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Uターン
さあ、偉大なる死を

どうにかなりそうだった。力が抜けて水の中へ落ちる。ちょっとだけ、ちょっとだけ休んでいこう。全身の筋肉が緊張していたらしく、強張ってうまく水面に浮くことができず、プールの中へと泡を立てて沈んでいく。
サミュエルも、アッシュも、倫太郎も、みんな大丈夫。少しでもそう思っていないと、意思に身体がついていかないんだ。不安になるたびに、心臓の鼓動が早くなった。ヒトやほかの動物たちとくらべて寿命が長いとは言え、限りある時間。それを無駄にしているという事に気づいてはいたが、大切にしてやるほどの体力と気力など今は持ち合わせていなかった。
プールの中には、幾つかの死骸があった。ヒトと同じかそれよりも少し大きいもの、それらの親玉らしき、さらに巨大なもの。その中にサミュエルが混じっていないか探したが、姿は無かった。もっと別の場所にいるか、もしくは、最悪の状態になってしまっているか。
水の中に沈んだり浮いたりを繰り返した死骸は、ここがイルカショーを行うプールであることを思い出せば、簡単に想像がついた。
その死骸は、恐らくイルカだった。きちんと体が綺麗に残っておらず、いくつもの場所がドロドロに溶けて骨が丸出しだったり、焦げ目がついていたりしている。原形がわからないほどに死骸の損傷は酷く、思わず目を背けたくなる。
水温の急激な変化と毒の血に耐えられなかったのだろう。いくら賢い動物と言えども、水の中の動物。水からは逃げる事ができない。こいつらや、イルカを楽しみにして水族館に来た客にはかなり悪い事をしたな……。それくらいしか思えないのは、異常な事なのだろうか?
……しかし、困った事になった。いくらNDと言えども、絶滅が心配されているイルカを戦いに巻き込み殺したとなれば、ただではすまないはずだ。最悪の場合、オレもサミュエルも、逮捕。
イルカの状態を常に観察するためにカメラは動いているだろう。そうなれば一旦魔界に逃げて新たな作戦を練ればいいか……? まあ、アッシュの殺人を帳消しにしたルパート署長ならば、なんとかしてくれるかもしれないけど。期待はしないでおこう。
死骸の森を抜けると、水の中で揺らめく赤い髪。その周りには、渦のように血を乗せた水がぐるぐると回っていた。いったん浮上してひと息つき再び潜って、沈んでいくサミュエルを拾った。
血に触れたが、なんともなかった。まるで死んだように目を瞑り、体を水中に投げ捨てていた。……まさか。そっと胸に触れると、ややゆっくりだが心臓の動きが読める。よかった。増えた傷はほぼ無い、というか傷はふさがりつつある。少し皮膚や鱗が焦げているだけで、目立つ傷は治っていく途中だった。浮上し、プールサイドまで引っ張り上げた。
水の中から出て、サミュエルを寝かせた隣に倒れこむ。疲れた、ほんとに疲れた……。まだ冬ではないとは言え、冷えつつある秋夜の風は、濡れた体に容赦なく吹き付ける。
「さむいな……」
誰も聞く人が居ないのに、思わず呟いてしまう。プールサイドに転がるびしょ濡れのサミュエルは、答えるはずもなく。濡れたまま眠ると、体によくない事は知っているけれど。それって、悪魔の体にもよくないのだろうか?
影の炎を燃やし、少しだが暖をとる。本物の炎ではないし、振り下ろす時に発生するエネルギーを増やすため、切断する時に焦がして切りやすくするための影の炎は、暖をとるには少し冷たい。
「サミュエル、サミュエル、起きろ」
赤い髪が張り付いた顔をぺしぺしと軽くはたくと、ううっとサミュエルは呻き声をあげた。
「う……。お、終わったのか」
「いや、まだだ。ユーリスとか言う天使は殺したが、ガブリエラは逃がした。そもそも、オレじゃ、勝てないからな」
「……そうか。俺の力不足だった。すまない……」
「オレのほうが悪いよ、判断ミスだった。これから、かなりめんどくさくなるかもしれないけれど……、とりあえず今の事をなんとかしなきゃな。オレはアッシュを追うけれど、ついてくるか? しんどいなら、帰って休んでくれていい」
サミュエルをここで失いたくなかった。着いてきて欲しい気もするし、着いてきて欲しくない気もした。サミュエルがセオドアに口説かれ天使側についてしまえばお終い。逆に言えば、オレはアッシュに対して非情になれるか分からなかった。甘いというのは十分理解はしているが。
「いいや、着いて行く。大丈夫、俺はまだやれる。確かに、さっきはだらしない所を見られたが、もうそんな事にはならないと約束しよう。それとも、俺はよっぽど頼りないか」
「……そんなんじゃないんだ。今日はいろんな事がありすぎて……、疲れたろうと思って。さっきだって、三度も助けられてるんだぞ。頼りないなんて、わけないぜ」
「ありがとう。だが、俺に気遣いはいらないよ。俺は君に残りの人生を拾われたのだから、好きに使うといい。君が手伝えと言うなら手を貸そう。君が帰れと言うならすぐに戻ろう。君が死ねと言うなら、俺は喜んで呼吸を辞めよう」
そう言うと、サミュエルはゆっくりと立ち上がった。水を大量に含んだ服と髪を絞ると、ほのかに赤く染まった水溜りがプールサイドに出来上がる。
