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Uターン
ハイドロジェンの悲鳴

中学二年の夏休み明けに、彼はこの町へと引っ越してきた。ここら一体に大きな力を持つお金持ちのタチバナとかいうおじさんの一人息子だと言う。色んな大人の事情があったらしく、この間までは母親と一緒に東京に住んでいたそうだ。
その母親というのがイギリスだかのまあ綺麗な綺麗なヒトで、タチバナの『意地の悪そうな』血を継いでいるにも関わらず、優しそうな眼差しをした男の子だった。本名で呼ばれるのを嫌っていたので、別の呼び方を略した『ミカ』とみんなは呼んでいる。女の子の名前のようだけど、ミカ本人はよく気に入っていて、その名で呼ばれるのを喜んだ。
私はミカとそれなりに仲良くしており、たまに勉強を教えてもらったり、お昼を食べたりしていた。ミカのお弁当は、あのお金持ちのタチバナの息子だというのに、いつもコンビニで買ってきた菓子パンだった。私は、ここで何かおかしいな、と思ったのだけど……。ここで気づいていればどれだけよかったかと、あれから八年たった今でも考えるのだ。

私はミカが好きだった、のだと、思う。曖昧だが、普通の友人といった感情では無かったことは、よく記憶している。
掴みどころがなく、どちらかと言えばおとなしいタイプだった。だが、彼の外見が静かな暮らしを許さない。
あのタチバナの息子、というだけでも奇異の目を向けられると言うのに。明るいブラウンの髪と、不思議な魅力のあるブルーの瞳に、外国人じみた顔立ち。田舎町は、噂の周りだけは早い。あっと言う間にミカは学校内だけではなく、町の有名人となった。
ミカは人とのコミュニケーションをあまり好んでいなかった。できないわけではない、事実、ミカには友人がたくさん居たし、私もそのうちの一人だった……、と信じたい。しかし、学校以外で、その友人と遊んだりするのを強く嫌った。ただの一回だけ、クラスのみんなで開いたミカの歓迎会に出席したのみで、ミカは誘いを断り続けていた。
タチバナの親父に止められているのカシラ、歓迎会ではずいぶん楽しそうにゲームやトランプをしていたのに。
ここで気づいていれば、どれだけよかったろうか。ミカが、そして私がつらい思いをしないですんだのに。

中学三年生の七月だった。これまでミカをしつこく遊びに誘っては玉砕してきたクラスメイトが、ひとつ、アイデアを出したのだ。歓迎会に来るのなら、誕生日パーティを開けばミカは来るのではないかと。
案の定ミカは自分の誕生日を誰にも吐かなかったが、担任の理科教師が簡単に教えてくれたのだ。ミカにパーティの事を伝えると、『ありがとう、絶対行くよ』と嬉しそうに言った。
誕生日パーティのほうは大成功で、クラスの男子が作ったゲテモノケーキと女子の作った料理やお菓子がズラリと並んだ。またゲーム大会もやったが特に問題など起こらず、みんな笑顔のままパーティはお開きとなった。
問題は、その翌日だった。
ちょうどその日は水泳の授業があったのだが、ミカの身体には青あざや打撲、さらには切り傷が刻まれていた。たまに、顔や腕に傷をつけている事があったが、ここまで酷い状態は初めてだった。いつも神社の石階段から落ちたとか、山ですべってこけたなんて言うけれど……、ミカがそんなヘマをするようには見えなかった。
東京で塾にでも行っていたのか頭は良かったし、勉強以外の面でも頭がよく回り、大人を驚かせることさえあった。運動だって、子供のころから山やら川やらでサバイバルしていた筋金入りの子よりは劣っていたが、それでも学年で五本指に入るほどにはこなした。
ただ……、道徳や音楽、美術を苦手としていたのが、彼らしいというか。どうも、自分を表現するのが嫌いらしい。本気でやったら上手くできるのだろうけど、どうもやる気にはなれないのだとよくぼやいていた。
そんなミカのつく嘘はバレバレで、タチバナの親父に虐待されているのではという疑惑が持ち上がった。が、タチバナの権力は強く、大人たちも、そして大人になりかけた子供たちも、逆らおうとは思わなかった。

