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Uターン
並んだ悪の氾濫と子羊のステーキ

……あれ? ここはどこだろう?
ゆっくりと重い体を持ち上げて、自分がどこに居るのか知ろうとしたが、全く手がかりがない。
やたらと柔らかいマットレスは、俺の体重で沈んでいる。すぐ横にかけていた眼鏡があったのですぐにかけたが、視力をなんとかしてもここが何処なのかはわからなかった。
窓は一切無く、壁は冷たそうなコンクリートで固められた、一人で居るのには少し広い部屋だ。特に興味を持てるくらい変わった物は置いていない。俺が座っているベッド、大きな本棚とブラウン管、カフェに置いてありそうなオシャレなテーブルと椅子にキャビネットと全身鏡。コートハンガーに吊るされているのはドレスやワンピース、男もののジャケットやスーツもかかっている。
男女二人で暮らしているのかな? ドアのほうに目をやると、赤いハイヒールやブーツが並ぶ横に、大きな革靴や履き古したスニーカーが乱暴に並べられていた。
でも、どうして俺はこんな所に居るんだろう? さっきまで、確かグレイさんサマエルさまの二人と一緒に警察署に居たのに。捕まって、それから、ここに連れてこられたのか……。
自分を守れるくらい強くなるって言ったのに、また俺は捕まって、助けられるだけだ。一応いっぱしの天使で男だってのに、女性のグレイさんに守られてばかりだな……。小さい頃だって、セオドアーー、テディくんや母さんに守られているだけだった。
キメラを一人で倒した時や、サマエルさまの傷を治した時は嬉しかった。俺だって、誰かを守ったり助けたりできるんだって。何もできない、人形みたいに守られるだけなんじゃないんだって。……でも、まだまだ甘いみたいだ。
たぶん、きっと、グレイさんは俺を探してくれるんだろうな。サマエルさまだってきっと。
俺が悪魔側に居ればテディくんは迂闊に手を出せないから、グレイさんはそれを再び利用するために、危険を犯してまで俺を助けにくるのかなあ?
俺だって、ちょっと利用しているって言っちゃえばそうなっちゃうんだけど……。でも、それだけじゃないんだって信じたい。たった数ヶ月程だけど、地上で暮らす毎日、グレイさんとお話したり買い物に行くのは楽しかったもの。
グレイさんも、俺と居るのは楽しいって思っていてくれたのかな。手さえも触れられないような同居人だし、わがままも言っちゃったし、鬱陶しいとか、うざったいとか思っているかな。
テディくんも、俺の事を怒っているんだろうか。天界には帰りたくない、でも、テディくんの事を嫌いになったわけじゃないんだ。母さんが死んだ後、母さんと仲がよかったって、それだけで俺の面倒を見てくれたんだもの。その恩は忘れちゃいない。
ちょっと、というかかなり変わったひとだけど、俺に対しては悪いひとじゃなかった。寂しい時は母さんと知らない父さんの話をしてくれたし、怖い夢を見て眠れない時は一緒に寝てくれた。読み書きを教えたのだって、テディくんだ。
本当は、グレイさんともテディくんとも仲良くしたいのに。戦うのをやめてって言いたいけれど、俺の感情だけでそんなことを言ったら、グレイさんは怒るだろうなあ。
かと言って、テディくんに悪魔狩りをやめてとは言えない。テディくんは定期的に体のメンテナンスが必要で、魔法に強い皮膚や筋肉、内臓を何処からかとってこなきゃいけない。そうしないと、テディくんの体は破れてしまって、ちゃんとした形を保てないんだって言ってた。
天使から調達するなんてしたらたくさんの批判を受けるだろう。ただでさえ、最近は反・セオドア派の天使が増えているし……。テディくんは生きるために、悪魔を殺すしかないんだ。
皆で仲良く暮らせる世界が、あればいいのにな。天使と悪魔が触れられる、俺と兄さんーー、サマエルさまに抱きしめられたり、抱きしめることができる世界に。
悪魔だって元は天使だったそうだし、仲良くできないはずはないんだ。どうしてこうなっちゃったんだろう……?

もう虚しい考えごとはよして、ここから出る努力だけでもしよう。さて、この冷たいコンクリートの部屋には窓が無い。物理的に俺が出られそうな場所はドアだけだ。
そのドアに近づき、金属のドアノブを握って下ろす、が。下がりきらず、ガチャガチャと金属がぶつかる音がするだけだ。鍵がかかっている……、内側にある扉のはずが、こちら側に鍵穴がついている。残念だけど、この扉を破る力も、コンクリートの壁を崩す力も、俺は持ち合わせてはいない。
「やっぱり、一人じゃなんにもできないのかなあ……」
小さなつぶやきも、コンクリートに跳ね返される。
もしかしたらもしかするかもしれないとドアノブに体重をかけたが、ドアはびくともしない。ただ、黙って俺を見つめている。
キメラを一人で倒した時は、ぶっちゃけ、意識がはっきりしていなかった。どんな気持ちで、どんな調子であんな力を出せたのかわからない。いつでも好きなだけあんな風に力が使えるのなら、このドアだって壊して、グレイさんの手を煩わせることもないのに。
情けなくて、涙が出そうだ。俺が強かったなら、こんな風にならないですんだのかな。

