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Uターン
ベノムティーはスコーンと一緒に

鏡の中のサミュエルは、泣きそうな顔をしていた。生きるという選択は辛いだろう。けど、けれど、生きてほしいと思った。嫌がらせとかじゃなく、倫太郎の支えとして。
普段あまり感情を表に出さず、冷静なサミュエルがあんなに乱れるなんて思わなかった。
「意味もなく生きろなんて言わない、倫太郎の面倒を見てほしいんだ。オレよりお前のほうが、勝手がいいだろ」
「クリスはすぐ、自立するよ。完全に覚醒すれば、自ずとやるべき事がわかるはずだ。それほどの魔力を持っている。神を……、主を殺すこともできるだろう。……セオドアがクリスを用意した理由は、それかもしれないな……」
確かに、ありえない話じゃない。後ろからこっそり糸をひいて操り、神を意のままにしているが。それがうっとうしくなり、自分が神になろうとする。
「だとしたら、覚醒が無事に済むまで守りきらないと。覚醒しかかっているのがバレれば、ヤツは本気になって取り戻そうとするはず」
これまで勝ったり生き延びたのは、こちらがうまく動ける条件であったり、助けがあったからだ。ちょっとでも条件が悪かったなら……。オレは今頃セオドアの皮になっているだろう。
サミュエルは鏡に背を向け、ドアへと歩き出した。チラリと見えた顔は、いつもの冷静なサミュエルのものだった。
「クリスを戦闘マシンのように考えるなよ。ヒトだ。心がある。俺よりも、はるかにな。今までの話は、君たちにとって全てうまくいけばの話だ。実際は、おそらく、違ってくる。勝つだろうが、かなり面倒な事になると思う」
そう言うと、サミュエルはトイレを出ていってしまった。ああ、大事なこと、忘れてたかも。オレと倫太郎の間には信頼関係が出来上がりつつあるとは思うが、セオドアと一緒に居た時間のほうが長いのを忘れてはいけない。
『悪魔になりたい』と堕天した(つもり)倫太郎が、神をも殺せる力を持っているとは、皮肉なものだ。
オレもそろそろ寝るかとドアノブに手をかけた瞬間、背後にうっすらと気配を感じた。……薄いものだけど、魔法、臭い。
素早く振り向くと、少し開いた窓の枠に蛾が止まっていた。真っ白で大きな、蛾。これは、確か。
「……アッシュ!」
蛾を捕まえようとしたが、声を出した瞬間すぐに飛び去っていった。話を、聞いていたのか? どうして逃げる必要がある?
オレの尾行や盗聴をしていたのか? どうして?
……嫌な感じがしてくる。アッシュがあんな事をし出すなんて、絶対にろくなことにならない。
蛾がいるのなら、近くにアッシュが居るかもしれない。探して話を聞けばいい。そう思い、再びドアノブに手をかけた。

デスクルームに戻ると、夜のメンバーの二人が床に倒れていた。
「!…… おいっ、大丈夫か!?」
体を揺さぶると、体に積もっていたらしい灰が舞い上がる。少し吸い込んでしまい、咳き込んだ。少しなら問題はないだろうが……、多分これは、アッシュの灰だ。蛾を何匹か使って、毒が含まれる灰の鱗粉をバラまいたのだろう。
体に積もるくらいの毒をバラまかれれば、人間はすぐに動けなくなり死んでしまうだろう。オレだってただじゃあ済まない。……少々吸い込んでしまった以上、後で体に支障が出るのを覚悟しておかねば。こいつらはもう、助からない。
「倫太郎! サミュエル! 無事か!?」
仮眠室に向け声を張り上げたが、返事は返ってこない。
ちくしょう、まさかアッシュが襲いにくるだなんて。セオドアの術がとけたってのは、嘘なのか? それともアッシュはオレたちを裏切ったのか? 立ち上がり、仮眠室へ。