誕生日パーティから二週間ほどたったころ、一度も学校を休まなかったミカが学校に来なかった。家の事情とのことだった。それからミカは二日学校を休んだ。
二日ぶりに学校に現れたミカは、顔にもあざを作り、車椅子に乗っていた。先生の話によると、ミカはもう歩くことはできないのだそうだ。足の神経が死にかけており、膝を自分で折ることでさえ、何十分もの時間を必要とした。
怪我のせいだと言っていたけれど……、そんなミスを犯すはずがない。そうみんな知っていた。あのタチバナの爺さんが絡んでいることも、そしてそれを絶対止められないことも、みんなよく知っていた。

夏休み初日、私は学校に忘れ物をしていたのに気づき、教室へと向かった。途中で通る理科室で、車椅子に乗ったミカと担任の理科教師を見つける。何か話をしているようだった。少しだけ開いた教室の扉から覗き、息を潜めて聞き耳を立てた。
「……で、おれは、先生のくだらない狂った妄想を聞きに、わざわざ学校へ来たんですか? 三年生の夏休みですよ。おれはすぐにでもうちへ帰って勉強をしなけりゃあならないんです。わかりますよね?」
「あの家に戻るのが、本当にお前の希望なのか」
「さっきからそう言ってるでしょう。大事な話だっていうから貴重な時間を削って出て来たのに……。もうおれは、身軽じゃあないんです。学校に行くのに、おれはどれだけの苦労をしているのか知らないだなんて言わせませんけど……」
「わかるか、先生は、お前を、助けたいと言ってるんだ」
「へえ、それなら、お父さまからおれを引き離すための材料を持っていると、そういうわけだ。……そんなこと、あるはずがありませんよ」
「……」
「……あー……。家でそう呼ぶように強制されるもんで、すみませんね」
「それこそが、虐待だと思うが」
「『パパ』と父親を呼ぶ子供を、『お父さん』と呼ぶようにしつけるのは悪ですか? そんなんじゃあ、取り合ってもらえませんよ。話を聞いてもらえるかさえ怪しい」
「先生は、その動かぬ証拠を持っていると言ったら」
「うちの庭でホームビデオでも撮っていたというんですか。呆れますね、……もう帰らさせていただいても?」
「盗聴器を、お前の鞄につけた」
「……犯罪ですよ」
「俺が豚箱にぶち込まれる代わりに、子供が助かるのなら俺ぁ喜んで豚の飯を食うさ」
「あなたは狂ったイカレ教師だ。以前からクレイジーだとは思っていましたが」
「お前の親父よりはマシだな。生徒の親父を馬鹿にするのは教師としてはアウトかもしれんがな……。お前は立派な親父ではない事をよぉく知っているからな。気にしない」
「そうですね。でもあなたのクレイジーさには劣りますよ」
「お前の親父の車にもな」
「面談の時にですか」
「まあな」
「……で、そのこそこそ録音したおれたちの会話に、何か面白いものが……、あったんでしょうね」
「ああ、もちろんさ。ヤクザと仲良くしてるって事……、脱税してるって事……、死体を乗せたこともあるようだな。そして、だ」
「……」
「お前が歩けなくなった原因と、お前への虐待をばっちり録音済みだ」
「……何が欲しいんですか? 金?」
「お前を助けてやるというんだ」
「それを警察に渡してもらっては、困るんですよ。せっかく貧乏暮らしから脱出したってのに。もうこりごりだ」
「足の神経を切られたとしても?」
「おとう……、父は気に入りませんが、いつも周りに人が居て、過ごしやすい家と進学できる金があるんですよ。十分じゃないですか? ……とにかく、あなたが持っているテープを全て渡して下さい。父に連絡すれば、金でも女でも、なんでもくれてやると言うでしょう」
「なんでも?」
「ええ。うちの生活を崩壊させるもののようですから。脱税やヤクザとの繋がりは、おれも知っていました。それが父をムショ送りにできるものだとも、知っていました。つまり、どういうことか、わかります?」
「俺の余計なお節介はいらねえって?」
「おれは今の生活で満足しているんですよ。だから、放っておいて下さい」
「お前、このままじゃあ、死ぬぞ」
「だから、放っておいて下さい。別におれがどうなっても、あなたには関係の無いことじゃないですか」
「お前はな、俺の、大切な、生徒なんだよ。無事に高校へ送り出すのが、中学校教師の仕事だ」
「わかりました、わかりました。で、欲しいものはなんです」
「お前と言ったら、お前の親父はお前をよこすか?」
「それはおそらく無理ですね。おれが居なくなっちゃ、困るんですよ。わかるでしょう? おれを手放して、おれが警察にチクったら困るんですよ……」

