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Uターン
悪い大人と欲にまみれたワイングラス

オレが死ぬこと、それは戦争に負けること。それはこれから先、悪魔が迫害され奴隷のような扱いをされるってこと、みんな、むごたらしい死を迎えることになるってこと。
元々は同じ生き物のはずだったのに、どうして考えの違いだけで子孫まで苦しまなければならないのだろうか。もっと前なら、そう、悪魔狩りが始まる前なら。きっと仲直りをして共に暮らすこともできたかもしれないのに。
もう、共に生きることはできない。オレたちは、死んで行った同胞の恨みを、悲しみを、苦しみを、晴らさねばならない。天使を無駄に殺せば、新たな争いの種になるだけだ。歯向かい、戦うことを望んで向かってくる者だけをはたき落とせばいい。そしてその司令塔、緑髪の天使セオドアを。

炎の天使、ユーリスのせいで凍っていたプールはすぐに液体に戻った。沈んでいくオレの首を、ユーリスは残った腕で掴む。首の皮膚がちりちりと焦げ、神経へ伝わる直接な痛みにオレは声にならない悲鳴をあげていた。いや、あげることができないのかもしれない。事実、首はどんどんと焦げ落ち、骨や首の中を走るいくつもの管が丸出しになっていた。声帯が無事なのか、確かめる気力さえも無かった。殺されるんだ、死ぬんだと思った。
「殺すなら、さっさと殺してしまえ。手負いの悪魔が一体なにをするか予想がつかないからな。悪魔どもは私たちとはちがうのだから」
天使ガブリエラは指を鳴らす。背中がひやりとして、おそらく、プールの奥が凍ったのだ。痛みすらもだんだんと失われてきて、うっすらと視覚や聴覚も少しずつ消えていこうとしていた。体から、何かがはがれて行く。そんな気がして、どうしようもない恐怖に身を震わせた。
「サマエルには手を出すなよ。あいつは僕がやったんだ。なら、僕が首を取るのは当たり前じゃないか」
「……そうか。なら、君の好きにするといい。何を言ったって、私の言う事を聞かないのだろう?」
「ババアにはどうも、反抗したくなってね。反抗期ってやつ? あはは……」
声をあげて笑うユーリスに、ガブリエラは頭を抱えてため息をひとつ。その間にも、ユーリスの炎は首を焦がし、水中では聖女たちがオレの体を押さえつけていた。
……ダメだ。このままじゃ、死んでしまう。こんな所で死ぬなんて絶対にダメだ。こいつらを振り払い、一刻も早くアッシュを追って倫太郎を取り返さなければならない。倫太郎がセオドアの監視下で正しく、安全に覚醒をしてしまえば何もかもおしまいだ。
神をも殺す力。最も強いと言われる悪魔と天使、ルシファー……、ルゥおじさんとセオドアの血を継いだ子供。そんな化け物じみた力を持つ倫太郎を、セオドアの能力なら意のままに操ることも可能だ。倫太郎は、意思を奪われたままセオドアの命令に従って生き続ける。今までの世界を守っていたルールを全て無かったことにして。
どんな汚い方法だっていい、プライドなんてものは役に立たない重い鎧だ。そんなものはさっさと脱ぎ捨ててしまえ。オレはどうしたい!? 生きたい! そうだ、生きたいんだ!
何よりも願うこと。自分にひたすら正直になって、今、したいことは! 死にたくない、生きること!