部屋に入って瞬間、気分が悪くなった。毒のせいだ。でも、毒の種類はひとつではない。アッシュの毒の灰と、他の何か。
「ぁあーん!」
仮眠室の大きな窓から、真っ白い髪をふたつにリボンでまとめた、ピンクのワンピースを着た女が入ってきている。オレはあの女が女ではないのを知っている。かすれたハスキーボイスの彼の、せいいっぱいの高い甘えた声が鼓膜を打った。
「アッシュ……」
「グレイちゃんっ。会えてよかったぁ。せっかく来たのに、会えないで帰んないといけないんじゃないかって、ぼく心配だった」
伸びた白い髪は、倫太郎の首に巻きついている。そしてアッシュの首にはウロコが数枚刺さっており、その首は紫に変色して、剥き出しになった血管が痙攣したみたいにぴくぴく跳ねて、陸に打ち上げられた小魚のようだった。
「すまない、集中してたんで返事が出来なかった。だがおかげで上手くいった」
サミュエルが構えたまま、視線をこちらにやった。顔にはウロコが浮かび上がっている。……あのウロコはサミュエルのものか。わずか数枚、そしてあまり時間がたっていないだろうに、あそこまで皮膚を溶かしてしまうとは。あれがもうひとつの『毒』……。
倫太郎はおびえた表情でこちらを見ていた。確か、アッシュと出会った時もこんな感じだったか。なんて、懐かしんでる場合じゃない!
「ぼく、すっごくヤバいよね。ピンチだ。ドキドキしちゃうよね……」
「アッシュとやら。その子を離すなら解毒をしてやる。早くしなければ首の神経と血管がただれて死ぬぞ」
「死、かあ……。ぼくにはまだまだ関係ないかな。ね、グレイちゃん」
よく見ると、アッシュの両腕が、ない。両腕を蛾に変えたな。両腕となると、かなりの蛾がこのあたりに潜んでいる。
「アッシュ。そいつを離せ」
「やーだよ。さっきのお話、聞いてたんだけどさーあ? グレイちゃんたら、ぼくをほっといて知らない男の人と喋ってんの。もう、我慢、できない……、怒って、も、いいよ……、ね? ぼく、よく、我慢、したよね?」
言葉が途切れ途切れだ。首がどんどん溶けて、とうとう血管から血が零れだした。
「ウフフ……。痛いよ、苦しいよ、グレイ、ちゃ……」
かすれた声を出しながら、アッシュの体は床に崩れた。真っ白い灰になる。
「まずい!口と鼻を塞ぐんだっ!」
あれほどの灰が舞えば、吸う量も多くなる。くそ、少しだがまた吸ってしまった。サミュエルはなんとかすぐに顔を覆ったものの、倫太郎は動けなかった上にかなり近くに居たので、かなりまずい……。
「ぁ……」
舞い上がった灰が倫太郎を隠す。灰が落ちると、倒れた倫太郎。体には灰が積もっている。
「クリス!」
サミュエルが駆け寄ろうとすると、窓から入ってきた蛾が姿を変える。
「ストップ、ストップ、ストーップ! 動かないでよ、動いたらこいつの頭、潰しちゃうんだからね!」
「くッ!」
アッシュの足が、倫太郎の頭に置かれる。ゆらゆら揺れるツインテールが、月の光を受けて白く光る。足元には、影。
「さっきのお話聞いてー、眼鏡くんってすっごいんだって知っちゃったんだけどー。まだ弱いんだよね? ぼくがお家に帰したらとんでもないことになるんだよね?」
「やめるんだ、アッシュ! お前はオレたちの仲間だろ!」
「違うよっ。仲間じゃない。ぼくはグレイちゃんの、彼氏だもん。そうだよね?」
「……」
思わずを唇を噛んだ。血がたらりと流れるのを感じる。どう答えればいいのか、わからない。目を逸らすと、不満そうにわざとらしく眉を歪めた。
「いいよ、今は忙しいもんね。戦争が終わってからでいいよ?」
とは言うものの、すぐに返事がほしいと言った感じ。
さっきから、サミュエルがしきりにこちらへ目で合図を送ってくる。影へ潜り、アッシュを攻撃して倫太郎を取り戻せという合図。だめだ、オレはアッシュを殴れない。どうしても、だめだ。
「ぼくは、グレイちゃんに危険が無い方法を提案しにきたんだよね」
「……言ってみろよ」
不機嫌そうだったのが、一気にご機嫌になる。えへ、と笑い、息を吸った。
「向こうは眼鏡くんを取り戻したい、眼鏡くんは悪魔になりたいんだよね? じゃあ上手く利用しちゃえばいい。眼鏡くんに悪魔になれる方法が見つかったよって適当にウソついて、眼鏡くんを天使側に返す。眼鏡くんが覚醒するまでぼくらは魔界で必死に防衛する。グレイちゃんは、やんなくていいからね。……眼鏡くんが覚醒したら、さっさとボスどもやっつけて終わりさ」
「倫太郎の気持ちはどうなるんだ? 倫太郎は戦闘マシンじゃない!」
「神サマもやっつけちゃうんでしょ? じゃあ、悪魔なんかより神サマになればいいよ。ルールも全部変えちゃえばいい。もちろん、神サマになりたての眼鏡くんをサポートするのは、グレイちゃんやぼく……」
「お前は、神になりたいのか?」
「もう、怖い呼び方やめてって言ったのに。いいけどさ。……神サマには、ならないよ。ただ、眼鏡くんにぼくとグレイちゃんが愛しあうための世界を作って欲しいんだ。この世界は、ぼくらには……、汚すぎるもの!」



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