「そうか。そう思うなら、オレはお前を否定しないよ。でも、死ねとはきっと……、や、絶対に言わない」
「優しいな、君は」
「……寒くないか」
ビルの間を抜けて来た冷たく鋭い風は、まるで爪で肉をえぐるように体温を奪っていった。立ち上がったサミュエルを見上げると、おとぎ話で聞いた竜のような鱗がびっしりと浮いていた。これまでに何度も鱗が浮き上がっているのを見たけれど、それは部分だけだった。本当に竜と見間違うくらいに、びっしりと浮いているのを見るのは、初めてだった。
ギョロリと動く眼球はいつもの優し気な面影をほんの少し残してはいるが、それは完全にトカゲのもの。岩肌のようなゴツゴツとした体表は、プールに差すライトに当てられて鈍く光っている。
「いや。今の俺はどっちかと言うと爬虫類に近いからね、これくらいの寒さじゃ、体温を合わせれば平気さ。流石に冬にもなると、動けなくなるが」
便利に出来たもんだなあ、と思う。オレだって見た目を変えることはある程度できるが、顔を変えることはできない。体の一部を影に変えて形を作るだけ。アッシュだって蛾に姿を変える事ができて、正直少し羨ましい。
ぼんやりとしてしまうと、コツンとでこを軽く殴られた。
「グレイ、君のほうが休みたいんじゃないか。さっさと行かないと、逃げられてしまう。また、申し訳ないけど連れていってくれ」
「しゃーねえなぁ」
立ち上がって、ふっと息を吐いた。手足を燃やし、悴む指を暖める。サミュエルを抱いて、プールサイドを蹴った。星空に向かって大きく音を立て、飛んでゆく。プールを空から見下ろすと、水面に浮かんだイルカの死骸がゆらゆら揺れて、まるでオレとサミュエルを送り出しているみたいだった。
魔法臭がどこかでしないか? じっと風の臭いを探ってみる。……わりと強い魔法臭。方向は、たしか、橋のほう……。高速道路の走る大きな吊り橋の方向だ。
「よし、見つけた。結構きついな」
腕の中のサミュエルも、鼻をすんすんときかせていた。
「ああ。一人じゃない……、複数だ。それも強い……、たぶん、セオドアが……」
やはり、現れるのか。作り物みたいに完璧な、継ぎ接ぎだらけの緑髪の天使。人間たちが語る天使とはまるで違う、残忍な猟奇殺人犯。なんのために倫太郎を作ったのか。オレたちは『神を殺し神になるため』だと考える。
簡単に行き着いた答えだ。きっと、たぶん、これと同じか近いものだとは思う。
「セオドアか……、二人なら、殺せるだろうか」
希望は、あった。今回も、セオドアが不利でオレが得意とする夜。運も絡み場所が良かったが、オレだけで殺すことができた。今回は、強力な毒を使うサミュエルが居るのだし、それに親父だってついてる。不安要素はいくつもあるが、一人で戦った時よりも遥かに心に余裕が持てていた。
「セオドアを殺すのが俺たちの目的じゃない。はき違えて無理をして、死んだら……。元も子もない」
「殺さず取り戻せるものだろうか。オレたちには、もう、交渉できる道具すらないんだぞ!」
「よく考えてみろ。どうしてずっと、移動力のないブロウズとかいう悪魔がクリスを運んでいるのか」
……確かに。アッシュが攫ってからは、ガブリエラやユーリスその他いろいろの天使が運べばいいだけ。わざわざ飛んだりといった移動補助の無いアッシュがセオドアの所まで運ぶんだ?
「そ、それは、オレから倫太郎を守るためだろう。ブロウズ……、アッシュなら、下手にオレは手を出せないと考えたんだろう。それ以外考えられない……」
「違う考え方をすれば、その悪魔に、奴への場所を案内させようとしている。ガブリエラとブロウズなら、君を殺せないし君を殺せない、逃げて、追うだけ。ユーリスの部隊は、参戦を予想出来なかった俺を殺すためのものだったはずだ。事実、君ひとりなら簡単に逃げることができた」
「はあ!?」
どうして、どうしてそんな意味の分からないことをしたがるんだ!? 確かアッシュの記憶はセオドアに筒抜けだ。アッシュがオレのことを好きだって事は、知っているだろう。それを知って、それを利用している?
「セオドアは戦争が好きだ。中でも、内戦がね。以前まで仲間だった者たちが争い殺しあうのがたまらないらしい。俺はセオドアにそそのかされて戦争を始めた国を、いくつも知っているよ」
遠い目で月を眺めるサミュエル。サミュエルはセオドアのそばにずっと居たのだろうか。
「こっちが交渉をするんじゃない。向こうが交渉を持ちかけてくる。自分の欲を満たした上で勝利するために。きっと、今までの優しい君では言葉にすら、勝てないだろうね」
何と言われたとしても、戦わねばならないか。これがオレの最期の戦いになる、かも。これで決めるしかない、そうでなければ、未来はないのだから。
……死ぬのは、恐ろしい。でも、もう大丈夫。オレには親父がついてるから。相討ちになっても、汚い手を使っても。オレたちしかできるヤツがいないのだから、やるしかない。
「戦うなとは言わないさ。君が死ぬのはどうにかして避ける、それだけのこと」
もう。わからない。




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あきゅろす。
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