世界がなんだ、戦争がなんだ、そんな事は今どうだっていい。オレは生きて、そしてクソッタレ天使どもの首をかき切り、血を浴びたいんだ。痛いし、怖いし、憎い。なら、同じ目にあわせてやる。殺してやろう。ころしてやろう。ドキドキして、顔が熱くなって、手先が震える。お腹のずっと奥が誰かに抱きしめられている感覚がして、なんだかよくわからないけれど、満足感があった。
「……私はそろそろ向こうへ行く。ブロウズが心配だからな。余計なことは、するなよ……」
「はいはい、分かってるよ。さっさと切り上げて、ブロウズも殺すんだ。全く、あんな弱そうな悪魔をそばに置くなんてね、セオドアの考えることはイマイチよく分からないよ。なあ?」
「私たちは言われた通りに動く、それだけだ。ブロウズを殺せば、サマエルのように強制堕天となるかもしれないな。よく、考えることだ。私はきみとは戦いたくないのでな」
もう頼りにならない視覚や聴覚だが、それでもひとつの気配がどこかへ消えていくのを感じる事はできた。体を押さえつけていた聖女たちも消える。
「……ねぇ、悪魔くん。さっきのってさ、告白だと思う? いやさぁ、今までに何度かこういう事あったんだよ。んー、まあ、さすがにオバサンはねぇ。オバサンって言うほど見た目は老けてないけどさあ、そういうもんじゃん、僕らって。ぶっちゃけ三百年くらい離れてるからね。それってちょっとキツイっしょ。やっぱりさ、僕としては、歳が近い女の子と恋したいんだよね。なんてゆーか、青春っての? ガブリエラ……、見た目は、悪くないんだけど。性格がちょっと、……ねえ?」
体の力が完全に抜け、首からユーリスの手が離されると水面にぷかりと浮いた。首はいくつかの管と大部分の皮膚が焦げ落ちて、骨が水にまとわりつく感覚が気持ちよかった。うつ伏せの状態で浮いていたのを、ぐるりと一回転させられて仰向けになる。炎で焦がしたように真っ黒な髪と、燃えているような真っ赤な瞳。憎たらしい顔。煙と涙ではっきりしなかった視界は、水に流されてはっきりしてくる。
「あれ、悪魔くんって女の子だったんだ? ちょっとだけど、胸があるんだね? セオドアに何かされただろ。……まあ、あいつは女だろうと男だろうと関係ないと思うけど」
ああ、腹に手を突っ込まれて内臓をグチャグチャ触られて、その上でセックスしないかと誘われたとも! 思い出すだけで気持ち悪い。あれで済んでほんっとに良かった。
まぶたを半開きにして、息を飲んだ。オレのやるべきことは、分かってる。こんなくだらない話をじっくり聞いていることじゃないってことは、分かってる。ただ、それをすることができるか、分からなかった。
「確かに、よく見てみればちょっと体つきとか、顔とか女の子っぽいかもな。でも、僕の好みは女の子してる女の子でさ。きみやガブリエラはタイプじゃないんだよね」
生きてるか死んでるかさえも分からない声帯を、震わせる。焦げた喉はカラカラに乾ききっていて、プールの水に浸されて元に戻るレベルではなかった。
「……っ、ぁ……」
「なに、なんか言った?」
息を、吐いて、吸った。きりりと痛むが、声は出る。オレの切り札、声に出すべき言葉は。
「……そうだ。悪魔くん、彼女にしてやろうか。悪魔くんが死ぬまでの間だけれど」
その言葉を思い浮かべると、水面に落とされた影が震えた。大丈夫、きっと助けてくれる。これだけは絶対オレの味方だから。ずっとそばに居てくれた、つい最近までそうだと知らなかったし、受け入れられなかったけど、でも。
「ぉ、おや、……。っおや、じ……。おやじ! 親父!」
決して大きな声ではないけれど、それでもなんとか届いたようだった。目の前が一瞬暗くなって、月が赤く染まる。プールを照らすライトの光が消えて、再びついた。プールの中に引きずりこまれたかと思うと、何かに支えられて浮き上がる。
「な、なんだ……?」
首の痛みはすっかり消えて、実際に傷も消えたかは分からないけれど、とにかく、平気だった。ユーリスはプールサイドを少し離れ、目を丸くしていた。
糸にでも操られているかのように、ゆらゆらと立ち上がる。水面は真っ黒な影に覆われて、波紋がいくつか残っているだけだった。今にも倒れそうだったけれど、影が、親父が支えてくれている。
「……ありがとう」
「いいや。礼には及ばないさ。今までできなかったぶん、私はせいいっぱい娘を助けたいのだよ」
低くて、落ち着いた声だった。黒くてごつごつした岩のような腕が、折れそうな首を、落ちそうな頭を押さえていた。霧のように立ちこめる影を吸うと同化してしまいそうで、はっきりとした意識の中での親父の魔力に直接触れると、頭がおかしくなってしまいそうだった。
