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Uターン
悪意と毒

倫太郎を連れて中央署へ。謝礼金の手続きをさっさと終わらせ、NDへと向かった。サマエルと話がしたかった。
扉の前に立つ。異様な空気が立ち込めている。ゆっくりと扉を開けると、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「いやっ、ぐ、グレイさん! よかった、あたし……」
いつもと変わらないデスクルームだが、何かが、おかしい。モニカが怯えるのもわかる。人間には少々きついだろう。
「……なんですか、これ……。血のにおいが、しますよ……」
「モーガンはどこへ?」
モニカが震えた指を伸ばす。仮眠室だ。確かに、うっすらと血のにおいがする。サマエルもそっちに居るに違いない。人間には、こんな空気を作り出すことはできない。
仮眠室に踏み込もうとすると、叫び声。モニカはびくっと飛び上がり、涙目でオレの名前を呼んだ。
「グレイさん……、あたし……」
「モニカ。すぐにここから逃げろ。近くに居る人にも逃げろって伝えておいてくれな」
「……はい」
よたよたとした足取りだが、NDを出たのでひとまず安心か。
「俺、使いものになりますかね」
緊張しているのか、深呼吸をする倫太郎。あまりの異様さに怯え、てはないようだけど。不安には思っているだろう。
「お前が殺されることにはならないさ。でも、指一本触れさせないなんては……、言えないかもな。努力はするけどよ」
「じゃあ、俺がやりますよ。あなたに傷ひとつ、つけさせません」
「そりゃ、頼もしいや……」
ある程度の状況は覚悟していた。そう、たとえば人間であるモーガンが死んでいる、とか。悪魔になったばかりの天使なんて初めて見るものだから、何があるか分からない。
精神がきちんと保てないと、魔法は使えない。精神はイコール魔力だ。暴走した魔力が、どれほどの影響を与えるのか、その大きさは十分理解していた。
だが、『ナニが』『ドウナル』かは全く予想ができない。本人の精神がどんな状態にあるのか、それすらも分からないし、本人だって分かりようがないのだから。