息を潜めて、じっと見ていた。ガラスにうつった影が揺れている。きりりという金属の音。車椅子が軋んでいるようだった。
「……なんですか、やめてください」
影が近づく。
「え……、うわっ、ちょ、ちょっと」
車椅子から持ち上げられ、大きな机に乗せられている。ネクタイで腕を軽く拘束されたが、足が動かないので目立った抵抗は出来ないでいた。
「人質にでもするつもりですか?」
教師は、答えない。
「……そんなことするより、おれを警察に引き渡したほうが効果があると思いますよ」
教師は、答えない。
「! や、やめろよ! 触るな! くそっ!」
「足が動かないというのは、不便だなあ?」
「最初からこのつもりだったんだな。気が緩んだところで手を出すつもりだったんだ。……『聴いていた』な!」
「ああ、ああ、聴いたとも。自分の親父と、親父の友達もだ。お前を東京からこのクソ田舎に呼び寄せたのは、このためだったんだろう?」
「黙れ、しゃべるな」
「おしゃべりしてないでさっさと突っ込んでくださいって? さすが、ビッチのお坊ちゃんは違うな」
「ビッチじゃない……」
「じゃあ、何だっていうんだ? 車で四人、家でも何度かあったようだが、あれだけで済んでないだろ。何人と何回やったか、言ってみろよ。ビッチじゃないなら数えられるだろ、中学生が何回も何回もするなんて……、なあ?」
「……っ」
静かな教室に、しゃくりあげる音。扇風機くらいしか冷房器具の無い学校はひどく暑苦しくて、蒸しあがってしまいそうだった。額の汗をシャツでぬぐい、また瞳をドアの向こうへ向ける。
「あーあ、泣いちまって。かわいそうに」
「っう、うるさっ、いっ……。だまれ、っだまれよ……」
「しかし、そんなに経験豊富ならそこまでならさなくても良さそうだな。……いや、ヤクザって優しくしてくれるのか?」
「いっ……、っぐっ……」
「……誰か、居るな」
先生に、ばれた。逃げて他の先生に助けを求めたほうがいい、それは分かってるけど、どうしても足が動かなかった。少し開いていたドアから指が見えると、勢いよく開く。二十代後半のはずが、髭のせいでそれより老けて見える、理科教師。
「小野寺か。いつからここに?」
「あ、あ、あの、わた、私、何にも知らなくて、えっ、と……」
怒っているのか、どうなのか、わからなかった。上手く言葉を見つけて拾うことができない。
「まあいい、ちょうどいい所に来た。入ってきなさい」
恐ろしい人だと思った。すぐに振り切って逃げることも出来ただろう。しかしその視線はそれを許さない。
「ユリ……? 来るな! お願い、誰でもいいから、誰か呼んでよ!」
「おいで、小野寺。いいものを見せてやる」
思わず後ずさりをすると、右腕を掴まれる。
「あ、えっ、ち、ちょっと……」
そのままぐいと引っ張られた。怖くて体が動かなくて、教師の後をついていくしかなかった。
「やめろ……。見るな、ユリ! おれを見ないでくれっ!」
机の上に無理矢理乗せられた、神経の通らない動かぬ白い二本の足。無数の傷やあざが目立つ。中には痛々しい抜糸痕や、ナイフで切りつけたような傷。普通の中学生の足だとはとても言えない惨状だった。
「う、わ……っ」
言葉にすることなんて、出来ない。なんて言えばわからなかったから。かわいそうに? 大丈夫? 痛そう? 先生は私にミカの足を見せて、どうしたいの? 感想が欲しいの?
「ちがう、小野寺。こっち」
「え……」
「ユリ、お願い、だからっ、出てって……」
先生が示したのは、ミカの足の間だ。数本のペンがそこから伸びている。きゅうと深く食いついていて、抜きにくそうだ、と思った。
「こ、これって」
……いけないことしてるんだ、というのは分かった。ミカの顔はもう涙でぐしゃぐしゃ、普段は物静かで大人びたミカが、ここまで感情を露わにしているのなんて始めて見た。
「っう、ぁぅ、う、っあぁあっ」
なんとか腕だけで机から逃げ出そうとするが、震える腰を先生に捕まえられてしまった。私は状況が飲み込めなくて、身動きができないままただ棒立ちしているだけだった。
「離せっ! 離せっ!」
……ふ、と我に帰り、『だめだ、誰か呼ばなきゃ。このままじゃミカが危ない』と考えることができるようになった。部屋から出て行こうとすると、また腕を掴まれる。
「おまえも犯すぞ」
「ぁ……」
「ユ、ユリ!」
服を掴まれて、机に押し付けられる。首が締まって嫌な汗が止まらない。わかんない、わかんないけど、こわい。
「ユリに触るなっ!」
「ほーう。なら、男のミカくんは、女のユリよりも俺を満足させてくれると?」
「……ユリをすぐにここから逃すなら」
「それは、だめだな。一応、俺はまだ教師としてやっていきたいんでね。……これなら、どうだろう。ユリをこの椅子に縛っておく。俺の事が済んだら、ユリとお前を開放しよう。この事が暴露たら、俺はお前の親父をムショ送りにするし、ユリは……、そうだな、ユリの親父は、ミカの親父の会社に勤めているんだっけ? ミカの親父がムショ送りになったら、お前の親父も捕まっちまうかもしれんなあ。そしたら、病弱な母親と二歳になる弟は困るよなあ? 爺さん婆さんは借金まみれで頼れないもんなあ?」
「わ、私、私……」
「……ユリに、手を出さないのなら……」
「ああ! 神に誓うさ。仏様でもいい」