「……本気だね」
ユーリスは構え、手から真っ赤な炎を吹き出した。毒で溶けて無くなった腕からも炎は吹き出し、ごうごうめらめらと燃えながらも、五本の指の形を保っていた。
「ちゃんと戦えるかな……」
「大丈夫、私がついてる。リラックスして、深呼吸して」
言われた通り、同化してしまうのではないかという恐怖を押さえ、思い切り息を吸った。影はゆらゆらと揺れて、オレの体にまとわりついては吸い込まれていった。
体をぴんとはって、目を開く。不思議と気持ちが楽になって、支えられていた体と首も自分ひとりの力で支えられるようになった。……なんだ、同化するのが怖かったけれど、したほうが楽だったんだ。全身に魔力が回る。きっと親父が供給してくれているんだ。
水面を蹴ると、たくさんの波紋がプールに発生した。足から炎を吹き出して向かってくるユーリスの燃えるひとみから視線を離さない。飛び上がり、冷静になって高さを合わせる。耳元で『そこだ』と声がした。親父の声。腰を低くして、腕を大きな剣に変化させる。水が跳ね上がり、波紋を作り続けた。

気づいた時には、勝負はついていた。燃え上がるユーリスの腹を、オレの腕が貫通していた。生々しくねばっこい水音が耳を打つ。影で黒くなったプールは、ぴしゃりと落ちた赤い液体を異様に目立たせていた。小さく切られた息を吐く音は、おどろくほどに冷たくて氷のようだった。じわりと痛みが襲ってきたためにすぐに引き抜くと、真っ黒い腕がプールに落ちる体を拾い上げる。腕はもちろん、腹や顔にべっとりとその液体がついてしまった。唇に触れたものを舐めとると、鼻にまで鉄の味が広がって来る。
「……そ、うだな、セオドアも……、殺される、かも。しれない……」
首を掴まれ高く上げられた、赤い月に照らされるユーリスの体。まだ大人になりきれていない、中途半端な幼さの顔。うすら笑いを浮かべながら、空いた手で腹の傷口をかばっていた。
「放っておけば傷が治るが、どうする」
黒い腕の主、親父がオレに問うた。そんなのわかってる。
「殺すよ、すぐに」
それを聞くと、すぐに首をひねりあげる。目を見開き、口から嗚咽が吹き出した。硬くて嫌な音がすると、体を震わせた。腕をゆっくりと上げて。
「悪魔くん、……っおまえは。……悪魔だな、……本物の」
心の臓を狙い、思い切り突き刺す。黒い腕が離れてユーリスの体は宙ぶらりん、風に揺れた。はあはあと喘ぐ声がまだ聞こえてくる。さすが、かなり地位のある天使のようだったし、残っている魔力を生命力に変換してギリギリで生き長らえているのか。
天使に触れると痛む。再び引き抜くと、親父はユーリスの体を見送った。真っ黒い水の中に、赤い血を混じらせて沈んでゆく。
「上がってくるだろうか」
「いいや。私が、影に閉じ込めた。魔力がかなり高い天使だったから、まだ復活する可能性があった」
その言葉を聞いた直後、頭の中でプツンと何かが途切れた。真っ黒いプールは元通りの、でも少し血が混じったプールへと変わる。水面を立つ事ができなくなって、プールに落ちた。
「……どういうこと?」
「私が許可しない限り、あやつは出てはこれないのだよ。あの傷だ、数日も経てば魔力も使い果たして死ぬだろう」
「ふうん……」
見上げた空に浮かぶ赤い月は、元の色を取り戻しつつあった。それと同時になのか、親父の気配が薄れてゆく。
「……そろそろ、時間のようだ。私は生物ではなく、影という自然現象に分類されるのでね……。あまりこっちにこのような状態で居られないのだよ。ある程度はそれを曲げられるが、ほんの少しだけだ。……神には絶対に勝てないようだ」
セオドアが、親父は最初の悪魔だと言っていたけれど。罪のない天使を殺したからこうなったと聞いたけれど。オレにはそれが事実だとは思えなかった。親父は変わったのだろうか。詳しく聞こうとしたけれど、もう親父には聞こえていないようだった。
「また……、助けが欲しいのなら、呼びなさい。強く。そうでないと、届かない……」
「……わかった……」
聞こえていない意味の無い返事をして、親父の残したわずかな影を吸った。じっと水面を見つめて、意識が少し飛びかけた。
……サミュエルは、生きているだろうか。あんなにたくさんの傷を負っていたのにも関わらず涼しい顔をしていたのだから、無事だとは思うけれど。
親父が消えた後、月は元通りに黄色く輝いていた。




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