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Uターン
我が救済者よ

デジャヴ。
粘っこい水の音。イヴァンは目を瞑り、タイミングを測っているようだ。深呼吸をして、突き出した手を握り締める。
「グレイさん、よかった、死なないんですか。みんな生きてます。死んでるようだけど、気を失ってるんですよ。みんな、生きて帰れますか?」
「ああ! もう少しの辛抱だから、我慢しとけよ!」
モーガンは急にお喋りになり、うずうずとしだした。鼻歌やんて歌ったりして、……すっごく嬉しいことがあると、元の性格に、明るくて調子のいいモーガンに戻るようだ。いつか、完全に元に戻る日がくれば、いいのだが。でも、その日は近いうちに必ず来るはずだ。

イヴァンが目と手を開くと、粘っこい水の音が聞こえてくる。何かを貪り食っているような、下品な音だ。グチャリグチャリと、泥水をかき混ぜているような音。
どこからそれがしているのかは、わからなかった。前から? 右、それとも左? もしかして後ろから? わからない。なんせ、全ての方向からその下品な音は聞こえてくるのだから。
イヴァンが再び手を握ると、音は大きくなる。赤い液体がゆっくりと進んできて、ついにはオレたちの足元を囲ってしまった。そして大きな叫び声が鼓膜に刺してきたかと思うと、モーガンの体……、いや、化け物の体は崩れていく。鉄の塊はアスファルトに落ち、赤い飛沫をあげた。幾つものヒトの体は折り重なり、真っ赤に濡れて転がっている。
「もう、これで大丈夫。軍隊が到着する前に間に合ってよかったよ。……あとは、連絡して、救急車を呼んで、それからボクも、少し……、休みたい、な……」
「ありがとう……。イヴァン」
崩れて倒れそうになったイヴァンを支えた。抱き上げて、サミュエルとアッシュとで手分けして、まだ道路を止めているであろうパトカーを探す。
……今日は、色んなことがありすぎて、疲れたな。あと数時間もすれば朝だ。流石に今日は休みたい所だけど……、休ませてくれるだろうか。
だらだらと赤い液体の中を歩いていると、出口から一台のパトカーが走ってくる。誰だろう、まあ誰でもいい。
「グレイ・キンケード」
パトカーは止まり、運転席の窓がゆっくりと開く。低い男の声はオレの名前を呼んだ。
そこには、ずんぐりと大きな黒い体。クマのような初老の男が乗っていた。
「えっ……、チャールズ警部!?」
「乗せてやるよ」
間違いない、セオドアに傷を負わされて入院していたチャールズ警部だ。そんな事があったとは思えないほどに元気そうだ。よかった、よかったのだけど……。とりあえず、パトカーに乗り込む。後部座席にイヴァンを寝かせ、助手席におさまった。
「もう終わらせたんで、軍なんかいりません。救急車を呼んで欲しいんで、す……、けど……。沢山!」
久しぶりに敬語を使うと、口がまごまごする。勘違いしたチャールズ警部は、オレの肩に手を置いた。
「わかった、わかったから、このまま家へ送ってやるよ。疲れてるんだろう」
大丈夫ですという言葉は遮られ、警部は連絡を終わらせると思い切りアクセルを踏み込んだ。
イヴァンは……、家に返さずオレと一緒に居たほうがいい。まだ魔力は不安定だ。それに説明もしなくちゃならないし、家じゃなくNDに帰ろう。アッシュはどうするかわからないけれど、サミュエルはNDに来るはずだし。
「家じゃなく、今日はNDで休みたいです」
「……あそこで一体何をやらかしたんだ?」
ああ、確か血だらけで死体もあったっけ……。色んなことがありすぎて記憶が曖昧だ。チャールズ警部はNDへ行ったのか……。
「襲撃を受けて、追いかけたんです。そしたら、ここにたどり着いて」
「そうか……」
警部は少し俯く。つい最近も、そう、チャールズ警部が襲われた時も、中央のNDでは人が死んでいる。警部が戻ってきた日にまた人が死んでいるというのは……、少々こたえそうだ。
「いつ退院されたんですか?」
車内の空気を変えようと、違う話を振る。警部の退院は連絡も何もなかったし。
「ああ、ちょうど今日……、いや、もう昨日か……、の夜に家に帰ってきてな。三週間は自宅療養と通院しろと言われていたんだが……」
「え! こんな事して大丈夫なんですか!?」
「帰ってきた時はなんとか家の中を歩けるくらいだった。しかしな、急に楽になって。娘がテレビを見ていたから、お前らが頑張ってるだろうってのは分かってたからな、楽になってすぐに車を飛ばしてきた」
軽く笑いながら警部は話す。急に楽になっただなんて……、家の中を歩き回る程度しか動けなかった警部が、こんなに力強くアクセルを踏めるものか……?
ひとつ、奇跡以外の考えられる可能性があったが、矛盾がある。
チャールズ警部は、セオドアの襲撃によって大怪我を負ったのだ。つまり、セオドアの手によって傷つけられたということ。治りが嫌に遅かったりするのは、その傷はセオドアによる魔法だからだ。
つまり、『急に楽になった』のは、セオドアが人の形でいられなくなったから、死んだから魔法が解けたのだと考えられる。
しかし、それならモーガンはどうなるんだ? モーガンだって、セオドアの魔法によってあんな姿になっていたのだから、セオドアが死んだ瞬間に魔法が解けなければならない。しかし実際は、解けなかった。
……セオドアは、異なった二つの情報を用意してこちらの混乱を狙っているのか……? それとも、何らかの条件を満たせば、『死後でも残る』魔法にすることができるのか?
わからないが、警部の起こした奇跡という線も大いにありえることだし、深くは考えないようにする。
最悪の状況ーー、セオドアは死んでいない、もしくは復活を果たして、オレ達が油断して忘れかけたころに復活する。そしてオレが死ぬ、それを想定しておくだけだ。あいつが死んだとしても死んでなかったとしても、そうしておく事に損はあるまい。
「どうした? やっぱり疲れてるんじゃないか? 本当に家に戻らなくていいのか?」
赤信号、こちらを覗く警部の顔。真っ暗で、黒い肌のおかげもあり確認しづらかったが、ピカピカと光る時計や速度系の光で肌が照らされている。
「いや、『急に楽になった』のは何故かと思いまして。大丈夫ですよ、今はとにかく、早く眠りたいです……」
高速道路から中央署まではそこまで遠くない、車で十数分の所だが、その間すら我慢できないんじゃないかってくらいには体は疲れていた。悪魔とはいえ生き物だ、眠らないと死んでしまう。
「そうだ。後ろのヤツはどこへ送ればいいか、わかるか」
「ああ、そいつ、オレの知り合いで、異能者なんですよ。なったばかりで、まだ何も分かっていない。起きたら先輩異能者としていろいろと教えてやったほうがいいと思って。だから、中央署でいいです。手帳見ればどこ署かは分かるはずですが……、そっちのほうはオレから連絡しておきますよ」
お前がそう言うなら、警部がそう返すと信号は青へと変わる。