静かな理科室に、扇風機の回る音だけ鳴っていればよかったのに。
ミカはこちらに顔を向けて、涙目になりながらも私だけを見ていた。なんとか動く手は、片方は机を掴んで片方は突き出されている。その手が私に触れることはない。触れたくとも、椅子に縛られている私にはできなかった。
先生がミカに腰を打ち付けて粘っこい水音を鳴らすたびにミカは歯を食い縛って、声を最低限にまで押さえている。中学生だから何をしているのか私にはわかったし、それがなんの意味にもならないということを知っていた。
「っ、ぁ、……ぁう、っ」
「ミカ、ごめん、ごめんなさい、わたしが、わたしが、わたいのせいで」
「ぁ、大丈夫、大丈夫っ、だからっ。おれ、慣れ、て、るからっ」
……私が犯されれば妊娠してしまうかもしれないから、ミカは私をかばったんだ。こんなズタズタのくたびれたぬいぐるみのような体で、少し引っ張ればちぎれてしまいそうな体で。
「やっぱり、慣れてるんじゃあないか」
「うるさい!」
私ばかりを見ているのが気に入らなかったのか、先生はミカを仰向けにした。抵抗が許されている腕や口は、届かない。
ミカは口に手を当てて必死に声を漏らすまいとしたが、時々喉の奥からしゃっくりみたいな声が聞こえると先生は嬉しそうにした。
「……っ、ふ、ぅ……」
「……」
先生が深く腰をミカに押し付けたかと思うと、私にも息が聞こえるくらいに息を吐いた。ミカも氷みたいに固まって、ただ息をするだけ。
「はあっ……」
と先生の声がした瞬間、こわばっていたミカの腕はだらしなく机の上に広がった。
「……満足したんなら、……とっとと抜いてくれない……」
震える声だった。息も荒くて、汗とそれの臭いがまじってひどい臭いが部屋を包んでいた。
「あ、ぅっ、っ」
ゆっくりと先生が離れて、ミカはふたたび力を抜いた。声をかけると、大丈夫だよと元気な声が帰ってくる。
「死にやしないんだから、大丈夫だよ」
私はもう前も見えないくらい泣いてしまって、開放された後でもしばらくうずくまって泣いていた。先生が部屋を出て行く時の『明日来なさい、今までの暮らしを続けたいなら』という言葉が深く耳に残っていた。



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