「く、来るなーッ!!」
「あ……。グレイさん。いらしてたんですか……」
扉の向こうは、予想とは全く違っていた。考えられる最悪の状況――『モーガンが死んでいる』その予想は大きく外れていた。
血のにおいの原因、それはサマエルが自分で自分を傷つけているからだった。血だまりの中にうずくまり、皮膚に浮きあがったままのウロコをナイフで剥がしている。腕や体にはいくつもの刺し傷があり、致命傷となりえる場所への深そうな傷もあった――。何故だって、はらわたが腹から飛び出していて、それにすら傷がつけられ、おびただしいほどの出血をしている。
それなのに、悪魔だって死んでしまうような傷なのに(オレはセオドアを殺した時、セオドアに内臓を傷つけられていた。暫くは根性で動けたが、親父が助けてくれなければ犬死にだっただろう)、不思議とぴんぴんしていた。
「……これは一体、どういう事なんだ……」
「目覚めたら、いきなりです……。女性にはキツいだろうとぼくだけで見てたんですが、正解でした。まさか、これほどとは」
血だまりの中に、銃も見える。自分で撃ったのだろうか。
「サマエルさま……」
変わり果てた『天界の英雄』に、倫太郎は驚きを隠せないようだった。眼鏡の奥のひとみを見開き、口を押さえて、よろよろと近づこうとする。
「その名で呼ぶな! もう俺は……、違うんだ。俺は……。もう、生きたくないのに……」
「倫太郎、やめとけ。近づくな」
腕を掴もうとしたが、触ると痛むことを思い出してやめた。
モーガンがじろりと倫太郎を見る。
「……彼は?」
「オレの友人で、異能者だ。キメラ退治をやってくれてさ、手続きしに一緒に来たってワケ……」
「そうなんですか」
「……モーガン……、お前、強くなったな」
「『あの時』に比べたら……、全然マシですよ。ホラー映画と同じようなもんです」
サマエルは、異常だ。
ぼろぼろと大粒の涙を流し、しゃくりあげている。真っ赤な髪をどす黒い血で濡らしながら。ナイフをこちらに向け、かつてオレをセオドアから助けてくれたような、そんな強さは欠片も見当たらなかった。
「……グレイ。助けてくれ。俺は、し、死にたいんだ。裏切るつもりは、なかったんだ。君を裏切るつもりだった。君と信頼関係を築いてから、クリスを取り戻して帰るつもりだった……」
震える手は、情けなさでいっぱいだった。武器を持ってはいるが、簡単に奪えそうで、こちらに向けている意味が全く無かった。
「モーガン、オレ達にまかせてくれないか」
「……わかりました。異能者にしかわからない事が沢山あるでしょうし……。ぼくは、外で待機していますから……」
モーガンが仮眠室を出たのを確認すると、数歩サマエルに近づいた。倫太郎も後ろをついてくる。
「作戦が上手くいくよう、気遣いをしてやったろう。ビルから落ちた女を人間の目の前で助ければ、君の人気は上がり、英雄扱いってわけさ……」
涙を流しながら、笑っている。感情がオーバーフローしている。
「何があってもクリスさえ取り返せば、俺たちの勝利は間違いなかった。それなのに、それなのに、理解されなかったのさ。哀れだろう。この俺が! 危険を知って! 敵も味方も騙していたのに……、ふふふ……。一番大事なヒトに、理解されていなかった……。君との信頼関係は築かれつつあった。だから俺を助けようとしたんだろう。しかし、だ……。オレが信じていたヒトから、全く信じられていなかった……」
ナイフの刃を、思いきり握りしめた。サマエルの手から血が滲んでくる。持ち手をこちらに向け、また笑った。
「さあ、俺を殺してくれ。俺を殺したくなったろう? 君を裏切るつもりだった、なんて、君は俺を信じてくれたのに……」
差し出されたナイフを、受け取った。怒りは、なかった。喜びも、悲しみもなかった。ただ、何もない、それだけが存在していた。
「ぐ、グレイさん。殺して、しまうんですか。そんなこと……」
「……クリス。ありがとう、大きくなったな。俺の愛しい弟。セオドアに会う事があったら、きっと、サミュエルは最後までお慕いしておりましたと、伝えてほしい。信じてもらえないかもしれない、騙すために酷いことをいくつも言った。けど、俺の気持ちは……」
「やっぱり、おれの、お兄さんなんですか。会ったばかりなのに、お別れだなんて……」
倫太郎がサマエルに触れると、二人の短い悲鳴。倫太郎は天使、サマエルは悪魔となってしまったのだから。倫太郎が悪魔にならなければ、この兄弟は抱き合うことも、触れることすらも許されない。
血にまみれて涙を流しながら、お互いの肌に指の一本すら触れられずに別れを告げる兄弟を、オレに引き裂けと言うのか。
「待てよ、誰がお前を殺すなんて言ったんだ。死にたいなら自分で死ねばいい。他人に自分の罪をなすりつけないでくれるか?」
ナイフの刃を持ち、サマエルに差し出す。二人はぽかんとした表情で、オレを見つめている。
「……自殺、できないんだ。これが裏切り者への制裁とは、よくできたものだろ? だから、お前に殺してほしい。グレイ」
「オレなら、裏切り者は絶対に死ねないようにするぜ。そうすれば、永遠に後悔することになるだろうからな。だから、お前は、オレが殺そうとしても、自殺しようとしても、死ねない……」
差し出しなナイフを引っ込め、地面に投げ捨てた。もうこんなものはいらない。オレの答えは決まっている。後悔なんて、させない。
「お前はまだ、オレを裏切ってないだろ? つもりだった、ただ、それだけだ。じゃあ、今日から本当にオレたちの仲間だ。そうするしかないのさ」
「……グレイさん!」
服の袖で涙を拭き、鼻水をすする倫太郎。ああ、また洗濯物が増えた。そう思いながら、ナイフを踏みつける。
「セオドアはお前を必要としてないかもしれない。でも、オレは……、お前を必要としてるぜ。一緒に、天使のヤローをブン殴ろうじゃあないか」
「……いいのか。俺が生きて。また、俺はお前を裏切ろうとするかもしれない……」
「なら、それをオレが防げばいいんだろ? 簡単簡単、朝飯前ってもんよ。嫌なら、さっきみたいに永遠に一人で自分を傷つけ続けるといいさ」

ブーツの影から、粉々に砕けたナイフがちらりと顔を出した。
部屋に入る前の『指一本触れさせない』、『傷ひとつ、つけさせない』は、変わった形で宣言通りとなった。


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あきゅろす。
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