深夜でも眠らないむしろ活発になっている街を、うつらうつら眺めていた。酔っ払いのサラリーマン、経験の多そうな女子高生、ギターをしょった奇妙なファッションの若者たち。
いつもはそんなものを見ないけれど、疲れきってテンションがガクンと下がってる今は、首を動かしたり瞼を閉じるのも面倒だった。ただただ、感じるものを脳みそで処理するだけ。それに淡白でひどくつまらない感想を脳内に垂れ流し、そこで自己完結するだけだ。声に出すほど、そのためにエネルギーを消費するのには満たないほどの面白さのもの。それは沢山の電気によって、心地いいまどろみをもたらしてくる。半分閉じた目蓋は、光を完璧に遮ることができない。暗いオレンジ色に輝いていて、あたたかい。
ついさっきまで激しく、そして気を張る戦いの場にいたためか、日常の何気ないことが異常に幸せだと感じる。オレは車に乗ってうとうとしながら窓の向こうを眺めているだけだ。
鉄と魔法の臭いとは離れ、タバコ臭い車内。きっとヤニが至る所にこびりついているのだろう。
中央署に到着したころには、眠りの世界に片足を突っ込んでいた。この十数分は、世界で一番心地よくて世界で一番短い十数分だったろう。
疲労で立たなくなりかけている両足と腰に鞭打ち、くたびれたボロ雑巾のように車からずるずると降りた。
じわじわと明るくなって紫色に染まっている空に、オレは『おやすみ』と心の中で言う。そうしたら、空は『おはよう』と優しく微笑んでいる、そんな気がした。
まだぐちゃぐちゃでサミュエルの血や皮や肉が飛び散っている仮眠室で、死んだようにオレは眠った。




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あきゅろす。
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