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Uターン
握り締めて右心室

ガラスの破片が飛び散り、小さな傷をつける。フロントガラスは見事に破壊され、セオドアの腕が伸びた、先は。
「ぁ……、あ……」
握り締めていたハンドルから手を離し、目を見開いて、口をだらしなくあけているイヴァン。その胸には、セオドアの腕が差し込まれていた。ちょうど、……左のあたり。
すぐに後部座席から助手席に移動して、腕の剣をセオドアの腕に叩きつけた。……切れない。仕方ない、これは切るためのものではなく、突き刺すための剣なのだから。斧を振り回すのはさすがに狭い車内じゃイヴァンやアッシュに被害が出る恐れがある。ナイフへと腕を変え、再びセオドアの腕に叩きつけた。
アッシュは後部座席から付け毛を伸ばし、セオドアを車から引き剥がそうとしているが、セオドアはイヴァンの胸を掴んで離さない。あまり強くすると、セオドアはイヴァンのそれを……、筋肉の塊である心の臓を引き剥がしていきそうだ。
「イヴァン! 大丈夫か、イヴァン!?」
声を掛けると、震えていた指がセオドアの腕へと伸びた。力が入っている様子もなく、頼りない手先だが、抵抗しようという意思ははっきりと見えた。
「楽にしてやるっ!」
思い切りナイフを振り上げ、下ろす。べシャリという、ヒトを切り落としたとは思えない音。切断したセオドアの腕の断面からは、ベタベタの粘液とピンク色をしたミミズに似た小さな虫が溢れ出していた。
セオドアの顔を伺うが、特に痛みを感じている様子はない。この後の展開を知っているかのように、ただただじっと、微かに笑いを浮かべている。
セオドアの腕が切断されたのを確認すると、アッシュは身を乗り出してセオドアを落とそうとするが、もともとパワーで戦うタイプではないアッシュの力では、片腕を失ったセオドアでさえ、降り落とせるかは微妙なラインだ。早くイヴァンの胸から腕を脱いて、アッシュの手助けをしよう。交代できるなら交代したいが、奴に少しでも自由な時間を与えたくなかった。
イヴァンの胸に深々と刺さったセオドアの腕。傷口からイヴァンの体内に入り込もうとしていた虫を払いのけ、弱々しく抵抗していたイヴァンの指の上から、セオドアの腕を握った。
「痛むだろうが、一瞬だから。辛抱してくれ」
思い切り、引き抜く。鼓膜を破壊する勢いの悲鳴が車内いっぱいに響き渡った。足を引きつらせ、見開いた目をさらに見開き、目尻には涙。しかし、セオドアの腕はイヴァンの胸に刺さったまま、少しだって動いてはいない。
「あ、あ、っぁ、あ、あ……」
……内臓……、心臓か肺かに爪が食い込んでいるな。何度引っ張っても抜けない。本体から離れたとは言え、腕にはぎゅうぎゅうに虫が詰まっているのだから、力が入っていても不思議じゃあない。
「僕の腕は、君が気に入ったみたい。離れたくないってさ」
何が僕の腕だ、結局はお前がお前の意思でやってるんじゃあないか。……とりあえず、これ以上引っ張って肺を切り裂いたり心臓を引っこ抜いてしまっては本当におしまいだ、腕から手を離した。どうしたらいい、あと数十分もすれば、イヴァンは出血多量で死んでしまうだろう。しかし、数十分も時間が使えるか? 時速160キロで走り続けている車、道はいつまでも真っ直ぐではない。高速道路のある橋の長さはかなりあるが、時速160キロで走れば、十分ほどで渡り終えてしまう。
そして、この車が走り出したのは橋をほんの少しだが渡った場所。簡単に予想して、イヴァンに残された時間はだいたい五分といったところか。魔力のこもっていない衝撃なら、どでかいミサイルや爆弾、核でもない限り、オレやアッシュには対したダメージにはならない。
今死のうとしているイヴァンを助ける方法は、ある。それも今すぐに、それも傷を完治させる形で。しかし……、イヴァンをオレたちの都合に巻き込むことになる。助けた結果、さらに苦しい死に方をするかもしれない。車ごと激突してつぶれ死ぬのなら一瞬だ。
……でも、オレは、イヴァンの抵抗を忘れられなかった。人間の理解を超えた、怪物の中の怪物セオドア。魔力を持たない人間でさえ、こいつの異常さは空気でわかる。ぞっとするだなんて表現じゃ生ぬるい。『同じ空気を吸っていると知って吐き気を催すほど』だ。そんなセオドアに、弱々しいものだったが、イヴァンは抵抗をしたのだ。魔力を持つオレでさえ、イヴァンと同じように内臓を触られた時、すぐに抵抗できなかったと言うのに。
「イヴァン」
声をかけて引きつり震えた手を握る。
「お前は、今、死のうとしている。生きたいか。生きたいなら、手を握り返してくれ」
