああ、そうだともさ。何年ぶりだろうかな、預言者ヨハネ。こんな再会をしたくなかった。……かわいそうに、きみはまだ、幼いのに……。なんの偶然か、若い頃の彼に、よく似ている」
……なんだか、おいてけぼりだ。イヴァンもイヴァンで、さっきの借りてきた猫のような素振りは全くしない。堂々として、立ち上がり、座っているおじさんを見下ろしている。
「……なんでダメなんだ? それなら、死にかけたイヴァンも助かって、死んでたヨハネとか言うやつもこっちへ来られて、二人とも別にダメなことなんてないじゃないか」
チラリとイヴァンを見たおじさんの目は、悲しそうだった。それに反応するわけでもなく、イヴァンは冷たくこちらを見据えている。
「少し体質が変わったとはいえ、元は人間の体なんだ。魂をそのまま突っ込んでしまえば、イヴァン君はヨハネに喰い殺され、そしてイヴァン君の体は耐えられず崩れ、ヨハネは再び死ぬことになる。今はまだ何も起きてはいないが、三日もすれば、イヴァン君の人格はヨハネに殺されてしまうだろう」
「……ふん。出て行きたくとも、出て行く方法は知らないよ。なんてったって、そこの小僧に無理やり呼び出されたんだからな。出て行く方法を知ってても、出ていかないけどね」
「……ヨハネ」
雰囲気がガラリと変わった……。あいつがヨハネ、か。腕を組み、仁王立ち。捻くれたような表情は、イヴァンではないことを証明している。
「こんなチャンス、めったに無いからな。こいつは死ぬところだったんだ、ちょっと遅れただけだろ? こいつの体をボクにならしてやりゃあいいんだ、体が死ぬのは早くない、ゆっくりと方法も探せるってもんだぜ。ありがとよ、小僧」
イヴァンは(今はヨハネと呼ぶべきか)ヒョイと腰を低くし、テーブルに乗っていた焼き菓子をつまみあげた。どうやら見るのが始めてのようで、不思議そうにしばらく見つめた後、口の中に入れる。
「うまいな、今はこんなうめえもん食ってんのか。なあ、ルシファー」
そう言いながら、おじさんのそばに置かれたコーヒーカップに手を出した。ぷかりと何かの骨が浮いている、たぶん、ヒルダお手製のベノムティーだ。ちびりと口をつけると、ヨハネはわざとらしく吐く仕草をした。
「もう、人間には戻せないわけ? こいつを抜き取る方法は、あるのか……?」
小声で言ったが、おじさんにだけ聞こえるなんて都合のいい話はないわけで。
「……ない、かもしれないし、あるかも、しれない……」
「おいおい、そんな事したら、今すぐにでもこいつを喰ってやるぞ。……聞いたところ、今から戦いをおっぱじめるつもりらしいな。こいつの体に干渉しないなら、それに協力してやっても構わないぜ」
おじさんの言葉を遮るように、ヨハネが口を開く。ベノムティーのにおいを嗅ぎ、趣味わりいな、とひとことこぼした。
「なんてことだ……、イヴァンを助けるはずが、こんなことになるなんて」
新しい問題が湧き上がってきて、頭がクラクラするどころか、ずんと石のように重い。……どうしたらいい。ヨハネってやつ、どうもいい奴には見えない……。何か、方法はないのか。オレがやったんだ、責任、とらなきゃ……。
「なら、協力してくれ……」
方法を探そう。それしかない。イヴァンが完全に食われてしまう前に。約束は、守らない。利用できるものは、とことん利用し、約束は破ってやろう。
ちょいと気の毒に思うけど、このヨハネ、放っておけば不味い気がするんだ。




[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!