ドアの前にへなへなと座り込むと、それを待っていたみたいにドアが開いた。……誰だろう……。知らない人かな、知らない人が俺をここに連れてきたのかな。顔を見る勇気が無くて、しばらくはその人の靴の先ばかり見ていた。おしゃれな革靴だけど、血が少しこびりついている。
「おやおや、こんな所に居ては風邪をひいてしまうよ。向こうに戻りなさい」
伸ばされた手を、反射的に握ってしまう。腕を引っ張られて立たされると、そこには俺と同じ緑色のひとみ。少し癖のある赤黒い血のような髪の奥で、緑色のひとみはにいっと『笑った』。
「さ、サマエルさま……?」
「そんな堅苦しい呼び名はよして、兄と呼んでくれないか。この世にたったふたり、大切な、大切な、……兄弟なのだから」
どうしてサマエルさまがここに……? 俺を連れて逃げてくれたのかな? でも、なんか違う……。なんというか、纏っている空気が俺の知っているサマエルさまと違っている。それ以前に、サマエルさまはこんな言葉遣いをしないし、触っても痛くない!? 確かに触ったのに、触れられる。これはおかしい! ……誰か天使か人間が化けている。誰? 誰だ?
「……どうか、したか」
「あなたサマエルさまじゃないですね。一体、誰なんです」
「なんと。我が弟は、私を、兄ではないと申すか」
同じくらいの身長、同じ髪質、同じ緑色のひとみ。顔の骨格は、似ているけれど俺のほうが丸く、サマエルさまのほうが骨ばっている。見た目こそは完璧だけれど。
「誰です?」
「……」
「誰です」
「……」
冷たい瞳は、まるで爬虫類のようだった。瞬きをしない、俺を睨みつけて離さない。
「姿を」
「……」
「見せて」
「……」
「俺に」
「……」
黙ったまま、動かないかと思えば、握りしめていた俺の手を引き、部屋の奥へと向かった。
「寒いだろう、中へ入りなさい」
「……だから! ……本当の姿を!」
「……」
テーブルの前に来ると手を離し、椅子に座って足を組んだ。姿は絶対に見せないつもりだな。……いや!
「……あなたには、本当の姿があるのですか」
逆転の発想だ! それを聞くと、サマエルさま(の偽もの)の指が少し跳ねたのを俺は見逃さなかった。
「ないんですか?」
「いいや……。『奪われて』いるし、「奪って』いる」
……それって、どういう答えだ? つまり、いまはあるってことかい?
「本当の、名前は」
「……」
目を合わせてくれない。名前が無いのか……? 癖のある赤い髪を、指に絡ませている。
「なら、当ててご覧よ」
そんなこと、言われたって、なあ。いままでのやりとりに大きなヒントなんてあったっけ。『当ててご覧』なんて言うってことは、俺の知り合いっていう線が強いかな。
俺の知り合いで、こんなことができる、いやできるかもしれないという人物なんて、一人くらいしか知らないや。
「……テディくん」
「……」
黙ったままだ。特に反応は、無い。ハズレなのかなあ。目を合わせるわけでも、髪をいじる指を止めるわけでもない。何かあるのか、何も無いのか、一点だけを見つめている。
待っても何か起こるわけでもなし、違う考えを探し始めた頃、首をこちらに向けた。
「……ばれちゃ、仕方ないや。演技が相当下手だったみたいだね」
「あんな喋り方しないし……、触っても痛くなかったから」
本当に知り合いで良かった、良かったけど……まずいよなぁ。テディくんのそばに居たら、上に連れていかれるかもしれない、そんなのって絶対に嫌だ!
「そっか。うっかりしてたや。……や、でも、これは変装しようと思ってしたわけじゃあないぜ。結果的にはかんなり便利なことになったけれど」
「変装じゃないの? じ、じゃあ……、その体って、本当のサマエルさまの体……、な、わけないよね」
「そういうことさ。実は、前まで使っていた体が使えなくなってしまって。仕方なしに、気を失ってたサミュエルの体をのっとったってわけ。僕が『休め』ばサミュエルは表に出てくるよ。まだ死んでないからね……」
「……俺を、上に連れて行くの?」
「いいや。君は上に行くって言ったら、全力で嫌がるだろ? 何時の間にか上に居たら、全力で帰ろうとするだろ? その時に膨大なエネルギーが発生する可能性がたくさんあってだな、結果的にこの世界が焼け野原になる……、って未来もあるのさ。戦争なんて一瞬で無かったことになる、子どもの積み木遊びにしか思えなくなるぜ。僕は最初からそんなことどうでもよかったから、僕は僕の目的に集中することにするのさ」
「……なんか、言ってる意味がいまいちわからないよ。俺が上に戻ったら焼け野原、って……。ちんぷんかんだ」
「君はそれだけの力が使えるってことさ。まだストッパーが重いから、それくらいでしか上がらないけどね。いまのうちにやっておかなきゃいけないことがあって」
「それに俺が必要なの?」
「そう」
……混乱してる。ベッドに座り、息を吸って、吐いた。必要って、俺、殺されちゃうのかな。いままで散々お世話になったけど、そんな考えにいきついてしまう。……テディくんの、皮になってしまうのだろうか。



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あきゅろす。
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