見開いた目を閉じ、こちらを見た。オレの手を、ぎゅうと握る。お世辞にも強い力だとは言えなかったが、強い意思を感じた。これなら、きっと、生きられる!
「落ちろっ! 落ちろよ、この変態腐れ天使ーッ!」
アッシュの吠える声が鼓膜を打つ。アッシュの付け毛を足で払い、蹴りを浴びせるセオドア。アッシュは後部座席に勢いよく吹き飛んだ。
「やだな、変態だなんて。確か君には何にもしてないだろ」
まずい、セオドアを抑えていたアッシュが一瞬だが髪を離した。セオドアに自由な時間が与えられる。
「死にかけの人間相手するんならさあ、僕と遊んでよ。つまんないでしょ? 僕とのほうが楽しいよ?」
腹を強く踏みつけられ、口から血と胃液が飛び出した。痛い、痛いが……、面倒が省けて丁度いい。口から胃液入りの血を掬い、零れないうちにイヴァンの口に運ぶ。
「飲め」
吐かないよう、口を無理やり閉じさせた。喉がゆっくり動いたのを確認して、緊張してきた指を息を吐いて温める。セオドアは眉間に皺を寄せ、口をだらしなく開けていた。
「グレイ、君は、まさか、まさかだけど……」
セオドアの言葉は最後まで聞く価値はない。途中で遮るようにして、勢いをつけるために叫ぶ。
「イヴァン! 願えッ! 心の底からッ! このタンパク質の皮までッ! 生きたいと、願えッ!!」
強く手が握られる。セオドアの腕に爪を食い込ませた。肺を切り裂き、心臓を引っこ抜く勢いで。左腕に深々と、貫通しているのではと不安になるくらい沈められた腕を、思い切り、引き抜いた。
プツプツと筋が千切れて、刺さっていたセオドアの腕が宙を舞う。その腕についていたのは、紛れもなく、心臓だった。まだ打っているが、すぐに止まるだろう。そこから伸びる血管は、もうイヴァンの身体には繋がっていない。
一息おいて、再びイヴァンの叫び声が響いた。しかし、それはもう痛みと恐怖から作り出される叫びではないはずだ。痛みと、勝利の、雄叫び。
「ぐ、グレイちゃん。これって……」
赤黒い血はそこらじゅうに付着し、後部座席のアッシュまで届いていた。セオドアの腕は、もう使われる事のないイヴァンの心臓を握りつぶしていた。
「なんで、お前が、これを知ってる」
ギリ、と血に濡れた歯を擦らせるセオドア。車内に現れるのは、新しい、産まれたての魔力の気配。いくつもの欲が渦巻く音。
「昔の仲間に聞けばいいさ」
小さな声で、つぶやいた。あいつに聞こえたがどうかはわからないが、別に伝えなければならない事ではないのでよしとする。
イヴァンは、息を引き取った。心臓を引き抜いたのだから当たり前。大きな大きな左胸の傷は、制服を赤く染めている。鉄の臭いと魔力の臭いでむせ返りそうになる。
が。
目は開いていて、その目には光があった。イヴァンは死に、呼吸をやめたが、意識が身体から離れていっているわけではない。セオドアの腕が刺さっていた左胸は、みるみるうちに傷がふさがっている。瞬きを三回もするころには、新しいピンクの皮膚で覆われていた。
「グレイちゃん……、悪魔だよね。その人を、悪魔に、したんだよね」
「ああ」
バックミラー越しに見たアッシュは、恐怖で溢れていた。人間を『悪魔』にする方法ーー。人間を『魔女』や『魔人』にする方法は、悪魔なら誰でも知っていることだ。しかし、悪魔となると……。知っているのは、堕天使であるヒルダやルゥおじさんの他……『現場を見た』オレとアッシュくらいしか居ないのではないか。詳しい方法を教えることは、きつく止められている。見ているのがアッシュとセオドアならば、……自信はないけれど、でも、やる価値はある方法だと思った。
結果は……。うまくいったかは、全くわからない。魔力は感じるが、魔力が馴染むには強い『生きる意思』が必要だったのだ。おじさんのメモに書いてあったし、信頼できる情報はわからない。
これからイヴァンが悪魔として生きる事ができるのか……? それはイヴァンの意思にかかっている。

イヴァンがゆっくりとシートから背中を離すと、セオドアが車を飛び立った。破れたフロントガラスにうつったのは、立ちはだかる大きなコンクリートの壁。ぶつかってしまう! 衝撃や火災には耐えられるだろうが、痛いものは痛いのだ。これから襲いかかるだろう衝撃に身構える。アッシュは付け毛で顔を覆った。顔に傷をつけたくないらしい。
それを見たイヴァンは、静かに右手を前に出す。壁に向けて、人差し指を差し出した。ぶつかる瞬間、人差し指と親指がこすれて、軽快な乾ききった音が鳴る。
真っ赤な血は空気に触れて黒く、水分が飛んでカラカラになっていた。




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あきゅろす。
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